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幼い日のテディベア(1)

 



 私が初めてその部室のドアを開けたとき、そこで目にしたのは、ソファに腰かけて、ああ、ああ、わかるわかる、うんうん、と虚空に相槌を打つ寝癖頭のヘンテコな男子生徒の後ろ姿だった。パーマがかかったくしゃくしゃとした鳥の巣のような頭をしていた。


 建てつけが悪かったのか、慎重に動かしたはずのドアはガラガラと大きな音を立てた。それなのに一切こちらに見向きもしないで、その姿勢で首を大仰に縦に振ってはそうだよねえと繰り返す。これはまずいところに相談に来てしまったと一度ドアを閉めた。それからもう一度ドアのちょうど私の顔の高さ(一五五センチだからもう少し高いかも)に貼ってある張り紙を見直す。そこには”ありとあらゆるご依頼承りマス”と書かれている。やっぱりここで間違いないらしい。


 ”米穂付高等学校よねほづきこうとうがっこう”三階西側の放送準備室。クラスメイトの真智華まちかに聞いた通り、放課後になるとここは”ヨロズ探偵倶楽部”の部室になるらしい。


 けれどもさっきのあの室内の様子は少し、というかかなり危険だった。顔は見えなかったけれど、とにかくうちの高校に通う男子生徒らしき人が何もない空虚に向かって相槌を打って何もない何かと話をしていた。


 と、待てよ、と私は思い直す。

 もしかして、あれは練習だったのではないのかと。私のように相談にやってくる人とスムーズに話をして即座に解決するためにああやって常日頃から練習をしているのではないだろうかと。それだったら納得だ。私も友達はあまり多い方じゃないからすごく納得だ。


 それに友達が多くたって相談事を引き受ける練習をしたいから練習を手伝ってはくれないか、などとはなかなか頼めるような話ではない。というか、友達が多かったらいつの間にか相談されているのだろうか。それならば結果として別に相談事を引き受ける練習なんてしなくたっていつの間にか練習していた、というようなことになるのだろうか。だったら彼も友達が少ないから空虚に向かって相槌を打つことで練習に励んでいたということなのだろうか。それは友達の少ない私にはわからないことだった。というか勝手に他人に友達が少ないであろうと断定してしまっていてなんとも失礼だった。


「なにしてんの」


 そんなことを考えていると、突然後ろから声をかけられた。あまりの冷たい音にびくっとネコのように背筋をびじじと伸ばして後ろを振り向くと、とても冷徹な目をした男子生徒がいた。身長はとても高くて、振り返った私の顔はその人の鳩尾あたりを見ていた。恐る恐る視線を上げようとすると、


「ここに何か用?」と聞かれた。


 まるで日本刀のようだった。すっぱりと横なぎに切られたような、冷ややかでまっすぐな声だった。


「あ、はい」


 反射的に返事をした。視線を合わせるとその目は全く温度がないような私のことなど見ていないような目をしていたので息が上手くできなかった。私の返答を聞くと、じゃあ入れば、と簡単に言ってきた。私も私で、「あ、はい」とまた反射的に返事をする。その目が冷たくて威圧しているものだからそっと扉の横にずれると、首をかしげてその男子生徒は中に入って行った。私もそれに続こうとして中に入ろうとすると思い切りドアを閉められて顔をぶつけた。


「ひべにゃっ!?」


 結構痛い。かなり痛い。鼻が痛い。お前の鼻はおばあちゃん譲りの高い鼻なんだよと言われて可愛がられたこのクォーターの鼻が憎かった。それに中に入るチャンスだと思ったら拒絶されたようで心も痛い。うら若き女子高生に何たる仕打ちをするのだと泣きそうになっていると、ドアががらりと開けられた。さっきの冷たい目の男子生徒がそこに立っていた。


「ごめん、帰るのかと思った」

「帰りません!!!」

「ご、ごめん」


 涙目になりながら叫ぶとその冷たい目の男子生徒は意外にも狼狽していた。意外と、怖くない人なのかもしれない。それでもあのドアをなんの躊躇もなく閉めるような人だ。信用ならない。

