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憤怒の女王と囚われた少女

かなり遅れましたが、何とか投稿です。

ヴィクトリア歴4年5月7日


 周辺国での動乱と同盟締結の後。大陸はつかの間の平和を享受していた。周辺国では絶え間ない努力で復興は進み、冬の間に遅滞した農村部での復興も遅れを取り戻す勢いで進められていた。商人達は馬車を操ってひっきりなしに各地へと足を運び、日用品から嗜好品まで幅広く商いを行っていた。そんな汗と努力の復興とは無縁のヴィクトリア王国の王都はいつもと変わらず、笑い声と客引きの声の喧騒で賑わっていた。


「お姉さん。次はあっちに行きたい!」


 久しぶりに王宮から脱出して城下を歩いていた俺は、偶然にも帰宅途中のルナと出会った。半年ぶりの再開となった彼女はヴィクトリア王立中等学校の学生である事を示すワンピース型のセーラー服を身に着け、一年生用の青いスカーフをつけていた。詳しく説明を受けると、どうやら今年の四月に入学したらしい。


「ええ。いいわ」


 久しぶりの再会と言う事でか嬉しそうに笑うルナは、俺の手を引っ張りながら街を歩いていく。


「ルナちゃん。学校はどう? 楽しい?」


「まだ一ヶ月だけど、楽しいよ。友達もできたし、孤児だからって何か言われることも無いしね」


 詳しく聞いてみれば、ルナはどうやら特待生らしい。ヴィクトリア王国学校では初等部から特待生制度がある。未だ孤児や貧しい子供たちが一定数いるためだ。特待生の選定は公平で、権力やコネ等では獲得はできないようになっている。しかし、かなり厳しく一学年に数人であり、多くても10人だろう。ちなみに、一学年の数が平均で300人なので選定がどれだけ厳しいかと言う事は分かってもらえるだろう。さらに、ルナは孤児だった。他と比べても何かを学べる機会は殆ど無かっただろうに、特待生になれたルナは才能があるのだろう。特待生になれば学費は全て免除。制服や教材などの学生生活で必要な物は全て学校側から供給される。ついでに、学食は全生徒が無料で食べることができる。


「授業も楽しいし、先生たちも優しいよ」


「そう。それは、良かった」


 本当に楽しそうに微笑みながら語るルナの言葉は事実なのだろう。彼女は自分の人生を謳歌している。俺にはその事が、自身の事のように嬉しく思えた。何時も意識して仮面のように浮かべている微笑ではなく、自然で優しい笑みがこぼれる。


「ん? どうしたの? とっても嬉しそうだけど」


「ううん。何でもないわ」


 不思議そうに見上げてくるルナに何でもないと首を振りながら答え、頭を撫でてやる。ルナは恥かしそうにしながらも、気持ちがいいのかそのまま大人しく俺に頭を撫でられていた。


「お姉さん。そろそろ次に行きたいんだけど・・・・・」


 そうしていると、彼女がおずおずと訴えてくる。


「あら。ごめんなさいね」


 俺は謝りながら、彼女の頭から手を離す。彼女の髪は柔らかく滑らかで、撫でている方もとても気持ちがいい。だから、ついつい撫で続けてしまうのだ。


「それで、次はどこに行くの?」


「ん~。どうしよっかな~」


 ルナは露店や商店が並ぶ通りにせわしなく視線を走らせながらどこへ行こうかと、うんうんと唸っていた。


「ルナちゃんは何時までに帰らなきゃいけないの?」


「お母さんには、暗くなる前に帰ってきなさいって言われてるよ?」


 今の時間は大体三時。という事は、暗くなるまでには最低でも二時間はある。


「それじゃあ、時間もあるし一つずつ回ってみようか?」


「いいの?」


「勿論!」


「やった!」


 ルナは嬉しそうに声を上げて喜ぶと、俺の手をつかんで猛然と近くの店へと突撃した。いろいろと待ちきれなかったのだろう。突然のことに驚きはしたが、何とか体勢も崩すことなくルナへと手を引かれて付いていく。

