Tale of Monsters
稚拙な文かもしれませんが、よろしくお願いします。
今ではないあるとき、ここではないどこかに、一人の男がいた。
男はとても優しく、自分の手の届く範囲すべてを守りたいと願っていた。
その心に従うように、彼の体は大きく、世界に誰も比肩することがないほど強くなっていった。
男はすべてを守るため、幾多の戦場を駆け巡った。
何百年と続く二大国間の戦争を終わらせ、邪悪な竜にとらわれた亡国の姫を救い、天変地異を未然に防いだ。
『彼がいなければ―――』
彼を称える声として、そんな言葉がよくささやかれた。
彼がいなければ世界は終わっていた。
彼がいなければ死んでいた。
彼がいなければ、彼がいなければ―――
そして、世界は平和になった。
争いもなく、悲しみもない。そんな世界になった。
楽園の到来である。
人々は互いに笑顔を浮かべ、この世界を祝福した。
すべての幸せは今ここにある。皆はそう信じた。
このときこそ人間にとって最高の時代である。為政者は声を高くして言った。
毎日が楽しい。子供たちは笑い合った。
しかし、数えきれないほど多くの戦場で戦った彼の体は、たくさんの傷で満ち、酷く醜い姿となっていた。
幸せの中に生きる人々は、彼の姿を見ると口をそろえて言った。
怪物だ、と――――――――
ただ一人強大な力を持ち、たった一人で世界を変える力を持った異形の男。
そこにいるだけで誰もが畏怖するとても大きな男。
誰一人彼には敵わない。
人々が彼を疎ましく思い始めるのに、そう時間はかからなかった。
やがて人々は彼を迫害し、森の奥の古い洋館に閉じ込めた。
だが彼は絶望しなかった。
たとえ体が怪物のようになっても、この心はまだ、優しさにあふれた紛れもない<人>の形をしている。
そう信じていた。
彼は決意した。
この館でひっそりと余生を過ごそう。世界は平和になったのだ。自分はもう必要ない。
悲壮な決意を胸に、彼は満たされたような笑顔を作って、館の中に入って行った。
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それから長いときが経った。何年、何十年、何百年だったかは定かではない。
人々はいまだに幸せを享受していた。
そして森の奥では、白い館がひっそりと建ち、彼が暮らしていた。
その姿は昔と変わらず、百人が見れば百人が化け物だという姿である。
無類の強さを誇る彼の体は、時の流れさえ寄せ付けなかった。
彼が年を取っていると気づかせるのは、ただ一つ。色が抜け落ち灰色に変わった、その頭髪だけである。
ある日、彼がいつものように食材を採るため館を出ると、玄関を出てすぐそこに立つ、二人の女を見つけた。
一人は、陽の光を浴びて輝かんばかりの金髪を持ち、すべてを見通すような蒼い瞳を持った、聖女というのがふさわしい白い貫頭衣を着た女。
もう一人は、すべての光を飲み込まんとする漆黒の髪を持ち、燃え盛るような紅蓮の瞳を持った、魔女と言わんばかりの真っ黒なローブを着た女。
二人とも、この世のものとは思えぬほどの美女であった。
聖女の胸は、見る者に抱きしめろと訴えかけているかのように衣服を押し上げ、魔女の唇は、男たちにキスをしなければならない使命感を抱かせるような潤う薄桃色をしていた。
男はそんな可憐な彼女たちを見て驚いた。
ここは君たちの来るべき場所ではない、と。
しかし女たちは言った。
私たちはあなたに会うためにここに来た。多くの人々はあなたを怪物だと言う。けれども、私たちはあなたを怪物ではなく、人であると思う、と。
男は歓喜した。
まだ自分を<人>だと認めてくれる人間がいたことに。
まだ自分に会いに来てくれる人がいたことに。
彼は二人を館に招待した。
館の中で、女たちは驚いた。
彼が追いやられたとき、廃墟同然であったと言われた館は、今や彼女たちが見たこともないほどに美しく変っていた。
金の意匠が施された星のように輝くシャンデリアが天上から吊り下がり、磨かれた大理石の柱はその光を反射していた。
薔薇のように真っ赤なカーペットはエントランスホール一面に広がり、どこからともなく陽気な音楽が流れてきた。
なんとすべて彼の手作りだという。
しかし、よく考えればそれもそうだろう。
ほぼすべての人間に恐れられ、物を買うことすらままならなかった彼が、どうやって一人で生きていくのかと言えば、途方もなく長い時間に飽かせて、すべてを自作するしかないのである。
恥ずかしそうにする男を見て、彼女たちは悲しんだ。
ここにあるすべては、彼の悲しみと寂しさの結晶なのである。
