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活動記録001「迷い猫のトラさん」(2)

 

 迷い猫。文字通り、飼いネコがある日帰ってこなくなってしまったらしい。この米穂付よねほづき市で起きたそれは警察に頼んだところで突っぱねられてしまい、困りに困った依頼者の風沼キノさん(御年七六歳、まもなく喜寿)が近所の伝手を使ってたどり着いたのが全先輩だったそうだ。


 それで、もう全先輩は風沼さんから事情聴取は終えており、目星をつけたのがこの裏山の裏山だった。なんでも、近所の猫たちに聞くと、そのキノさんのところの猫――名を寅次郎というそうだが、彼がこの裏山の裏山に歩いていくのを見た、という証言がとれたのだそうだ。近所の猫たちからであるが。


 猫が言っていたから、なんて正直なところ信じられない理由だけれど、それで行動が出来るのが、先輩たちらしい。話しぶりからしておそらく今までもそうやって来たのだろう。


 裏山の裏山はひどい足場だった。ぬかるみも、岩場も、石や木がゴロゴロと転がって生まれた自然の階段も、それぞれが足から自由を奪うことも体力をすり減らすことも造作もなかった。正直なめていた。森ガールはすごいやつらだと考え直す。こんな森でおしゃれを忘れないなんて私には到底無理だ。


 歩きながらも全先輩はいたるところにあいづちを打っている。情報収集だろうか。南雲先輩は頭にしていたタオルを首にかけている。汗っかきなようで、ぼたぼたと髪の毛からしたたっていた。それにタオルで圧迫されていたこともあり、髪の毛がぺたりとしていて子供っぽかった。

 私も私でハーフパンツの上にジャージを履いているために、ジャージの中がこの湿気の高さに蒸れて居心地が悪かった。

 それでも全先輩の足は止まることはない。


「ちょっと休憩しませんか」


 息も切れ切れにそういうけれど、全先輩はあと少し、と言って止まらなかった。

 一応私は女の子なんだけどなあ、と膨れていると、南雲先輩が、「あいつは仕事になると変なスイッチが入っちまうんだ」と苦笑いした。久々に南雲先輩の笑った顔を見たかもしれない。


「いやがった!!」


 その瞬間、どきりとした。全先輩が耳を劈くように叫んだ。その一瞬はまるでスローモーションにすべてが動いていた。

 私の眼球が横に滑るように動いていく。その間に、風が吹いてそれに揺れる青葉やその枝葉の陰から飛び立とうと翼を動かす小鳥、駆け出し始めた南雲先輩と、もうその目的に向かって距離を詰め始めている全先輩、そして、今回の目的である――迷い猫の姿が見えた。寅次郎という名が体を表すように、その毛色は薄いブラウンの三毛だったが、背中に虎と同じようなもようがあった。ちらりとこちらを一瞥したかと思うと、ばっと山の奥へ走って行った。


「ちくしょう逃げられた!」

「当たり前だ。叫んだら猫じゃなくたって逃げるだろうさ」


 私の心の声を南雲先輩が代弁してくれた。あんなにぎゃんと叫べばこうなるのは当然である。


「しかたねえ、追いかけるぞ」


 全先輩は一目散に駆けて行った。速い。この不安定な足場でよくあれだけのスピードで走っていけるものだ。田舎の男の子、と言ったところか。

 豆粒くらいの大きさになったところで、「お前らもとっとと来いよー!」と発破をかけられた。理不尽だ。勝手に走って行ったくせに。

 南雲先輩を見やるとやれやれといったように肩を竦めた。けれどその顔は少し楽しそうだ。

 最近、と言っても本当にごく最近。まだ知り合ってわずかに一か月弱だけれど、南雲先輩は意外と笑うことに気づいた。それはだいたいこういう風に仕事をしているとき。楽しいのだろうか。本を読んでいたり、学校で見るような怖い雰囲気から別人のように変わって年相応というか、男の子らしくなる。

 ぼーっと考えていると、いつの間にか南雲先輩もずいぶんと距離が開いていた。


「ここにずっといるつもり?」


 そんなわけがない。相変わらずこの人は優しくない。

 急いで二人の背中を追った。舗装されていない山道は足を掴もうとばかりに不安定だった。一歩を前に出しても後ろ脚が蹴っ張れない。ひょいひょいと走っていく二人の背中はどんどん小さくなっていった。あいつら化け物か。猿か何かかと疑うくらいにずんずん走っていく。待ってという声は届いていないらしい。書記として、今回の仕事にはお前も必要だと言われてうれしかったけれど、さっぱりじゃないか。


 けれども。私だって元陸上部であるし、負けず嫌いなものだからこんなところでへこたれてたまるものか。


 走っているうちにだんだん感覚がわかってきた。足裏のどこに体重をかけるかを臨機応変に変えていけば踏み込めるし蹴っ張れる。

 一歩、また一歩走れるたびに楽しくなってきた。いける、これなら二人に追いつける。二人の背中も近づいてきた。よかった。と思ったその時だった。

 何かに足を取られた。へ? 素っ頓狂な声を出して、私はその場に尻餅をついた。そこには巨大な蛇がいた。それは本当に巨大で、胴回りが私の腕より太かった。長さは私の身長をゆうに超えていた。二メートルはあるだろうか。

「いぎゃああああああああ!!」私は今まで出したことがないくらいの悲鳴を上げた。


「立チ去レ」


 女性のような高い声が聞こえた気がした。どこから?