 店は庶民向けの装飾品の店だったようで、商品が綺麗に陳列されていた。


「うわぁ~!」


 ルナは目を輝かせて装飾品の数々を眺めていた。俺はルナに手を引かれるままに一緒に眺めていた。


「どれも綺麗」


「それなら、どれか買っていく?」


「う~ん。・・・・・やめとく」


 ルナは暫し悩んだ後に、諦めた様だった。よく考えれば、孤児院から学校に通うルナに安くても装飾品を買う余裕などある筈がないのだ。俺は迂闊な提案をしてしまった事を呪ったが、それと同時に閃いた。


「それじゃあ、お姉さんが買ってあげる!」


「え!? そ、そんなの悪いよ」


「遠慮しないで。前に心配させちゃったお詫びに、ね?」


 傷が回復したのに何時までも会いにいかなかった時の事を口実に、遠慮するルナを押し切る。


「どれにする? これがいいっていうのはある?」


 今度は逆に俺がルナの手を引いて陳列された商品を見て回る。


「う~ん。じゃあ~」


 悩んだ末にルナが選んだのはロケットペンダントだった。安い割には植物の蔓を模した細かい装飾が施されており、シルバーの輝きも美しい一品だった。


「はい。どうぞ」


 俺は早速店主に金を払い、ルナにロケットペンダントをつけてあげた。ルナは首に下げられたロケットを手にとりじっくりと眺めると、こちらに顔を向けて満面の笑みを浮かべた。


「お姉さん。ありがとう。大事にするね!」


「どういたしまして」


 少し成長したためか、公衆の前であるためか、ルナは以前のように嬉しさのあまり抱き付いてくるということは無かったが、それでも、ルナが浮かべる笑みからは、彼女がとても喜んでいることが伝わってきた。俺は、再びロケットを眺めて笑みを浮かべるルナを見つめながら、ただ優しく微笑んでいた。


「それじゃあ、次に行こうか」


「うん!」


 俺はルナの手を取ると、他の店へと向けて歩き始めた。雑貨、文房具店では学業に必要なものを買い、レストランや屋台などでは軽くスイーツや果物等を買って食べた。いろいろな店を回りながら、二時間程を費やした。

辺りを見渡せば日は徐々に傾き、酒場などが営業準備を始めていた。


「それじゃあ、そろそろ帰ろうか?」


「えぇ~。もうちょっとだけ」


 楽しい時間はあっという間だというが、本当にその通りであった。ルナはまだ一緒にいたいのか、手をギュッと握ってくる。


「あらあら。少しは大人になったかなと思ったけど?」


 俺はからかう様に笑うと、離れたがらないルナの頭を撫でる。


「それじゃあ、お家まで一緒に行こうか。他のお店を回るには時間がないから」


「うぅ~。分かった」


 ルナは仕方ないと分かっているのだろう。名残惜しそうにまだ回っていない店を眺めてから、渋々といったように俺に手を引かれて家路へとつく。

 大通りは暗くなっていく時間にも関わらず昼間と変わらず多く人が歩いていた。その数は一向に減っているようには見えなかった。


「最後に、何か食べようか?」


「うん!」


 帰れば夕食もあるだろうが、その前に露店でちょっとした買い食いなども楽しいだろう。そう思って人混みから辺りを見渡せば、大通りの反対側に串焼きの屋台が見えた。


「ルナちゃんはここで待っていてね」


「うん」


 疲れただろうと道に端にルナを待たせ、俺は大通りの反対側の露店へと向かう。そこそこ広い通りを人混みを避けながら進み、露店の店主と短いやり取りをしてタレのついた串焼きを2本買い、再び人混みを避けてルナのところへと戻るが、そこにルナは居なかった。


「ルナちゃん?」


 どこに行ったのだろうかと近くを見回しながら待ってみるが、見える範囲にはおらず、戻ってくる気配もない。俺は徐々に焦る心を抑えて、できるだけ冷静に辺りを捜索する。

 見える範囲の露店と店にはおらず、通りで人混みに紛れていることもない。日はどんどん傾き、暗くなる。


「いったい何処に!?」


 もはやなりふり構っておられず、買った串焼きを放り投げ、走りながら必死に捜索する。そうして、もはや大通りにはいないと判断して近くの路地へと入ったところで、あるものを見つけた。王立学校の校章の入ったハンカチ。それが、裏路地の真ん中に不自然に落ちていたのだ。


