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Rabbit, Love it  作者: kiki
2/7

親友の反応

 


 翌朝、目を覚ました私は真っ先に枕元を確認しました。

 昨日起きた出来事すべてが夢だったんじゃないか――あまりに出来過ぎた展開に、思わずそう疑わずにはいられなかったのです。

 枕元には、姫様から貰った手作りの香り袋が置かれていました。

 顔を近づけると、姫様を連想させる気品のある爽やかな香りが鼻を通り抜けていきます。


『鈴仙のことを考えながら作っていたから、この香りになったのかもしれないわね。

 でも今は従者じゃなくて恋人だものね、侍従の香り袋を渡すのも変かしら?』


 もちろんすぐにもらいました、姫様の贈り物だったら私は何だって喜んで貰って、一生大事にしますから。

 私は香り袋を手に取ると、それを胸のあたりでぎゅっと握りしめました。

 物に固執しているわけではありませんが、こうしていると姫様と繋がっていられる気がしてくるんです。

 姫様は同じ柄の香り袋をもう一つ作っていて、そちらは自分用とのことでしたから、ひょっとすると今頃姫様も私と同じようにこの袋を見て私のことを思い出してたりするんでしょうか。

 以前の私なら、そんな偶然ありえないと一蹴していたでしょう。

 ですが私はすでにとんでもない奇跡を起こしているわけで、だったらこの程度の偶然なら簡単に起きてしまうかもしれないと、妙な自信を持っていました。

 目を閉じて姫様への思いを馳せます。


「姫様……」


 昨日の温もりを思い出し、思わず頬が緩んでしまいます。

 しばしその状態を維持していた私ですが、ふと重大な事実に気付いてしまいました。


「……別に思いを馳せなくても、会いに行けばいいだけじゃない」


 同じ屋敷に住んでることを忘れてどうするのよ。

 離れた場所で想い合うのも悪くはありませんが、結局は触れ合いに勝るコミュニケーションは無いのです。

 思い立ったが吉日、私は大急ぎで布団を片付け、身なりを整え、自室を後にしました。

 昨日は興奮のあまり遅くまで眠れなかったせいかいつもより随分と遅い時間に目覚めてしまったようで、部屋を出てすぐ空を見上げると、太陽は思った以上に高く昇っていました。

