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1.

 お時間の許す限りゆっくりお付き合いいただけると嬉しく思います。


 曲線のみで作られた緑の棚田と吸い込まれそうな青い空のコントラストが美しい。


 小高い丘の上に建てられた屋敷のバルコニーから望む景色を見つめる女性の表情は和いでいた。


 歳は、四十を回った頃であろうか。暗い金の髪に白いものが交じり始めている。


 雲雀が翔ぶ。


 響く鳴き声に、彼女は睫毛を伏せた。




 □□□□□□□




 ねぇねぇ。

 ちょっと聞いてほしいことがあるの。


 信じられない話だと思うけど、私も信じたくないし。何でこんなことになってるのか、世に神がいるなら説明を求めたいくらいよ。


 異世界転生とか異世界転移っていうのは、深夜アニメで見てそう言ったジャンルがある事は知っていたけど、まさか自分がそんな非現実に巻き込まれるとは考えて無かったし、そもそも……。


 そもそもよ。


 ねぇ?


 逝きたてフレッシュな遺体に、霊魂放り込まれるって異世界転生って言うの?


 器があって中に入り込むっていうなら憑依とか乗っ取りって言葉はあるけれどさ。


 それって本体生きてないと成り立たなくない?


 死んでるのよ。

 それはもうポックリと。キレイに死んでたの。

 ヤバいくらいに華麗にご臨終されていたのよ。


 あー死んでるわ、これ。って中に入った感触でわかったの。生温いのと冷たいのが混ざったそれはもう筆舌に尽くし難い感じ?


 死んでんなー。

 でも、私が中入っちゃったからこれ目が覚めるんじゃね?


 とか、ボンヤリ考えていてさ。そしたらジワジワ馴染んでくるのよ。歯の治療したら噛み合わせおかしくなったけど、少ししたら気にならなくなるみたいな。あんな感じ。


 で、目を開けちゃったのよね。


 マジ、後悔。




 ■□□□□□□




 どうも。皆さん、御機嫌よう。


 この身体の持ち主の名前は、ローザンヌ・マカーベオ。


 父は、レザン・マカーベオ・ドゥ・タルシス。タルシス伯を賜っていますわ。


 ローザンヌの生母は、ララベル・フォスキンス。

 フォスキンス男爵の次女で、伯爵(コンテ)側が男爵(バロン)の武力を目当てにした縁組だったみたいね。

 身体が丈夫な方ではなかったらしいララベル嬢は、わたくしローザンヌを産んで間もなく天に召されましたの。今は、彼女が使っていた部屋に残る肖像画でのみ、その姿を見ることが出来ますわ。


 わたくしが五才の時にタルシス卿が再婚しました。

 継母になったのは、シャイリー・モルジュ。貴族との繋がりも深いモルジュ商会会頭の末娘です。


 モルジュ家は、平貴族(エキュイエ)という事でお金持ちですのよ。


 タルシス卿とは、ララベルとの婚姻が整う前からの愛人関係だったらしくわたくしには異母姉がおります。


 わたくしより二歳年上の彼女の名前は、サラ・モルジュ=マカーベオ。


 モルジュの名を捨てずにいるのは、きっとモルジュ家の意向ですわね。


 どちらにしろ、そのような事を探ったところでわたくしの今が変わるわけではございませんし、特に興味もありません。


 目下の問題は……。


「ロザン。お前の婚姻が決まった」


 タルシス卿から書斎に呼ばれた段階で察してはおりましたが、些か急ですわね。


 わたくしにも心の準備というものが必要でしてよ。


「相手は、バーゼル・グリス・スローン・ドゥ・シヨン。辺境伯(マーグレイヴ)のシヨン卿だ。喜べ」

「まぁ、」


 思わず、声が漏れてしまいましたわ。


「良かったじゃない、ロザン。婚約解消となってしまった貴女の貰い先が決まって」


 ソファーで寛ぎつつ、話を聞いていたサラが口を挟みます。チラリとそちらに視線を向けると、他人の不幸がなによりも愉しみといった醜悪さが滲む笑顔をしていました。

 淑女としての嗜みが本当に足りない方ですわね。


 わたくしの婚約者を奪い去ったまではよかったけれど、わたくしが嫁いでからでないと外聞が悪いと結婚を許してもらえませんでしたものね。


 けれど、お姉様。


 同じ伯爵(コンテ)ではありますが、あの家は駄目ですわ。いずれ来る農業革命に飲み込まれてしまいますわよ。


 これから未来(さき)を思うとため息が出そうになりますが、グッっと堪えます。顎に力を入れたのがいけなかったのかしら、眇めるような目つきになってしまいサラの笑みが深くなりましたわ。


