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Rabbit, Love it  作者: kiki
4/7

お師匠様が見てる

 



 私としては、師匠との話が終わったらすぐにでも姫様と二人きりになりたかったのですが、そうは問屋が卸してくれません。

 師匠ったら、応援してくれると言ったくせに面倒事ばっかり押し付けてくれちゃって。

 結局、私は師匠に命じられるままに人里まで用事を済ませに行かなければならなくなり、寂しそうに私を見送る姫様の視線を背中に受けて、罪悪感の中、永遠亭を離れなければなりませんでした。

 私が師匠の命令に逆らえるわけがありませんからね、姫様が拗ねずに、むしろ私の境遇を憂いてくれたのは不幸中の幸いでした。

 一応、永遠亭を発つ前にほんの少しの間だけ姫様とお話したのですが、手を繋いで見つめ合ったからって、それだけで満足できる恋心ではないのです。

 もちろん、幸せな時間ではありましたが。


 師匠の用事を済ませ、永遠亭に戻れたのは日も傾き始めた夕方のこと。

 すぐにでも姫様の部屋で二人きりになってやろうと意気込んでいたのですが、私が帰ってくる頃には夕食の準備もかなり進んでいて、どうやらさらにお預けになりそうな雰囲気でした。

 迎えてくれた姫様は不満そうな顔をしています。

 ですが私を責めたりはせず、なぜか背中から抱きついてきて、ぐりぐりと額を押し付けてくるだけでした。

 姫様なりの不満アピールなのでしょうか、そんな可愛らしい事されても私に出来ることなんて愛情表現ぐらいしかありませんよ。

 私だって自分が悪いと思っているわけではありませんが、さすがにここまでタイミングが悪いと、姫様に対して申し訳ない気持ちが湧き上がってきます。

 会えなかった時間を埋められるような、心の篭ったお詫びをしたい――ここで私のポケットから登場するのがこちら、シルバーのティアドロップネックレス。

 どうしてこんな物を持っているのかと言うと、人里で半ば押し付けるように買わされてしまったのです。

 うっかり耳が見えてしまったのが運の尽き、買わなかったら妖怪だってバラすって言うんですよ、あー人間怖い。

 ですが物自体はそう悪いものでは無いようで、値段も本物の銀を使っているのなら相応なのでしょう。

 勢いでポケットから取り出してしまったものの、果たしてこんなハイカラなアクセサリーを、いかにも和風なファッションを好む姫様が気に入ってくれるかどうか。

 それに、まず姫様相手にアクセサリーを買ってくること自体が間違ってるんじゃないかとも思うんですよね、だって姫様って、私がいくら身売りしても買えないようなお宝いっぱい持ってるじゃないですか。

 ……いや、渡す前から自信を失くしてちゃ駄目ですよね、値段は大した問題じゃありません、大切なのは気持ちなんですよ。

 そう、気持ちが大事、気持ちさえあればどうにかなる、頑張れ頑張れ! と自分を勇気づけつつ、私は姫様の手にそっとプレゼントを握らせました。

 姫様は金属の冷たい感触に気付くと背中から額を離し、ネックレスを肩口あたりまで持ち上げます。

 どうやら肩越しに何を握らされたのか確認しているようです。

 本来なら振り返って姫様の反応を見るべきなのでしょうが、怖くて見られませんでした。

 なんだかんだ言ってもやっぱり自信は無いんです、姫様に似合うネックレスなんて私のセンスで選べると思えませんから。

 ただ、もう不安で涙を流さないで欲しいと、そう思ったからあのネックレスを選びました。

 その気持ちだけは本物なんです、それを姫様が汲み取ってくれれば、あるいは、万が一にでも。


「……」


 背中を向けたままで何らかの反応を待っていたのですが、待てども待てども姫様は一言も言葉を発せず。

 しばらく待っていると、なぜか再び私の背中に顔を埋めてしまいました。

 拗ねてるんですかね。

 やっぱり、こんな物じゃ満足出来なかったのでしょうか。


「姫様?」


 不安に駆られた私は、恐る恐る呼びかけましたが反応ナシ。

 こんなタイミングでプレゼントを渡した私も悪いのですが、夕食の準備はこうしている間も着々と進んでいるのです、あんまり時間をかけていると、てゐか師匠が見に来てしまうと思うのですが。


「ずるいわ」


 待ちに待った姫様の第一声は、そんな言葉でした。

 私、何かずるいことなんてしましたっけ?


