ニートでも、楽して生きたい
「はぁ!? 俺が臨時教師!?」
俺こと、ナミカゼ=シドーはニートだ。朝起きて飯を食い、暇があれば寝て、自宅に来る郵便物を仕分けるのが日常だった俺に、突如として舞い込んできたのは、臨時教師になれという幼馴染からの通告だった。
「そうよ。あんた、放って置くといつまでも家でぐーたらしたまんまだからね。ちょうど、私のお父さんの経営する専門学校で教師に欠員が出たのよ。あんたには、その補充に入ってもらうから」
「ちょ、ちょっと待て! 教師って、子供と接すんるだろ!? しかも、教員免許とかそういうのがないといけないんじゃないのかフツー!?」
「あら、大丈夫よ? 私のお父さんの学校って《機獣》専門だから。それに、私立だとそういうところがガサツでも、どうにかしちゃうものなのよ」
そんなめちゃくちゃな……。
俺はコーヒーを片手に優雅な朝の時間を満喫しようとしていた矢先のことに、我を忘れてしまいそうになった。けれど、それどころではない。ここでもうひと押ししなければ、流れる川のごとく、俺は教師というものに成り上がってしまう。
世間では、無職から教師などという職につけることを喜ばしく思うのだろう。バットしかし、俺はそう思わない。無職でいられたのは、俺にそうさせられるだけの金があったからで。現状では、その金が尽きるという事態には陥っていない。故に、仕事などという面倒なことはしなくても良いわけだ。金があるのに、どうして仕事をしなくちゃいけないんだ。
「はぁ……。あなたが仕事をしたくないのは重々承知してるけれど、ここの家の管理者は私なの。わかってる?」
「うぐっ……」
「家賃を滞納されたことはないし、幼馴染だから特別にこれまで色々と支援してきたけれど、そろそろお父さんがお怒りなのよ。貸家だと言っても、ニートを住まわせる訳にはいかないってね」
「ぐぅ……っ」
「だから、あなたには二択の未来があるわ。一つは、私のお父さんの経営する学校で臨時講師として働くか。もう一つは、私のお父さんの怒りを買って路頭に迷うか。……よ」
お金はある。でも、お金があるだけでは家には住めない。なぜなら、聖都に住むには聖都民であることを認める身分証明書が必要だ。俺には、その証明書が存在しない。つまり、俺は聖都に住む資格が無いということになる。今日までは幼馴染の父親にお金を払う代わりに住まわせてもらっていたが、どうやらそれも不可能になると来た。
厄介なことになったな、おい……。
仕事をしなければ家から追い出されて、もれなくホームレス人生。任された仕事をすれば、俺はこの優雅な日々を失うことになる。
そもそも、どうして急に教師になんて話になるんだ?
「なあ……教師じゃなくても清掃係とか、そういうほうが自然じゃないか?」
「あら、清掃係なら仕事をするのかしら?」
「するわけ無いだろ、馬鹿野郎」
「私は馬鹿じゃないし、野郎でもないわ」
いや、そういう話をしてるわけじゃない。
「そうじゃなくて、教員免許とかを持ってないやつに、急に教師をやれっていうのがおかしいだろって話だよ」
「だから、私立の学校はそういうところがガサツでもなんとかなるのよ。要は、教えられるレベルに達していればいいだけの話じゃない。それに、私もお父さんも、あなたの強さだけは今でも認めているつもりよ? それとも、天下のブリュンヒルド=マリーの言葉に、何かご不満があるのかしら?」
これ以上の賛美が存在するのか、とでも言いたそうな顔で言う幼馴染に、俺は深々と呆れてしまう。
確かに、こと聖都において、ブリュンヒルド家の発言力は大きい。それは、今では国家の戦力を大きく左右する、《機獣》使いを育成する学園を私財で経営するためである。
