活動記録001「迷い猫のトラさん」(1)
五月五日。火曜日。
ゴールデンウィークが最終に近づいてきた今日。私は休みボケした脳みそを振るいながらこの活動日誌を書いている。
私は、海外出張に出ていたパパがゴールデンウィークに合わせて帰ってきたので、パパと共に映画を見たり、音楽祭を見に行ったり、久しぶりに親子水入らずで活動的に過ごしていた。が、母親もずいぶんと寂しい思いをしていたので、最後の三日くらいは夫婦水入らずで旅行にでも行ってきなよ、温泉とか、パパ好きじゃない? と声をかけたところ、IT企業家らしく、ぱすぱすとあっという間に宿の予約を取って(それはあくまで私の偏見だけれど)出かけて行ってしまった。
子供の日と言えど、もう私は女子高生であり、手もかからなくなってきているし、なんなら子供の日なのだから弟か妹がほしいなあなんて純粋無垢に言っていたあの頃に比べたら十分子供ではなくなっていたので、(それでも経験はないので、耳年増というやつですが。それでも十分下世話ではありますが)暇だなあ、宿題は後回しにしていたいなあと思いながら家でテレビを見ていると、未登録の電話番号から電話がかかってきた。頭の番号から察するに携帯電話であったので、間違い電話はもしくは友達の誰かだろうと思い電話に出ると、あの、重いんだか軽いんだか重力不安定な声が聞こえてきた。
「よう、デリシャス」開口早々失礼だ。
「デシャネルです! 美味しいってなんですか。あいさつにしてはおかしいでしょ」
「そいつはどうだろう。コックならどうだ。パティシエなんてのもいい。彼らにとってデリシャスはこの上ない至上の言葉になりうるだろうし、あいさつ代わりになるかもしれないだろ?」
「そんな軽口を言うために電話をかけてきたんですか? ていうか、なんで私の携帯番号知ってるんですか?」
「そりゃこないだお前の携帯に聞いたから。随分と礼儀正しかったぜ。よくいう”持ち主に似る”っつうのは嘘だな。あの番長の件もそうだが。そもそも持ち主、または飼い主に似るなんてのはそいつの幻想空想思い込みと言った方が正しいんだろう。病的なまでに好いているからどんどん自分に似たように勘違いをする。まあ、実際のところ、自分と同じ、それに準ずるような似たような行動や、または似たようなポイントを見つけることで価値の共有、共感が出来た気になるんだろうな。とどのつまりは自己愛だ」
「……全先輩がそういう風にモノと話せるの忘れてました。で、何か用ですか? 私忙しいんですけど」ソファに寝っ転がる。
「忙しいのか。そうかそうか。うーん、午前一〇時に起きてだらだらとベッドから出ずスマホをのんべんだらりとポチポチ触ってベッドから出たのは一時間後の午前一一時。それから目を覚まそうとシャワーを浴びて、湯上りの恰好でリビングでソファに寝転がりながら、煎茶を飲みながらせんべい食ってテレビを見てるのに、忙しいのか。にしてもせんべいを食うなんて意外だな。俺はてっきりお前はビスケットやクッキーと一緒に紅茶を嗜むようなやつだと思っていたが、それはお前に対する俺の偏見だったようだ」
「な、ななな、何でそんなこと知ってるんですか!?」
丸っきり図星だった。占い師顔負けの的中率一〇〇パーセントだった。なんで、どうして。まさかもう家に来ているの、とがばっと立ち上がってリビングから見えるところを一生懸命に見て回るけれど、人の姿はまったくなかった。
「お前の家には行ってねえよ。つーか、家を知らねえよ」
じゃあなんで、と口に出そうになって思いついた。このスマホだ。このスマホが全先輩に情報を与えているのだ。くそっ、してやられた!
画面をタップして通話を終了させた。これでもう安心だ。と、また同じ番号から電話がかかってきた。出るかそんなもん!
