悲惨 生贄の子供の話
身体が震えて声が出せない綾子に代り、ソフィーが説明をする。
「サクチ神という聞きなれない神があるの」
「諏訪神社前宮には御佐口神が祀られていて、かつては、毎年5月に御頭祭りが行われたという伝承がある」
「元旦の深夜、大祝と神長官との立合いのもとに、その年の『神使い』となる少年を御頭衆から差し出すのを卜占によって取極める」
「神使いに任命されるのは15歳の少年」
「その少年に狩衣、水干、直垂、赤衣をまとわせ、馬に乗せ、神使の説明は様々伝承があって省くけれど」
「藤蔓を以って、後手に纏して馬に乗せて、馬の進みに任せる、山深くに、獣の多い山に入り込むのかな」
「明治37年の記録では、神使は、その家の前の谷間の周囲を三度疾走し、その時に村民は棒を持って、地面をたたきながら、神使いを追い回した」
説明をするソフィーの顔もこわばり、巫女たちも身体が震えだした。
特に綾子は、震えが激しいので、華奈が支えている。
ソフィーは説明を続ける。
「ある学者が諏訪神社の神楽太夫に聞いた話では」
「神使に選ばれた御頭郷の15歳の男の子で、お祭りの後に、再びその姿を見たものがない例が数多くあるとか」
「つまりは、神使いに選ばれたら、密殺された」
「そこで、その場を恐れて逃亡する、戻ったとしても殺されるから」
「乞食とか放浪者の子を育てて、これにあてる、つまり生贄にする場合もある」
「年端のいかない15歳の男の子が、馬上に括り付けられ、虐待されながら、果ては殺害された歴史があったの」
「それ以外には、動物を犠牲としてみたり、今は馬の頭のはく製を使うのかな」
「もともと、稲作が難しかった当時の信濃は狩猟社会」
「その狩猟社会として神に捧げるのは、米ではなく、生贄」
巫女たちが一様に押し黙る中、光が話し出した。
「生贄を求める宗教は、世界各地にある」
「旧約にも、イスラエルの民の祖アブラハムと妻サラの間に生まれた待望の男子イサクを山上で焼き、我に捧げよと神がアブラハムに命じた」
「迷い苦しんだ末にアブラハムは息子イサクを山上へ連れてゆく決意を固め、アブラハムと、息子イサクは山頂へ赴き、祭壇上で息子イサクの喉元へ小刀を当てた」
「息子イサクも自分が犠牲であることを悟ったが抗わなかった」
「次の瞬間、お前が神を恐れる者であることがわかったと神の祝福の御言葉が響き、お前の子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る、とアブラハムが神から祝福を得る」
地中海世界出身のサラも顔を暗くして話し出す。
「古代エジプトでも、自分の初子を神に捧げるという習慣がありました」
「『死者の書』によると、エジプトには、初子を小さく刻んでなべで焼くという伝統があった」
「古代の地中海人は、新穀や羊の初仔だけでなく、大切なはずの初子までを神に捧げた。穀物であれ家畜であれ子供であれ、最初の収穫物は神の所有物で、神のものは神に返すべきだと考えていたのです」
「それから、古代のカルタゴ人はが、初子を生贄として神に捧げて守護霊にしていたことは、現地の伝説やローマ人による記録を通して古くから知られていて」
「伝説ではなくて、カルタゴ人にとっての聖域であったトフェの墓地に、生贄となった羊の骨とともに幼児の骨が埋葬されていることから明らか」
「古代人は、犠牲にする生贄が大切なものであればあるほど、神が喜ぶと信じていたようです」
ソフィーが綾子に尋ねた。
「ねえ、綾子ちゃん、その神使いを復活しようとする輩がいるってことだよね」
綾子は、その目に涙をためて、頷いている。