「なぜ、こんな物がここに?」


 不思議に思って拾い上げてみれば、ハンカチにはほんの僅かに汚れがついていた。その汚れには見覚えがあり、ルナがレストランで食べていたスイーツにかかっていたソースだった。


「ルナちゃんの・・・・・。だとすれば、この近くに?」


 俺はハンカチをしまうと、近くを捜索し始めた。既に日は暮れ、街灯もない路地は暗く、僅かに月明かりが照らすのみであった。しかし、諦める気は微塵もなかった。


「ん? 今、何かが・・・・・」


 暗闇の中で必死で捜索を続けていると、目の端で何かを捉えた。見間違いとも思えたが、縋るような気持ちでそちらを向く。必死に目を凝らし、一瞬捉えた何かを探す。5分。10分と探したが何もない。やはり、見間違いだったかと諦めようとした時に、目の前で何かがキラリと光った。今度こそは見間違いではなく、何かがあった。駆け寄り、拾ってみれば、それは昼間にルナへと買ってあげたロケットだった。


「どうしてこれが? まさか!」


 最悪の予想が頭に浮かぶ。しかし、否定しようと考えれば考える程に辻褄が合い、予想が確信へと変わり、現実味を帯びていく。

 ルナは誘拐されたのだ。そう確信したとき、自分の中に助けを呼ぶと言う考えはなかった。最早後手に回り過ぎている。これ以上後手に回る訳にはいかないし、最悪手遅れになる可能性すらあった。それに、自分には力があった。

 そこから迷いはなかった。人目がない事が分かっていた俺は指を一度鳴らし、スキルを発動する。全身の骨が鈍い音を立てながら変形していき、肉体が人の形のままで膨張する。邪魔な服は破り捨て、その代わりとでもいう様に白銀の体毛が身体を覆っていく。手足には鋭い爪が生え、顔はイヌ科の動物の様に変化する。暗かった視界が急速に明るくなり、抑えていた怒りが、変身によって付属された野蛮な本能と合わさり解き放たれる。


「ウオォーーーーン」


 静かだった闇夜に獣の声が響き渡る。

 俺はロケットを拾い上げると太くなった首ではなく、手首へと巻き付けて落とさない様にする。そして、鋭敏になった嗅覚でハンカチに付着していたルナの匂いを覚え、それを追って暗くなった道を走り出す。


「ハァッ、ハァッ」


 匂いはかなり遠くまで続いてるようだが、追うのは難しくないだろう。匂いはまるで道に付いた目印の様にハッキリとしており、変身したことでパワーもスピードも上がっているからだ。俺は入り組んだ道を二足ではなく四足で疾走する。

 みすぼらしい家々を通り過ぎ、死体か浮浪者か分からないのが壁にもたれて寝ている傍を跳び越す。進めば進むほどに路地は汚くなり、家々はみすぼらしくなっていく。俺は一度止まり、辺りを見回した。王都の極僅かに残るスラム街の端に達したようだった。ここは警備隊が近づけない王都の闇であった。こういう場所こそを警邏すべきなのだろうが、スラムの中心にいくほどに警備隊に負傷者や行方不明者が出た為に一ヶ月に一度、スラムの端を掠めるように警邏するように変わったのだ。


「グルルゥ」


 俺は僅かに唸る。まさか、ルナがこんなところまで連れ去られているとは思いもしなかったからだ。ここに住む連中は王都警備隊に手を出す程に恐れを知らない。かなり厄介な相手だ。かなりの確率で流血になるだろう。だが、それも仕方がない。ルナを攫った奴らに慈悲などいらない。なにより、俺の怒りが収まらない。俺は再び匂いを追って走り出した。

 暫くすると、場に似合わぬ大きな屋敷が姿を現した。鉄格子の柵で囲まれたその屋敷は裕福な商人や官僚の邸宅とも錯覚してしまうほどに立派だ。匂いはそんな屋敷の扉へと続いており、柵の入り口部分には剣で武装した見張りが2人立っていた。間違いなくルナはこの中だろう。俺は迷いなく、扉へと突進した。


