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(2)

 一方、游一に助けられた少女は、咳き込みながらもようやく落ち着きを取り戻し始めていた。

「けっほ、けほけほ。ふぅ――はぁ、はぁ……。あ、あの、ありがとうございます! 助かりました」

「そりゃどうも。運が良かったな、お前」

 耳を叩く元気の良い声にホッと胸を撫で下ろしつつ、游一が腕の中の少女に声を返す。

 続く游一の声は、少し厳しさを含んでいた。

「にしても、キンギはどうした? ちゃんと付けてんだろ?」

 游一の視線が、少女の腕へと傾く。キンギとは小型ガスボンベと浮き袋が一体になったリストバンド型の救命具のことだ。人工島から人工島へと飛行する時の必需品で、游一が通う学校では特例を覗いて生徒全員が装着を義務付けられている。起動と同時に救難信号を発信する優れものだ。

 少女は游一と同じ学校のセーラー服に身を包んでいた。襟のカラーリングから学年は一年だと分かる。游一の一年後輩。最近入学したばかりのはずだが、キンギの操作は初日に教えられているはずだ。

 白いカチューシャで髪を纏めた少女が、游一の問いかけにすぐに答えられず言葉を濁す。

 その様子に游一が不思議そうに首を傾げると、少しして少女は首を半分捻って右目だけで游一の顔を窺いながら、その口元を恥ずかしそうに海の中へと潜らせた。

 ブクブクブクと泡を作る少女が、ようやく決心して桜色の唇を海面へと持ち上げる。

「え~っと、そのですね……」

「パニックになって膨らませなかったんだな」

「……はい」

 消え入りそうな声で頷く少女に、游一は小さく息を吐く。その吐息をため息と勘違いしたのか顔を曇らせる少女に、游一は表情を崩しながら声を投げかけた。

「次は落ち着いて、な。家に帰ったら予習しとけ。ボンベなら学校でいくらでも補充して貰えるんだから遠慮なんかすんな」

 声を和らげ、游一は冗談交じりに優しく少女を諭してやる。海に落ちて溺れれば、そうそう冷静な行動なんて取れないものだ。おそらく、彼女はキンギを付けていることすら忘れていただろう。

「は、はいっ!」

 少女がパッと顔を持ち上げ、利発そうな瞳を輝かせながらハキハキとした口調で答える。前向きで、広い海原の水平線まで届きそうなその声は、聞いていて気持ちが良いものだった。自然と游一は口元が綻び笑みが浮かぶ。

 そんな游一の背中では、二匹のペンギンが濡れた制服をよじ登っていた。

「よっ!」

「やっほー!」

「ぺ、ペンギンがしゃべった!?!?」

 游一の両肩に現れたナゲットとバンジーに、少女が目を白黒させる。

 一方、自由なペンギン二匹たちは、少女の動揺など気にせずに好き好きに話し始めた。

「いや~、ラッキーだったな嬢ちゃん」

「そうそう、たまたま游一が通りかかってね」

「海難救助に強い游一だから助かったんだぜ!」

「そうそう、そうそう! これってあれかな、運命ってやつかな!」

 キャーっとわざとらしく声を上げ合うナゲットとバンジーに、少女が戸惑った表情で游一に助けを求める。

 游一は疲れたため息を零すと、頭を大きく左右に振って肩に乗るペンギンたちに頭突きをお見舞いした。パシャンと小さな水飛沫を挙げて、ナゲットとバンジーが海に落とされる。

「そんなマンガじゃあるまいし、馬鹿なこと言ってる場合かお前ら」

 呆れた声を零す游一に、ナゲットとバンジーは口々に「照れ隠しだ、照れ隠し」と言いながら、再び游一の方によじ登る。

 游一はそんな二匹を肩に登るままに任せると、再びその視線を少女の方へと傾けた。

「と、話が途中だったな。んで、なんで海に落ちたんだ?」

「それが、急に力が入らなくなっちゃって――」

「力が、入らない?」

 少女の言葉を繰り返した游一の表情が険しくなる。游一のペンギンの羽根のように元から飛べない羽根でない限り、羽ばたく体力が無くなっても上手く風を受け止めれば十数キロは飛行できる。

 游一は、自分が抱える少女の背中に視線を落とした。海の中でゆっくりと波に揺れる翼は、小柄な少女の身体に対してかなり大きな翼だった。白く大きな風切り羽。正確な種類は分からないが、おそらく大型の鳥の翼。それだけに羽ばたくには体力を使うが、それにしても急に力が抜けたというのは腑に落ちない。