「あらあら、そんな怖い顔をして」


 勝ち誇ったように囀るのはお止めになった方がよろしくてよ、お姉様。心の中で思いつつも、口に出す事はございません。


 裕福な商家で七歳まで何不自由なく暮らしてきた娘。貴族となってからも母親共々実家の支援を受けて、まかり通らない事はないと生きてきてしまった娘。


 ローザンヌとは生い立ちが違い過ぎるわ。


「気の所為ですわ、お姉様。あまりの良縁に驚いてしまいましたの」


 書斎机に座っているタルシス卿に向き直ると手を軽く胸に当て了解の意を示す。


 自我は心の中にある。了解の意思表示ですわ。


 初めてこの仕草を見た時、手がグーなら心臓捧げてしまいそうね。と、思った事は内緒よ。


「感謝いたします、御父様」

「ああ」

「それでシヨン領への出立は、何時になりましょう」


 辺境の名に恥じないくらいシヨン領は王都からは遠い。遠いどころか、隣の国だ。


 険しい峠を三つは越えなければならず、今は麦の収穫に湧いているが直ぐに冬がやって来る。

 凍える風が吹き荒ぶ中、峠を越えるなんて無理な話よ。


 一日でも早く出立しなければ。途中、雪にでも閉ざされたらシヨン領に辿り着くのが春になってしまうわ。


「幸いにもシヨン卿は、現在王都に滞在して居られる」


 ヒュッっとローザンヌの喉が鳴った。


「領地は、ご子息であるヒューリー殿に任されたそうだ」

「そうで、ございますの」


 死なない限り、爵位が譲られることはない。


 シヨン卿は、今いくつだったか。


 二年近く前に一度だけ、遠くからだったか見ることが出来たシヨン卿の姿を思い浮かべる。


 確かそろそろ七十に差し掛かるはず。

 と、なれば。息子は四十半ばから五十を超えた辺りか。

 あのお元気そうなお姿のままなら確かに待っていたら息子を飛ばして孫が後を継ぎそうね。


「良かったわねぇ、ロザン。明日にでも輿入れ出来るわよ」

「いくら気が逸ったとしても、それは埒外ですわ」


 そちらは見ずに打ち返す。少しは忌々しい顔をして下さいませ。


「今年の冬は、こちらで越されるそうだ」


 姉妹の醜い舌戦は気にならないのか、タルシス卿は淡々と話を続ける。


「孫より若い貴女を気遣っての滞在だそうよ。しっかりバーゼル様に感謝を伝えなさい」


 なに勝手に名前を呼んでいるのですか。突っ込みたいの気持ちを抑え込み、ローザンヌはタルシス卿に笑顔を向けた。


 十二歳で自ら毒を含み、事切れたローザンヌの身体を貰い受けてから五年。どれ程、この日を待ちわびたことか。


 人生で一度きり、日本で言うところの成人式となる十五歳の祝儀フェイト・デ・カーンザンで、まさかの婚約破棄を声高々に宣言され、異母姉と婚約を結び直したいなどと頭が沸いているとしか思えない騒動を起こされた事で、わたくしの堪忍袋の緒はヒットポイント全損しましたの。


 そもそも、貴方の嫁と娘がもう一人の娘をナチュラルボーンドアマットにしようとしている……というか結果として、してしまったのだけれど。

 そんな修羅の家で、よくもまぁ我関せずを貫き通せますわね。


 ローザンヌは、孤独でしたわ。


 寄る辺ない我が身を思い、思春期特有の不安定さに囚われ、一人絶望し天の宮城(みやしろ)へと旅立っていってしまった。

 貴方がもっと彼女の事を気に掛けていれば、状況は変わっていたかもしれないのに。


 それでも。

 中身が変わってしまった事にも気が付かないウッカリさんであっても。

 十七年間、ローザンヌ・マカーベオの健康を守り、教育を施し、衣食住を提供して下さった方。


 その事については感謝致します。


 この家を出たら、もう二度とお会いすることはないでしょう。


 そんな思いを込めて微笑みを浮かべる。


「御父様、最後にローザンヌの我儘を聞いてくださいまし」

「なんだ」

「シヨン卿から頂いた支度金は、そのまま全額持参金(ゲラーテ)として持っていきとうございます」

「……!」

「何ですって?」


 ここに来て、初めてタルシス卿の表情筋が仕事をしましたわ。ついでで雌鶏まで騒ぎ始めましたけれど。


「あら、おかしな事を。わたくしのためにシヨン卿がご用意下さったモノです。わたくしの好きにするのは当たり前のことではございませんか」

「ロザン、それは」


『辺境伯』からの支度金だ。

 その地位に恥じない金額であろう。それはつまり、体裁を整えよ。という事だ。

 全額使ってでも、恥じない装いで嫁いで来いとそういう事だ。


「勿論、それだけでは足りません。マカーベオ家からも出して頂きます」

「アナタ、自分が何を言っているかわかっているの?」

「辺境伯に嫁ぐのです。其れ相応の形を整えて頂けなければ、マカーベオ家が嘲笑われますわ」


 マカーベオ家も、今は転換期を迎えている。支出は最小限に済ませたい時期だろう。


 わたくしへの支度金を少しばかり自らの蓄えとしたかったのかも知れませんが、そのような事は許しません事よ。


「それでは御父様、お姉様。お話が以上でしたら、部屋に戻らせて頂きますわ。荷物をまとめなければなりませんので」


 淑女の礼をとり、その場を辞す。


「待ちなさい、ロザン!」


 騷ぐ雌鶏の声を聞きながら扉をくぐると、仕事の出来る使用人がいつもの様に扉を閉めてくださいましたわ。


 いつもなら、わたくしを拒絶するような扉の閉まる音も今日ばかりは心地よく、つい微笑みを浮かべてしまった事はお許しくださいね。





 ローザンヌ・マカーベオが、バーゼル・グリス・スローン・ドゥ・シヨンの元へ嫁いできたのは、この日から三週間後の事である。


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