 この時間なら姫様はとっくに起きていることでしょう。

 ひょっとすると姫様は私を待っているかもしれない――

 そんな都合のいい妄想に駆られた私は、はやる気持ちを抑えて早歩きで……いや、やっぱり無理だったので軽い小走りで姫様の部屋へと向かいます。


「お、鈴仙。おはよー」


 その途中、庭で兎たちと戯れるてゐと遭遇しました。

 頭の中が姫様でいっぱいだった私は、予想外の出会いにちょっぴり驚いてしまいます。

 そうだった、永遠亭には私と姫様以外の住人も居るんだったわ、私としたことがうっかりうっかり。


「そんなに急いでどしたの?」

「ん? いや、別に急いでるわけじゃないんだけど」


 つい誤魔化してしまいましたが、別に悪意があったわけではありません。

 考えても見て下さいよ、素直に『私、姫様と恋人になったんだ』と話した所で誰が信じるでしょう。

 私自身でも信じられなかったぐらいなのですから、正直に話した所で『まーた鈴仙の妄想が始まったよ』と笑われるのがオチです。


「うっそだぁ、どう見ても急いでたじゃないか。

 あやしーなあ、何か良いことでもあったんじゃないの?」

「そう見える?」

「うん、見える見える。

 いつもより生き生きしてるっていうかさ、顔に生気が満ち溢れてるよ」


 自分でもいつもと同じで居られるとは思っていませんでしたが、まさか他人から見てもそこまでとは。

 てゐが気付いたということは師匠も気付くでしょうし、これは誤魔化すのは難しそうです。

 言うべきでしょうか。言うべきなんでしょうね。

 絶対に信じてくれないでしょうけど、全財産賭けたっていいぐらいです。


「実は、さ」

「うんうん、実は?」


 面白そうな話を聞けそうな気配を察したのか、てゐは興味津々と言った感じで私の話に耳を傾けています。

 次の瞬間にはがっかりしてるてゐの顔が容易に想像出来てしまいます。


「私ね、姫様とお付き合いすることになったの」

「……あー」


 ほらね、見ての通りです。

 見飽きた顔、そして続くのは聞き飽きた台詞。


「まーた鈴仙の妄想が始まったよ、期待して損しちゃった。

 ここは現実だよ? もしかしてまだ寝ぼけてる? 都合のいい夢でも見てる?」


 聞きましたか今の、私の予想と一語一句違わないてゐの反応を。

 我ながら恐ろしい予知能力です、自分で自分が怖くなるほどですよ。

 ほんっと、わかってたこととはいえ、嫌気が差してきますね。

 疑うにしても、1%ぐらいは信じてくれたっていいじゃありませんか。


「てゐ、今回ばかりは妄想なんかじゃないのよ。

 姫様は私に好きって言ってくれたし、昨日なんて一日中抱き合ってたわ」

「うわぁ、鈴仙の妄想もついに五感を支配するまでになったかあ、早く現実に帰ってこないと大変なことになるよ。

 私たちこっちに帰ってこれなくなった鈴仙の介護なんてまっぴらごめんだから」


 周囲に居る兎たちも、てゐの言葉に同意するように首を縦に振りました。

 いや、確かに私はてゐほど古参の兎じゃないけどさあ、もう少し信じてくれたっていいんじゃないの?


「最初から現実しか見てないですー! 信じられない気持ちもわかるけど、本当に本当なのよ」


 私の必死の訴えも虚しく、てゐの表情は変わりません。

 こりゃ私が言った所で無駄かな、と諦めかけていると、廊下の向こう側から誰かが近づいてくる音が聞こえてきます。

 現れたのは、文字通り救いの女神様。

 その名も蓬莱山輝夜。

 ああ、寝起きの姫様もこれまたキュート、まさに女神と呼ぶに相応しいとは思いませんか?

