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第一章 第七話

女の子同士の恋の物語です。


夏休みの宿題を早く終わらせて、悠貴子と夏を楽しむ積りだった碧だが、

少し計画がずれてブルーな気分に陥ります……


碧と悠貴子のお話、第七話です。

 Ride On!

 

 第一章  

 第七話 

 真夏の太陽が突き刺すような光を放ち、我が物顔で天空に君臨している。

 そんな傍若無人な暴君に反旗をひるがえそうと、山間に控えている入道雲が大きくなりながら隙をうかがっている。

 舞台となる抜けるような青空とは裏腹に、碧の気分は夕立寸前の様に暗く曇っていた。

「それでね、早く宿題を終わらせようって、頑張ってね、昨日殆ど終わらせたわけよ」

 ダイニングテーブルに、舞と向かい合わせで座り二人はプリンを食べていた。

「後は、現国の読書感想文だけだしさ、本をお雪に選んでもらおうかなって、それで今日はお雪と一緒に買い物に行きたかったわけよ、なのにさ、お雪ったら、クラスの友達とプールに行っちゃったのよね……」

 碧の愚痴を聞こうともしていないのか、いや、全く聞えていない舞は、幸福感に包まれながら取引先の業者さんから届いたお中元のプリンを食べていた。

「そりゃね、お雪を縛る積りは無いよ、何時も一緒に居ろ何て、私は其処まで独占欲が強い訳じゃ無いし、お互いにプライベートって奴があるんだし、お雪はお雪で友達が居るんだし、友達は大事にしなきゃいけないし、私だって、友達の事とか言われたくないし、だけどね、タイミングって奴があるでしょ」

 一つ目のプリンを食べ終わった舞が、二つ目のプリンを開ける。

「もう、舞さん、聞いてる?」

「聞いてない」

「ぐっ……」

 二つ目のプリンを一口食べると、

「この、上に乗っているクリームとのハーモニーが絶妙なのよねぇ」と、目を細める。

「舞さん……」

 睨んでいる碧に、

「御主、無礼であるぞ、神戸フランツのプリンを食しておる時に、愚痴なぞ持っての外」と、真面目な顔で諭した。

 真剣に取り合ってくれそうに無い舞を見て、

「もう……」と、碧は諦めて、限定品の高級プリンを一気に頬張った。

「そいじゃねぇ、私は仕事に戻るから」

 立ち上がった舞を見て、

「ちょっ、ちょっと待ってよ!」と、碧は慌てて舞を呼び止めた。

「もう、なによ……」

 煩わしそうな顔の舞に、

「ちゃんと話を聞いてよぉ」と、碧が不機嫌そうに訴えた。

「あのね……」

 頭を掻きながら面倒臭そうに舞が椅子に座ると、

「お互い長く付き合いたいんなら、もう少し、お互いに距離を置いた方がいいよ」と、碧を睨みながら言った。

「そんな、何時もべったりじゃお互い疲れるでしょ」

「でも……」

「それに、自分の都合ばかり押し付けちゃ、お雪ちゃんだって堪らないよ」

「でも、私は、今日、お雪と、一緒に、二人で、買い物に、行きたかったの!」

 むくれている碧の顔を見て、

「碧ちゃん、それって自分でも我侭言ってるって分かってるわよね」と、呆れた様に言った。

「……分かってるわよ」

「お雪ちゃん、友達とプールに行くの、前から約束してたんでしょ」

「……そうだけど」

「はぁ、未熟だねぇ……」

「えっ?何の事よ……」

 呆れた顔の舞を見て、碧が問い返すと、

天空海濶てんくうかいかつの境地には程遠く、我田引水がでんいんすいばかり言い立てるとは未熟なりと言っている」と、面倒臭そうに答えた。

「意味わかんない」

「分かんなくても良いよ、今、適当に言ったんだから」

「むっ……」

「まぁ、異体同心なんてのはまだまだ無理だと思うけど、まずは相手を否定しない事」

「どう言う事?」

「高校生にも成ってんだから、そんな事ぐらい自分で考えな」

「……」

「自分で答えを導かないと、何時まで経っても大人に成れないよ、じゃ、マジで私、仕事有るから」

 手をひらひらと振って出て行く舞を、碧は唇を尖らせて見送った。


 美味しいプリンを食べたにも関わらず、碧は不機嫌なまま自分の部屋に戻ってベッドに飛び込んだ。

「あぁ、暇だぁ……智子と千佳は、何してるのかなぁ……」

 気だるい感覚に包まれ、碧の意識が柔らかいベッドへと吸い込まれそうに成った時、携帯が鳴った。

「あっ」

 一瞬にして意識を取り戻し、期待しながら携帯を開いてメールの差出人を見ると、

「あれ?」と、期待した人物の名前では無かった。

「……はるか、ちゃん……」

 表示された西條遥さいじょうはるかの名前を見て、碧は少し身構えた。

「何だろう……」

 怖い物を見るようにメールを開くと『碧先輩、お久しぶりです!』と始まり、メールするのを迷った事が長々と書かれ、碧が卒業してから寂しいと言う事と共に、自分の近況が書かれていた。