「こんなことされたら、もっと好きになってしまうに決まってるじゃない」


 そう言うと、姫様はさらに強く、痛いぐらいに私の体を抱きしめました。

 その力は私が苦しくなるほどで、どこか八つ当たりをしているようでもあります。

 しかしそれ以上に苦しいのは私の胸の方で。

 そんな、”もっと好きになる”なんて言われたら、私のほうがもっと好きになっちゃいます。


「しばらくこのままで居なさい」

「でも夕食が」

「あなたに拒否権は無いの、これは私からの命令よ。

 それに……大丈夫よ、少しぐらいなら永琳だって大目に見てくれるわ」


 確かに、師匠が姫様を咎めることはないでしょうね。

 ……私がどうなるかは知りませんが。


「せっかくですし、前から抱き合っちゃダメですか?」


 抱きついてもらえるのは嬉しいのですが、せっかくだったら互いにハグしたいじゃないですか。


「だめ」

「そう言わずに」

「だーめ」

「どうしても姫様の顔が見たいんです」

「っ……そうやってまた誑かすんだから」


 誑かすとは人聞きの悪い、素直に自分の気持ちを伝えてるだけですよ。


「おかげで変な顔になってしまったわ、だから余計にダメ。

 これは鈴仙のせいよ、だから大人しく言うことを聞きなさい」

「はあ」


 姫様の変顔は是非とも記憶に収めておきたいのですが。

 とはいえ姫様の機嫌を損ねては元も子もありませんから、今日は我慢しておくことにしましょう。


「甘く見ていたわ、もっと初心で不器用な子だと思っていたのに」


 プレゼント自体は喜んでくれているはずなのですが、姫様の口調はなぜだかご機嫌斜めな雰囲気。

 顔が見えないのではっきりとは言い切れませんが、なぜか拗ねているように感じられます。

 どうしてこうも永遠亭の住人は素直じゃない人ばかりなんでしょう、姫様の場合はそれが可愛いので許しちゃいますが。


「案外、狡猾なのね」

「私はただ必死で……さっきのプレゼントだって私のセンスで選んだ物ですから、姫様が喜んでくれるか不安でたまらなかったんですよ」

「むしろそっちの方が困るわ。

 いっそ狙ってくれれば私だって対処のしようがあるのに」

「対処しないでください、私は姫様に喜んでもらいたいだけなんです」

「だからそれが困るって言っているのよ!」


 何がどう困るのか言ってくれないと、私も対処しようがありません。

 それとも言わずともわかるだろうと、私を試しているのでしょうか。

 それはとんだ難問ですよ、無茶にも程があります。

 しかし姫様は、過去に五人の男性にお付きあいする条件としてとんでもない難問を出したそうではありませんか。

 つまり、すでに付き合ってる私に対して難問が突き付けられるのは仕方のないことなのかもしれません。

 いいでしょう、この鈴仙が見事にその解を導き出してみせようじゃありませんか。


「姫様は、今の顔を見せたくないんですか?」

「見せたくないってわけじゃ……」

「泣き顔は見せてくれたじゃありませんか」

「あれはっ……その、不可抗力よ、見せたくて見せたわけではないの。

 今だってそうよ、鈴仙が余計なことをしなければ顔を隠す必要は無かったんだから」


 結局見せたくないんじゃないですか。

