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私はため息と共に憂鬱な気分を体外に排出したかった。
しかしそんな事は出来ず、無重力の中、重い足取りで小型艇が置いてある格納庫目指して進んでいく。
格納庫には小型艇がずらりと並んでいる。
そのうちの一つ。
船体にデカデカと「JH行き」と表示された小型艇に乗り込んだ。
小型艇は自動操縦な為、私は座席に座るだけで良い。
JHに行くのは私一人だから、小型艇には私だけしかいない。
ブーンと機械が動く音だけが船内を満たしている。
無機質で無骨な、まさしく「軍用」といった船内がなんだか広く感じる。
少しして船体が僅かに揺れてたかと思うと、小型艇は郵便箱から出発した。
郵便箱を出発して10分程度で任地が見えてきた。
JHの衛星軌道上にいくつか存在する小さな衛星の一つに、こじんまりとした基地がある。
いくつものクレーターでボコボコになった衛星は、まるで月の裏側の様だ。
そんな場所に正方形の人工物がポツリと置いてある。
あそこが私の任地「JH基地」だ。
基地といっても居るのは将校が一人だけ。
たしか階級は私と同じ少尉だったか。
任地が決まった後、何度か軍の回線を使い通信をした事がある。
モニターには私と同じ褐色の肌をした少尉が現れ、JHの説明を何度か聞いた。
惑星系の情勢は比較的安定しているが、敵対勢力が星の上にいくつか存在しているらしい。
しかし基地に直接攻撃出来るような技術力、軍事力のある連中は居ない為、現在は地上に無人ロボを送り、敵対勢力を殲滅すべく活動中であることを聞いた。
私は少し安心していた。
地球と真っ向から戦える力を持った星は少ない。
いや正確にいうとそんな星は存在しない。
地球よりも弱い星が協力し合い、地球軍と必死に戦っている程度だ。
一番強い星ですら、単独では全力を出しても地球の辺境軍と互角に戦える程度の力しかない。
最前線では様々な星の軍隊で結成された「惑星連盟軍」と地球軍が戦っているが、それでも地球軍は極めて優勢だ。
それほど地球の力は圧倒的なのだ。
それでも時々、地球軍でも戦死者が出る事がある。
年に2~30人といったところだが、それでも戦死は戦死だ。
私は給料と軍から貰える奨学金を使って大学で勉強して、まともな仕事に就職したいだけの人間だ。
軍や地球の為に命がけで戦って死ぬつもりは毛頭無い。
惑星JHに存在する敵は弱いため、基地に篭っていれば命の危険は無い。
そういった意味で、私はほっとしていたのだった。
基地に到着すると、既に荷物を持った先任少尉が格納庫に居た。
私が小型艇を降りると同時に、先任少尉は「頑張ってね」という一言を残して「輸送船行き」と表示を変えた小型艇に乗り込み、小型艇は郵便箱を目指して基地を飛び立ったのだった。
歓迎のパーティーも、送別のパーティーも無い。
完全な物として扱われる。
それが私達「貧困層で有色人種の軍人」の平均的な扱いだ。
私以外に誰も居ない格納庫、私以外に誰も居ない基地を一人で歩き、与えられた部屋を目指して重い足取りで進んだ。
小さな基地だ。
格納庫の直ぐ隣に部屋がある。
部屋はきちんと整頓され、クローゼットの中にはハンガーしか無かった。
ふと机を見ると、手紙が残されている。
手紙には先任少尉から私への言葉がつづられていた。
JH基地への歓迎。基地での過ごし方のコツ。惑星JHの一番美しい瞬間・・・。
様々な事が書かれていた手紙を私は何度も読み直した。
今時珍しい手書きの手紙。
電子メールでは伝わる事の無い、様々な感情が伝わってくる。
かすれた文字、強く押し込む様に書かれた文字、時々変わる文字の太さから何度かペンを交換したのも分かる。
何枚もの手紙を読み終え、私は手紙を部屋に取り付けられた金庫にしまった。
これはとても大切な物だ。
私も異動するときにはこういった手紙を残しておこう。
フッと顔がほころび、笑顔になったことに気が付いた。
こんなにも落ち着いた気持ちになったのは久しぶりだ。
着任した初日は部屋の整理等のため休日となっていた。
小さな基地とはいえ、シャワー室や食堂は数人が使えるサイズのものがある。
そこを私一人で使うのは、嫌でも孤独を感じてしまう。
地球に居る家族に連絡が出来れば良いのだが、距離が遠いため通信にもお金がかかってしまう。
それも地球から2日も離れた場所にあるJHでは一番安い電子メールですらも家族が一週間は生活出来る値段だ、とても払えるものではない。
手紙の一枚でも持ち込めれば良かったのだが、輸送船の燃料節約の為、個人が持ち込める荷物には制限がある。
グラム単位の重量制限と、個人の通信端末は情報の流出防止のため持ち込み禁止なとなっているので、家族からの手紙や電子メールすらも持ち込めなかった。