「ははは、遥ちゃん、相変わらずねえ……」

 取り留めなく書かれた散文を、碧は懐かしい思いと共に呆れながら読んでいた。

 そして、やっと終盤に差し掛かると、買い物に付き合って欲しいとの事が書かれていた。

「どうやら、メールの目的はこれね……」

 最後までメールを読み終え趣旨を理解した碧は、

「どうしようかな……」と、悩んでいた。

 暫く悩んでいた碧が、

「そっ、そうよ、別にやましい事なんて無いわ……」と、遥に返事を送った。

 その直後、

「うっ、早!」待ち構えていたかの様な遥からの返信に碧は驚いた。

「えっ、今日!」

 メールを読んで、碧が時計を見た。

「まだ十時前か……まっ、良いかぁ」

 碧はOKとメールを送ってから、書かれていた待ち合わせの場所へと出かけた。


 電車に乗って、都市部に有る駅へと辿り着いた碧が待ち合わせの場所へと来ると、

「碧先輩!」と、既に来ていた遥が白のワンピース姿で走り寄って来た。

「先輩!お久しぶりです!」

 走って来た勢いのまま小柄な遥が碧に抱き付くと、

「ちょ、遥ちゃん!」と、バランスを崩しそうになった碧が反射的に踏ん張る。

「ちょっと、遥ちゃん……」

 人通りの多い駅のコンコースで、碧の腰に手を回して抱き付いている遥を、碧は周りの目を気にしながら、遥の肩を掴んで自分から引き剥がそうとしている。

「あ、あの、遥ちゃん、あのね、ちょっと、その……」

 なかなか剥がれない遥をやっと引き剥がして見ると、碧を見上げている遥の目には涙が浮かんでいた。

「えっ!は、遥ちゃん?」

 大きめの黒縁メガネの奥で目を潤ませて碧を見つめている遥。

「やっどあえだぁ、あいだがっだですぅ、うっうっ、ほんどうに、ひっく、あいだがっだですぅ……」

 遥は、鼻の詰まった鳴き声で訴えると、再び碧にしがみ付いて来た。

「遥ちゃん……」

 碧は周囲の反応を気にしながら、

「あ、あっちで話そうか……」と、しがみ付いている遥を、半分抱かかえて強引に歩き出した。

 遥をなだめながら、碧達は喫茶店へと入った。

「ごめんなさい……私、嬉しくて……先輩に会えて……」

 恥ずかしそうに俯いている遥に、

「良いわよ、気にしないで」と、碧が穏やかな笑顔を浮かべて言った。

「それに、私も遥ちゃんに会えて嬉しいよ」

 碧の言葉を聞いて、遥の顔がぱっと明るく晴れ上がった。

「私、先輩が卒業されてから、何度もメールしようとしたんですよ、でも、先輩も先輩の事があるだろうし、迷惑かな、何て思ったりして、でも、先輩の事はずっと思っていて、だから私、とっても寂しくて、中学の時は毎日でも会えたのに、会えなくなると、こんなに寂しいなんて、だから何時も先輩の事を考えて、会いたいな、どうしているかななんて、思って……」

 止め処なく一方的に喋っている遥を碧は微笑みながら見ていた。

 どれだけの時間が過ぎただろか、

「それでね、今度、家族で旅行する時に着て行く服が欲しくって、先輩にどうしても選んで欲しくって、お願いのメールを送ったんです」と、やっと今日の題目に辿り着いた。

 一堕落着いた遥に、

「変わらないわね」と、碧が微笑んだ。

「はい、先輩もお変わりなくて嬉しいです」

 笑顔で答えた遥が、少し顔を曇らせて、

「あの、天道先輩は……」と、遠慮気味に聞いて来た。

 そんな遥の表情を見ながら、

「うん、お雪も元気だよ」と、静かに答えた。

「あの、ごめんなさい、私、あの、別に、お二人の事、邪魔しようなんて、そんな事、少しも思っていませんから、あの、私、碧先輩に、その、憧れていて、えっと、片思いだって、ちゃんと分かってますし、それに……」