 本当に私なんかの恋人になっちゃっていいんでしょうか、引き立て役としては十二分に仕事を果たせている自信はありますが、恋人としては赤点どころの話じゃありません。


「お、姫様だ。

 ちょうどよかったじゃん、姫様に聞けば全部わかるだろうしね」


 てゐがニヤニヤと笑っているのは、否定されて私が赤っ恥をかくと思い込んでいるからでしょう。

 それほどまでに、私と姫様が恋人同士になることを”ありえない”と頑なに決めつけているのです。

 ふふん、残念だったわねてゐ、いつもやられてばかりだけど、今日に限っては恥をかくのはあんたの方よ。


「おはようござ……」


 てゐが足取り軽く姫様に駆け寄り、元気に話しかけます。

 しかし、どこかぼんやりとした表情の姫様は、そんなてゐを見事にスルー。

 よく見ると、姫様の頭はいつもよりボサボサで、寝癖まで立っている始末。

 こんな有様で出歩くなんて姫様のプライドが許すとは思えません、つまりまともな状態では無いということです。

 それでも可愛いのがすごいんですが。


「……あれ?」


 姫様はそのままてゐの前を通り過ぎると、私の方へと一直線で向かってきます。

 いくら姫様の機嫌が悪いと言っても今までてゐを無視するようなことはありませんでした。

 これには、さすがのてゐも戸惑い気味です。

 しかし戸惑うてゐをよそに、姫様は私の方へと近づいてきます。

 一直線で、私にぶつかりそうな距離になっても全く減速せずに。


「姫様!?」


 私は大慌てで体制を整え、衝撃に備えます。

 ぼふん、とそこそこの勢いで私の胸に飛び込んできた姫様の体を、私はよろめきながらもどうにか受け止めることに成功しました。

 私の戸惑いもよそに、姫様はそのまま私の胸に顔を埋めると、服をぎゅっと握りながら肩を震わせました。


「れーせん……れえせん……っ」

「ちょ、ちょっと姫様、どうしたんですか!?」


 私の名前を呼ぶ姫様の声は弱々しく、まるで母親に甘える子供のようで、抱きしめて支えてあげないと今にも崩れてしまいそうです。

 寝起き早々に姫様に泣きつかれるなんてはっきり言って滅茶苦茶嬉しいんですが、どうやら手放しで喜べるイベントでも無いようで。

 だってあの姫様が泣いてるんですよ、これは非常事態です。

 喜んでる場合でもなければ戸惑ってる場合でもありません、恋人としてやるべきことは、まず姫様を慰めること。

 私は両手で姫様の体を抱き寄せると、優しく声をかけながら背中を撫でました。


「姫様……大丈夫です、何も不安になることなんてありませんから」


 何が大丈夫なのかは知りませんが、それで姫様の不安が解消できると思ったのです。

 幸いにも私の言葉は姫様の心まで届いたようで、服を握る姫様の拳から少しだけ力が抜けていきます。

 しかし姫様は相変わらず私の胸に顔を埋めたままで、まだまだ予断を許さない状況。

 まあ、今の私の顔を見たらきっと姫様は呆れてたと思いますけどね。

 姫様に抱きつかれたせいで、デレッデレに緩んでますから。

 そんな私達のやり取りを、てゐは少し離れた場所で唖然としながら見ていました。

 いつもは一方的にやられてばっかりですから、思わず心のなかで小さくガッツポーズしてしまいます。


「鈴仙、鈴仙……」


 姫様は冷静さを取り戻してきたのか、たどたどしかった口調も少しずつ元の、品のある口調に戻っていきます。

 それでも完全に元通りとは言い難く、姫様は絶えず私の名前を呼び続けていて、その不安が完全に解消されたわけではないことはすぐにわかりました。

 こうやって抱きしめるだけで姫様の傷が癒えるって言うんなら、私は喜んで抱きしめ続けましょう。

 一時間でも、夜までだって、いっそ永遠でも構いません。


「そう何度も呼ばなくとも私はここに居ますよ、これから先もずーっと傍にいますから」

「うん、うん……」


 泣き顔が見れないのが残念、なんて思っちゃう私は間違いなく恋人失格ですよね。

 でも思っちゃうんです、思って当然なんです、だってあの姫様の泣き顔なんですから。


「ごめんなさい、急に泣いたりして」


 私から体を離した姫様は、苦笑いしながら手の甲で目の周りをごしごしと擦ります。

 その目は真っ赤に腫れていて、先ほどの涙が演技では無かったことを証明しているようでした。

 私は慌てて表情筋に力を込め、情けなく緩んだ顔を強引にシリアスモードへと切り替えます。


「構いません、私の胸で良かったらいつでも貸しますから、辛いことがあったらいつでも使ってください。

 けど……どうして急に、泣いたりなんて」


 恋人になった私の前でならともかく、ここにはてゐだって居るのに。

 プライドの高い姫様が他人の前で泣くなんて、よっぽどの理由があるに違いありません。

 命の危機とか、月が落ちてくるとか、世界が滅びるとか、きっとそんな規模のとんでもない理由が。


「夢を見たのよ。

 あなたがいつか、いなくなる夢を」


 しかし姫様の口から語られたのは、想像してたよりもずっと小さな……と言うより私が勝手に期待しすぎただけなのですが、それにしたって意外なぐらい普通の理由でした。

 期待値が大きすぎてどう反応していいのかわかりませんが、姫様が私ごときが居なくなっただけで泣いてくれると言うのですから、ここは素直に喜ぶべきなのでしょう。


「本当にごめんなさい、急にあんなことしたんじゃ誰だって困るわよね。

 大切な人が出来るといつもこうなの。

 いずれ訪れる別れを想像して、急に不安になってしまって、とっくに慣れてもいいはずなのに」


 やけに人間らしい、と言うと姫様に失礼かもしれませんが、そういう感情表現が私のイメージしている姫様と噛み合わなかったものですから、戸惑ってしまったのはそれが原因です。