 要するに、普段は見せない表情をしている自分の顔を見せたくないと言うことなんでしょう。

 しかし隠されると余計に見たくなるといいますか、私は姫様を幸せにしたいわけですから、おそらく今の姫様の表情こそ私が求めている物だと思うのです。


「姫様、言っておきますが私、これから先も今日みたいなこと続けるつもりですから。

 恥ずかしげもなく、自分の気持ちをありったけの言葉と行動で姫様に伝え続けます」

「今日だけじゃないってこと?」

「千年先も姫様の隣に寄り添ってるつもりですよ」


 何なら万年先だって、それ以上だって、胸を張って宣言できます。


「千年後も今日と同じようにしてくれるの?」

「千年分想いが強くなってるんです、今日どころじゃ済みません」

「……それってつまり、遠回しに表情を隠したって無駄だと言っているのよね」


 伝わったようで幸いです。

 今日より明日の方が、明日より明後日の方が、より強く姫様のことを想っているのですから、想いの表現は日々エスカレートしていくしかないんです。

 なのに、姫様は毎度私の背中に抱きついて、顔を隠し続けるっていうんですか?

 姫様が喜んでくれればそれでいいんです、でもどうせなら姫様の喜んでいる顔を網膜に焼き付けたいと、恋人としてそう願うのはおかしなことではないはずですよね。


「ああ、なんて嘆かわしい。

 こうやって、少しずつ垣根は壊されていくのね。

 でも……きっと、それが恋をして、あなたを受け入れるってことなんだわ」


 私はとっくに姫様に染められていましたから、姫様が望むのなら何もかもを受け入れる準備はできています。

 しかし姫様が望んでくれるようになるためには、私が姫様の心を染めるしかないのです。

 こうして少しずつ、今までタブーだった壁を壊して、侵食して、私という存在を姫様に流し込んでいく。

 ……いえ、決して卑猥なことを想像しているわけではないのですが。


「あなたを受け入れて塗りつぶされる瞬間の、この抵抗感すらもいずれ消えてしまうほど夢中になってしまうのかしら。

 恋は素敵な物だけれど、さすがにそれは少し怖いわね、私が私で無くなってしまうようで」


 まだ恋に慣れない私たちですから、一つ一つの行為に抵抗感があるのは仕方のないことなのでしょう。

 ですが姫様がそれを望まなかったとしても、そのうち姫様が自分から求めるようになるほどに好きにさせてみせますから。


「姫様がそうなってくれるよう頑張りますね」

「頑張らなくていいの!

 地上に居る今でも私は姫なのよ、相応しい立ち居振る舞いって物があるの」


 それは割と今更だと思うんですが、世のお姫様たちは夜な夜な殺し合いなんてしませんし。


「鈴仙相手だったらある程度は許していいとは思うけれど、それでも私が色恋沙汰に溺れて我を忘れるなんてこと――」


 姫様が互いに適度な距離を保った恋をしたいと望んでいるのなら、それでもいいのでしょう。

 ですが姫様、私の理想はその程度では満足しないのですよ。

 情熱が、一歩間の距離を”まどろっこしい!”と拒むのです。

 考えても見て下さいよ、恋を許し、体を許し、しかし溺れず威厳を保ちたいなどと、そのような都合の良い恋、私が許すとお思いですか?