「分かってるわよ」

「あの、今日だって、その、天道先輩と約束が有ったんじゃ……」

「大丈夫よ、お雪はクラスの友達とプールに行ってるから」 

 穏やかに話す碧の言葉を聞いて、遥に少し笑顔が戻った。

「ふふふ、私達、なにも四六時中一緒に居る訳じゃ無いわよ」

「ええ、そうなんですか?」

「ええ、私達、お互いのプライベートは尊重する事にしているの」

 つい先程まで子供の様に我侭言っていた碧は、後輩の前で“大人”振ってる自分が少し恥ずかしかった。

 そんな碧を、

「やっぱり先輩、素敵ですぅ」と、遥はキラキラと目を輝かせて見ていた。

「お二人がお付き合い始めて、もう一年ぐらいに成りますね」

「ええ、そうね、まっ、それまでも長かったけどね」

「なんか、余裕ですね」

「えっ?」

「やっぱり、私なんか……お邪魔なんじゃ……」

 俯いて顔を曇らせる遥に、

「そんな事、思ってないわよ」と、優しく言った。

「私、天道先輩との事知ってたけど、碧先輩に告白しちゃって……」

「だけど、私達の事ちゃんと理解してくれたでしょ」

「でも……」

「遥ちゃんは、可愛い私の大切な友達だよ」

 碧の言葉を聞いて、

「嬉しいです、私、先輩と仲良くして貰えるだけで嬉しいです」と、遥の顔が再び晴れ渡った。

 それから二人は、懐かしい思い出話を暫くしてから喫茶店を出た。

 背の高い碧は、中学の時から目立っていた。

 悠貴子と付き合い出し、二人の事が噂に成り始めた頃、碧は下級生の女子からラブレターを何通か貰った。

 噂を聞いた碧に憧れていた下級生が、自分の思いも知って貰おう勇気を出して書いたラブレター。

 碧に取って、それはとても煩わし物だったが、自分と同じ様に同性に恋をしてしまった下級生達の思いを綴ったラブレターは、とても重たかった。

 その重さ感じ取った碧は、一人々に直接会って丁寧に説明して、優しく断った。

 そして、断られて諦めた子も居たが、遥の様に諦め切れない子も居た。

 結局、友達と言う事で、碧は遥を含む三人の下級生達と卒業まで付き合っていた。

 その事は、悠貴子も知っている。 

「これなんてどうですか?」

 レースのフリルが襟・袖・裾に付いた、薄い黄緑色のワンピースを碧に見せて遥が尋ねた。

 中学三年生にしては子供っぽいかなと感じた碧だが、

「あら、可愛いわね」と、微笑んで答えた。

「試着して来ます」

「うん」

 遥が試着している間、何をするでも無く辺りを見回していると、一つの麦藁帽子が碧の目に留まった。

「先輩、どうですか?」

 小柄で幼い顔立ちの遥が、恥ずかしそうに試着室のカーテンを開けて碧の答えを期待して立っていた。

 子供っぽいと感じた服が、遥には妙に似合っていて、

「うん、良いんじゃない」と、碧は微笑んだ。

「それと……」

 碧は後ろ手で隠していた麦藁帽子を出して、

「此れも似合うわよ」と、遥に被せた。

 行き成り目深に麦藁帽子を被らされた遥は、

「きゃっ」と、小さな悲鳴を上げて肩を竦めた。

「もう、先輩……」

 麦輪帽子の鍔を両手で上げて、少しずれた眼鏡の上から上目使いで抗議する遥を見て『か、可愛い……』と、碧はドキッとした。

 鍔を両手で持ったまま、体を回し何度も角度を変えて試着室の鏡に映る姿を見て、

「ちょっと、子供っぽくないですかぁ?」と、遥は少し不満気に碧に尋ねた。

 確かに、大き目の向日葵の飾りの付いた麦藁帽子は子供っぽかったが『いやぁ、遥ちゃん自身が子供っぽいですからぁ』と、がっちり遥にはまっていると碧は思った。

 そんな遥を、どきどきしながら見て、

「う、うん、そうね、でも、とても可愛いし、似合ってる……」と、碧は正直な感想を述べた。

 恋愛とは別に、小動物を可愛く思い、つい抱き締めたくなる様な感情。

 遥を見ていると碧の中にそんな感情が大きく膨らんで来た。

 子猫なら、気持ちの赴くままに抱き締められるのだが、相手は下級生、抱き付く訳には行かない。

 碧に可愛いと言われ、

「えへへ、似合います?」と、照れながら遥が訊ねた。

「うん、とても」

「ありがとうございます、これにします」

 笑顔で礼を言うと、遥は試着室のカーテンを閉めた。 

 思わず湧き上がった、『抱き締めたい』衝動に堪えていた碧は、カーテンが閉まってほっと胸を撫で下ろした。

 その後、碧は遥に振り回されるように小物類の店等を見て回った。

 楽しそうに碧の腕を引っ張り歩いて回る遥を見ながら、碧も買い物を楽しんだ。

 買い物も一通り済んで、二人は再び駅に在る喫茶店に入った。

「今日はありがとうございました、楽しかったです」

 上機嫌の遥が碧に礼を言うと、

「うん、私も楽しかったよ」と、碧も微笑んだ。

「あの、迷惑じゃなかったら、また、その、あの……会ってくれますか?」

 消え入るような小さな声で尋ねる遥に、

「そんな、迷惑だ何て思って居ないわよ、私も遥ちゃんと居ると楽しいし、何時でもメールして」と、碧は微笑みながら明るく答えた。

「あ、ありがとうございます」

 嬉しそうに頭を下げる遥に、

「でも、改めて聞くけど、遥ちゃんはそれで良いの?」と、碧は真剣な顔で尋ねた。

「私は、お雪と付き合ってるの、だから遥ちゃんの思いは受け入れられないのよ」

「……」

 碧の言葉を聞いて、遥は俯いてしまった。

「そりゃ、遥ちゃんは可愛いし、明るくて良い子だけど、友達以上には思えないよ」

「……」

「それでも良いの?」

「はい……」

 俯いたまま返事をした遥が、

「それでいいです……」と、静かに答えた。

「私、先輩の事、好きです。だから、こうして先輩と居るだけで幸せなんです」

「遥ちゃん」

 俯いていた遥が顔を上げて、真っ直ぐに碧の目を見ながら、

「私、絶対に、お二人の邪魔なんてしませんから、だから、だから……」と、真剣に訴えた。

 碧にとって、遥の思いはとても重たかった。

 正直言って、迷惑にも思えた。

 だけど、自分に憧れている下級生が、碧にとってはとても可愛い存在でもあった。

 不安そうに見詰めている遥に、

「ごめんなさい、分かったわ、もうこの話はやめましょ」と、微笑んだ。

 そう、此れは一年程前に決着の付いた話。

 碧は、今更蒸返して遥を悲しませた自分が情けなかった。

「それより、家族旅行って何処に行くの?」

 碧が話題を切り替えて遥に尋ねると、

「あ、はい、お母さんの実家が和歌山なんで、夏は毎年家族で和歌山に行くんです」と、遥も切り替えたかの様に明るく答えた。

「和歌山か、良いわねぇ」

「はい、海がとても綺麗なんですよ。あ、とは言っても、お母さんの実家は山の方なんですけど、自転車で少し行くと熊野古道があって、杉木立の中を、朝早くに散歩すると、とても素敵な気分に成れるんです。それと……」