 と、そこにさっき空虚に向かって相槌を打っていた方の男子生徒がやってきた。


「あーあー、またガンちゃん何かやらかしちゃったのかー?」


 寝癖だらけのその髪型は一体いつの寝癖なのかが気になった。メガネをかけて、目が大きくて、なんだかコミカルな人だった。


「違う、この子がずっとここの前にいたんだ。それでてっきり帰るのかと思ってドアを閉めたらぶつかったらしい」

「さっきの声はそれか」ぼさぼさと頭を掻いた。

「それにいったんこの子ここに入って出て行ったからいつもの冷やかし連中かと思ったんだよ」

「なんだよ、冷やかしか。ちぇっ」

「いえ違います!」


 私は自分の首が飛びあがる危険があるくらい首をぶんぶんと横に振った。その時長く伸びた後ろ髪が男子生徒たちに当たったらしく痛い、と小さく漏らしていた。すぐにすみませんと頭を下げた。前の方で二人の足がすっと左右に開くように動いた。


「あの、ここって、ヨロズ探偵倶楽部なんですよね?」私は意を決して尋ねた。

「そうだよ、名前は正直気に入ってないけど」ぼさぼさの方がぼさぼさとまた頭を掻く。

「なんでも、聞いてくれるんですよね?」

「そうだよ、殺しに薬物等の密売以外は喜んでお引き受けします」にかっと笑った。綺麗な歯並びをしていた。


 よかった。真智華の言う通りにここで相談に乗ってもらえる。


「私、相談したいことがあるんです」


 待ってましたと言わんばかりにぼさぼさのほうの男子生徒がメガネの向こうの目を輝かせた。手をぱちんと合わせて打って、私をついぞ相槌を打っていた方向にあるソファへ案内してくれた。そして私がそのソファに腰かけると、ついさっきは後ろ姿が見えていたけれど、その向かいのソファに腰を下ろした。ソファのひじ掛けに冷たい人も座っている。


「お待たせしました。ようこそ、ヨロズ探偵倶楽部へ。ゆりかごから墓場まですべてご依頼聞かせていただきます」


 そう言って、ぼさぼさの人はくいっとメガネを上げた。と、


「うっせー、決まってたろうが!」とまたそっぽを向いて話し始めた。


 やっぱりこの人危ない人なんじゃないか、と危険信号が脳から足へ伝達される。とにかく逃げろ、部屋を出ろ、そう伝わったようで足が走り出す準備を始めた。まずは立ち上がって、さっと横に反復跳びをしてそのまま前へダッシュ、そうしてドアを開いてあとは流れに任せよう、右に曲がったほうが階段が近かったか。じゃあ右に曲がってもうあとは階段を駆け下りるしかない。


 私がこうやって逃走のイメージトレーニングをしていても気づいていないようでまだ空虚に向かって口喧嘩をしている。その隣で冷たい目の人は聞こえていないように読書をしていた。何なんだこの人たちは。


 ぼさぼさの人のことを見ていて、真智華が言っていたことを最後まで思い出した。なんでも相談に乗ってくれるしたいていの依頼は引き受けてくれるすごい先輩がいる。のだけれど、その人は幽霊が見えるみたいでずっと人のいないところで誰かと会話してるんだって。危ない人なのかもしれないよ。


 確かに今、目の前で真智華が言っていた後半の部分が繰り広げられている。まるでそこに人がいるみたいに何か言い合いをしている。さっきのはコミュニケーションの練習だと思っていたけれどそうではなかったんだ。オカルトだ。お化けと話しているんだ。オカルトの類が苦手な私にそれは耐えられない恐怖だった。


 もう逃げる、と立ち上がったとき、冷たい目の人が読んでいた小説の単行本でガツンとぼさぼさの人の頭を叩いた。痛そうだった。背表紙だった。絶対痛かった。


「痛でええええええええ!!!!」目を血走らせて涙を流しながら鳥の巣のような頭を押さえてぼさぼさの人は泣き叫んだ。

「何しやがんだよてめえ! 俺の頭が尻になっちまったらどうするつもりだ!」

「化け物と断定して滅する」

「ああ!? お前がぶっ叩いたせいで化け物になっちまったんだろ! だとしたら責任をもってそのあとは丁重に今後の世話をするべきだろう!」

「だから俺が責任を持って滅するのだ」

「なんでお前はいつもそう物騒なんだよ!」

「俺が物騒なのではない、お前が無駄に平穏なのだ」

「そういう問題じゃねえだろ! 考えてもみろよ、いいか、俺の頭が尻になる理由はお前がその五〇〇頁を超える無駄に長いSF長編の上巻を使ってぶっ叩いたせいなわけだろ? だとしたらそもそもお前がその無駄に分厚いそれを読んでいなかったら、手に持っていなかったらこんなことにはならなかったわけだ。つまりてめえの読んでいるその『或る日の第七宇宙船の夢』なんて作品は不必要だったってことだ!」