 私が姫様を好きになったきっかけは、おそらく”憧れ”だと思うんです。

 高嶺の花を見上げながら、あの人と一緒に生きられたらどんなに幸せだろう、と想像することが楽しくて。

 姫様とお付き合いするなんて、『一生遊んで暮らせるぐらいのお金を拾ったらどうする?』という馬鹿げた問答に似ていて、万が一にも実現するとは思っていませんでした。

 そんな姫様が急に私とそう変わらない感情表現をしてみせるから、イメージとの齟齬に対応しきれなかったんです。

 だからといって、がっかりしたってわけじゃないんですが。

 確かに姫様は高嶺の花ではありましたが、私は高嶺の花だから姫様を愛したわけじゃないんです。

 愛したからこそ高嶺の花だったんですよ。

 問答無用で愛してしまうほど魅力的だったからこそ、高嶺の花なのだと、自分には見合わないのだと、そう勝手に思い込んでしまったのですから。

 つまりですね、姫様が身近な存在だってことがわかって、私はうれしいんですよ。

 今よりさらに、昨日よりずっと、今日の姫様のこと、愛せる気がするんです。


「ひゃっ!?」


 慰めようとか考えるよりも先に、体が動いていました。

 一度離れた姫様の手を気持ち強めに掴むと、強引に引き寄せます。

 姫様を驚かせてしまいましたが、構いやしません。

 私、昨日言いましたから、想った分だけ求めて、触れて、抱きしめるって。

 姫様はそれを理解した上で私を受け入れてくれたんです、だったら多少驚かせた所で何が悪いっていうんですか。

 過保護な師匠がそれを咎めるっていうんなら、そんなお説教は私が一笑に付してやりますよ。


「迷惑なもんですか!

 長い時間を生きてきた姫様の全てを、ほんの一日や二日で理解できるとは思ってません。

 隠したいことだってあるでしょう、聞きたくないことだって沢山あるでしょう。

 でも、それでも愛せると思ったから、沢山のマイナスがあったって構うもんかって、そんなものは姫様への愛情で全部包み込んでやるって、そう決めたからこそ、私は姫様に想いを伝えたんです。

