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活動記録001「迷い猫のトラさん」(3)

 




 涙黒子を濡らした彼女が伏せた眼差しをこちらに上げたときに驚いた。その人の眼は人の眼をしていなかった。


 瞳孔は縦に伸びて周りの虹彩は純日本人らしい風貌に反して金色をしていた。

 人じゃない。おそらくこの”女性”は人間の類ではない。その眼を見た時、体ががりりと硬直して石のように固まってしまった。


「蛇睨みはよくないぞ」

「なっ! おいヨネ!」

「だってえ……! 私は悪くない! こいつが山に入ってきたのが悪いんだ! そもそも私と喜ぃ様は契りを交わしたというになぜ呼びもせずここに来てくれぬのだ! 飼い殺しか!」

「飼い殺しってなんだよ!」


 ヨネ、と呼ばれていたその女性はわんわんと泣き出した。その場にへたり込んで大人の女性のその姿だったけれど泣いている様子はまるで子供だった。と同時に私の体は自由になった。


 へたへたと私もその場にへたり込む。困ったなあと全先輩は頭をかいた。

 契りとか交わしたとか山に入ってきたとか色々と気になる言葉が聞こえてきた。私が何か聞こうとすると、それに気付いたようで、全先輩が声をかけてきた。


「大丈夫か?」

「ああ、はい。大丈夫です、生きてます」心配してくれているようでうれしかった。

「そりゃよかった。少しは心配したよ」少しかよ。


 全先輩はわんわんと泣き続けるヨネさんを一瞥して、頭をまたかいた。


「こいつは山神だ。山神であり、水神の蛇神だ。昔ちょっと色々あって俺とガンちゃんはこいつと知り合いなんだ。根は悪くないんだが、結局のところ人間ではないことが問題になる。しっかし、すっかり忘れていたぜ」がりがりと頭を掻きむしる。

「この山が女人禁制だったとは」

「女人禁制?」

「ああ、以前はそうだった山も多いんだが、女人禁制――つまり、女の性を持つ人間は入ってはいけない山っつうのがある。それは山神が女性であり、女性に嫉妬して自然の恵みを与えなくなる、なんて言い伝えがあったからなんだ。ここも昔はそうだった。俺たちがあの猫を見つけたあたりから上、がその領域だったんだろう。超えちゃいけないラインってやつだな」


 ウインクしてきた。ふざけんな。


「そんな危険なところに私を連れてきたんですか!?」

「すまんかった。まさか今もそうだと思ってなかったし、つーか今はもう違うはずなんだけどなあ」


 首をかしげて唸った。全先輩にしては少し狼狽している。とりあえず、といったぐあいに全先輩はへたり込んで泣き続けるヨネさんの肩に腕を回して泣き止んでくれと慰めた。

 そんな姿を見て南雲先輩はため息をついた。


「お前のせいなんじゃねえか?」汗はかいているが、相変わらず冷静だった。

「お、俺のせい?」

「ああ、お前が長いことヨネを呼ばなかったから、今回のことは引き起こされたんじゃねえの。ヨネ、寂しかったんだろう?」


 南雲先輩がヨネさんを見やった。ヨネさんはぶんぶんと首を縦に振った。


「確かに俺たちはその当時ガキだったが、全があの時交わした契りは本物だぞ」

「ほ、本物!?」全先輩が眼を見開いた。

「ああ、あの時に交わした豊麗の契りはまごうことなき本物だ。だからヨネは今、お前にとって従神になっている。それだけじゃなくて、ヨネの気持ちも鑑みれば今回のことは仕方のないことだったというか。さすがにやり過ぎだとは思うけどな。デシャネルの頭には噛みついているわけだし」

「そうなの?」


 全先輩がヨネさんに聞く。ヨネさんはまたぶんぶんと首を縦に振った。振り続けた。南雲先輩が話を続ける。ていうか私噛みつかれていたのかよ。


「おそらく、この山はもう女人禁制ではない。俺の眼で見ても、そこらの神々らしき連中からデシャネルに対して攻撃的な様子は見えないし。となると、これはヨネが勝手に引き起こした問題だ。俺も女心には疎いし明るくもないが、さすがに数年も放っておけば寂しくもなるだろうことはなんとなく理解できる」

「私だって会いに行きたかったけれど、喜ぃ様の家には結界があったし、寄りつこうにもほかの連中がジャマして中々近づけないし、ここなら私の領域だから安心だと思っていたのに、会いに来てくれたのかと思ったのに、変なのがいたから、それで変なのが喜ぃ様と楽しそうにしているのに無性に腹が立って……」


