第3話
……言ってしまった。彼女は今までのことを怒っているかもしれない。
だが、ゆっくりと顔色を伺うと彼女の表情はさっきと打って変わってみるみるうちに歓喜へと変わっていった。
文句の一つも言われる覚悟だったが、その反応は俺の予想していたものと真逆の反応だった。
「あなたが…私を毎日放課後助けてくれてた人ですか?」
「……そうです」
「やっと……やっと会えました…!ずっとお礼が言いたかったんです!」
本を抱えながらズイッとこちらに詰め寄る。とびきりの笑顔をグッと近づけられたため俺は思わず顔を背ける。
直視できないほどの笑顔とは…美少女恐るべし。
「……お礼?」
「そう、お礼です!」
「……別にそんなものはいりませんよ」
「えぇ……?」
先程の笑顔が急になんとも言えない表情になってしまった。
だってお礼なんて言われてもただの俺自身の善意からやった事で見返りを求めてやっていたわけではないのだ。
そんなのでお礼と言われても受け取れる義理はない。
「本当に何もなくていいんですか?」
「じゃあ一個だけ。敬語はやめにしよう。同じ二年生だったはず」
「……分かった。それにしても…君は何も見返りはいらないと言う様な無欲なイケメン君なの?」
小首を傾げながら訝る様に俺の顔を覗き込む。
彼女の身長は170センチの俺より10センチほど小さいのでどうしても少し見上げる格好になる。
なるほど、今までこの上目遣いのせいで大量の男子が釣られた訳か……。
少し息を吸い、ため息を吐くと話を続けた。
「なんだイケメン君って。別に、お礼されたいが為にやってた訳じゃない」
「………君は珍しい人だね。私の場合だったら普通の男の子だったらあれこれ要求してきたりすると思うんだけど」
自分の容姿、スタイルならば男は自分の欲求をぶつけてくると思っていたらしい。
今までも何度かそのようなことがあったのだろうか。
だが、特段要求したいことなどない。
「…自分が可愛いって自覚してるのか」
「いやでも分かっちゃうんだよ。周りからあんなにちやほやされたらさ」
「……なるほど。美人にも悩みは多そうだな」
「その悩み事の内、一個を君が解決してくれてたんだけどね」
「そんな大層な事をした覚えはないんだけどな…」
「ううん。私にとってはすっごく助けになってたよ。だって危なそうになったらすぐ助けてくれるんだもん」
「そうか。にしたって俺が居なかったらどうするつもりなんだ」
「うーん……股間でも蹴り飛ばして逃げるしかないかなぁ…」
そう言われた瞬間自分の局部が頭脳に恐怖を訴えかけてきた。
「やめろ、お前は男じゃないから分からんだろうが股間を蹴られた痛みは想像を絶する痛さだぞ」
「ふふふ、分かってるって。やらないよ」
彼女はからかうようにケタケタと笑う。
なんだか少し悔しい気分になり、ついツンとした口調になってしまった。
「冗談なのか本気なのか全然分かんないんだけど…」
クスクスと笑う彼女を半目で彼女を見つめる。
どうも俺は谷口さんと話していると少し振り回されると言うか気疲れすると言うか。
まあ……もう話すことも無いだろうし別にいいか。
「でもね、君には本当に感謝してるんだよ?」
「分かったから」
「これからもお願いできるかな?」
「別にいいよ。放課後は絶対と言っていいほど高頻度で図書室に居るから」
「ありがとっ!じゃあまた来るね!」
本を抱えながら図書室から走って出て行こうとすると急に止まる。
すると本を後ろ手に持ち、長い髪がなびかせながらこちらにくるりと振り返った。
「あ、そうだ!君の名前。教えて欲しいな!」
そういえば名前を言い忘れていたな。こっちは勝手に彼女の事を知っていたが彼女はこっちのことは知らない筈だ。
「……藤崎夏葵。夏に葵で藤崎夏葵だ」
「夏葵……いい名前ね。私は谷口結菜!よろしくね夏葵くん」
「………あぁ」
知ってるさ。その名前はもう一年間と少し、本の貸し出しの際に見ている。
彼女はパタパタと小走りで図書室を出て行った。