ブリュンヒルド家は歴代から《機獣》の扱いに長けていた。聖都では《機獣》の第一人者として名高い名家であるくらいだ。そして、歴代でも類を見ないほど《機獣》の扱いが上手いとされる、このブリュンヒルド=マリーは、ブリュンヒルド家の中でも特に発言力が大きい。そんな彼女が味方であったから、俺はこの家に住み続けることが出来たと言っても過言ではないだろう。
それに、マリーには昔から何度も助けてもらった恩がある。ここで提案を無視するわけにもいかない。けれど、働くというのには抵抗はある。
頭を悩ます俺を見て、マリーは本当にどうしようもない子というような顔になり、そっと頭に手をおいてきた。
「いい? 難しいことはないわ。あなたは担当教師が見つかるまでのツナギよ。だから、早ければ一ヶ月中にも欠員は埋まるでしょう。それまでの間、不服かもしれないけれど、子どもたちに戦いのいろはをそれっぽく教えればいいだけ。ね、簡単でしょう?」
「稀代の天才様には簡単かもしれないけどな。凡人の俺には、到底成しえない偉業だぞ、それ……」
天才の言葉ほど、心を打たないものはない。例に漏れず、マリーの言葉は俺には届くはずもなく。だからといって、解決策が浮かんでくるわけでもない。そも、マリーの父親の意図が汲み取れない。どうして、今まで不干渉だった俺に、このタイミングで声をかけてきたのか。そして、マリーも。
分からないことだらけである。世間に疎いとは言え、この急な人間関係の温度変化には、裏で何かがあるのではないかと思わせられる。さらに言えば、それから逃げられないようにされている俺は、袋のネズミというわけであるが。
どれだけ考えても、自分が教師になる以外に道はなく。もう、仕事なんかしたくないなどと言っていられる状況でもない。挙げ句、釘を刺すかのように、マリーは最後にこう付け加えた。
「あら、なら大丈夫よ。天才の私に出来て、鬼才のあなたにできないことなんて無いでしょう?」
勝利の笑みだった。これ以上の勝負手を持ち合わせていないとわかった上での一言だったのだ。この女はわかっている。俺という男を弄ぶ手管をよくよく理解しているのだ。
逃げ道は断たれた。
回避ルートは地雷原だ。
残された道には、遠からず敗北しか残されていない。
そうか。俺の弱みを知り尽くしているマリーには、勝ち目なんて最初から無かったんだ。膝をついて、絶望に身を焦がすのもやぶさかではない俺は、敗北必至の選択を取るなど到底無い。切り札というのは最後の最後で切るからこその、切り札なのだ。
かくなる上は、と。俺は腹を括って、大きく跳躍する。そして、ダイナミックに、かつエキセントリックに空中で回転を数回繰り返して、音もなく、そして服を乱すこと無く床に深々と頭を押し付けて、着地する。所謂ところの土下座である。
「お願い、俺絶対働きたくない!!」
この言葉は確かにマリーの心に届いた。けれど、心を打つことはできなかったようで……。
にっこり笑顔のまま、マリーは恐怖のオーラを全身から漂わせて俺を見つめた。
「起動せよ、不朽の薔薇」
怒りを露わにしたマリーが起こしたのは、《機獣》の中でもなおも珍しい、戦略級という部類に位置する最上位兵器。マリーが所有する最強の《機獣》だった。マリーの服装は変わり、鋼鉄よりも硬く、絹のようにう柔らかい黒いドレスに、その細腕からは考えられない巨大の主砲を持ち、その銃口から放たれた威圧的な一撃は、俺のすぐ横を通り過ぎて、部屋に、その向こうに見えていた大きな山にさえも大きな風穴を開けてしまっていた。
ガチャン、と。大きな装填音が響き、マリーはこう告げた。
「さあ、選びなさい、シドー。教師になるか、ここで死ぬか」
「あの、ちょっと選ぶ内容が変わってる気が……」
「ん?」
「いや、あの……謹んで教師をやらせていただく所存でございますです、はい……」
だらだらと、止むことを知らない冷や汗は、俺の生命の危機に静かに呼応するのだった。




