(3)
「游一ぃーっ。京香から電話だよーっ」
内蔵された通信機に着信があったことを伝えるバンジーに、游一が「ナイスタイミング」と言いながら首をひねる。
「バンジー。繫いでくれ」
「アイッアイッサー!」
楽しげに声を弾ませながらバンジーが、通話機能をオンにする。
「もしもし、京香か。ちょうどよかった。ちょっと、頼みが――」
そして、游一が電話の相手に答えた、次の瞬間。
人懐っこいバンジーの双眸が吊り上がり、その嘴から大音量の声が游一の耳にたたきつけられた。
「游一っ! 今どこにいるのっ! 今朝は朝一でミーティングだってちゃんと伝えたでしょっ!」
怒りを孕んだ声が耳を穿ち、游一が思わず顔を顰める。
「っつ~。キィーンときたぁ……」
「バカ言ってる場合? キャンディ先輩と柳二はもう集まってるわよ。朝一のミーティング、まさか忘れてたわけじゃないでしょうね?」
「覚えてたよ。……確かにちょっと寝坊したけど」
「あ・の・ね。時間厳守は基本でしょ。だいたい、あなたはいつも――」
「今、《学峰》から北北西に約19キロ地点で人命救助中。地点データ送るから救助艇を回してくれ」
延々と続きそうなお説教が、游一の言葉でピタリと止まる。
一瞬探る様な気配がバンジー越しに伝わってきたが、その気配はすぐにため息交じりの確信へと変わった。
「嘘、じゃないわね」
「信頼してくれて嬉しいよ」
ホッとして答える游一の耳に、トントントンと指先で机を叩く音が届く。
「お説教は後でまた。すぐに船を回すわ」
迅速な対応に、游一が小さく頷く。残念ながらお説教がなくなるわけでは無さそうだが、人助けをした後なら少しは軽くなるかもしれない。
游一が、自分の今いる地点と学校との位置を頭の中で計算しつつ、チームメイトたちのこれからの行動に思いを馳せる。第一段階である要救助者の発見が完了しているなら、次は船による救助だ。救助者が一人ならリレー形式で順々に抱きかかえて飛行する方法もあるが、本当の緊急時でもない限り船の方がずっと安全だ。
游一たちのチームが所有する救難艇、高速ホバークラフトなら準備を含めても約20分もあれば到着するだろう。
しかし、そんな游一の読みを裏切り、救助は予想以上に早く訪れた。
「じゃあ、游一。今から向かうわ」
バンジーの口から再び京香の声が届くのとほぼ同時に、空気を震わせる汽笛の音が辺りに鳴り響いた。
「お、ラッキー! 京香、迎えは大丈夫そうだ」
「その、ようね。じゃあ、こっちは游一抜きでミーティングしておくから、そっちもちゃんと仕事しなさいよ」
「了解。悪いな」
「もう慣れたわ」
安堵を諦めを織り交ぜたその声に、游一が思わず苦笑を漏らす。そして、游一はバンジーの表情がいつものものに変わるのを確認すると、意識をこちらへ向かってくる救難艇へと傾けた。
助けに来た船も、游一と同じく少女の救難信号に気付いたのだろう。游一が通う空護救命士養成学校の校章を掲げた救難艇が、ゆっくりと游一たちの方へと近づいてくる。
海の白波を割り進んでくるオレンジ色の巨体に、游一はその双眸を傾けた。
「どこの班の船だ」
波に揺られながら、游一が目を凝らす。第38コロニー《学峰》の周囲半径50キロまでの航海が可能な訓練生たちの船には、各隊員が所属するチームナンバーが書いてあるはずだ。
游一が船首に見つけたナンバーは『28』と書いてあった。空護救命士養成学園には全部で100を超える救命チームがある。数字は、各チームが今まで上げてきた成果によって変動し、数字が小さければ小さいほど優秀であることを意味している。そういう意味で『28』というナンバーは上位陣のかなり優秀なチームだ。救助が当たるチームは日ごとに上位下位のチームが班割で担当しているが、上位チームが助けに来てくれた方がやはり安心感がある。
続けて、游一が船に掲げられた旗に目を移す。船の最頂部ではためく旗には、助けに来てくれた救難艇のチームマークであるヒヨドリが描かれていた。ヒヨドリの鳥言葉は『隣人への愛』。なかなか粋な鳥を掲げるチームに、游一から小さな笑みが零れる。
船が起こす波がギリギリ游一たちに届かないところで、救難艇は停止した。船の脇から被救助者に近づくための救命ボートが下ろされ、てきぱきとした動きで数名の隊員が乗り込む。
そして、そんな彼らに先行するように、船首から背中に翼を生やした隊員が飛び出した。
大きくゆったりと羽ばたき飛翔する隊員が、游一の頭上で大きく旋回する。怪我の有無などを尋ねられ游一が無事であることを伝えると、彼は大きく頷きながら船へと戻っていった。
着水したボートが入れ替わるように游一たちに近づき、ボートに乗っていた四人の隊員が息の合った動きでまずは少女を、そして游一を引き上げる。
「なんだ、樫木が一緒だったのか?」
「よお、遠見。ナイスタイミング! 近いところにいたのか?」
親しげに声をかけてきた隊員の一人に、游一が濡れた髪をかき揚げながら声を返した。
日焼けした浅黒い肌に、広い肩幅。猛禽類のように鋭い眼光に髪を頭頂部で結わえヘアスタイルはどこか侍を彷彿させる。
救助がひと段落し、緊張を孕んでいた眼差しを和らげて声をかけてきたのは游一のクラスメイトだった。名前は遠見剛大。勉強は游一とどっこいどっこい、学年の真ん中よりちょい上程度だが、救助の実技成績や飛行能力は学年トップに食い込む優等生だ。
遠見は大きく安堵の息を吐くと、固く握った拳で游一の胸を叩いた。
「いやー。お前が先着してくれて助かった」
「何かあったのか?」
「別の場所でも墜落者が出てな。救助が重なってたんだ」
ポリポリと頬を掻く遠見に、游一は「そりゃ、大変だったな」と労いの言葉をかける。救難要請が全くない日もあれば、何かの因果のように重なるときもあるのが海の上だ。游一たちのように翼の扱いが飛躍的に向上した第五世代の登場で海、空ともに事故は減ったが、それでもなくならないのが現状だ。
だからこそ、游一が目指す救命士の存在は大きく、まだ学生、訓練生の身分でありながら第五世代には救助の要請が後を絶たない。
受け取ったタオルで髪を拭いながら、游一はふと視線を少女へと傾け、思い出したように尋ねた。
「そういや、名前聞いていなかったな。俺は樫木游一。翼は残念ながら自力じゃ空を飛べないコウテイペンギンだ。お前は?」
「わ、私は――」
カチューシャを外して髪を拭っていた少女が、游一の声に慌てて答える。
その声に合わせるように、《学峰》へ船首を向けた救難艇の汽笛が高々と鳴り響いた。