「おい! 何だありゃ?」


「止まれ! クソッ! ぶつかって来るぞ!」


 見張り達は俺の姿を見て一瞬怯んだようだったが、それでもすぐさま武器を向けてきた。俺はそれを跳躍して軽々と飛び越えると、扉へと突進して身体を思い切り叩きつけた。


「グルァァァアア!」


 渾身の力でぶつかった扉はそこそこの頑丈さがあったのだろうが耐え切れずに粉々になり、内側へと大小の破片となって飛び散った。


「なんだ!?」


「襲撃か? 全員集まれ!」


「ここに押し入るなんて舐めた事しやがって!」


 俺が突入した直後からエントランス続く会談へと人相の悪い男たちが武装して集まり始める。


「お、おい。なんだ、ありゃ・・・・・」


「デカい犬。いや。狼の化け物か?」


「なんで、あんなのがここに居るんだよ!?」


 しかし、彼等は俺の姿を見ると怯んだように動かなくなった。当然だろう。巨大な人狼の姿を見て怯まず戦おうとする奴がスラムの無法者の中にいるとは思えない。そう考えると、外の見張り二人はなかなか度胸があったのだなと思って振り返れば、彼等も唖然としていた。普通に暗闇で姿が見えていなかっただけらしい。

 好機だった。上手くすれば難なく蹴散らせるかもしれない。俺は彼等を威嚇するように吼えた。


「グルァアァアア!」


 肉食獣の獰猛な声に彼等は臆したように一歩、二歩と後ずさる。


「てめぇ等! 何してやがる?」


 そんな場に突如として怒声が響く。全員が声の出どころである二階を振り向けば、両刃で大きめのバトルアックスを構えた隻眼の男が立っていた。ここに居る男たちの誰よりも屈強な肉体と上等な装備から、彼がここの首領なのだと一目で分かった。


「たかだか犬っころ一匹だろうが。さっさと片付けろ!」


 それなりに恐れられているのだろう。それまで後ずさっていた男達がピタリと後ろへ下がるのを止め、腰が引けながらも此方へと武器を構えてくる。


「さっさと行け!」


 イラついたような首領の怒声に、ついに男たちが武器を振り回しながら突撃してくる。


「おりゃぁぁああ!」


「うらぁぁぁあああ!」


「くたばれぇ!」


 雄たけびや罵声などを口々に叫びながら、剣や斧や槍が振るわれる。俺はそれを左右に避けると、なんの躊躇いもなく、武器を空振ったせいで体勢が崩れた男のがら空きの胴に鋭い爪を振り下ろす。服の下に付けていただろう質の悪いチェーンメイルは引きちぎれ、その下の肉がえぐれてパッと血が飛び散る。


「ぎゃぁぁぁあああ!」


「グルァアァァァアァアア!」


「こ、この野郎!」


 悲鳴に被せる様に咆哮し、立て続けに腕を振るって男達をなぎ倒していく。身体を引き裂き、足をへし折り、腕をつかんで壁や床に叩きつける。俺が動くたびに血が飛び散り、一人、また一人と重傷者が増えていく。殺す必要もないが、殺さぬように手加減をする必要もない。動けなくなってくれればそれでいいが、死んだならそれでも構わない。今はとどめを刺す暇はない。


「ビビるなぁ! 数で押し包んで袋叩きにしろ!」


「囲め! 囲め!」


 力量差は圧倒的だが、それでも敵の数は多かった。斃した傍から穴を埋める様に別の人員が現れ、武器を振るってくる。徐々に俺の身体に触れる武器も増えて来ていた。強靭な体毛と彼等が使う武器の質が悪いおかげで傷はどれも浅い。指先を軽く切る程度だ。しかし、それも数が多ければ蓄積してダメージとなってしまう。

 俺は爪を振るって正面に立ちふさがる敵のみを斃し、囲いを脱すると同時に跳躍する。そうして、未だ二階で見物を決め込んでいた首領の前に躍り出ると首めがけて爪を振り下ろす。


「ハッ!」


 首領は嘲る様に声をあげると、バトルアックスを真正面から振り下ろされる俺の爪へとぶつけてきた。金属同士がぶつけあったかの様な耳障りな音が響く。ぶつかり合った爪とバトルアックスは弾きあい、共に僅かに距離をとる。