 一方的に私の気持ちを押し付けるために告白したんじゃありません、あらゆる感情を受け入れる覚悟がなきゃ、最初から告白なんてしてませんよ」

「鈴仙……」

「だから、今は大人しく抱きしめられててください、せめてその涙が乾くまでは」

「……うん」


 少しナルシズムなセリフになってしまいましたが、私の気持ちは生半可な物じゃないって伝えたかったんで仕方ありません。

 シラフなら笑って終わりでしょう。

 けど今の私たちは恋に酔っているんです、装飾過多でも過ぎることはありません。

 それでも私の台詞を笑うっていうんなら、姫様を見て下さいよ。

 私に抱きしめながら、瞳をうるませて――こんなにも心に響いてるじゃありませんか。

 私の言葉は姫様に向けたもの、その姫様が満足してくれたのなら、他の誰の評価も必要無いんです。


「愛されてるわね、私」

「ええ、愛してますね、私」

「ふふ……ありがと、もう怖くないわ」


 それは、社交辞令じみた嘘でした。

 私を想ってくれている証拠でもありますから嬉しいといえば嬉しいのですが、やはり私が有限の命である限りは、姫様の恐怖が完全に消えることは無いのでしょう。

 私に出来ることなんて、その不安を限りなく小さくしてあげることだけ。

 抱きしめて、愛して、愛されて、常にあなたの隣りにいますと、命の証明をすることだけ。


「そうそう、加えて言っておきますが、私はこれでも妖怪なんです。

 伊達に玉兎はやってません、人間みたいにお行儀よくあっさりと死んでやるもんですか。

 仮に死神がお迎えに来たとしても、姫様の隣に寄り添う限りは、どんな方法を使ってでも追い返してみせます」

「頼もしいわね、馬鹿げた話だとわかっているのに、今の鈴仙の言葉なら何だって信じてしまいそう」

「信じてください、たぶん私、姫様のためならどんな不可能だって可能に出来ると思いますから」


 もちろん気のせいでしょうが、けどやってみないとわからないじゃないですか。


「おーい」


 愛の力って、私自身ですら計り知れるものではないのですから。


「二人とも、誰か忘れてない?」


 それに、これで姫様が笑ってくれるんなら、例え他人にビッグマウスって笑われたって構いやしません。


「ねえ、さすがにそれは酷くない? そこまで無視するわけ?」


 第三者の笑顔を千人分束ねたって、姫様のこの笑顔には叶わないのですから。


「……はぁ、蚊帳の外にも程が有るよ」


 抱き合って二人の世界に入り込んできた私達の耳に、誰かさんの呆れかえった声が聞こえてきました。

 完全に忘れてました、そういえばここにはてゐも居たんでしたね。


「これは普段の意趣返しと受け取ってもいいのかな?」

「て、てゐっ!? 嘘でしょう、居たの? 今の見てたの!?」

「姫様、そりゃあないよ……」


 てゐの存在に初めて気づいた姫様は、慌てて私から離れました。

 しかし、さすがのてゐもこれにはしょんぼりのようで。

 てゐの耳がしわくちゃになってる姿なんて、見るの何年ぶりでしょう。

 姫様ったらてゐの挨拶を無視するなんて酷いなあと思ってましたけど、存在にすら気づいてなかったんですね。

 つまり私に首ったけ、貴女だけしか見えないって状態だったわけですよね、いやあ照れちゃうなあほんと。


「ねえてゐ、さっきのやりとり見てたでしょ?