「私が好きなのは蓬莱山輝夜という女性です、姫がどうとか関係ありません。

 私はあなたに溺れたい、あなたを私に溺れさせたい、我を忘れて求め合いたい、そう望んでいます」

「ま、またそういうっ」


 姫様の体温がまた一段と熱くのなるのが背中越しにわかりました。

 なんとなくですが、姫様がどんな顔をしているのか、私には想像がついているのです。

 師匠に察しが悪いと称される私ですら想像できるぐらいなんですよ、そもそもこれで隠せる気になってる時点で姫様の理論は破綻してるんです。

 いつもの姫様だったらそれぐらいとっくに気付いているでしょうに。


「あれ、姫様ったらまた変な顔になっちゃいました?」

「……っ、あんまりからかわないでよ」


 悪意は無かったのですが、ついついからかうような口調になってしまいました。

 これも姫様の言動が可愛すぎるのが悪いんですよ。

 しかし私の言葉は姫様は怒らせてしまったらしく、私に抱きついていた腕を離すと、二、三歩ほど私から距離を取ります。

 愛しき感触が無くなった寂しさに思わず振り向いてしまった私でしたが、幸いと言うべきか不幸にもと言うべきか、姫様は俯いておりその表情を見ることはできませんでした。


「すぅぅ……はぁぁ……」


 離れた勢いでそのまま逃げられてしまうのかと思っていたのですが、姫様はそこで立ち止まると、何故か大きな深呼吸を繰り返しました。

 どうやら気合を入れているようで、深呼吸を止めると小さく「よしっ」と掛け声をかけます。


「あ、すいません姫様、さすがに今の軽薄すぎました、決して悪意があったわけではっ」


 掛け声を聞いて嫌な予感がした私は慌てて弁明しましたが、姫様の耳までは届いていないようです。

 気合を入れた姫様が拳を握ると同時、次の瞬間の衝撃を予見した私は思わず目を閉じます。

 ですがそれが良くありませんでした、だって目を瞑ったらいつ殴られるかわからないじゃありませんか。

 鋭敏になった聴覚に、一歩、二歩と静かな足音が聞こえてきます。

 視覚で認識する以上の恐怖に、私は思わず体をぶるりと震わせました。


「どうして目を瞑るのよ、こっちを見なさい、怒ってないから」

「ほ、本当ですか? ぶったりしませんか?」

「恋人の言うことを信じてくれないのかしら」


 卑怯ですよそれは、逆らえるわけがないじゃありませんか。

 私は恐る恐る目を開きます。

 待つのは修羅か般若か――虐げられ続けた私の性根は、姫様の言葉を聞いてもなお信用できずにいたのですが、私を待っていたのは悪鬼の類ではなく、それとは真逆の女神なのでした。

 そう、そこには、私がしつこく見たがっていた、念願の姫様の赤面した顔があったのです。


「……何か、言いなさいよ」


 何かと言われても、浮かぶ言葉なんてそう多くはありません。

 過ぎた装飾はむしろ無粋ですから。

 単純に、純粋に、思ったことを言葉にするのが最も相応しい評価だと思いました。


「姫様、可愛いです」

「そ、そういうことじゃなくって!」


 他にどう言えと。


「姫様、綺麗です」

「だからそういうお世辞じゃなく!」


 そう言われましても、他に言いようが無いのですが。

 まず前提として、姫様は自分の容姿がどれほど私に対して凶器足りうるか、その価値をわかっていないんです。

 怒った素振りを見せるくせに頬は緩んでいて、表情の端々に時折見せる喜びを隠しきれておらず、こんなの可愛い以外に言いようがないじゃありませんか。

 深い瑠璃色の眼は私を睨みつけているくせに微妙に潤んでいて、こんなの綺麗以外に表現のしようがないじゃありませんか。

 ただ立っているだけで絵になる姫様にそんな感情のスパイスを加えたら、魅力のメーターなんて容易に振りきってしまうに決まってます。


「いっそ笑ってよ、じゃなきゃ恥ずかしすぎて死んでしまうわ」


 笑えるもんですか、私は今にも暴走しそうな感情を抑えるので精一杯なんですから。

 笑顔なんて物を自在に出せるほど精神的に余裕は無いんです。

 私は無言のまま姫様を見つめ、姫様も何かを堪えるように下唇を噛みながら、真っ赤な顔のまま私の方を睨みつけています。

 なんですかこれ、にらめっこですか?