 そして、遥は楽しそうに一方的に話し出した。

 そんな何時もの遥を見ていると『妹って、こんな感じなのかな……』と、碧は思った。

 兄弟の居ない碧にとっては想像も付かない事だったが、楽しそうに話している遥を見ていると、そんな思いに成って来た。

 煩わしい所もあるが、楽しそうにしている姿を見ると、自分も幸せな気分になる可愛い存在。

 碧は、時折相槌を入れながら、一方的に喋っている遥を、愛おしいそうに見ていた。


「はぁ、今日は疲れたぁ」

「はしゃぎ過ぎたかな」

 プール帰りの五人が、楽しそうに話しながら駅へと向かっていた。

「ちょうど良いんじゃない、ユッキー」

「えっ、何が?」

 玲子に尋ねられて、小首をかしげている悠貴子に、

「一学期に色々と有って、ストレス溜まってたんじゃない?」と、佳代子が尋ねた。

「そうそう、だから、ぱっと遊んでストレス発散しないと」

「ええ、そうね」

 確かに遊び疲れた疲労感が、悠貴子にとっては少し心地よかった。

「よし、この勢いで、カラオケも行っちゃおう!」

「あっ、良いわねぇ」

「皆も行くでしょ?」

「うん、行く行く、ユッキーも」

「ええ、私も行くわ」

 悠貴子は、楽しそうに話すクラスメイトを見て、何となく皆が自分を元気付けてくれている様に感じた。

 カミングアウトした日から、自分達も攻撃の対象に成る事を恐れずに、変わらずに居てくれた友人達。

 彼女達は、悠貴子にとって大切な存在だった。

「では、その前に糖分の補給だぁ!」

 玲子の提案に、

「えっ、糖分?」と、佳代子が不思議そうに尋ねた。

「うん、疲れた時は糖分の補給が大切だって聞いたの」

「でも、プールでもソフトクリーム食べたし」

「大丈夫、水泳はカロリーの消費が激しいんだから」

「水泳って……」

 プールでの水遊びを水泳と比べて良い物かと、疑問に思う佳代子に、

「行かないの、糖分補給?」と、玲子が尋ねた。

「えっ、まぁ、補給出来る時に補給しておいた方が良いわね」

 本来、甘いものが大好きな女子が、否定する訳が無い。

「あっ、あそこの喫茶店、ケーキセットが豪華だって有名な所じゃない?」

 悠貴子が駅のコンコースにある有名店を見付けて皆に言った。

「えっ、何処?」

 皆が悠貴子の見ている方を向くと、悠貴子が指を刺して、

「ほら、あのお店……」と、言いかけて言葉に詰まった。

「あっ、知ってる私」

「私もネットで見た事ある」

「じゃ、決まりね」

 皆が喫茶店に向おうとした時、悠貴子だけが立ち止まっていた。

「どうかしたの?」

 玲子に尋ねられて、

「えっ、あっ、何でも無いわ、行きましょう」と、悠貴子も慌てて歩き出した。

 喫茶店に向う途中、悠貴子は人混みを見回して『さっき喫茶店から出て来たの、確かに碧だった……』と、人混みの中、一瞬見えた事を思い出していた。

 そして、碧の隣に寄り添っていた小柄な少女の後姿を思い出し『あの子、遥ちゃん?』と、思うと『なんで、二人が……』と、漠然とした不安が沸いて来た。

 家に帰ってから、悠貴子は自分の部屋で携帯電話を見詰めたまま、じっと考えていた。

 今日の事を碧に聞きたいのに、メールをする事さえ何故か躊躇われた。

「相手は遥ちゃんだったわね……」

 遥が碧の事を慕っている事は知っている。

「そうよね、別に問題無いわよね、遥ちゃんは碧の“友達”なんだから……」

 意を決してメールしようとした指が止まる。

 暫く動かないで居た悠貴子が、携帯を机の上に置くと、

「今日は、もう寝よっと……疲れているのね……」と、部屋の明かりを消してベッドに潜り込んだ。

「どうしちゃったのよ、私……」

 遥と碧の事は中学の時から知っている。

 碧が自分を裏切る様な事はしないと分かっている。

 なのに、心には灰色の霧が広がって行く。

 悠貴子は、なかなか寝付かれずにベットの中でじっとしていた。

ーーー◇ーーー 

 次の日。

 碧はベッドに横たわったまま、机の上に置いてある携帯電話を見詰めている。

 特に、何を思うでも無く、何を考えている訳でも無く、お雪からの連絡を待っていた。

 時計が午前十一時を過ぎた頃、携帯電話が鳴った。

 うとうとしかけていた碧がベットから反射的に飛び起きて、机の上の携帯を取り、

「もしもし」と、声を弾ませ応対した。

「あ、碧?」

 しかし、聞えて来たのは期待した声では無かった。

「あ、智子……」

「うん、あのさ、今日の集合何時にする?」

「えっと、今日は……」

「花火大会、何時からだっけ」

「あっ、えぇっと……」

 思い出し、カレンダーを見ると、今日の日付の所に赤い丸が書かれ“花火”と、書かれていた。

「……そうね、始まるのが八時だから、七時位で良いんじゃない?」

 智子に忘れて居た事を悟られない様に、態と冷静を装って答えた。

「うん、そうだね、待ち合わせは何時いつもの所で良いかな?」

 智子達とは中学が一緒で、家も近い事から毎年花火を見に行っている。

「うん、良いんじゃない」

「じゃ、お雪にも連絡しておいてね」

 悠貴子の名前を聞いて、碧は黙ってしまった。

「……どうかしたの?」