 私は何度も言ったわ、事実だって、夢なんかじゃないって。

 なのに”嘘だ、信じられない”なんて、挙げ句の果てには妄想呼ばわりまでされて、謝罪の一言も無いなんて酷い兎もいたもんね」


 私はこれ以上無いぐらいのしたり顔でてゐに言ってやりました。

 ええ、言ってやりましたとも。

 いつもの復讐ですよ、やられてばっかりってのは私の性に合わないんです。


「くぅ……わかったよ、ごめんってば。

 今日ばっかりは私の負けを認めるよ、てっきり鈴仙の病的な片思いだと思ってたのに」


 病的って何だ、せめて一途とか言いなさいよ。


「てゐ、その言い方だと、まるで以前から鈴仙が私を好いているのを知ってたように聞こえるのだけれど?」

「もちろん知っていましたよ姫様、顔を合わせれば姫様姫様と、こちらが聞かなくても聞かされてたぐらいです。

 鈴仙の話に対して、”はいはい妄想お疲れ様”と言うのがお決まりのパターンになってしまうほど、昔から姫様に夢中でしたから。

 本当は今だって姫様に抱きつかれたのが嬉しくて、幻想郷中を叫びながら駆けまわりたいぐらい有頂天外な気分でしょうよ」


 さっすがてゐ、私の事よくわかってるわ。

 昨日の夜だってほとんど眠れず、ようやく寝付けたのは空が白みかけた早朝のこと。

 なのにこの時間に目が醒め、その上全く眠くないと言うのですから、姫様と恋人になったその時から、興奮はこれっぽっちも冷めていないのでしょう。


「鈴仙ったら、そこまで私のことを……」

「一応は、私なりの言葉で全部伝えたつもりだったんですが」

「本人から聞くのと他人から聞かされるのとでは違うわ。

 もちろんあなたの言葉も信じているし、とても嬉しい。

 嬉しすぎて、昨日は夜遅くまで眠れなかったぐらいよ」


 考えてみれば、姫様は起きて一番に私のところに来たわけですから、目を覚ましたのは私と同じぐらいの時間ってことですよね。

 夜更かしした私と同じってことは、姫様も私と同じだけ目が冴えていたってこと。

 つまりは同じぐらい好きってことで……ってこの同じぐらいってくだり、昨日もやった気がします。

 でも、嬉しい物は嬉しいんで。

 どうしましょうこれ、昨日から嬉しいことばっかりで、わざわざ駆け回らなくても体が勝手に浮き上がりそうなぐらいテンション上がっちゃってます。

 姫様の前でみっともない姿は見せられないのに、耳がこんなに立ち上がってたんじゃバレバレに決まってるじゃないですか。


「けれど他の人から聞くと、一つ一つ確証を得て、愛情が世界から認められていくようで、また違った嬉しさがあるの。

 もちろん二人の世界も大切にしたいけれど、私たちはこんなに素敵な恋をしてるぞー! って世界中のみんなに自慢したいし、私達の恋の成就をみんなに祝福して欲しいじゃない?」

「なんとなく、分かる気がします」


 他人の評価なんて気にしてるつもりはありませんが、どうせなら好意的に迎えられたいですもんね。

 それに、本人から”好き”って聞くよりは、他の人から聞かされたほうが信憑性がありますし。


「あー……あっつぅー……」


 再び置いてけぼりにされたてゐが、わざとらしく襟元をパタパタさせながら言いました。

 しまった、一瞬だけどてゐの存在を完全に忘れてた。

 姫様もてゐの存在をすっかり忘却の彼方に追いやっていたようで、気まずそうな顔をしています。


「えっと……とりあえず、また後でお話しましょう」

「そうですね、今度は二人きりで」


 姫様は私に軽く手を振ると、そそくさと自室へと戻っていってしまいました。

 案外姫様は恥ずかしがり屋のようで、てゐが居る前でいちゃいちゃするのは本望ではないようです。

 私も出来れば誰の目も無い方がいいかな、特にてゐの目の前だとからかわれてまともにコミュニケーション出来ないでしょうし。


「行っちゃったか」

「行かせたんでしょう」

「そうとも言うかな」


 ついさっきまで悔しがっていたてゐはすっかり元の様子に戻り、去っていく姫様の方をじっと眺めています。

 そして姫様が居なくなったことを確認すると、私の方を向き、両手を頭の後ろに回しながら喋り始めました。


「しっかしさ、鈴仙も相当変わってるよね」

「変わってる? 姫様は誰から見ても美しい人だと思うけどね、好きになるのは当たり前よ」

「そうじゃなくって、私はてっきり姫への想いはただの憧れなんだと思ってたよ。

 まさか本当に告白して、つがいになっちゃうなんてさ」


 つがいと言うほど深くつながったつもりはありませんが、要は恋人になったことを言っているのでしょう。

 しかし変わっているとは、憧れと恋心は隣接した感情ですから、同時に抱いていたとしても妙な話では無いハズです。


「鈴仙は月が嫌になってはるばる逃げてきたわけじゃん?

