番外3−1『お世話になってる魔導師様の正体』前
「やあ! 初めまして、お得意様! いつもありがとう!」
チリン、と静かに鳴ったドアベルとは対照的に、太陽のような明るさを背負ったご婦人がレストランテ・ハロルドに入店してきた。
少しくすんだブロンドヘア。愛嬌のある薄茶色の瞳。一切露出のないぴったりと張り付いた黒のボトムに、右側が短めになっているこれまた黒のイレギュラー・ヘム・スカートをはいている。
五十歳くらいだろうか。
目尻にやや皺が刻まれているものの、それすらチャームポイントの一つとして昇華してしまえる不思議な魅力があった。
昼時はとうに過ぎ去っていたため店内にお客さんはいない。私は首をかしげた。
「お得意様、ですか?」
「ああ。すまないね、挨拶が遅れてしまった。いつもイチゴのご注文ありがとう。騎士団からの大量注文もここが起点だと聞いてね。一度くらいご挨拶をと思っていたんだ」
「もしかして、季節外れの野菜や果物を栽培してくださっている!」
「そうそうその魔導師さ」
数年前まで旬の外れた食材は店頭に並ぶことはなかった。しかし、魔法を駆使して様々な食材を年中栽培する魔導師様が現れてからは、安定供給とまではいかないものの、時期を気にせず買えるようになったと聞いている。
レストランテ・ハロルドの特製ドリンクにはイチゴを使っているから、毎日とてもお世話になっているのだ。それだけではない。ガルラ火山への遠征の際、彼女のイチゴにどれだけ助けられた事か。
「そんな、お礼を言うのはこちらの方です! 美味しいイチゴをいつもありがとうございます」
「あはは、そんな真っ直ぐ感謝されちゃうと照れるじゃないか! 私はアリギラ・フォンデュ。これからもどうぞよろしく、お嬢さん」
「アリギラ!?」
厨房でごそごそと食材を弄っていたハロルドさんが、悲鳴のような声を上げてカウンターから顔を出す。その目は驚きに見開かれていた。珍しいこともあるものだ。そこそこ長い付き合いだけれど、彼があそこまで取り乱すのは指を数えるほどしか見たことがない。
なんというか、お化けでも見たような顔だ。
彼女、一体何者だろう。
「あっはっは! なんだなんだ熱烈な歓迎だな、ハロルド。嬉しいよ!」
「……来るなら来るって言ってよ。逃げるから」
「出来るわけないだろう、この店がお前の店だと今初めて知ったんだからな!」
彼女――アリギラさんはからっとした笑みを浮かべた。
どうやらハロルドさんの知己らしい。あまりの親密さに会話に入っていけない。どうしたものかと視線をうろつかせていると、彼女は私の傍まで来て無遠慮に背中を叩いた。
「うんうん。いやしかしあのハロルドがこんな可愛いお嫁さんを貰って食堂を経営しているなんて。第二の生というやつか? 悲しいじゃないか。私にくらい報告してくれても良いだろうに」
「嫁!? い、いえ、私はただの店員です」
「え? そうなのかい?」
必死に首を縦に振る。どこをどう勘違いしたらそうなるのか。完全なる店員と店長だったと思うのですが。
「……それくらいにしときなよ。僕がジークに睨まれる」
「はっはぁん、なるほど。オーギュスト家の坊ちゃんに先を越され――」
「くだらないこと言わないで。僕とリンは店長と店員。でもって僕が保護者みたいなもの。それ以上でも以下でもないよ。ったく、相変わらず面倒な人だなぁもう」
呆れたように頭を掻きながら厨房から出てきたハロルドさんに手を引かれ、彼女から距離を取らされた。いつもはハロルドさんの方が警戒される側なので、こうやって守られるのはなんだかとても新鮮だ。
もっとも、保護者という点においては文句を言いたいけれど。私だってれっきとした大人です。
「あの、ハロルドさん。この方は一体」
「ん? ああ、アリギラ・フォンデュは十数年前にここ王都で名を馳せた魔導師さ。ついでにいうと僕の師匠みたいなものだよ」
「し、師匠!?」
思わずハロルドさんとアリギラさんを交互に見比べてしまう。確かに他人をからかって楽しむところは似ているのかもしれない。何もそんなところを学ばなくても良いのに。
「むう。みたいとはなんだ。切ない事を言ってくれるな。幼かった君を拾って一人前にしてやったのは私だと言うのに」
「二年で抜かしてやったけどね」
「相っ変わらず可愛げのない弟子だな!」
撫でようと伸ばされた手をハロルドさんが笑顔で払いのける。なぜだろう。二人の背後に虎と龍が見えた。喧嘩するほど仲がいいってやつかな。
――でも、さっき彼女は拾ったって。
ハロルドさんを見上げると、ぺしっとおでこを弾かれた。痛い。
「余計なこと考えなくていいよ。僕は僕だし? 目の前にいる僕が今までの集大成。それ以外、何か説明要る?」
「……ハロルドさん」
「なぁ、君ら本当にただの店員と店長か?」
むう、と唇を尖らせて私たち二人を見るアリギラさん。
「私が言うのもなんだが、こいつはかなり面倒くさい。ぶっちゃけるとな、生涯独身の可能性もあると憂いていたわけだよ。顔や立場に騙されて泣いた女の数知れず。王都にいた頃はよく苦情を耳にしたものさ。でも君はそんなハロルドと問題なく会話をしているどころか、大切に扱われている。それがどれだけ貴重な事か……」
「そ、そうなんですか?」
私は乾いた笑いを浮かべた。師匠にですら生涯独身だと思われていたなんて。
確かにハロルドさんは無茶を言うことも多いけれど、私には――というか私と聖女様たちには比較的優しく接していると思う。ジークフリードさんやライフォードさんたちみたいに実験台にされることも滅多にないし。
優しくできないわけじゃないのだ。
ただちょっと無茶振りされることや、生活のあれこれを助けてあげなければいけない部分に目を潰れるかどうかが重要かもしれない。今は私が三割、残り七割をマル君がサポートしている。いや、サポートというか甘やかしかもしれないけど。
「どうするんだハロルド。彼女を逃せば次はないかもしれないんだぞ!」
「いいんですぅ。僕には世話を焼いてくれる親友がいるので!」
「しん……ゆう?」
アリギラさんは目を見開き、もの凄い速さでびたんと壁に背をつけた。よほど驚いたらしい。ありえないとでも言いたげに首を横に振っている。
「まて、ハロルド。親友だぞ。し、ん、ゆ、う。友の事だぞ? お前何か勘違いしているんじゃないか? それとも一方的にそう思っているだけか?」
「失礼すぎる。僕を何だと思ってるんだよ」
「恋人なら分かる。まぁ、顔は良い方だ。才能もあるから食いっぱぐれる心配はないし、金もある。性格にちょっと……いや、かなり目を瞑れば優良物件だ。うん。だが、親友だぞ? 打算抜きだぞ。何のメリットがあるんだ?」
「さすがに酷い」
ハロルドさんが眉間に皺を寄せた瞬間、ドアベルが控えめにチリンと鳴った。振り向くとマル君が買い出しから帰ってきたところだった。夕食用の材料が少し足り無さそうだったから買い足しに行ってもらっていたのだ。
それにしてもいいタイミングで帰ってきてくれた――いや、マル君からすれば面倒なタイミングだろうけれど。
嬉々とした表情でマル君に寄っていくハロルドさんの姿を、私は遠目から微笑ましく見守る。なんだかんだ仲がいいし、悪友だものね。
フォルダを整理していたら出てきたものです。
3話まで。