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第一章(1)


 遊一が学校のある人工島、第27コロニー《学峰》へ向けて飛び立って十数分。

 もう数分もあれば島の影が見え始めるというタイミングで、突如、遊一の両翼からけたたましいアラートが鳴り響いた。

「遊一、救難信号だ!」

「なにっ!」

 鼓膜を打つナゲットの声に、遊一が強烈な風圧にも負けず口を開く。人々が翼を手にして約百年。その中で、飛行中のトラブルにおける行方不明者や事故者は急増し、飛行する際には緊急時に自らの位置を知らせるビーコンの装備が義務付けられていた。

 両翼を立てて、遊一が滑空の速度を一気に落とす。飛翔により自力で高度を上げられない遊一にとって目的地手前で減速することは大きなロスだが、そんなことは遊一の頭の片隅にも無かった。

「どこだっ!」

 再び声を張り上げる遊一に、今度はバンジーの慌てた声が届く。

「2時の方角。距離は約3700メートル」

「了解!」

 バンジーの返答に、遊一は直ぐさま両翼を傾け救難信号の方向に身体を傾けた。記憶の限りではこの近くには人工島や羽根休め用のセーフスポットは無い。救難信号の発信源は太平洋の真っ只中。海上で翼を休めることの出来る海鳥の翼の持ち主で無い場合、事態は一刻を争う。

「溺れる前に助けるぞ!」

 眼下に迫る海を睨み付けながら、遊一が叫ぶ。そうしている間にも、波打つ海面は徐々に徐々に迫っていた。また、風を受け止めて減速すれば、それだけ激しい風圧が遊一の両翼に襲いかかった。翼に掛かる過剰な負担に、ミキメキと翼を支える根元の骨や筋肉が悲鳴を上げる。

 鼻を突く潮の匂い。目の前に迫る太平洋。迫る海面はもうすぐそこだ。

「見つけたっ!」

 海面まで残り数十メートルに迫る中、遊一の双眸が波間から顔を出している小さな掌を捉える。水面を叩き、必死に水面から顔を出して呼吸を確保しようとしていたのは遊一と年の近そうな少女だった。

しかし、どれだけ抵抗しようとも強大な大自然の前に人間の力など無力だ。最後まで懸命に助けを求めていた手は、遂に水底へと引きずり込まれる。

「ヤバいっ!」

 静かに水面へと消えた少女に、遊一の声に焦燥が走る。

「ナゲット! バンジー! もういい、後は任せろっ!」

「「了解!」」

 大海原に響き渡るその声に、義翼を形作っていたナゲットとバンジーが群青色の光を纏う。次の瞬間、遊一の翼を二倍に広げていた義翼は二つのリングへと姿を変え、遊一の両翼の根元にぴったりと収まった。

 翼の面積が半減した途端、遊一の高度がガクッと下がる。そのまま、遊一はほとんど叩き付けられるように海へと着水した。ロケットでも打ち込まれたかのように、高々と舞い上がる水飛沫。全身を凄まじい衝撃が襲い、遊一の口の端から気泡が漏れる。しかし、気泡を零すその口元には、苦痛では無く不敵な笑みが浮かんでいた。着水の際に全身に纏った白泡を振り払うように、遊一が力の限りに両翼を羽ばたかせる。

 その瞬間、遊一の身体が海中でグンッと加速した。水を吸い重みを増した制服の影響など微塵も感じさせない見事な泳ぎで、遊一が海中を突き進む。

 遊一は確かに義翼なしでは空を飛べない、いわば翼人の落ちこぼれだ。

 けれど、こと海の中の中において、海中における人命救助において遊一に――ペンギンに勝る翼はない。

 海の中は遊一の独壇場だ。

 回遊していた鰯の群れの壁をぶち抜き、遊一が魚雷の如く海の中を突き進む。翼を振り上げるごとに、振り下ろすごとに遊一の身体が加速する。上下運動が全くなく突き進むその姿は、空を飛ぶ姿よりもずっと自然で、力強い。

 そして遂に、遊一は水底へと沈んでいくその人影を視界に捉えた。水の中を漂うスカート。海の中へと差し込む太陽の光に向けて伸される手が、その力を失い水の流れに攫われる。

 穏やかに、だが確実に、少女の身体が冷たい海底へと沈んでいく。

 遊一は焦りに頬を歪めながら、自らの身体を少女が沈み行く水底へと傾けた。翼を羽ばたかせるごとに、少女の沈む数倍の速度で遊一の身体が進水する。斜めに泳ぐ遊一の身体が徐々に垂直に近付き、勢いのままに伸ばした指先がようやく少女の手首に届いた。細い手首をしっかり掴み、次の瞬間全力で引き上げて細い身体を抱きかかえる。

 海中でゆっくりとたゆる前髪。少女の口から漏れる気泡がないことを確認した遊一は、躊躇わずに自らの口を少女の小さな唇に押し当てた。舌先で強引に唇を押し開き、顎を持ち上げて気道を確保しながら肺の中の空気を少女の口の中へと流し込む。無理矢理押し込まれた大量の空気に少女は反射的に咳き込んだが、遊一は少女の口と鼻を手で覆うと、漏れる空気を強引に押し止めた。苦しげに少女が薄目を開いたことを確認すると同時に、遊一は身体を反転。少女に空気を渡した分、遊一の肺も大量の酸素を必要としていた。

 ――くっそ

 遊一が顔を曇らせ、自分自身に悪態を着く。慌て過ぎた。当初の予定よりも多く少女に空気を渡してしまい、太陽の光を乱反射している水面に向けた視界が暗い。ついでに着水した時の衝撃が今になって身体を襲い、左腕と右太股辺りに嫌な痛みが走り始めた。

 それでも、思考のぼやけた中でも、遊一の身体は海の中を飛ぶことを止めなかった。人二人分の抵抗を物ともせず、力強く羽ばたかれた両翼が遊一と少女の身体を海面へと押し上げる。

「っぷは! はぁ、はぁっ。あ~、しんど~」

 静かに波打つ海面から飛沫が上がり、雄一の顔が飛び出した。口を大きく開けて自らの息を整えつつ、救出した少女も息が出来るように自分と相手の体勢を整える。水没によりクシャクシャになった真っ白な羽根をよけながら、遊一は後ろからだき抱えるように少女の身体を抱え直した。

 酸素を求めてむせ返る少女の背をゆっくりとさすってやりながら、遊一は翼を大きく広げ、浮力を確保しながら自分の身体を波へと委ねた。


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