なんと悲しい、悲しいことなのであろうか。
だが、彼は何も気にすることはないと言う。すべてただの暇つぶしなのだから、と。
彼の淹れるお茶やお菓子は本当に美味で、ここは楽園の中心なのではないかと彼女らを錯覚させた。
彼は嬉しくなり、余興にと、己の過去を語り始めた。
彼の生まれた街。彼の育った環境。
当時“災厄”と呼ばれた怪物に両親を奪われ、復讐の心を胸に世間の荒波に身を投じたこと。
剣を学び、魔術を学び、世界を学んで、彼はあらゆるところを巡った。
しかし、仇である怪物に再会したたとき、すでに怪物は自分で立てないほどに弱っていた。
怪物もまた、親として、我が子のために戦っていたらしい。
怪物は最期に吐き捨てるように言った。
人間は愚かである、と。
復讐などに意味はない、と。
恨むなら自分の運を恨め、と。
彼は復讐を果たせなかった。
怪物の死により、彼の心は復讐の炎から解放され、最も大切なものに気づく。
―――優しさである。
その後彼は、すべてを守るためにその身を戦いに投じた。
戦争を止めるため、怒号の行き交う荒々しい戦場でがむしゃらに剣を振った。
亡国の姫を救うため、邪悪に走る竜を止めるよう己の魔術を存分に放った。
火山の噴火を抑えるため、その山に棲む精霊たちを必死に説得した。
再び、自分のような悲しみを背負う人が現れないように。
人々は彼を英雄だと称賛した。
だが、彼には後悔もあった。
戦争では多くの人たちの命が失われた。
竜の暴走を止めることは叶わず、殺すことになってしまった。
自然現象の無理な抑制により、精霊たちが死に絶え、不毛の大地が出来てしまった。
ある程度語った後、彼はやってしまったと後悔した。
話が暗くなってしまったのだ。
だが、恐る恐る二人の様子を見ると、彼女たちは目を輝かせていた。
なぜなら、これが英雄譚だからである。
詩人や、老いた者たちによる虚飾や脚色など何もない、本当の英雄譚。
本物の伝説だからである。
女たちは、まるで少女に戻ったかのようにはしゃぎ、男に続きを促した。
男は苦笑し、己の過去を再び語り始めた。
戦勝の宴で貴族のドレスにワインをこぼしてしまったこと。
助けた女たちに求婚されたこと。
神様は美しくも幼い少女であったこと。
彼彼女らは、日が暮れるまで語り合った。
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二人の女が、男の下から元いた場所に帰ると、待っていたのは労いの声だった。
曰く、あの怪物の館からよく帰ってきた、と。
曰く、よくあんなにも恐ろしい男の元へ行けたな、と。
曰く、彼女たち以外ではあの場所へ行くことなど叶わなかっただろう、と。
金髪の女は“最高の聖女”と称えられた。黒髪の女は“救世の魔女”と称えられた。
しかし、称賛は一時的なものだった。
しばらくすれば、たちまち彼女たちに対して嫌な噂が立ち始めた。
曰く、あの怪物に操られている、と。
曰く、あの怪物の妾となったのである、と。
曰く、あの怪物と同じ怪物になったから危険である、と。
元々、彼女たちは聖女として、魔女として強すぎるその力を疎まれていたため、怪物と恐れられる彼の男に会いに行ったのであった。
また、多少の差異はあるが、聖女や魔女というのは多くの犠牲によって成り立つものである。その事実が、彼女たちは怪物だと、さらに人々を恐れさせた。
女の一人はこの現状を嘆いた。
腐っている、と。
人々は平和のぬるま湯につかり過ぎた。
争いがないのをいいことに、自らを磨くことを怠り、己より秀でた存在を否定しているのだ。
彼女は再び、彼の下へ行くことを決意した。
あの屋敷の中こそ、本当の楽園なのだと考えて。
街を出てしばらくすると、もう一人の女も彼女に合流した。
驚いた顔を見合った彼女らは苦笑し、二人で彼の下へと向かった。
男は共に館に住みたいと言う女たちに驚いたが、彼女たちを受け入れた。
互いに世間から疎まれた彼らが愛し合い始めるのに、時間はそうかからなかった。
寂しさから生まれた家具たちは、彼らの愛によって、更なる色合いをみせた。
男と洋館に満ちた悲しみは、彼女たちによって綺麗に消え去ってしまったのだ。
世界に必要とされなくなった彼は、彼女たちに必要とされれば、彼女たちを必要とすれば、それで十分だと、心の底から思った。
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それから数年経っただろうか、数か月だっただろうか。いや、もしかしたら数日だったかもしれない。
