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石舞台古墳から橘寺に

光たち一行が向かった場所は、石舞台古墳。

ここでも、光が簡単な説明をする。

「墳丘の盛土が全く残っていなくて、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状」

「天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるので、昔から石舞台と呼ばれている」

「使われた30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トン」

「かなりの重量で、造られた当時にも、優れた土木・運搬技術の高さがあった」

「被葬者は、蘇我馬子の墓ではないかといわれている」


特に外国人巫女のキャサリン、サラ、春麗は興味深く、光の説明を聞き、石舞台を見るけれど、日本人巫女、特に華奈と楓は、ほとんど聞いていない。


華奈

「光さんの説明は、面白くない」

「奈良の人は誰でも知っているから聞く必要なし」

華奈

「私も、小学校の時に遠足に来た」

「そうだね、お母さんのお弁当をここで食べた」

華奈

「岩を積んであるだけでしょ?何が面白いの?」

「お弁当を食べたことを思い出したら、おなかが減った」


そんな華奈と楓を見て、春奈は思った。

「こいつら、歴史の大切さを全く理解していない」

「そもそも、奈良の人が、おもてなしで説明するのが筋なのに」

「光君の説明が面白くないのは、昔からで仕方がない」


一行は、そんな石舞台古墳見学を終え、橘寺に移動する。

ここでも、光が説明。

「創建年代はわかりません」

「文献に初めて登場するのは天武9年だから680年」

「聖徳太子誕生の地といわれています」

「お誕生になった当時は、橘の宮という欽明天皇の別宮があった」

「太子は欽明天皇の第四皇子の橘豊日命つまり、その後の用明天皇と穴穂部皇女を父母とされて、この地にお生まれになった」

「聖徳太子というと、斑鳩の法隆寺のイメージが強いと思うけれど、実は明日香村が原点、当時はこの周囲が都だった」

「厩戸皇子とか、十七条憲法とか遣隋使とか仏法交流とか、その後の人生は有名、とりわけて詳しく説明する必要はないと思うけれど」


境内を見て回りながら、岩崎義孝が驚いた顔。

「飛鳥時代の石造物の二面石も面白い」

「人の心の善悪二相を石の両側に刻んだものか」

「五重塔跡がある、そうなると、金堂や講堂などを持つ大きな寺院だったはず」


光が説明を続ける。

「今は天台宗になっているけれど」

「元々は興福寺や薬師寺と同じ、法相宗」

「ただし、お寺の中に、弘法大師の像があったり、法然の像があったり、日蓮の画像があったり、親鸞の像もありますよ」

「これは、他のお寺では、なかなか見られません」


そんな説明をする光を見て、由紀は思った。

「光君は勉強でもトップクラスだった」

「音楽の道に進むけれど、そうでなければ歴史学者かなあ」

「いつも眠そうな顔だったけれど、しっかり勉強はしていたんだ」


光も、由紀の視線に気が付いたらしい。

珍しくうれしそうに由紀に手を振っている。

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