西瓜
その日は、花火大会の日だった。
雲ひとつない空は、「塗られた色」では無く「浸された色」を思わせるほどの藍色。
今年中学に入学したばかりの祐子は、思春期の女子であるというのに恥じらいもなく、縁側の真ん中にどかっと胡座をかいていた。
見上げても空白の空は、あと1、二時間もすれば満天の星空となり、色とりどりの花が咲くだろう。
ちりりん、と網戸の淵に掛けられた風鈴が鳴く。
朝顔の描かれたそれは、夏の終わりを引き立たせるのにぴったりだった。
ギシギシと床板の軋む音がした。
「祐子さん、スイカ食べますか」
声は祖母のものだった。
歳の割には整った顔立ちで、下ろせば腰程まである長い白髪を緩い三つ編みにしていた。
細い身体が着物を着ることによって更に際立たせられていたけれど、背筋の伸びた立ち振る舞いは凛とした百合の花を思わせる。
祐子は、つい一週間前両親を事故で亡くし、祖母と祖母の家で二人で暮らし始めたばかりだった。
「要らない。」
祐子は祖母の顔も見ず、そっけなく返事をした。
祖母は「そうですか」と踵を返し、居間へと戻った。
祐子と両親はあまり仲が良くなかった。
両親はいつも夜遅くまで喧嘩を続け、毎日布団に包まりながら耳を塞いで眠っていた。
父とろくに遊んだ記憶は無く、母に暖かいご飯を作ってもらったのは数える程度だった。
母は不機嫌になると祐子を睨み付け、何度も殴った。
だから、祐子は二人が事故にあったと聞いた時、せいせいした気分になった。
両親が死んだというのに、葬式で涙一つこぼさない祐子を親戚は気味悪がった。
そんな時、たったひとり祐子を引き取ると声を上げたのが祖母だった。
祐子は祖母が苦手だった。
祖母は笑わない。
祐子の前で一度たりとも頬を緩めない祖母を見ていると、自分を睨み付ける母を思い出すからだった。
他にも、ピンとした背筋や立ち振る舞いを見ていると、だらしない自分がすごく惨めに思えた。
叱られているような気分にさえなった。
祐子は立ち上がると、背後に広がる自室を見つめた。
自室と言っても戸は網戸1枚で、プライバシーなんてあったもんではなく、寝る時は用心のために祖母と祖母の寝室で寝ていたし、勉強は居間でするため、ほぼほぼ荷物置き場に近いものだったけれど。
壁には白地に赤い花が散る浴衣が掛けられていた。
毎年1人、マンションのベランダから花火を見つめていた祐子へ母が中学の入学祝いに買ったものだった。
それを見ていると、だんだん腹の底から熱が湧いてくる気がした。
溜まっていた怒りが、爆発する。
それを向ける相手がもう居らず、余計に腹が立った。
積まれていたダンボール箱を倒し、壁にかけられていた洋服を投げ捨て、喉が枯れるほど叫んだ。
どこまでも澄み渡る空は、祐子に喪失を教えた。
熱された鉄は、冷え。
啜り泣きながら、祐子は浴衣を力いっぱい抱き締めた。
今は亡き母の手に抱かれていた頃に戻った気がした。
ようやく祐子は、両親の死に悲しむ自分を知った。
行き場所を無くした怒りが水蒸気のように消え、とめどなく流れた涙がその証だった。
パンパンに腫れた目は、瞬きするのも億劫だった。
すっかり日も暮れた夜の縁側に足を揺らしながら、祐子は空を見上げた。
満天の星空だった。
「祐子さん」
祐子はヤバイ、と思った。
散らかった部屋や、外れた網戸や穴の空いた障子。
叱られると思い、目を瞑った。
次の瞬間、冷ややかな感触が祐子の瞼を襲った。
驚き、状態を後ろに反る。
目の前には、保冷剤をハンカチに包んで心配そうな顔を浮かべ祐子の目を冷やす祖母がいた。
「ばあ、ちゃん」
「はい、何ですか。目、大丈夫ですか。」
見たことの無い顔に驚きながら、祐子はおそるおそるあてがわれた保冷剤を受け取り、祖母を見つめた。
よく見るとしわが沢山あり、厳格な雰囲気は無くならないものの柔らかい表情だった。
今まで苦手だと思っていた祖母の顔をまじまじと見つめたことなんて一度も無かった。
祐子はそこで吹き出し、腹を抱えて笑った。
祖母は頭上にハテナマークを浮かべながら祐子を見ていたけれど、いつまでもひとり笑っている祐子に釣られたように、くすりと微笑んだ。
身体の中にあった黒いものが全部なくなって、やっと本当のものが見えたんだなあと祐子は思った。
間もなくして、藍色の空は色とりどりの火花に染め上げられた。
祐子は縁側に祖母と二人並んで座りながら、顔よりも大きく切られたスイカを頬張っていた。
幾度も見た事のある花火はいつもより悲しげに見えたけれど、祐子の心は晴れ晴れとしていた。
「ねえ婆ちゃん」
「はい、何ですか。」
「来年は、浴衣着て花火大会、行きたい」
「ええ、勿論です。」
ふふ、と祐子は笑った。
祖母はそんな祐子を見て、安堵したような笑顔をこぼすと、思い出したように「そういえば」と言った。
「ん?」
「障子、貼りかえるの手伝ってくださいね。」
一本取られたなあなんて思いながら、祐子は祖母に向かって親指を立てた。