奈良興福寺コンサート準備(11)
期待や蔑視の感情が交錯する中、光のピアノ版「火星」が始まった。
途端に、楽団員たちの目が丸くなり、驚きの声があふれる。
「厳しいリズム・・・キレキレだ、超絶技巧だよ、光君」
「確かに火星は戦争の神、厳しい・・・ピアノの音が半端ではない」
「これが超一流のピアノ?かっこいい、これはすごい」
「フレーズも超硬質って感じ」
「シャキッとする、目がパッと開く」
「そうだよね、これくらいでないと、火星らしくない」
「はぁ・・・今まで、私たち、何やって来たんだろう」
光のピアノ演奏が始まるまでは、「弾けるものか、何が出来るものか」と蔑視の目で見ていた練習指揮者の吉田もコンサートマスターの谷口も、これには腰を抜かすほど驚いた。
「何だ?あの子は・・・」
「凄すぎ、俺のレベルと違う」
「トッププロでもあんな演奏聴いたことがない」
「馬鹿にしていたけれど・・・おい・・・やばいぞ、これ」
光は、圧倒的なピアノ版「火星」を終えると、再びオーケストラに向き直った。
「僕の火星に対するイメージはこんなもの」
「確認したい」
「皆さんは、こうしたくない、今までの演奏で充分と考えなのですか?」
若手の楽団員、第二ヴァイオリンの一番前で弾いていた若い女性が立ち上がった。
「第二ヴァイオリンのリーダーの今西と申します」
「私たちは、光さんのイメージで弾いてみたい、演奏したいんです」
「是非、身を引くなどとはおっしゃらず、そのまま指揮台に」
その今西に賛同する人も多い、大きな拍手が光に寄せられている。
それでも、光は慎重。
「一応確認したいと思います」
「僕の弾いたような火星のイメージ、それをコンサートマスターの谷口さんが弾けるのかどうか」
「それにより、また考えます」
練習指揮者の吉田が、コンサートマスターの谷口の脇をつつく。
「おい、どうする?」
谷口は、顔を真っ青にしてためらう。
「弾けないと言えば、馬鹿にされるし」
「弾く自信もない、あんな感じには」
その谷口に光が声をかけた。
「どうします?弾きます?」
「みんな楽団員の人が注目しています」
「貴重な練習時間がもったいない」
光の言葉に賛同したのか、楽団員の足踏みも始まっている。
そんな光と市民オーケストラの様子を見ている小沢はプッと笑う。
「光君を小馬鹿にした練習指揮者とコンマスを窮地に」
「そして、練習指揮者とコンマスに反感を持っていた楽団員を味方に」
圭子も、クスクスと笑う。
「そう言えば、小沢先生も若い頃、ヨーロッパで同じことを?」
小沢は、ニヤッと笑う。
「ああ、そんなことあったね、思いっきり恥をかかせて、馬鹿にしてきた二人を首にしたよ、でも、それでそこのオーケストラは結果的に伸びた」
「まあ、薄情なようだけど」
光は、ためらうばかりのコンサートマスターの谷口を、冷静な顔で見つめている。