 そんな碧が不自然に思えたのか、智子が心配そうに聞いて来た。

「えっ、べつに、何でも無いよ」

「そう……」

 碧の声を聞いて、智子は不信感を拭い去れない様だった。

「じゃ、私、千鶴に連絡しておくね、そうそう、高田君も連れて来るって千鶴言ってたよ」

「そう……」

 乗りが悪いと言うか、反応が薄いと言おうか、何時もの碧とは違う事に、

「やっぱり、何か有ったでしょ……」と、智子が興味半分に聞いて来た。

「ううん、ホント、何でも無いよ」

「そう、じゃ、今夜七時ね」

「うん、分かった」

 電話を切ってから、碧は携帯電話を見詰めていた。

 お雪からの連絡を待っていたのに、自分から連絡しなければ成らない事に、碧は少し不満だった。

 それが、まったく理不尽な我侭である事は碧も承知していたが、釈然としない思いが胸に溜まっていた。

 その時、メールの着信音が鳴った。

「あっ」

 差出人が悠貴子である事が分かると、碧の顔が少しほころぶ。

 碧がメールを開くと、内容は今日の予定の確認だけだった。

 その事が碧にとっては少し不満で、短く『午後七時、何時もの所』と、素っ気無く返事を返すと碧は再びベッドに寝転がった。

「……もう、何なのよ……」

 自分でもはっきりとは分からない。

「別に、昨日の事、謝って欲しいなんて、思ってない、けど……」

 そんな考えは、子供染みた我侭である事は、碧にも分かっていたが、

「お雪……」釈然としない何かが碧の心を重くしていた。


 メールの返信を見て、悠貴子は違和感を感じていた。

 何時もと変わらないはずの、素っ気無い返信文。

 だけど、何かが違うと悠貴子は感じていた。

「何だろう……」

 何かは分からないが、不安な気持ちが込み上げて来る。

 悠貴子は碧にメールで聞こうとしたが、昨日の事を思い出し躊躇った。

「……別に、何でも無いわよね」

 そう自分に言い聞かせるが、遥と碧が寄り添って歩いている姿が頭を離れない。

 そして、不安な気持ちが膨らんで来ると、苛々が募り、そんな事で悩んでいる事に自己嫌悪した。

「もうぅ、やだ、私……」

 自分が二人の事に嫉妬すると言う事は、自分が碧を信じていない事になる。

「碧と遥ちゃんはお友達、そうよ、私だって昨日、友達とプールに行ったんだから、碧だってお友達と出かけたって良いじゃない……そうよ、気にする事なんかない……」

 そうは自分に言い聞かせるものの、遥が碧を慕っている事を知っている悠貴子には割り切れない物も残った。


 その日の夕方、碧は憂鬱な気分のまま、自転車に乗って待ち合わせの場所へと向かった。

 待ち合わせの場所には、智子と千鶴が待っていた。

「お待たせぇ」

 碧は、智子達にばれない様に態と明るく声を掛けた。

「あっ、高田君、お久しぶり」

「よう!」

 千鶴と付き合っている同級生の高田が、碧に手を上げて挨拶をした。

「なになに千鶴、浴衣なの、気合入ってるねぇ」

 碧が可愛い浴衣姿の千鶴を冷やかすと、千鶴は照れ笑いを浮かべながら高田の後ろに隠れた。

「あぁあ、私も浴衣着て来れば良かったかな」

「智子っ家、近くだし、千鶴と一緒で歩いて来れるんだから、浴衣着て来たら良かったのに」

「そうなんだけど、なんか面倒臭くって、私には見て貰う人も居ないしね」

 そう言って智子が千鶴を見ると、千鶴の顔が真っ赤に成った。

「だけど、碧、貴方いくら自転車だからって、もう少しお洒落しなよ」

 相変わらずのジーンズにTシャツ姿の碧を見て、少しお洒落して来ましたと、言う感じの智子が呆れた様に指摘すると、

「いいの、此れが一番動きやすいんだから」と、自信たっぷりに自己主張した。

「おまたせぇ」

 バスに乗って来た悠貴子が、声を掛けながら皆の方へと小走りでやって来た。

「お雪……」

 長い髪の毛をアップにまとめた浴衣姿の悠貴子を見て、碧は言葉に詰まった。

「あっ、お雪、凄い、可愛い!」

「ふふふ、ありがとう、千鶴もとても可愛いわ」

「へへへ」

 浴衣姿の二人を見て、

「来年は浴衣にしよう」と、智子が呟いた。

 碧は黙って悠貴子だけを見詰めている。

 別に、悠貴子のアップヘアーを初めて見るわけでは無かったが、普段、長い髪の毛を下ろしている姿を見慣れていた碧にとって、今日の悠貴子は新鮮だった。

 悠貴子の浴衣姿に見とれていた碧に、悠貴子が振り向いて微笑むと、

「あっ……」と、碧が恥ずかしそうに目線を逸らした。

 そんな碧に近付き、

「どお?」と、悠貴子が浴衣の袖を見せて碧に尋ねた。

「えっ、うん……綺麗……」

 碧は、悠貴子の綺麗な浴衣姿を見て、下らない事に拘っていた自分が少し恥ずかしかった。 

 そして、それまでの憂鬱な気分も和らぎ、今度は悠貴子の方を向いて、

「うん、とても綺麗、素敵よ」と、微笑んだ。

 碧の言葉に、

「うふっ、ありがとう」と、悠貴子は笑みを浮かべた。

 それから五人は、花火が始まるまでの間に、神社の参道に並ぶ屋台を見て回った。

 悠貴子と一緒に金魚すくい等をして、碧は楽しんだが、心の隅にまだ少し拘っている自分が居る事を感じている。

 悠貴子も、楽しんでは居たが、遥との事が気に成っていた。