 それこそ命がけで、裏切り者の汚名を背負ってでも逃げ出したかった。

 なのに、わざわざお姫様のつがいなんて面倒な役割を自分で背負い込むなんて、私にゃ正気とは思えないけどね」

「てゐにとっては、姫様の恋人って役割はそこまで重い物なんだ」

「違う?」


 確かに、例えば同じ種族である兎相手なら、もっと気楽に関係を持てたかもしれません。

 寿命についても悩まなかったろうし、師匠にどう話そうとか、余計な悩み事を背負う必要も無かったのでしょう。

 でも――


「些細なことよね、それって」


 要は、そういうことです。

 てゐの言うとおり、同種族を恋人に選んだ時よりは多くの困難を背負うことになるのでしょう。

 でも姫様と恋人になるって事実を天秤にかけた時、もう確認するまでもなく結果は出ちゃってるんですよ。

 困難など所詮は有限でしかありません、対して愛情は無限、比べるまでもありません。


「わお、かっこいいこと言ってくれるね」


 てゐは茶化し気味に、しかしほんの少しだけ本気で驚きながらそう言いました。

 思えば、私自身にとってもそれは意外なことだったのかもしれません。

 生まれ故郷である月を守るという役目に対してもそこまで夢中にはなれなかったし、ましてや命を賭けようだなんて思うことも無かったというのに、姫様一人にここまで心を奪われているのですから。

 てゐの言うとおり、変わっている――いえ、変わってしまったのでしょう。


「重責が些細ねえ、よっぽど好きじゃないとそこまでは言えないよ。

 憧れ程度だと思ってた私の目が節穴だったってことか、あーあ、まだまだ修行が足りないなあ」

「私程度も見破れないようじゃまだまだね」

「それ、自分で言ってて虚しくならない?」

「師匠や姫様、それに加えてあんたみたいなのを相手にしてるのよ? 

 自虐程度で虚しくなってたんじゃ生きていけないっての」


 言っておきますが、相手が悪すぎるだけで、妖怪としての力だけなら私だって平均値よりずっと高い力を持ってるはずなんですよ。

 ……たぶん、ですが。

 頭だって、世間一般の平均に比べれば悪くないはずなんです。

 本来なら自虐なんて必要ないはずでした、同居人が彼女たちでさえなければ。

 問題は能力だけではなく、彼女たちの性格にもあります。

 誰も彼もがサディスティックな性格をしていて、必然的にカースト最下層に位置する私が虐げられることになるんです。

 特に師匠は勘違いしてそうですが、私は決してマゾヒストではありませんし、虐められて喜んでるわけじゃありませんからね!

