ニートでも、知らないことくらいある
理事長室に連れて来られた俺を待っていたのは、知った顔の男と顔も知らない女子だった。男の方は、マリーの父親にして、この国の《機獣》のパイオニアと言っても良い人物であり、その道からするとかなりの大物らしい。当然、彼は男であるが、そういった肩書のおかげで今の今まで、この学校の理事長をやっていられるのだろう。
片や、顔も見たことがない女子については本当にわからない。まず最初に目に飛び込んでいたのは、美しい銀の髪。そして、年相応の少し幼さの残る顔。女神だと言われても――俺は信じないが――男ならば信じてしまいかねない美貌だ。
そんな二人が、どうして個室に二人でいるのかを問い正したいところであるが、どうやらそれどころではないようだ。ぐるぐる巻きにされた俺の事を紹介された女子は、すごく驚いた顔で、その次には怒っているように睨みつけてきて、俺からすれば、一体何事なのかというところである。
そんなこんなで、女子は俺のもとに歩み寄ってくると、蔑むような眼で上から物申してきた。
「どうも。私のことは言わなくてもわかるでしょう? あなたがどれだけの英雄であったとしても、この学校には必要ありません。男のあなたでは、私たちに学ばせるものなど、何一つとしてありません!」
「……いや、前提として、俺はお前を知らないんだが?」
縛られた状態で、俺は言い放った。
もちろん、嘘などではない。可愛い子供だとは思うが、そこまで有名な人物だったのか。俺は新聞なんか読まないし、ご近所のおばさまたちとは立場上、話ができるはずがない。故に、俺は世間に疎いわけである。どれだけの有名人だったとしても、俺に知られるはずがあるものか。
しかし、俺の発言に、マリーやマリーの親父さんも、首を振りながら呆れ果ててしまう。もしかしたら、本当に知らないと恥ずかしいレベルの御仁だったのかも知れない。今からでも、やっぱり知ってます、あれですよね、あの……あれですよね。とか言っておいたほうが良いかもしれない。
「なっ……わ、私を知らない……?」
「え? あ、えーっと、あ、あれですよね。そう、あれ。あの、あれだよ、あれ。……マリーこいつだれ?」
「はぁ……この子はグレイスワース=ベルモット。この聖都のお姫様よ」
「あーね。……ん? お姫様って、この国の?」
「だから、そう言ってるでしょ?」
そうか。この子がこの国のお姫様……ん!? この国のお姫様!?
やっと、俺はことの重大さが理解できた。俺の目の前で口をパクパクとさせている女子は、この国で最も偉い王様の一人娘。そんな子を前にして、俺は脳天気にも、お前なんて知らないんだけど。なんて言ってしまったわけだ。
やべぇ。俺死んだかも。
急に汗が全身を濡らしていく感覚に陥る俺に、動揺を隠せない彼女はやっとの思いで言葉を告げた。
「い、いい度胸ね……。あなた……なんて言ったかしら、シドー? 一週間後……覚えておきなさいよ? もう二度と私のことを忘れさせるもんですか。徹底的に叩き潰してあげるんだから!!」
それだけ言って、女子――グレイスワース――は部屋から出ていった。声色だけでも、かなり怒り心頭しているのはわかった。顔こそかすかに見られなかったが、放つオーラは殺気のそれと同じであった。
かなりまずい状況であることは、何もわかっていない俺でもわかった。しかし、一週間後とは一体何の話だろう?
「すまんな。あの子は根は真面目なんだが、真面目すぎる故に異端を見過ごす柔軟さがないんだ」
「そうね、ベルの弱点はそこだけだったものね。それはそうと、シドーを連れてきたけど、早く手続きを済ませなくていいの?」
「あー、そのことなんだが……」
言いづらそうに、マリーの父親は俺たちが来る前のことを丁寧に話し始めた。
「……じゃあ、シドーが一週間後の試合に勝たないと、お父さんが無職のプー太郎になるって?」
「……ああ」
「しかも、その相手が、この国随一の《機獣》使いのベルで?」
「……ああ」
「挙げ句、シドーはやる気がまったくないって、一体どういうことよ!!」
「いやはや、御尤もだ。はっはっは」
「はっはっは、じゃないわよ。お父さん!?」
縄から解いてもらった俺は、理事長室の高級そうな椅子に座って、もらったコーヒーを飲みながら、マリーのめったに見られない焦った姿を見ていた。
どうやら、グレイスワース=ベルモットとかいう女子は、マリーが認めるほどの《機獣》使いだそうで、その実力は確かなようだ。しかも、俺はその女子と戦わないといけないと。こりゃ一大事だ。相手は天下の《機獣》を使い、俺は素手で戦う。《機獣》が現代の最強であるという、見世物ではないかと思ってしまうほどに、滑稽なものだな。
「でもよ。要は勝てば良いんだろ?」
「あなたって本当に素っ頓狂よね。勝てないから焦るんでしょう!?」
「ほう……?」
勝てないとは、また大きく出たな。
確かに、兵器としての《機獣》の歴史の中で素手で戦った男たちの勝率は、決して高いわけではない。しかし、ゼロではない。《機獣》を操作する女性のミス。あるいは、それを偶発的に起こさせた経験の覇者が、数少ない勝利を収めている。だが、それでも滅多にない男性の勝利を眼にした、人々は皆、口を揃えてこういう――『奇跡』である、と。
奇跡に近い行為、ではない。本当に奇跡なのだ。人類が発明した最後の兵器は、喜ばしくも悲しく、最強の兵器として成り立った。これを超える兵器は想像もできず、故に発明も出来ない。その完結した兵器を素手で倒すなど、ありえてはいけない。誰も敵わないことをモットーに作られた《機獣》が、人類に敗北することは絶対になってはならないのだ。
《機獣》は《機獣》でしか倒すことが出来ない。
これを前提としたのは、《機獣》を開発した帝国のとある研究者であった。
「親父さんもそう思うの?」
「ああ……通常であれば」
「じゃあ、今はその通常なのか?」
「……いや、シドーくん。君が本気を出すのであれば、一週間後の試合は通常のそれではなくなる」
「だ、そうだけど、マリー?」
「そんなこと知ってるわよ! 私が言いたいのはそういうのじゃないわ! あなたわかってる!? ベルに勝ったら、彼女と婚約しないといけないのよ!?」
「いや、それが?」
「あなた、身分証明書持ってないでしょ!!」
あっ、と。俺とマリーの親父さんは、一斉にマリーが言ったことを思い出して、青い顔になった。
もしも俺が勝ってしまったら、俺はグレイスワースと婚約することになり、婚約するとなると、俺はグレイスワースのご実家であるお城へ行かなければならなくなり、さらに言えば、そこで自己紹介なんかをするわけである。だが、城に入るには、身分証明書が必須で……俺はその身分証明書を持っていない。
そもそも、聖都では身分証を持っていない時点で犯罪者だ。もしも、一週間後の試合で何らかの形でバレでもしたら……。
俺は、自分が置かれている状況に気がついて身震いする。
「じ、じゃあ……」
「そうよ。あなたは、勝っても負けてもリスクしか負わないってわけ。でも、負けたら私にもリスクが付くわ。本当に面倒なことになったわね……」
そうして、俺はやっとマリーが感じていた焦りを理解することに成功した。だが、その焦りを知って、逆に焦りを覚えてしまうのは計算外のことであった。