「此処ハ其方ガ足ヲ踏ミ入レテ良イ領域デハ無イ」


 なに、なんなの。耳鳴りがしてきて、頭痛もしてきた。酸素が足りないわけじゃないのに。


「去ラヌナラ其方ヲ贄トシテ喰ラウゾ」


 贄? 私を食らう? どういうこと。今さっきまで楽しそうな展開だったのに。私も二人のように走れるようになってあの猫を追いかけていたはずなのに。


「人ノ子ヨ。何モ話セヌカ。愚カ也。此ノ山神デアル米穂付之里山之神よねほづきのさとやまのかみガ恐ロシウテ何モ話セヌカ!」


 目の前にいた巨大な蛇がその言葉を発していることに気付いたときにはその口が私の頭を飲み込もうとしていた。その巨大な体で私のことを拘束していた。

 もう逃げ場はない。ああ、私の人生が終わった。こんな山の中で。ひどい、ひどすぎる。

 涙が出てきた。ぼろぼろとこぼれてきた。もう嫌だ。死ぬ前にパパとママにもう一度会いたかった。

 ていうか、二人とも助けに来てくれたっていいのに。でも無理か。ずいぶんと距離が離れていたし、悲鳴だって、聞こえたかどうかわからないし。なによりこんな化け物相手にどうしろってのよ。

 もう、さよならなんだなあ。わずかに一五年しか生きていないのになあ。神様って理不尽だなあ。ああもう、体もぼろぼろだし、顔もどんな顔してるのかわからないや。


「おいこら。なーにが神様だ。てめえマムシ酒にすんぞ」


 今となってはもうその声も懐かしい。わずかに一か月弱の付き合いだったけれど、嫌いじゃなかった。良い人だって、わかったから。


「いい加減そいつのこと離さねえとガンちゃんが消すぞ」

「ああ、ちょっと今のはやり過ぎだな。俺も怒るぞ」


 まるで陰と陽のような二人だったなあ。全先輩が陽で、南雲先輩が陰。二人の掛け合い、もっと聞いてみたかったなあ。


 ふっと体が軽くなった気がした。死んだのだと思った。もう、目を開けることもないんだ。あの田舎臭い景色も、今となっては素敵な景色だったと思う。


「だって、久々に喜ぃ様に会いに来たらヘンテコなコブが付いてたから……」

「だからってお前、食うこたねえだろ」

「だって、うらやましかったから……」

「お前はうらやましいって理由だけで人を食らうのか?」

「だって」

「だってじゃねえ。謝れ」

「だってだってだって、私のことをもっと見てくれたっていいじゃない! ひどいわよ! こんなとってつけたような幼子と私、比べるまでもないでしょう?」

「あのな、ヨネ。いいか。俺はどちらも平等に味方をする。今回のことについてはお前が悪いだろう? こいつはお前に害を与えたか?」


 痴話げんかをよそに誰かが私の頬をぺちぺちとはたいた。びくっとして、恐る恐る目を開けると、そこには南雲先輩の顔があった。

 無事か、と尋ねられた。こくりと首を縦に振る。よかった、と南雲先輩は微笑んだ。優しい目だった。

 奥の方に全先輩と薄い水色の着物を着た女性がいた。え、どういうこと?


「私はただ、あなたに会いたかっただけ」

「ああ、そうかい、それは嬉しいけどさ」

「けど?」


 その女性は泣きそうになっていた。声が揺れている。


「だったら、俺もお前に会いに来るから、だから頼むからいい子でいてくれよ」

「だってぇ……」泣き出しそうだ。

「だってじゃない。悪いことしたらどうするんだ?」

「……呪う」唇を尖らせた。

「怒るぞ」全先輩のこめかみがひくひくしている。

「もう怒ってる!」

「もっと、怒るぞ」

「やだ」

「やだじゃねえよ。悪いことをしたらどうするんだ?」

「謝る」

「じゃあ謝りな」

「ごめんなさい」

「俺にじゃねえ」その着物の女性は今度は南雲先輩の方を向いた。

「ガンちゃんにでもねえぞ」


 びくっとその女性は全先輩の方を見た。全先輩は仁王像のように腕組みをしてどっしりと構えている。高校生だろ。

 その女性はすーっと地面を這うように、滑って、私の前に来た。


「食べようとしてごめんなさい」


 丁寧に頭を下げられた。わけがわからなかった。





こつこつ更新ですー!

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