 こんなにもアンフェアなにらめっこがかつてあったでしょうか、卑怯ですよ姫さま、こんなの私が勝てるわけありません。


「な、なんでそっちまで赤くなってるのよお!」

「だって、姫様がこんなにも可愛いんですよ!? 仕方ないじゃないですかっ!」

「そういうわざとらしいお世辞をやめてって言ってるの!」

「私は本気で思ってるんです!」

「わかったわ、百歩譲って鈴仙が本気でそう思っているとしましょう。

 それでも構わないわ、けれど言葉にするのをやめて欲しいの」

「どうしてです?」

「言われる度に私の心がかき乱されて、色んな物が崩れてしまうのよ。

 私が、私でいられなくなるっていうか、垣根を壊すにしても急すぎるの」


 姫様は姫様です、それは崩れているわけではなく、殻を剥いでるだけだと思うのですが。


「自分でも知らない自分を誰かに見せるなんて怖すぎるわ。

 相手が鈴仙だからなおさらよ。

 私、あなたにだけは嫌われたくないのよ、だからお願い」


 私の見たことのない、どんな姫様でも絶対に愛してみせると誓っても、きっと姫様は納得してくれないんでしょうね。

 私が”大丈夫”と言っても中々安心できない、そんな人なんでしょう。

 まだ付き合い始めて一日目ですから、手放しで信頼されるほどの関係は築けていません。

 いずれ、とは思いますが今の姫様にそこまで求めるのは無茶ってものでしょう。

 だったら違うアプローチで姫様に訴えかけてみましょうか。

 あまりやりたくはありませんが、姫様の都合ではなく、私の都合を押し付ける形で。


「どんなに姫様に拒まれても、そればかりは聞けないお願いです」

「なっ、どうしてよ、あなたが我慢したらいいだけじゃない!」


 恋人になっても私たちは月人と玉兎、その上下関係が完全に無くなったわけではありません、

 その驚きぶりを見る限り、姫様は私が命令に背くなんて全く考えていなかったのでしょう。


「簡単に言ってくれますが、私だって姫様を困らせるのは本意ではありません、できるなら最初からそうしています」


 私にだって羞恥心はあるんです。

 恥ずかしいことを言っている自覚はありますよ、姫様以外には絶対に言えない言葉ばかりです。

 それでも言ってしまうのには、相応の理由があるということです。


「ねえ姫様、今の私が何を考えているのかわかりますか?」

「私を説得したい?」

「いいえ、姫様に触れたいと思っています」

「へっ?」


 姫様の顔がまた一段と赤くなりました。

 このままどこまで赤くなるんでしょう、最終的にはゆでダコみたいになっちゃうんですかね。


「姫様を抱きしめたい、姫様の唇を奪いたい、いっそ姫様を抱き上げて私の部屋まで連れ去って押し倒して、体中を弄んでしまいたい。

 そんなことばかり考えているんです」

「待ちなさいっ、確かに楽しみとは言ったけれど、まだそれは早いんじゃ……」

「わかってますよ、私だって少しずつ姫様の距離を縮めたいと思っているんです。

 けど膨れ上がる欲がそれを許してくれない。

 彼らは今すぐにでも姫様の全てを私の物にしたいって、私の中で強く叫び続けているんです。

 他の方法で発散しなければ、すぐに溢れ出てしまうほどに」


 私の意図がこれで姫様に伝われば良いのですが。


「脅迫よね、それ」

「違いますよ、ただの現状認識です」

「はぁ……つまり、仕方ないことだって言いたいのね」

「はい、てっきり私とお付き合いを決めた時点で覚悟した物だと思っていました」


 私、最初にきっちり宣言したはずですよね。

 想った分だけ求めて、触れて、抱きしめるって。

 急なスキンシップで姫様を驚かせてはいけないと思って、今は手加減して言葉だけで済ませているというのに。

 なのに姫様の方から抱きついてきて、私がどれだけ必死に耐えてると思ってるんですか。