「犬っころの癖になかなかだな。俺の斧の一撃で爪が欠けもしないなんてな!」


 首領は恐れた様子もなく、むしろ楽しそうな笑みを浮かべてバトルアックスを構えた。対する俺はかなり焦っていた。人狼に白兵戦で対抗できる人間がいるとは思っていなかったからだ。それに、一階には彼の部下がまだ多く残っている。彼に時間を掛ければ、彼等が加勢してくるだろ。


「てめぇ等は手を出すなよ? こいつは俺の獲物だ。首落として剥製(はくせい)にしてやる」


 俺の不安を他所に、首領は人狼の姿である俺以上に獰猛な笑みを浮かべ、突っ込んできた。本来ならば人狼の五感や瞬発力を活用して避けてからカウンターを狙うべきなのだろう。しかし、ルナを攫われた怒りは抑えがたく、俺はその選択肢を捨て怒りに任せるように四足で首領に突撃する。


「おいおい。獣の生存本能はどうした?」


 首領は余裕の笑みを浮かべて嘲る様に言うと、突進の勢いと体の回転を使って勢いよくバトルアックスを俺の顔めがけて振るってきた。俺はそれに対して、真正面から爪をぶつける。再び金属同士をぶつけ合ったかの様な耳障りな音が響く。しかし、今度は弾かれなかった。


「俺の勝ちだな!」


 バトルアックスにぶつかった俺の爪は欠けることも切られることもなかったが、強力な力に耐えきれずぬ根元の方から剥がれ、拒む物が無くなったバトルアックスはそのまま俺の顔めがけて流れるように迫ってくる。だが、俺は即座にバトルアックスにぶつけた方とは逆の腕を顔を庇う形でその進路に割り込ませる。


「バカが! わざわざ腕一本差し出しやがった!」


 目の前で血が飛び散り、鋭い痛みが走った。バトルアックスは体毛を切り裂き、肉を切り、腕の半ばまで達した。切り落とされることは無かったが、骨には達しただろう。戦闘では使えなくなった。だが、ここからが正念場だ。


「ガァァァアァァァアァアァアァア!」


 気合いを入れる様に咆哮し、腕に力を込める。


「いい加減黙れよ! 犬っころが!」


 首領は余裕の笑みでバトルアックスを俺の腕から引き抜こうとし、そこで笑みが凍った。なぜなら、バトルアックスが抜けなったからだ。骨まで達したバトルアックスは俺が腕に力を込めたことで膨張した筋肉によって捕らわれ、抜けなくなっていた。当初の予定通りに捻り潰すことはできなかったが、咄嗟の思い付きは上手くいったようだった。


「離せ! 離しやがれ犬っころが!」


 首領は驚いてはいたが、焦ってはいないようだった。片手は文字通り犠牲にしてバトルアックスを抑えるために使われ、もう片手は今にも爪が抜け落ちそうな状態であり、攻撃力はほぼ無い。俺の腕は両方とも戦闘に使えるものではなく、首領もそれは分かっていたのだろう。彼は不敵に笑いながら斧を引き抜こうとしていた。


 だから、俺はそんな油断した首領の腕へと噛みついてやった。


「ぎゃぁぁぁぁぁあああ!?」


 牙はたやすく服とその下のチェーンメイルを破り、柔らかな肉へと達した。口の中にじわりと鉄くさい血の味が広がるが、人狼に姿を変えているせいか嫌な感じはしなかった。むしろ、ようやく仕返しができた満足感の方が大きく、俺は首領の腕を噛んだまま獰猛な笑みを浮かべた。


「フゥッ! フゥッ!」


「あぁ!? 俺の腕がぁぁああ!」


 喚く首領の腕を噛んだまま、俺は乱暴に首を振る。当然。牙が食い込んだ肉は避け、血が飛び散る。そして、さらに顎に力を入れると、耐えきれなくなった腕は嫌な音を立てながら無残に引きちぎれた。勢いのままに床に投げ飛ばされた首領は無残に途中から折れた骨が露出し、血が噴き出す腕を抑えながら床を転げまわっていた。近くまで駆けつけて様子を見守っていた手下の男達は、皆一様に顔を青褪めさせ、腰が引けていた。


「ハァ! ハァ! グルゥゥゥ」


 威嚇するように低く唸りながら首領の血が滴る牙を見せつけて詰め寄れば、その分だけ手下達は首領を助ける素振りも見せずにじりじりと下がっていく。俺は腕の力を抜いてバトルアックスを引き抜いてそこらへ放る。