 それはまた違う問題じゃないでしょうか。というか頭割れていないのに。


「それは違う。この『或る日の第七宇宙船の夢』は非常に完成度の高い作品だ。お前の頭ではそれが理解できないから今叩いても叩かずともいずれにせよお前の頭は俺によって割れていた。それに、もとはと言えば、お前のいつもいつもくだらん恰好をつけようとする要らない自発的な見栄っ張りのせいでスマ子さんが一言言いたくなるんだ」


 冷たい目の人はそれからその『或る日の第七宇宙船の夢』の上巻を開いて読み始めた。


「だー! いつもいつもお前はそうだ! そうやって少し小難しい小説やエッセイやら詩集やら新書を読んでいるからって自分の方が頭がいいと思って俺を見下しやがる! いいか、この探偵倶楽部の部長は俺で、お前はその下っ端なの! わかる!? 下っ端! しー! たー! っぱ!」

「お前がそう思っているなら俺はそれでいい。下っ端でもなんでも構わない。年功序列や位階序列に俺はそこまで魅力を感じない。仕事が来たら全うする。それだけだ」

「あー! またそうやってさ、なんなの? ほんと、お前なんなの? イケメンキャラ気取ってんじゃねえよ。俺だってね、やろうと思えばイケメンキャラになれるんだよ? いうなれば、三枚目みたいなもんだよ? 三枚目だって看板役者に変わりはないし、お前なんてそんなクールにイケメンでそれで少しばかり学力が高くて運動も出来るからってそれで多少周りからモテてるだけだよ? 寡黙で目つき怖いけれどそこがクールだしぞくっと来るって言って女子からの人気があるだけだよ? それも今の内だけだよ? お前これから大学行って社会人になって丸の内で働いてみ? モテないよ? 学力の高さと頭の良さはノットイコールだからね? そこんとこわかってんの?」

「もういいから。それよりお前、依頼人が待ってる」

「依頼人とか関係ねえよ」


 おい、どういうことだ。


「俺はもう、この際だからお前としっかりけじめをつけようと思ってんだよ。それに依頼人は関係ないでしょ。そんでもってどうせまたオカルトの類だったらお前が美味しいところ持ってっちゃうじゃん。こないだだってそうだったじゃん。依頼人結構可愛くてさ、ほら、あの、先月の子。一年の四組だっけか。ほら、名前は、えっと、――林木舞姫はやしぎまいひめちゃん。可愛かったから覚えてるもん。それで依頼に来たときはさ、俺が親身に聞いてるから仲良くなったけれどもお前の能力ってすげー実戦向きじゃん。んで話聞いて見に行ってみたら案の定オカルトでさ、――正直話の冒頭でそんな気はしてたんだよ。結局助けたのお前みたいになって俺蚊帳の外でお前ばっか感謝されてたじゃん。俺のおかげで何が原因かわかったってのに。あれからお前には時々挨拶するけれど、俺は危ない人だって顔見ただけで逃げられるんだから」

「それに関して言えば、お前のことを何もわかっていない状態で、急にお前の顔が胸元に当たるくらいまで近づいてそのままペンダント触れば誰だって怖がるだろう。」

「それは。それは、それはそうだなあ……うわぁ、なんだこの能力。やってらんねえなあ。ああ? うっせえよお前に慰められたって嬉しかねえんだよ!」


 またぼさぼさの人は自分の右側の本棚に向かって叫んだ。


「ほら、またおびえさせてるぞ」

「ああ、ああ、ごめんね。びっくりしたよね」


 ものすごく今更謝られた。今の今まで私のことを気にしていなかったのに今更気にされたってどうしたらいいのかわからないから困る。

 月並みにいいえ、と手を振る。座って、と勧められたので、恐る恐るまたソファに腰をおろした。




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