 でも、これから先も今と同じってわけじゃありませんよ、姫様が慣れてきたら少しずつエスカレートさせていくつもりですから。

 それこそ、てゐや師匠が呆れてしまうぐらいに。


「私、あなたの気持ちを少し甘く見てたみたいだわ。

 思えば鈴仙にリップサービスなんて器用な真似できるはずがないものね、全部言葉通りだったのよ」


 少し馬鹿にされてる気もしますが、概ね姫様の言うとおりです。


「私、姫様の前では事実しか話しませんから」

「嬉しい言葉のはずなのに、今は少しだけ怖いわ」


 愛が重すぎるってやつですかね。

 てゐも似たようなことを言っていましたが、世間一般と比べて自分が特別だと思ったことはありませんけどね。

 姫様もてゐも恋に夢中になったことが無いから知らないんだけなんですよ。

 もっとも、姫様は今から夢中になってしまうわけですが。

 私、そうなるように頑張っちゃいますからね。


「……わかった、無駄な抵抗はもうやめにしましょう。

 あなたの言葉も、行動も、想いも、全部素直に受け止めることにするわ」

「そうして頂けると助かります、姫様の顔が幸せそうにとろけるところ、ずっと見ていたいぐらいですから」

「と、とろけてた? そこまで?」

「はい、見てるこっちが幸せになるぐらいゆるゆるになってましたよ。

 姫様のあの顔見てると、私までとろけちゃいます」


 表情だけじゃなく頭の中まで蕩けてしまって、思考なんて意味を成さなくなるんです。

 愛おしさだけしか認識できなくなって、私は純度100%の姫様で埋め尽くされてしまいます。


「あ……」

「どうしました?」

「いや……そっか、可愛いってそういうことだったのね。

 鈴仙の気持ちが少しだけわかったわ」

「もしかして私の顔、とろけてました?」

「ええ、もうデレデレになっていたわ、見てる方が幸せになるくらいにね。

 確かに、可愛いだったり綺麗だったり、そんな単純な言葉しか出てこなくなるわね」


 想像しただけで緩んでしまうとは、少し気持ちを引き締めないと。

 姫様の前ならともかく、師匠やてゐの前で顔を緩ませていたのでは何を言われるかわかりませんからね。


「ねえ、鈴仙。

 もう一回、私の顔を見た時の言葉を言ってくれないかしら?」

「可愛いとか、綺麗とかですか?」

「そうそう」


 姫様は今度はうつむくこと無く、まっすぐに私と視線を絡めあいます。

 相変わらず顔は真っ赤ですが、私を睨みつけていた時とは大違いの、穏やかな笑顔が顔には浮かんでいました。


「姫様、可愛いです」

「……うん」

「姫様、綺麗です」

「うん、うん」

「姫様、愛しています」

「私もよ、愛してるわ」


 こそばゆい言葉の応酬に、私たちは思わず顔を突き合わせて吹き出すように笑いました。

 特に面白いことを言った覚えも無いのですが、なぜだか無性におかしくて、なぜだか無性に愛おしくて。

 笑いながら私たちは自然と距離を詰めていました。

 一歩ずつお互いに歩み寄ると、自然と姫様の腕が私の首の後ろに回されます。私は姫様の細い腰を抱き寄せました。

 背中から抱きしめられて一方的に頼られるのも悪くありませんが、やはりこうして抱き合って、お互いに支え合うのが一番だと思うんです。


「鈴仙」

「姫様」


 鼻の先を触れ合わせながら、お互いの名前を呼び合います。

 またそれが何故かおかしくって、私たちはまたくすくす笑うのです。

 その後も何度か「鈴仙」、「姫様」と呼び合い、それはまるで引力を増す呪文のように作用して、唇と唇の距離を近づけていきます。


「れいせん」

「ひめさま」


 姫様は鼻にかかった声で、私にしなだれるように密着していました。

 あの姫様が私に甘えている、媚びている、その事実が私の熱をさらに増大させていくのです。

 もはや私達を遮るものは何もありません。

 姫様も拒むことをやめたのです。