そして、嵐の後の様に図書室はしんと静かになった。俺以外誰もいないのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
しかし、彼女は台風の様に俺の心を掻き乱していった。
全く、大層面倒な人間に知覚されてしまったものだ。
「……帰るか」
ぽつりと呟くとちょうど昼休み終了まで残り5分を知らせるチャイムが鳴っていた。
文庫本を閉じ、カウンターから出て図書室から出る。
「またね」か……。基本この時間の図書室は来る人間は少ないので見つかる危険は少ないが……。
「心臓に悪い」
渡り廊下から見える池をぼんやりと眺めながらぽつりと呟いた。
教室に戻り、自分の席に座る。
座ったと同時に午後の3コマの始まりを告げる本鈴が鳴った。
それから淡々と授業を受けた。
勉学は学徒の本業であり、おざなりにしてはいけないことは分かっているので黒板の文字と先生のノートを取る。
かと言って頭はいい方ではない。
気づくと六時間目終了のチャイムが鳴った。
六時間目が終わったら終礼という訳ではなく、掃除をしてから終礼となる。
「なぁ…お前いつも放課後図書室で何やってんの?」
箒で廊下を掃除しているとと窓に身体を預けて掃除をサボっている灯真は唐突に口を開いた。
「……特に何もしてないんだけど」
「もしかして……」
思わず箒を動かす手を不自然に止めてしまった。
まさか…バレたのか。バレてしまったのか……?
俺と谷口さんがああいう関係なのが……バレて…。
「佐々木先生狙ってるのか!?」
違った。
「………違う」
一瞬でも慌てた俺が馬鹿だった。そういえばコイツはこういう奴だった。
テストの点数は中の下と言ったところでそこまで馬鹿ではないのだ。
だが察する能力がないというか思考が浅いというか……自信満々で間違えたりするのだコイツは。
ちなみに佐々木先生とは図書室担当の国語の先生でまだ20代前半の女性の先生なのだが、これがまた美人で男子生徒に人気なのだ。
「興味ないって前も言ったよな?」
「だって〜放課後図書室にいるのが趣味っておかしいだろ!」
「おまえにとってはおかしいと思うかもしれないが俺はそうは思わない」
「ゼェ〜ッタイ狙ってる!」
「狙ってないって言ってるじゃん。いいから早く掃除しろよ」
「絶対狙ってると思ったんだけどなー」
これ以上反応しても無駄なので無視して掃除に取り掛かる。
よく考えたら見られてもいないのに分かる訳がない。
こんなことがあって少し過敏になってしまっていたか。
掃除が終わり、終礼が始まる。
「特に言うこともないが」の先生の言葉から始まり、二年生になったばかりで浮つくなとか怪我するな等々の話があり、本当に何も気にする事はなかった。
委員長の「起立、礼」の掛け声で学校での一日が終わった。
「んじゃまた放課後な」
「分かった。部活頑張れよ」
「任せとけって」
灯真の部活の見送りをした後、俺は図書室へと向かおうと席を立った。
いつものごとく図書室には誰も居なかった。
昼休みに読んでいた本を続きを読むために開く。
「………」
しばらく本を読んでいるといつものごとく谷口さんへの告白の声が聞こえてきた。
「俺と付き合ってくれよ」
相手はどうやら……軽薄なやつみたいだ。別に強く責めるつもりはないが告白が高飛車な態度で少し不快な気持ちになる。
他人への頼む態度がなっていないと思ってしまった。
「……すみません。お断りさせていただきます」
「……そうか、やっぱり無理かぁ」
「もう何回もお断りさせていただいたはずなのですが…」
ほう、同じやつだったか。
何回も同じ相手に告白出来るとは大したやつだと少し感心する。
でも、それは本当に好きで諦めきれないのであればの話だ。
「そうは言ってもなぁ……」
「どうして何回も?」
「そりゃあ……可愛い女子はそばに置いておきたくなるじゃん」
たったそれだけ。それだけのために彼女をそばに置いておきたいと。