「おお、天道君ではないか」

 声の方を見ると、文芸部の部長が手を振っていた。

 部長と一緒に九条と部員二人もいた。

「部長、先輩」

 悠貴子が部長の方へと行き挨拶すると、

「やはり、お二人さんも来ておったか」と、部長は碧を見てニヤリと笑った。

「ははは、どもぉ……」

 苦手な部長に、碧は苦笑いを浮かべて挨拶した。

 部員達と楽しく話している悠貴子を見て、碧に、またモヤモヤした感情が湧いて来た。

 そんなに長くない時間ではあるが、楽しく話している悠貴子を見て、碧は疎外感に襲われた。

 そして碧は、悠貴子に近付き、

「あっ、花火、そろそろ始まるよ」と、悠貴子の手を掴んだ。

「じゃ、私達はこれで」

 部長達に軽く挨拶をすると、

「お雪、行こ」と、碧は悠貴子の手を引っ張った。

「あっ、碧」

 碧に引っ張られながら、悠貴子が振り向き部長達に少し頭を下げて挨拶した。

「ありゃ?何か気分を害する様な事をでもしたかな?」

 碧の素っ気無い態度を見て、部長が首を傾げると、

「日頃の行いじゃ有りませんか?」と、九条がしれっと言った。

「……九条さん」

 今回の件とは関係無い物の、ある意味、的を射た九条の発言に、部員達が苦笑いを浮かべて部長を見た。

 碧に手を引かれ、境内へと続く階段を登っている悠貴子が、

「ちょっと、碧、待ってよ」と、引かれていた手を放して止まった。

「どうしちゃったの?碧」

「どうもしないわ」

「そんな事ないでしょ、ちょっと変よ」

「そんな事無いわよ」

「それに、千鶴達は?」

「もう、上に行ってるわよ」

「そんな……」

 悠貴子を見ようともせずに答える碧に、

「もう、こっちを向いて」と、悠貴子が碧の手を引っ張った。

「さっきのは何よ、あれじゃ部長達に失礼でしょ」

「……いいから、行くよ」

 悠貴子が引っ張った手を其のまま引っ張り碧は階段を上って行った。

「碧、ちょっと……」

 碧を止め様としたが、人通りの多い階段で立ち止まっているのも悪いかと思い、悠貴子は碧に付いて行った。

 階段を上りきって、やしろのある広い境内を人混みを縫って進み、少し木々が途切れた見晴らしの良い場所へとやって来た。

 沢山の人がいる中、智子達が碧達を見付けてやって来た。

「ああ、やっと会えた」

 碧の隣に立った智子が、

「あれ?」と、二人に違和感を感じた。

「どうかしたの?」

 心配そうに尋ねる智子に、

「別に、何でも無いわ」と、碧が素っ気無く答えた。

 悠貴子の方を見ても、悠貴子は碧を見ようとしていない。

 そんな二人の雰囲気を見て『喧嘩でもしたのかな?』と、智子は感じた。

 恋愛経験の無い智子ではあったが『夫婦喧嘩は犬も食わない』と、言う言葉は知っている。

 第一、独り身の自分が適切なアドバイスが出来るとは思えないので、智子は千鶴の傍に寄って、

「あの二人、どうやら喧嘩中みたいよ」と、二人には聞えない様、千鶴に囁いた。

「えっ!」

 驚いて二人を見て、

「……みたいね」と、千鶴は智子に囁いた。

「原因は?」

「知らないわよ、でも、どうする?」

「……下手に構わない方が良いよ」

「そうなの?」

「下手すると返ってこじれるから」

「へえ、そうなんだ」

 流石、恋愛の先輩と、智子が千鶴を尊敬の眼差しを送る。

「喧嘩の原因が何か分からないんだし、二人が相談して来るまでは、触らない方が良いよ」

「ほうほう」

「周りが何を言ったって、結局は二人で解決しなきゃいけない事だからね」

「うんうん」

「それに、あの二人なら、大丈夫でしょ」

「ほぅ」

 それが正しいのかどうかは別として、智子は千鶴の意見を素直に受け入れた。

 そして、そんな碧達の様子を、部長達も少し離れた所から見ていた。

 花火大会が始まると、近くの河原から花火が打ち上がり、空に大小の花を開かせた。

 花火が開くたびに辺りが花火の色に染まる。

 色取り取りに開花する花火を、智子達は目を輝かせて見ていた。

 が、花火が始まっても、終始無言の碧と悠貴子が気に成って、百%楽しむ事が出来なかった。

 ラストは、無数の花火が一斉に打ち上げられ、地響きかと間違う轟音と共に、辺りが昼間の様に明るく照らし出される。

 その迫力に、見ていた人達が一斉に歓声を上げた。

 そして、音と光が収まった時、観客の溜息と共に辺りは静寂さを取り戻した。 

「じゃ、私、帰るから」

 皆の方を見ずに、素っ気無く言って碧は階段の方へと向かった。

「あっ……」

 止めようとした智子と千鶴だったが、悠貴子が無反応なのを見て、押し止まった。

「私も帰るわ」

 少し寂しそうに微笑んでいる悠貴子に、

「うん、私達はもう少し遊んでから帰るわ」と、千鶴が答えた。

「じゃ、またね」

「うん、またね」

 振り向いて歩いて行く悠貴子を見送って、

「ありゃ、大丈夫かね?」と、心配そうに智子が千鶴に聞いた。

「うむ、確かに、重症だね……」

「本当に、ほっといて良いのかな?」

「良いんじゃない、去年だって似た様な事あったでしょ」

「あっ、そう言えば……」

 千鶴と智子は、悠貴子の後姿を追いながら、去年の事を思い出していた。