 ですからあとは、求めるがまま、求められるがままに、思い描いた結果が待っているだけ。


 少し湿った、やわらかな感触が私の唇の先に触れました。


 一度触れ、一瞬だけ躊躇うように離れると、再び唇の先に暖かく柔らかな感触。

 次は躊躇することなく、さらに強く、深く、姫様の唇が押し付けられました。

 首に回された腕に少し力が篭もり、私の頭が引き寄せられます。

 私も釣られて、腰に回した腕に力が入ってしまって、唇だけでなく体までぴたりとくっついてしまいました。


 喋っている姫様を見ている時、思わず唇を見てしまうことがありました。

 食事をしている時もそう、私は姫様の唇を見て、あの唇と触れ合えたらなあ、なんて不埒な想像をしていたのです。

 想像するだけで唇に甘い痺れが走って、きっと実際の唇はこんなもんじゃないぐらい柔らかくて、気持ちいいんだろうなあなんて考えていたのですが。


 ――甘かった。


 私の考えも、そして姫様の唇も。

 舌を這わせたわけでもないのに甘くて、そして溶けるようにして私の唇に密着して、しっとりと絡んでくる。

 ただ唇を触れ合わせているだけなのに、官能すら感じさせるほどに、甘美な感触。

 癖になる、なんてもんじゃない。

 もう一瞬たりとも離したくない、出来ることならこのまま一つになってしまいたい、そう望むほどに虜になっていました。

 気持ちが昂ぶって、次第に息が荒くなっていきます。

 姫様も私と同じようで、吐息が私の頬をくすぐりました。

 これで、もっと深く触れ合ったらどうなってしまうのでしょうか。

 唇をあわせているうち、そんな考えに至ってしまうのは仕方のないことだと思います。

 いつもの臆病な私なら考えるだけで終わりなのでしょうが、今日の私が理性のタガが外れてしまっているのです。

 信じられないほど自分の欲求に正直に、私たちは唇を擦れ合わせ始めていました。

 最初は動いているのかも定かではないほど微かに。

 動きは次第に大胆に、情熱的に、天井知らずに高まっていくのです。

 もはや唇同士の情交とでも呼ぶべきなのかもしれません。

 心音を高鳴らせながら甘い快楽に酔う私たちは、それでも足りないと、さらに先を求めようとしていました。

 開いた唇、その奥にある湿ったむき出しの感覚器を。


「っ、あ……」


 私の舌先に、ぬめりとした感触。

 それと同時に、反射的に漏れる濃艷な声。

 どちらの声かはわかりません、ひょっとすると二人共、だったのかもしれません。

 とにかく未体験の感覚に私たちは驚いてしまって、舌先が触れると同時に慌てて唇を離してしまったのでした。


「はっ、はっ、はぁっ、はぁっ、はあぁっ……ぁ……」


 我を忘れ唇を求めてしまった気まずさに、私たちは視線を合わせようとはしません。

 しかし抱き合う腕はそのままに、距離は変わらず、吐息が聞こえるほどに近いままでした。

 二人の荒い吐息が玄関に響きます。


「れい、せん……あの、ごめんね」

「こ、こちらこそ、ごめんなさい」


 いつか”食べる”と言っておきながら、キスだけでこの有様です。

 結局のところ、その段階までたどり着くまでには、いくつもの手順を踏んでいくしか無いのでしょう。

 今日はその、第一歩ということで。

 ……第一歩にしては進みすぎた気もしますが。


「あんなに、止まらないものなのね」

「私もびっくりしました」


 たかがキスだ、前座だと、完全に舐めてました。


「でも……あの感覚、嫌いじゃ無かったわ」


 感覚だけでも、記憶だけでもなく、たった数十秒キスを交わしたという事実が、私達の関係を劇的に変えてしまったような気がします。

 ただのペットから恋人にランクアップできたのだという、確かな実感があるのです。

 姫様が私を見る目も少し変わったような気がします。

 もう元には戻れないと、ある意味無常で、そして至上なる、境界線を超えた感覚。