それは…彼女を道具としてしか思ってないと自白するかのような言葉だった。
そばに置きたいから。いれば自分の箔が上がり皆から羨ましがられるから。
馬鹿げている、と俺は思う。
「……そうですか。いずれにせよ私はあなたとは付き合いません」
「あーあ、じゃあ諦めるかぁ……他にいい女子いねぇかなぁ…」
そう言って彼はどこかへ行ってしまった。
今回は俺の出番はなくてよかった。出来れば出番は無い方が良いのだ。
しかし……そんな理由で告白するなんて信じられない話だが実際いるのだ。
思わず窓から少し顔を出してみると彼女がこちらをじっと見つめていた。
「なんだ?」
「……ううん。なんでもないの。今からそっち行ってもいい?」
「……別に俺に拒否権はないから好きにすればいい」
「ありがと」
しばらくすると彼女は迷子の子供のような顔つきで図書室にやってきた。
そしてカウンター前にしゃがみ込んで机の上に突っ伏した。
そして図書館に誰もいないことをいいことに大きな声で愚痴を言い始めた。
「ねーあの男サイテーじゃない!?あんな男子と付き合えないよ!」
「……おっしゃる通りで」
「藤崎くんもそう思うよね!?」
「まあ…思う。あれはいくらなんでもないと思った」
「でしょ!?もぅあんなやつに告白されるのイヤッ!」
言葉の途切れ途切れにキレがある。相当怒っていらっしゃるようだ。
くわばらくわばら。
「………ごめんね、愚痴聞いてもらっちゃって…」
「別に気にしなくていい。愚痴の一つや二つは聞いてやるさ」
「優しいね。今度なんか奢ってあげるよ」
「要らん」
「無欲だね」
「少なからず欲はある。で、何しに来たんだ。何も用がなく来たならしないなら帰ってもらうぞ」
「あーん、怒らないでぇ…本を探しに来たの!」
「怒ってない。で、なんでまた放課後に来るんだ。昼休みに借りていただろうに」
「あー……それね。探してもなかったの」
「……なるほど。じゃあタイトルを教えてくれ。調べる」
教えてくれたタイトルを資料検索用の画面を開いたパソコンに打ち込む。
するとその本の保管場所は棚ではなく、書庫と書いてあった。
「どうやらお目当ての本は書庫にあるみたいだ」
「書庫?」
「ほらそこ。扉があるだろ」
「あ、本当だ。書庫だ!」
「すこし待っててくれ」
書庫の扉に鍵がかかってないか確認する。いつもは鍵がかかっているのだが、たまに開いていたりする。鍵を先生から借りる手間を省きたいのでできれば開いてて欲しい。
「開いてる。本はこの中にあると思うぞ」
「……真っ暗だね」
中を覗き込みながら彼女はは書庫の中を見回す。
四月になれば十分暖かいのだが、ここは本の劣化を防ぐために低湿度、一定の温度で保たれて居るので少し涼しい。
「待っててくれ、今電気をつける」
電気をつけるとそこには大量の本が三階に分けられ壁にびっしりと敷き詰められていた。
広さとしては4畳より少し広いくらいだ。
無機質な鉄の足場と階段はまるで別世界に連れてこられたような感触がするので結構好きだったりする。
だが、人間が行き来しないので少し埃っぽい。
「入っていいの?」
「別にいいぞ。俺は先生から許可もらってるし」
「わぁ……ここ初めて入ったかも」
キョロキョロと中を見回す彼女はなんだか小動物チックで少し可愛らしい。
「そうか。まあいい、とりあえず探そう」
それから俺は一階。彼女は二階を担当して探した。
だが、なかなか見つからない。
腕時計を見ると探し始めてからすでに一時間経っていた。
「ここ…少し寒いね」
二階から声が降ってきた。それに返答するため少し上向きになりながら返事する。
「たしかに、俺はパーカー着てるからあったかいいけど。そっちはブレザーも脱いでいたしな」
「うん、ブレザー着てくればよかったなぁ…」
そんな話をしながら本を探していたのだが。
油断していた。開いていたって事は誰かに閉められる可能性だってあったことを俺は完全に失念していた。
ガチャ。扉から鍵を閉める音が鳴った
「「あっ」」