 首領はもはや転げまわる余力もないのか、浅く息をしながら仰向けに倒れていた。邪魔する者のいない俺は、着実に首領へと近づくと、虚ろな眼でこちらを見つめてくる首領を見下ろす。


「た、頼む。た・・すけ・てく――」


 グシャ! そんなリンゴを砕いたかの様な音を立てて、助けを乞うていた首領の首が俺の足の下で潰れた。慈悲などかけるつもり等、最初からなかった。ルナを攫った奴らにそんなものは不要なのだから。

 首領が踏みつぶされたのを目撃した手下達は逃げ始めたが、俺は見逃すことなく追いかけていって虐殺する。爪が抜け落ちそうなので近くに落ちていた剣で首を切り飛ばし、槍で腹を貫いて串刺しにする。盾をぶつけて頭をつぶし、飛び上がった勢いで数人を踏み潰して圧死させる。何人かは首を噛み千切った。出口に近い奴から率先して殺し、隠れている奴はなぶり殺しにした。殺せば殺すほどに怒りは燃え上がり、虐殺が加速した。しかし、これは正当な裁きだ。

 俺は匂いをたどり、奥の部屋へと向かう。血のにおいで麻痺してきているが、聞こえる物音と匂いから、この部屋にいるのが最後だろう。俺は扉を開けると、積みあがった木箱を蹴りの一撃で粉砕し、陰に隠れていた男を引き摺り出す。


「嫌だ嫌だ! 死にたくねぇ!」


 俺は喚く男を床へと押さえつける。


「ルナハ、どこダ?」


「ひぃぃ!」


 かなり掠れたが、それでも意味は通じるだろう。俺は男を威嚇するように顔を近づけると、ルナの居場所をもう一度聞く。


「ルナは、ドコだ? お前タチガ攫っテキタムスメはどこ二イル? コタエレバ、逃ガしテヤル」


「ち、地下だ! 広間からまっすぐ行った部屋に地下につながる階段がある! そこから降りた地下牢に攫ってきた奴らは全員閉じ込めてあるんだよ!」


 逃がしてやるとという言葉に反応したのだろう。男はべらべらと話し始めた。


「さっき連れてきた娘もそこだ! そいつがルナだと思う!」


「ウソじゃナイナ?」


 俺は男を押さえる手に力を込める。男の体から骨が軋む音が響き、口からは悲鳴が上がる。


「本当だ! 嘘じゃねぇ! 信じてくれ!」


「ワカッタ」


 俺は一つ頷くと、安堵した表情の男をそのまま押し潰した。心臓や肺が潰れたのだろう。驚いたように見開かれた瞳からは涙が零れ、男の口からは大量の血が溢れ出した。ほどなくして、男はそのまま事切れた。

 死体をそのまま放り捨てた俺は来た道を引き返し、男が教えてくれた通りに部屋へと入り、敷かれたいた絨毯を乱暴に引きはがす。隠し扉といっていいのか微妙な、取っ手の付いたドアが現れ、そこを開くと言葉通り階段があった。微かにだが、ルナの匂いが確かに下へと続いていた。俺は伏兵の存在も警戒しつつ、下へと降りていく。

 階段の壁は木で補強され一定間隔で蝋燭がか細く照らしていた。壁の隙間からは汚らしい水と思わしき液体が滲みだしており、時折ネズミの鳴き声が聞こえ、足元をすり抜けていく。お世辞にも清潔とは言えない環境だった。

 階段を下りていくとようやく扉があった。鉄製でかなり頑丈な作りのようで、錠とのぞき穴があった。俺はのぞき穴から中の様子を伺うと、奥のほうにルナと思わしき少女と、中等学院の制服を着た少女達が身を寄せ合い、怯えていた。俺は錠を掴んで引きちぎると、扉を開けた。耳障りな音を立てて扉を開けると、恐怖に歪んだ顔でこちらを見つめる少女たちの顔があった。全員が声も出せないようで、壁にぶつかっているにも関わらずにさらに身を寄せ合って後ろへと後ずさろうとする。そんな中で、ルナの顔が動く。視線は調度俺の腕の当たりに固定され、それから顔と腕とに交互に視線が送られ、たっぷり数分たってからルナが恐る恐るといった風に立ち上がり、こちらへと寄ってくる。