少し長めの外出から帰ってきた女が、明日男と二人で夕日が綺麗な丘に行こうと言った。
男は大層喜び、快諾した。
そして翌日。
自分は準備があるから、と女が言い、男は先に丘へと向かった。
丘に着き、男は女の到着を待った。
しかし、待っても待っても女は現れなかった。
首を傾げた男は、丘の頂上から周囲を見渡した。
ふと、人影が目についた。
よく見るとそこには――――――
―――待ち人である女が、何百人もの兵士を従え、こちらへと向かっていた。
何事かと男は驚き、その類まれなる体を用いて女の下へと向かった。
するとどうだろう、兵士たちは彼に各々の武器を突き付けたのだ。
どういうことか女に詰問すると、女はその美しい目に、怒りと侮蔑をの色をにじませながら、こう言った。
「あなたが、私と同じ存在でないからです」と。
男は絶望した。
たとえ世界に拒まれようとも、絶望だけはすまいと決めていた彼だが、愛する女に裏切られることには耐えられなかった。
男はその場に崩れ落ち、嘆いた。
男の首には、兵士の一人が持つ剣が添えられた。
ついに、自分の人生に幕がおろされるのだ。
彼はそう確信した。
剣が振り上げられ、勢いよく振り下ろされる。
しかし、彼の首は胴と離れることはなかった。
不思議に思った男が見上げると、そこには――――――
―――口から血をこぼす、もう一人の女がいた。
倒れる彼女を抱きとめると、彼女の背中に、剣で斬られた跡があるのを見つけた。
彼女の血を見て、男の目の前が真っ赤になった。
怒り狂った過去の英雄は、丘の周りにいる者すべてを殺した。
ある者は脳天から真っ二つに切り裂いて、ある者は頭を拳で砕いて、ある者は炎で焼き尽くして、ある者は心臓を握り潰して、ある者は地の底に沈めて、ある者は体を粉々にして、ある者は天空の彼方に吹き飛ばして、ある者は誰とも分からぬ肉塊にして、ある者は恐怖の幻を延々と見せつけて、ある者は氷の牢獄に閉じ込めて、ある者は地獄の釜の中に送って、ある者は頭から串刺しにして、ある者は体の内から破裂させて、ある者は砂になるまで干上がらせて、ある者は跡形も残らぬほどに踏みつぶして、ある者は腹に風穴を空けて、ある者は手足を引きちぎって、ある者は袈裟に斬り捨てて、ある者は無数の槍で突き刺して、ある者は酸で溶かして、ある者は体中を斬りつけて、ある者は体中を殴って――――――
―――殺した。
男が気づけば、空は赤く染まり、夕日が地平線上で輝いていた。
彼は自分の姿を見て、嘆き悲しんだ。
彼の体は、兵士たちの血で塗れていた。
彼は言った。
「ついに私は、心も体も、怪物になってしまった……」と。
そんな彼に、女が近づいてきた。
彼をかばい、背中を斬られた女だった。
彼女はうずくまる男を、そっと抱きしめた。
男は女を遠ざけようとした。自分は怪物だから、と。
しかし女は言った。
「たとえあなたが怪物であろうと、私はあなたを愛しています」と。
男が顔を上げ、女の顔を見ると、彼女は花が咲くような、可憐な笑顔を見せた。
傷を負い、とても弱々しい笑顔だ。
だが、今までで見た中で一番輝いている笑顔だった。
二人は丘の上で、そっと口づけをした。
丘の上では、すべてが赤く染まっていた。
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世界では、彼を恐れる声が響いていた。
『彼がいなければ―――』と。
彼がいなければ兵士たちはあの丘で死ぬことはなかった。
彼がいなければ人々が恐怖することはなかった。
彼がいなければ世界はもっと平和だった。
彼がいなければ、彼がいなければ―――
愛する二人を失った男は、丘の上で口づけをした彼女の思いに報いるため、世界の平和を壊した。
人々は再び争うようになり、憎しみや、悲しみが世界に再び現れた。
人々は己を磨き、他者を圧倒せんと躍起になった。
男は怪物である。人である必要はない。
自分は強く、醜い。
人に受け入れられることなんてない。
ただ、愛してくれた女たちがいた。それだけでいい。
仮初の平和は人を腐らせる。だから、自分が怪物として、他者を恐怖させよう。
男は―――いや、怪物は、人間の世界を睥睨して言った。
「人間は愚かだ」
吐き捨てるように。
彼を愛した彼女はいったいどちらなのでしょうか。
彼を裏切った彼女はいったいどちらなのでしょうか。
彼を裏切ったのはいったいなぜなのでしょうか。
ぼかした点はたくさんあります。
もしかしたら、作者さえも分からない点があるかもしれません。
よかったら、感想で論じてみてください。
できうる限り、応えます。