 唇を合わせて確かめて、舌を触れ合わせて、線の先に踏み入れて。

 恋人という関係性を確固たる物にするための儀式としては、先ほどのキスで十分なはずでした。

 ですがどうしてでしょう、私はもっと後戻りできなくなりたいと望んでいるのです。

 いや、私だけではないのかもしれません。

 姫様は指先で自分の唇に触れ、先ほどのキスの感触を確かめつつ、熱のこもった視線を私の唇に向けているのですから。


「その……姫様」

「ええ、わかっているわ」


 私が呼びかけると、姫様は私の目を真っ直ぐに捉えました。

 この時、キスをしてから初めて私達の視線が絡みあったのです。

 狂おしく私を求めるその視線に、私はなぜか既視感を覚えていました。

 誰かに向けられた覚えも、姫様以外に向けた覚えもないはずだというのに。

 そこで気付きました、だったら答えはひとつしかないじゃないか、と。

 つまり姫様が私に向けるその視線は、私が姫様に向けていた物と類似していたのです。

 そう、私が”不埒”だと呼称した、お世辞にも上品とは呼べないアレと。

 でしたら、姫様も私と同じように、不埒に私を求めてくれているのだと、そう判断するのが妥当だと思うのです。

 私は思わず、ごくりと生唾を飲み込みました。


「もう一度、鈴仙の唇を頂戴な」


 求められている、求めている、あの姫様が、私を。

 夢や妄想より妖艶で、それでいて姫らしいお誘いに乗らない理由など無く。

 姫様の頬に手を当て顔を近づけると、再び、私たちは唇を交わしたのでした。






 ちなみに、その時点で私たちは夕食のことをすっかり忘れてまして。

 痺れを切らし呼びに来た師匠に、キスシーンをがっつり見られてしまい、長々と説教を受けることになってしまいました。

 でも師匠、いくらなんでも姫様だけ五分で解放するのは甘すぎると思うんです……あと私の二時間も長過ぎます。

 ご飯すっかり冷めちゃったじゃないですか、もう。








 ようやく師匠の説教から解放された私は、甘えるように少し離れた場所で見ていた姫様の胸に飛び込みました。

 その時ばかりは一切の下心はありませんでした、とにかく姫様に甘えたくて、慰めて欲しくて。

 姫様も私の気持ちを察してくれて、「よしよし」と優しく撫でてくれて、私は至福のひと時を過ごしたのです。

 しかし、実は私、師匠の説教でそこまで傷ついたわけじゃなかったんです。

 直前まで姫様とキスしてたんですから、頭の中はすっかりピンクに染まってたんです。

 その結果、師匠の説教なんてこれっぽっちも頭に入ってきてませんでした。

 そんな私が、いつまでも姫様の胸に顔を埋めて何を考えていたかと言うと――恩を仇で返すような悪巧み、でした。

 傷心状態の私に同情している姫様なら、多少無理なお願いも聞いてくれるかもしれない。

 その場の思いつきではありましたが、我ながら良い考えだと思います。

 心の底から私を心配してくれた姫様を騙すようで心が痛みますが、背に腹は変えられません。

 どうせ、いずれ壊すべき壁なのですから、壊すなら早い方がいいに決まっています。

「ねえ姫様」と呼びかけると、姫様は「なあに?」と優しく応えてくれます。

 その優しさが、今だけは痛い。

 裏切りの痛みはよく知っています、後に悔いることだって計算に入れた上で、それでもやらなければならないことなのです。

 意を決して、私は本題を切り出しました。


「今夜、私と一緒に寝てくれませんか?」


 ――さあ、ここからが本番だぞ、私。

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[良い点] あ"あ"^~ 百合オーラが強すぎてう"お"お"お"お"お"お"お"!!!!!!!!
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