まあ、色々ともっともらしい理由を付けてはいるが、結局は「兵隊に里心を芽生えさせる可能性がある物は極力排除する」というのが軍の思惑のようだ。
そのため、長期の休暇でも無ければ家族と連絡を取ることすら出来ない。
私はこの基地で一人、たった一人きりで任務をこなさなくてはならないのだ。
今までの生活ならば、常に周りには友人や家族が居た。
いつも楽しい日々では無かったが、それなりに充実した毎日を送っていたのだ。
しかし今は一人きり。
就寝時間となり、部屋の灯が自動で暗くなったので、私は一人でベッドで丸くなり眠るのだった。
翌日、目覚ましのアラームで起こされた私は、食堂でロボットが作った朝食を食べてから少尉の制服に着替えてオペレーションルームに向かった。
オペレーションルームに向かう途中にある小さな窓から惑星JHが見える。
この惑星系の太陽がJHを照らし出している。
JHの大地、海、山々、雲が太陽に照らし出される。
あの朝日の下で、私と同じく今から働き出す人々がいるのだと思うと、まだ見たことも無いJH人に対して少しだけ心が通じた気分になった。
短い廊下の先にオペレーションルームがある。
無機質な自動ドアが開き、オペレーションルームに私は入った。
オペレーションルームにはいくつかのディスプレイが並び、JHの地上の様子や周辺の惑星の様子、さらにはこの基地から大分遠くの戦場の戦況までも表示されている。
私は椅子に腰掛け、個人認証のカードを機械に挿入した。
<おはようございます。ジュリエット少尉>
部屋に人工音声が響く。
この声は基地の人工知能の声だ。
地球軍の基地全てにこの人工知能が存在し、様々な活動をしている。
私の仕事は人工知能に指示を出し、上層部から与えられた任務を実行することだ。
・・・こういえば格好がいいかもしれないが、実際は違う。
私達人間の仕事を表現する、とても簡単で的確な表現は「スタンプマシーン」だ。
私達人間の本当の仕事は、「人工知能が提案してきた案を承認する」・・・これだけだ。
現在の軍においては、人間は自ら作戦を考えたりしない。
何かトラブルがあった時は人工知能が様々な前例や地球法に従ってトラブルの処理方法を提案してくる。
私達人間は人工知能に提案された方法を、ただ承認するだけの存在なのだ。
これは地球法の一番始めに存在する「最終的な判断は人間の手に委ねる」という絶対原則の為であり、その法律を守るには各基地にどうしても人間が最低でも一人は必要になる。
だから私のような自由に扱える人間が軍は欲しいのだ。
現在の軍は昔の地球の軍とは全く構成が異なる組織となっている。
昔は兵隊も下士官も人間だったが、現在は人間に与えられる一番下の階級は「少尉」となっている。
兵隊や下士官の代わりに大量のロボットが作られ、人間は管理者として軍に所属しているだけだ。
まあ極々一部ではあるが、戦闘能力の高い人間がパイロットになる事もあるにはあった。
宇宙全体に広がった戦線を維持するためには、「貴重な地球人を戦闘員として最前線には出せない」というのが上層部の判断なのだろう。
それだけでなく、大量のロボットというのは地球の経済を回す要因ともなっている。
軍と産業、研究機関が手を組み、地球の経済を回しているのだ。
実際、このJH近辺で取れる資源も、ロボットを作るうえで必要な資源なのである。
戦線を維持するために必要なロボットを量産するために、戦線を拡大していく。
これが地球の現状だ。
私は人工知能が提案してきた今日の処理について、その全てを承認して仕事を終えた。
勤務時間は精々1時間程度、あとは基地内に居れば基本的には自由となれる。
自由と言っても何か出来るわけもなく、トレーニングルームで体を鍛える程度しか出来ない。
小さなトレーニングルームで数時間トレーニングを行い、昼食を食べて午後は軍用タブレットを使い、大学受験の為の勉強をする。
そして勤務時間が終了する時間になると、オペレーションルームに向かい、明日の勤務時間までの間に何か緊急のトラブルが起こった場合は私を起こすように人工知能に伝え、JH基地の上位に存在する大きな基地に勤務報告を行い、一日の仕事を終える。
夕飯を食べ、入浴し、軍用タブレットで読書をして就寝時間には寝る。
これが私の勤務体制となるのだ。
これがあと数年続く。
それが終われば私は除隊して大学に行くんだ。
大学で学び、地球で就職して、家庭を作り、そして子供を育てる・・・。
こういった極々平凡な生活が、今の私の夢だ。
いや、同年代の友人達の大半が同じ夢を見ている。
大金持ちになりたいわけじゃない。
有名人になりたいわけじゃない。
ただ平凡に生きたい、これが私達の共通する夢となっている。
そして、これが私達が生きる現実なのだ。