奈良興福寺コンサート準備(8)
大指揮者の小沢も、吉田と谷口に声をかけた。
「小沢と申します、この光君とは子供の頃から懇意で」
「光君を音大に誘ったのは、この私です」
「若い子で不安でしょうが、才能は私も、そして世界の音楽界が絶賛しておりますので、出来ましたらご安心を」
「何しろ、東京駅前での第九、諏訪大社前でコンサート、それから先月の日比谷での復活での指揮、世界の音楽界だけではなくて、世界中の人を魅了してしまいましたから」
この言葉で、吉田と谷口の表情と身体が硬直した。
「え・・・この人が・・・小沢先生?」
「はぁ・・・まさか・・・どこかで見たことがあるとは思ったけれど」
「そして・・・この若い子が光君?」
「いや・・・そうだよ・・・本物だよ・・・」
少し黙っていた光が、口を開いた。
「あの、吉田さんと、谷口さん」
吉田と谷口が光を見ると、光は言葉を続けた。
「もし、僕が不安で、嫌々で演奏をすると言うのなら、僕は身を引きます」
「コンサートマスターに嫌々で演奏されても、楽団も面白くないですし」
「お客様にも失礼」
「そんな演奏を興福寺ですることは出来ません」
光の言葉で、クスッと笑ったのが圭子叔母。
「まあ、光君としては、そうだろうね」
「あまりにも、吉田さんと谷口さんが、不見識だった」
「ただ昔から楽器をいじっているだけで、技術もそれほどないのに、プライドだけは高い」
「年齢とか、見た目だけで、他人を軽々しくも判定してしまう愚かさ、その目の曇り」
「光君を馬鹿にするような態度を取ったから、光君の中にいる阿修羅が怒っている」
小沢が圭子叔母に声をかけた。
「ねえ、圭子さん、オーケストラは、この練習指揮者とコンマスのオケでなくてもいいの?」
「見たところ、アマチュアの市民オケみたいだけど」
圭子叔母は、首を横に振る。
「いえ、それは別にかまいません」
「ここの市民オケの吉田さんと谷口さんを知っていたから声をかけただけ」
小沢は、含み笑い。
「そうなると、この市民オケにはお引き取り願って」
「有名プロ僕が集めてもいいかなあ」
「光君と僕の名前で、すぐに集まる」
そんな不穏な話が、周囲で聴いていた若い楽団員にも伝わったようだ。
血相を変えて、練習指揮者の吉田と谷口に詰め寄る。
「吉田さん!失礼過ぎます!このままだと光君の指揮で演奏出来ません!」
「ここまで練習してきて、他のオーケストラにステージを奪われるの?」
「年輩だと遠慮して下手な指揮とコンマスに耐えてきたんです!いい加減に上から目線やめてください!」
しかし、実は超大物だった光には「身を引く」と言われ、大指揮者の小沢には「他のオケを呼びます」と言われ、若い楽団員には日頃の自分たちの態度で詰め寄られ、吉田と谷口は、ただただ、うろたえるしかない状態。
周囲が騒ぐままに任せていた光が口を開いた。
「じゃあ、ここで帰るのも、僕も大人げないので」
「今日は練習を見学させていただきます」
「それでは、さっそくお願いします」
その光の言葉で、小沢、圭子叔母、巫女全員がプッと吹いている。