 最悪の場合、何かの病気の可能性すらある。

「力が抜けたってのはどんな感じだった? 今までにもあったのか? それとも持病か?」

 矢継ぎ早に游一が少女に質問する。緊急を要するなら、游一もそれなりの手を打たなければならない。

深刻な声で訊ねる游一に、少女は慌てて首を捻った。

「あ、大丈夫です。変な病気とかじゃないですから。たぶん、ちょっと、その――……飛びすぎた、だけですから」

 こちらに顔を向けた少女が、語尾を曇らせる。

 その様子に游一が首を傾げると、少女は消え入りそうな声で呟いた。

「その……私方向音痴で。学校の場所がわからなくなっちゃって……」

「方向音痴? ――どこのコロニーから飛んできたんだ?」

「第22コロニー――《東雲しののめ》です」

「ハアッッ!?」

 少女の答えに、游一が思わず声を張り上げる。彼女の家があるコロニー《東雲》は学校のある《学峰》から50キロも離れていないすぐ近くの人工島だ。目の良い鳥の休眠遺伝子が覚醒していれば、島の影を肉眼で見ることが可能な距離である。いや、例え目が良い鳥で無くても、《学峰》の中央部にある超高層ターミナルなら、半径20キロ圏内に入ればだれでもその巨影を見つけることが出来はずだ。

「なんでそんなとこから学校までで迷うんだ? ターミナルを目指せば一発だろ」

「きょ、今日は曇ってて見えなかったんです!」

 游一の指摘に、少女がパシャパシャと掌で水面を叩きながら反論する。確かに、今日は海上の水蒸気が多いのかターミナルの影は見えない。

 いや、だがそれでも。

「アクアラインに沿っていけば迷わないだろ。道路でも線路でも、学校までは一直線だぞ」

「それが、いつの間にかアクアラインが無くなっちゃって」

「そんな手品みたいなことがあって堪るか! お前、アホの子だろ」

「あ、アホじゃないです! 確かに羽根はアホウドリだけど、私はアホの子じゃないです! 初対面なのに、しし、失礼ですよっ!」

 余程「アホ」という単語が嫌いなのか、少女は顔を真っ赤にしながら一気に捲し立てる。そのあまりの勢いに游一は思わず鼻白むと、濡れた髪を乱暴に掻き乱しながら素直に「悪い悪い」と謝った。

濡れし細ってなお大きな白い翼――アホウドリの翼を背中に生やす少女は、游一の謝罪に「分かって貰えればいいです」と直ぐさま笑顔を取り戻す。

 すぐに機嫌を直してくれた少女に、游一はさらに言葉を重ねた。

「で。ちなみに何十分くらい飛んでたんだ?」

 何気ない質問に少女は唇に指を添えると、高い空を仰ぎ見ながら答える。

「え~っと。たぶん2時間くらいだと思います」

「に、2時間っ!?」

 少女の答えに、游一はたまらず絶句した。人間の体重で単独飛行が可能な時間は、連続だと訓練をしていない者で約30分。休憩を取りながらでも1時間がやっとだ。一緒に飛ぶ人数を増やして風の抵抗を減らすか訓練を積めば飛行時間を延ばすことは出来るが、だとしても約2時間もの飛行時間は異常だ。

 游一の心に好奇心が沸々と沸き起こり、視線が少女の横顔からうなじ、そして背中へと流れる。その水を吸った後ろの髪から覗く白いうなじから続く肩や背中のラインが細いながらも思いの外力強いことに、游一はそこで初めて気が付いた。

 ――いや、それにしても2時間て……

 真剣な眼差しで、游一が熱い視線を少女の肩や背中、そして海中を漂う翼へと傾ける。

「あ、あの。ちょっと、背中がむずかゆいんですけど……」

 突然黙って穴が空くほど見詰めてくる游一に、少女が何か危険を感じたように声を上げる。しかし、異常な長距離飛行を可能にしている体付きを観察することに集中している游一に、その批難の声は届かなかった。

「羽根……は他のアホウドリの奴らとそんなに変わらない、か。翼が大きいわりに肩から背中、僧帽筋と広背筋の筋肥大も特にない。つーことは、もともと遅筋が多いタイプか。にしても、単独フライトで2時間はおかしいだろ。どこのオリンピック候補生だよ。胸筋の方は……って流石にまずいよな。いや、命救ってやったんだし、拝み倒せばそのくらい……」

 ブツブツと、長距離飛行の秘密を探るため游一が彼女の身体をさらに食い入るように観察する。飛べないペンギンの翼を持つ游一は、珍しい翼の持ち主に眼が無かった。高速飛行や長距離飛行が可能な翼や身体の持ち主を見ると、観察せずにはいられない。

 影で、翼マニア羽根オタクと呼ばれているとは露知らず、游一が長距離飛行の謎の解明に没頭する。見かねたナゲットとバンジーが小さなフリッパーでペチペチと游一の頭や頬を叩くがお構いなしだ。

 そして、その視線に少女がいよいよ耐えかねて声を上げようとした、その時。

 バンジーの嘴から、突然軽快なメロディーが流れた。

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