 階段を下りて、屋台が並ぶ参道を一人碧が歩いている。

 楽しそうにしている人々のざわめきと隔絶された空間を碧は歩いていた。

 自分が何をしたのか、それがどう言う事なのか、それは碧自身も分かっていた。

 だけど、理性とは別に行動している自分が居る。

「お雪、怒ってるかな……でも……」

 そんな、今の自分が嫌だった。

「ああぁ、もう、苛々する!」

 自転車が置いてある場所まで来て、碧は自転車のハンドルに手をかけて、じっと動かなくなった。

「どうすれば良いのよ……」

 碧は項垂れながら自転車の横に立っていた。


 悠貴子が、階段を下りている途中、

「悠貴子ちゃん」と、九条が声を掛けて来た。

「九条先輩」

「どうしたの?東郷さんは一緒じゃないの?」

 聞かれて悠貴子は少し伏目がちに、

「ええ……」と、小さな声で答えた。

「どうかしたの?」

 心配そうに尋ねる九条に、

「いえ、何でもありません」と、作り笑顔で答えた。

「あの、部長達は?」

 九条は、くすっと笑ってから、

「皆と金魚すくいで勝負するんですって」と、呆れた様に答えた。

 九条が悠貴子の顔を見ながら、

「ねぇ、ちょっと歩かない」と、微笑みながら誘った。

「えっ?」

「もう、境内は人が引いて静かになったわ」

「ええ……」

「いらっしゃいな」

「はい……」

 階段を登って行く九条の後を、悠貴子は何の事か分からずに付いて行った。


「あれ?」

 ポケットを探っている碧が、

「鍵……」と、目当ての物が見付からずに焦っていた。

「何処かで落としたのかな?ハンカチを出した時?金魚すくいの時?」

 記憶を辿って行くが、確信的な場面が見当たらない。

「ああ、もう、泣きっ面に蜂だわ」

 それでなくても落ち込んで居る時に、駄目出しの不運。

「はぁ、探すか……」

 碧は、脱力感と共に参道へと戻って行った。


 人が疎らになった境内で、

「何時も一緒に居るのに、今日は東郷さん居ないのね」と、歩きながら九条が尋ねた。

「……」

「喧嘩でもしたの?」

 九条の言葉を聞いて、悠貴子が立ち止まった。

 そんな悠貴子を見て、

「そうなのね」と、悠貴子に近付いた。

「あの、私達、喧嘩なんてしていません」

 俯きながら小さな声で悠貴子が答えると、

「ほんとに?」と、九条が微笑んだ。

「なんだか分からないんです」

「えっ?」

「……」

 俯いたまま黙ってしまった悠貴子に、

「いらっしゃい」と言って、九条は悠貴子の手を引いて歩き出した。

 そして、悠貴子も九条に引かれるままに歩き出した。


 碧は、下を見て鍵を探しながら参道を歩いていた。

 取り合えず、記憶にある自分が歩いたルート辿っている。

 金魚すくいの所では、部長達の姿を見付け、気付かれない様に周囲を探した。

 結局、見付からずに境内へと登る階段の所まで来てしまった。

「もう……」

 苛々と焦りが募り、

「くそっ!」と、近くに立っていた太い木を殴った。

「……いったぁ……」

 当然です。

「はぁ……頭、冷やすか……」

 痛む手を摩りながら、碧は階段を登って行った。


 悠貴子達は、花火を見ていた所から少し歩いて人気の無い木立の方へと入った。

 立ち止まった九条が、

「悠貴子ちゃん」と、優しく声を掛ける。

「東郷さんと何かあったの?」

「えっ……」

 九条が手を伸ばし、悠貴子の頬を撫でながら、

「喧嘩したんでしょ」と、尋ねた。

 悠貴子は九条の手を少し気にしながら、

「いえ、そんな、喧嘩だなんて……」と、恥かしそうに俯いた。

「嘘仰い、こんなに悲しい顔してるのに」

「……」

 黙って居る悠貴子の後ろに九条が回り、悠貴子の両肩に手を置いた。

「貴方の、そんな悲しそうな顔なんて見たくないわ」

 両肩に置いた手を滑らせ、九条は後ろから悠貴子を抱き締めた。

「えっ?」

「私が慰めてあげる……」

「えっ、あの、九条せんぱ……」

 九条は、抱き締めていた手を悠貴子の胸へ滑らせる。

「あっ……」

 そして、もう片方の手を帯の下へと下げた。

「いやっ」

 悠貴子は小さく叫んで、身を縮める。

「大丈夫、怖がらないで……」

 九条は獲物を捕らえた蜘蛛の様に、自由を奪い絡めた悠貴子の柔らかな体をもてあそぶ。

 そして、髪をアップにして覗いているうなじへと唇を寄せる。

「あっ……」

「ああぁ、良い香り……」

 九条は浴衣の中へと手を忍び込ませ悠貴子の胸をまさぐり、その柔らかく滑らかな手触りと、悠貴子の甘い肌の香りに陶酔する。

 悠貴子は、自分が何をされているのか、九条がしている事も分かってはいるが、拒絶しようとしても恐怖で体が萎縮して動かない。

 そして九条は、浴衣の裾をはだけさし、悠貴子の内腿へと手を潜り込ませる。

「きゃっ……」

 悠貴子は咄嗟に腿を固く閉じたが、九条の指が容赦無く進入して来た。

「ふふふふ……」

 柔らかな下腹部を指で楽しみながら、九条は悠貴子の耳を軽く噛んだ。

「なっ、なにしてんですか!」

 恐怖に押し潰されそうになっていた悠貴子が、その声を聞いて前を見た。

「碧!」