「お・・お姉さん・・・なの?」


 体は震え、祈るように手を胸の前で組んだルナが問いかけてくる。俺はいつものように微笑もうとするが、人狼の顔では牙を剥いて唸っただけのように見えただろう。ルナの後ろで様子を見守っていた少女達が小さな悲鳴を上げる。それでも、ルナには伝わったのだろう。ルナはこちらに返すように笑みを浮かべると、涙を流しながら抱き着いてきた。


「お姉さん! お姉さん!」


 返り血と自身の血で斑に染まっている俺に抱き着いてきたルナは、汚れるのも構わずにひたすら抱き着いてきた。俺は、慎重にルナの背中へと動く手をまわして抱きしめ返す。後ろの少女たちは状況も呑み込めずにポカンとしていたが、危険はないと分かったのか安堵した表情になり、それから緊張の糸が切れたように泣き始めた。

 十分ほどだろうか。ようやく落ち着いたルナの先導で少女達を地下から地上の部屋へとだし、そこでようやく俺は変身を変えてアナスタシアの姿へと戻る。ルナにこれを見せるのは初めてで、彼女はかなり驚いていたが、俺の姿と傷を見てすぐに着るものと手当の道具を探しに部屋を飛び出していった。他の少女達もルナに続いた。


「はぁ~~」


 一人残された俺は壁に背を預け、ようやく人心地つく。それと同時に、今までそこまで気にならなかった傷が猛烈に痛み出す。あまりの痛みに意識を失いそうになるが何とか堪え、傷を確認する。右手は人差し指から薬指までの三本の指から爪が剥がれ落ち、親指と小指の爪は剥がれてはいたが残っていた。左腕は手のひらから肘まで部分の中間あたりに骨まで達する深い傷ができていた。意外と重症だった。死ぬとしたら出血多量だろうと思いながら、ルナを助けるために死んだなら、アーニャも許してくれるだろうかと考えていた。


「お姉さん。戻ってきたよ!」


 ルナと少女たちは持てるだけの包帯を持ってきたようだった。手を動かせない俺は指示を出すしかなく、手当はルナと少女たちに任せることになった。


「まず、腕の傷に布を当てて、その上から包帯できつく縛って」


 たどたどしくはあったが、それでも何とか指示通りにやろうと努力してくれていた。


「次は傷の上のほう。ちょっと上あたりを包帯できつく縛って。痛くしてもいいから」


 次いで腕を縛って傷ついた部分までの血流を阻害する。疲弊した腕ではどうしてもそこまできつくならなかったので、包帯を腕に一度巻いて結び、包帯と腕の間に木の棒を差し込んで蛇口を捻るように棒をまわす。これでかなりきつくなった。

 傷の手当てが終わった俺は見つけてきた服を手伝ってもらいながら着ると、少女達を連れて屋敷を出る。包帯と服を探すときに見たのか、少女達は目を背けたりはしつつも、屋敷内に転がる死体にはそこまで驚いていなかった。

 俺達は空が白む時間帯のスラムを何とか無事に駆け抜け、市街を巡回していた警備隊に保護された。とりあえずと言う事で警備隊本部本部に全員が連れていかれ、そこで少女たちは親達に引き渡され、ルナは無事を知って安心したクラリサに怒られ、抱きしめられた後に孤児院へと戻っていった。勿論ロケットはしっかりと渡した。幸い血も傷もついていなかったが、流石にと代わりの物を買ってあげようかと言おうとした所で、ルナにこれが良いと言われたので、そのまま渡した。俺は知らせを聞いて文字通り飛んできたセレーナに今では使い手も殆どいなくなった治癒魔法で傷を癒してもらった。彼女に傷を癒してもらうのはこれで二度目だ。その後、馬に騎乗して急行してきたアーニャに小言を言われながら王宮へと戻った。

 この事件がきっかけでスラムには大規模な捜索が入り、問題となっていた誘拐事件の組織の大部分が逮捕され、残りも組織力を低下させ、誘拐事件は目に見えて数を減らした。そして俺は、当分外出禁止をアーニャに申し付けられ、部屋から出れないようにと大量の書類と格闘させられる羽目になるのだった。

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