 そこだけははっきりと宣言させてもらいます。


「なるほど、鈴仙がここまで強くなれたのは、私達のおかげってことだね」

「仮にそれが事実だとしても、口が裂けても感謝はしないけどね」


 それを強さと呼ぶのなら、私は弱いままでいたかった。

 おかげで姫様と恋人になれたって言うんなら、まあ受け入れないでもないですが。


「話が逸れちゃったね」

「軌道修正してもそんなに話すことは無いわよ」

「私はもう少し聞いてみたいかな、姫様とお付き合いするにあたっての鈴仙の覚悟とかさ」

「聞いてどうするのよ、言質にでもする?」

「後学のためだよ、悪いようには使わないから」


 ”自分にとっては”悪いようには使わないってだけとしか思えません。

 どうせ数十年経って私が忘れた頃に、『鈴仙はこんなに恥ずかしいことを言ってたんだぞー』とか言いふらして、私を笑い者にするんでしょうね。

 ふん、上等じゃあないですか。

 だったら私は、今日の自分の言葉を恥じなくていいように、十年後も百年後も姫様のことを愛し続けてやりますよ。

 今と同じに、いいや今以上に、あの頃の私はその程度だったのかって、逆に私が鼻で笑えるぐらいに強く、大きく。


「月並みな言葉になるけど、私は姫様のためなら命だって賭けられると思ってるわ」

「月のためには命を掛けられなかったのに?」

「比べるまでもないわね、冷たいと思うなら思ってくれて構わないわ。

 けどね、事実なのよ。

 姫様のために今すぐ死ねと言われたら死ねるし、姫様のために永遠に死ぬなと言われれば生き続けてみせる、一切の躊躇無しにね」

「熱いなあ、里心よりも恋心、か。

 それ聞いたら、月の仲間たちが泣くよ?」

「その涙に姫様の涙の何万分の一の価値があるって言うのかしら」


 それに、どうせ泣いてくれる仲間なんて居ないでしょうし。

 いや、まあ一人か二人ぐらいは泣いてくれるのかな、でも月と地上の距離を埋められやしないじゃありませんか。

 所詮私は脱走兵、裏切り者、今の私の居場所は姫様の隣しか無いのですから。


「だめだこりゃ、すっかり恋に狂っちゃってるね」

「悪くない気分よ、てゐも相手を探してみたら?」

「やめとく、私にゃそういうのは似合わないね」


 ごもっとも、てゐが素直に恋をする姿なんて想像できません。

 尤も、私と姫様が恋に溺れる姿というのも、実際にそうなるまで想像できなかったのですが。

 案外、てゐもいざ恋をするとドハマりするタイプかもしれませんね。


「そういやさ、お師匠様にはこのこと話したの?」


 急な話題転換、自分の恋愛事情はよっぽどてゐにとって都合の悪い話題だったのでしょうか。

 てゐの弱みを握れそうなので追求したい所ですが、藪蛇を突くのも嫌なのでやめときましょう。


「姫様が自分で話すって言ってたわ」

「なるほど、それで……」

「何がなるほどなのよ」

「んー……実際に見たらすぐにわかると思うけど」


 どのみち師匠との対話は避けられない壁になるとは気付いていましたが、そういう言い方をされるとさすがに怖気づいてしまいます。

 いっそはっきりとどうなっていたのか話してくれたほうが……いや、聞いたら聞いたでそっちの方が怖い気もしますし、聞かないならそれもそれで恐ろしいですし。

 ……どっちにしたって怖いのに変わりはないんですよね、私にはどちらがマシか選ぶことしかできないと。


「知らないより知ってる方がマシだわ、聞かせてよ」

「鈴仙が望むような情報は持ってないんだけど、勝手にがっかりしないでよね。

 朝見かけた時に、顎に手を当てて神妙な顔して、ずっと何かを考えこんでたんだよ。

 すっかり自分の世界に入り込んで、私が挨拶しても全く気付かないほどさ」


 てゐはふてくされたようにそう言いました。

 なるほど、挨拶を無視されたのは姫様だけじゃなかったわけね。

 朝だけで二回も挨拶を無視されるなんて可哀想だとは思いますが、普段の行いが悪いだけに相応の報いとしか言いようがありません。

 ざまあみろ、と心のなかで二、三度大笑いしてやりました。


「でもこれで原因がはっきりした、要は鈴仙と姫様がつがいになった話を昨日の夜にでも姫から聞いたんだろうね」

「ということは――」

「十中八九、呼び出されるんじゃないかな」


 そんな話をしていた矢先、何者かの足音が廊下の向こう側から聞こえてきました。

 噂をすれば影がさすといいますが、まさか本当に現れるとは。

 心の準備をする時間ぐらい与えて欲しいですよ、師匠。


「優曇華、ちょっと面を貸しなさい」


 しかもそれ、ゴロツキが路地裏に女子を連れ込む時の台詞じゃないですか。


「鈴仙がんばれー」

「応援するならせめて少しだけでもそれっぽい顔しなさいよ!」


 さっきの復讐と言わんばかりに、わざとらしくにたりと笑いながら煽ってくるてゐ。

 少なくとも私にとって良い話じゃないのはわかりきってるわけですから、そりゃあもうてゐにとってはたまらなく楽しいシチュエーションでしょうね。

 先ほどてゐが言っていた通り、師匠は何やら神妙な顔をしていて、怒っているのかすら判別できません。

 師匠は私の返事を聞くよりも早く踵を返し、自分の部屋のある方へと戻っていきます。

 問答無用でついてこいと、そういうわけですか。

 傍若無人なのは今に始まったことではありませんが、今日の師匠からはいつも以上の不気味さを感じてしまいます。

 はてさて、一体どんなお説教を受けるのやら。




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