 変なのとはなんだ。楽しそうにもしていない。と思ったけれど、この人は長いこと会えなくて寂しい思いをしていたのだろうからそう思うのも仕方ないのだろう。


「体感的におそらく一週間くらいなんだろうけどな」南雲先輩が付け加えた。ヨネさんはきょとんとしている。


 前言撤回。失礼な奴だった。


「じゃあ、なんだ。ヨネは俺が呼び出せばどこにでもくるのか?」


 ヨネさんは嬉しそうに頬を紅潮させてぶんぶんと首を振った。首を痛めないか心配になってきた。


「言うことも聞くのか?」また首を振った。むしろ私の首が痛くなってきた。

「じゃあさっそくだが呼び出そう。契りを交わせし蛇神よ、今我が前に姿を現しその力を示せ――米穂付之里山之神」


 あっさりとした降神呪文だった。

 けれども――その軽さに反してぐらぐらと地面が揺れた。その場にいたヨネさんは――米穂付之里山之神は青白い光をその身に纏って天高く弾丸のように飛び上がった。轟音を響かせながら雲を貫き、そして同じように雲を貫いて全先輩の前に舞い降りた。


 その姿はまるで天女のようで、薄い空色をしたきらびやかな着物はドレスのように伸びて、肩からは透き通った布が天の川のようにふわりとかけられていた。


 地響きを引き起こして現れた米穂付之里山之神のその姿は神々しい。着物の色と近い白く澄んだ頭髪は腰ほどまで伸び、星の欠片をふりかけられているように鮮やかに輝いている。切れ長の目尻は朱くラインを塗られている。ほつりと涙黒子があって、色気があった。陽の光を反射させるような白い肌によく目立つぷっくりとした唇は艶やかに紅い。


 まさに神であった。

 はらはらと辺りの草葉が宙に舞う。オーラのように米穂付之里山之神の周りは青く光輝いている。

 妖艶な笑みを浮かべ、「主様、なんなりと」傅いたヨネさんに、全先輩はにやりとあくどい笑みを浮かべて、「猫を探してくれ」と言った。


 台無しだこんちくしょうめ。

 だぎゅっと全先輩に米穂付之里山之神――ヨネさんが抱き着いて、すり寄っている。


「喜ぃ様が喜んでくれるなら私はなんでもするよぉ」


 その姿は神でも蛇でもなく飼い主に遊んでもらいたい犬のようだった。

 台無しだ! さっきの神々しさはどこにいったのだ!


「これで話は解決だな。俺らも探すのが楽になる。ヨネのおかげで百人、いや千人通り越して万人力だ」


 にかっと全先輩が笑うと、ヨネさんは乙女のように目を輝かせて大喜びしている。そしてこっちを見た。羨ましいだろうと、その蛇の眼は言っていた。なんかむかつく。


 二人はさっさと山を登って行ってしまった。

 南雲先輩はやれやれといったようにまたため息をついた。こちらを見て、ごめんな、と謝った。

 今度は私がぶんぶんと首を振って、気にしないでくださいと手を振った。


「あいつは、馬鹿なんだ」南雲先輩は空を見た。

「全先輩に聞かれたらまた喧嘩になりますよ」

「あいつも俺が馬鹿だというだろうな」ふん、と鼻で笑った。それから二人の背中を眺める。私も同じようにわちゃわちゃと進む二人の背中を見た。

「ヨネは、俺たちが、いや、全が見つけたんだ」

「全先輩が?」

「そ、もう十年くらい前になるのかな。それで契りを交わした」

「その契りってなんですか?」

「主従関係を持ったのさ。全を主として、それにヨネが従うように。といっても、あいつはそんな風に考えても思ってもいないから今日はこんなことになったんだろうけどな」

「こどものころに、そんなことが出来るなんて、やっぱり二人はすごいんですね」

「すごくねえよ。なにもすごくない。それしかできなかったんだ」


 その眼がいつもより悲しそうで、その過去について聞こうと思ったけれど、何か言ってその眼を笑わせようと思ったけれど、言葉が、声が心の中で出来上がらなくて、ぱくぱくと口を開けただけになった。


 ちらりと横目で見た南雲先輩は「金魚みたいだな」とぷっと噴き出した。恥ずかしかったけれど、笑ってくれてうれしかった。


「行こうか、あいつらにまた散々に言われないうちに」


 右手を差し出された。どきっとした。その手を掴もうと手を差し出したらそのまま私の手は空を掴んだ。


「やっぱり、蚊が飛んでるな。虫よけスプレーしといた方がいいぞ」


 その右手から蚊が飛んでいった。そのまま離したんかい! ていうか私の手を掴んでくれるわけじゃなかったんかい! ていうか、私の手を掴む理由はなかった。ドキッとして損した。むくれるぞ。


「なにしてんの。早く行くぞ」


 つんけんしながら私も南雲先輩に続く。

 やっぱり優しさが足りなかった。





こつこつ更新ですー!

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