勝手に通話になった。どうして。ついでにスピーカーモードになった。なんで。
「言ったろ? お前の携帯はずいぶんと礼儀正しいやつだって。礼儀正しいっつうか、世話好きっていうか。お前にとっておばあちゃんみたいな、乳母係と言ってもいい。そういう存在みたいだな。とても母性にあふれたいいやつだよ」
スマホに母性も世話好きも求めていない。一体どうしてこうなってしまったの。
通話口からは今度は私にではなく、スマホに対する声が聞こえてくる。
「ああ気にすんなよ。わかってるから。うん、うん、だろうなあ。まあ仕方ねえさ。年頃の娘だろう? 反抗期ってやつだよ。あんたはよくやってる」
「ちょっと、私抜きで私のスマホと会話しないでくれます?」
「しかたねえだろ。お前のスマホのばあちゃん、お前のことが心配なんだってさ。ちゃんと宿題やってんの?」
「や、やってます。それなりに」
「だってさ。大丈夫、うん。だろ? 根は真面目なんだから、だったら見守ってやりなよ」
「だから私抜きで話さないでください!」ものすごく恥ずかしい。それに何を言われているのか気になって仕方ない。
「ああ、気にするなよ。謝ることじゃないから。あ、そうだ。それでデシャネル」
「デシャネルです! あ、デシャネルで、合ってます。なんですか」この人は突然普通に呼んでくるから困る。いや、それでいいのだけど。困ることなんて本来は何もないのだけれど。
「ちょっと今出れるか? 学校のことじゃねえんだけど、一応、ヨロズ探偵倶楽部の仕事なんだ。だから書記係も書き記さなきゃいけないだろ?」
私はあのあと、入部を希望して、二人に仕事はねえぞ、と言われて困った挙句、書記係というのはどうでしょう、と提案したのだった。二人の行ってきた、これから行う活動を記録していき、それをいずれ学校側に提出するなりすれば、部活動費をもらえたり、内申点に響いてくるのではないかと言ったらば、二人はあるに越したことはねえなと賛同してくれたのだ。結果、私は今、ヨロズ探偵倶楽部の書記係として、二人の活動を記録していくことになった。だがしかし、思いのほか普通のお客さんはやってこず、私は自分に与えられた仕事を全くできてないでいた。
が、今日はどうやら久々に大きなしっかりした仕事であり、何より、書記の私が記録を残せるチャンスのようだった。ラッキーと思い通話を終了させた。
今の時刻は一二時半。一三時半に高校の校門前に集合とのことだった。校舎裏の裏山に行くらしい。動ける恰好で、と言われたので、膝上のハーフパンツと半袖のシャツにジャージ素材のジャケットに底ぺったんのスニーカーを履いて家を後にした。自転車に乗って鼻歌混じりで学校へ向かう。
自転車を漕ぐ。五月晴れの太陽が清々しく道を照らしていた。
今日は洗濯日和だろうなあ、と思っていると、住宅街を抜けて田んぼ道に出た。右を見ても左を見ても、遠くミニチュアのように見える家屋のほうまで田んぼが続く。まっすぐに数百メートルのこの道を通ってあのミニチュアな家屋が立ち並ぶ街に入れば学校はもうすぐだ。
校門前に着くと、そこにはもう全先輩と南雲先輩がいた。二人とも学校指定の青色のジャージを着ていた。南雲先輩は頭にタオルを巻いて、全先輩は首元にタオルを巻いている。
「マジかお前。それはちょっと足出し過ぎじゃない?」全先輩は会って早々にそう言った。
「うっさいです、おしゃれです! 変態ですか、そうやって足をなめるように見て」
「なめるように見たんじゃねえよ。心配だから滑るように見たんだ。でも無理だな、確実にでこぼこになる」
え? どういうこと?
「あのさ、裏山に行くんだよ。でな、確かに俺は運動しやすい格好を、と言った。けれども普通山を登るときの恰好は長袖長ズボンで肌を極力出さないようにするんだよ」
「それくらい知ってます。でも裏山って子供のころに登ったことがありますけど、丘みたいなものでしたよね?」
全先輩はぼりぼりと鳥の巣頭をかいた。
「それは舗装されてるところだろ。俺らが入るのは、裏山の裏山だ。あっちは舗装されてねえんだよ。それに蛇も出るし、伐採された木のカスがあるかもしれねえ。それだけじゃなく、蚊だってもう活動する時期になってんだぞ」
絶望した。想像して帰りたくなった。
「じゃあ、私、帰ります」
「ああそれは困る。今回のは人手がほしいんだ」
「いや、でもこれじゃ二人に迷惑かけちゃいますし」
「大丈夫だって、ほれ」
全先輩が背中に背負っていたリュックを下ろして、中からジャージをひとつ私に投げてよこした。
「洗って返してくれたらそれでいい。じゃ、行くぞ」
全先輩と南雲先輩は颯爽と歩いていった。私も急いでジャージをハーフパンツの上に履いて、二人のあとを追う。
こうして、今回のお仕事、迷い猫探しが始まったのである。