 碧の姿を見た瞬間、恐怖に拘束されていた悠貴子が、呪縛が解けた様に九条の手を振り払って、碧へと駆け出した。

 碧へと辿り着いた乱れた浴衣菅の悠貴子を見て、

「何してたのよ!」と、碧は怒りにを露にした目で、睨み付ける。

 悠貴子は碧が誤解していると感じて、

「違うの、九条先輩が無理やり……」と、焦りながら悠貴子は説明した。

「先輩!どう言う事ですか!」

 九条に近付きながら、問い詰める碧に、

「あら、来ちゃったの……」と、不満そうに言った。

「詰まんない……」

 碧が見えていないかの様に、九条は髪型を整えいる。

「先輩!」

 そんな、九条の態度が、更に碧の怒りを膨らませ、

「説明して下さい!」と、九条の胸元を掴んだ。

「碧、だめ!」

 今にも殴り掛からんとしている碧に、悠貴子が慌ててしがみ付いた。

 睨み付けている碧に、

「貴方達、喧嘩してたんでしょ」と、薄笑みを浮かべながら言った。

「先輩には関係ありません」

「関係ないけどね……」

 九条は胸元を掴んでいる碧の手を払い除け、

「悲しそうにしてた悠貴子ちゃんを、慰めて上げてただけよ」と、何でも無いかのように答えた。

「それでね、喧嘩してるのなら、私が悠貴子ちゃんを取っちゃおうかな、なんて思ったの」

「取るって……」

「恋人放ったらかして一人で帰ったくせに、どうせ要らないんだったら、取っちゃっても良いでしょ」

 九条の『要らない』と言う言葉を聞いて、碧は悠貴子の家庭で自分が“要らない子”だと思って居た事を思い出した。

「要らないって何ですか!悠貴子は物じゃありません!」

「碧、やめて!」

 怒りを露に九条へと詰め寄る碧を、しがみ付いている悠貴子が力の限り引き止める。

「先輩は悠貴子の気持ちなんて考えて無いでしょ!」

 と、言った瞬間、碧は自分の事に気が付いた。

 今までの苛々の原因。

 自分も悠貴子の気持ちなんて考えていなかった。

 自分だけの我侭で、一人勝手に苛々していた自分。

 黙って、力の抜けた碧に、

「碧、どうしたの」と、心配そうに悠貴子が声を掛けた。

「あっ……」

 心配そうに見詰めている悠貴子を見て、碧は恥かしい思いが込み上げて来た。

 今日、悠貴子に対して自分が取った態度に、碧は自分が如何に幼稚で恰好の悪い事をしたのか気付いた。

 そんな照れ臭さと九条に対しての怒りとが混ざり、

「だいたいお雪も悪いのよ!」と、しがみ付いてる悠貴子に怒鳴った。

 碧の八つ当たりで行き成り怒鳴られた悠貴子が、

「えっと……」と、訳が分からずに戸惑った。

「何時も私の傍に要れば良いのよ!なのに先輩なんかにのこのこ付いて行って!」

 冷静さを完全に失って、碧の理不尽な本音が出た。

「なっ、なによ、それって私が悪いの!」

 訳の分からない理不尽な事を言われ、悠貴子が碧の前に回って怒鳴った。

「そもそも、碧が一人で先に帰ったんでしょ!」

「なんで、その時付いて来なかったのよ!」

「付いて行ける訳無いでしょ、不機嫌そうな顔して、怒って帰っちゃって!」

「怒ってなんか居なかったわよ!」

「怒っていたわよ!怒りたいのこっちの方なのに!」

 胸の所で拳を握り締めて怒鳴る悠貴子に、

「何よそれ……」と、碧は訳が分からずに聞き直した。

「昨日、遥ちゃん会ってたでしょ」

「えっ……」

「私、駅の喫茶店から二人で出て来るのを見たの」

 別に隠す事でも無いが、碧は遥と会っていた事に少し悠貴子に対して罪悪感を持っていた。

「そ、それがどうしたのよ、遥ちゃんは私の友達よ、何時会おうが私の勝手でしょ、お雪だってクラスの子達とプールに行ったじゃない」

「本当に、友達としてなの……」

「何よそれ、私が浮気してるとでも言いたいの」

「別にぃ、そう言う訳じゃ無いけどぉ……」

 唇を尖らしてそっぽ向く悠貴子を見て、

「友達と遊びに行ったら、浮気認定されちゃうわけ!」と、碧が怒鳴った。

「遥ちゃんの場合は別でしょ!」

「だったら、お雪だって、こんな人の居ない所に先輩と来て、その気が有ったんじゃないの!」

「へんな勘繰りしないでよ、先輩があんな人だって知らなかったわよ!」

「知らなくても期待してたんじゃないのぉ……」

「馬鹿な事言わないで!」

 怒鳴りあってる二人を見て、

「あぁあ、修羅場っちゃった……」と、九条が呟いた。

「苦手なのよねぇ……こう言うの」

 そう言って二人に気付かれない様に、九条はその場から消えた。

「碧の馬鹿ぁ!」

「お雪のバカァ!」

 お互いの放った渾身の平手が、お互いの頬へとヒットする。

 そして、二人はバランスを崩してその場に座り込んだ。

 怒鳴り疲れて二人は、暫く黙って肩で息をしていた。

 そして、息が整って来た碧が、

「なんで喧嘩してんだろ、私達……」と、呟いた。

「そうね、なんでだろ……」

 悠貴子が乱れた浴衣を調えて、近くの石に座りなおした。

 碧が悠貴子の隣に寄り添って座りなおして、

「ごめん……」と、呟くように謝った。

「ううん、私の方こそ、ごめんなさい……」

「あのさ……私の我侭だって事、分かってるんだけど、お雪が友達とプールに行った日ね、私、お雪と買い物に行きたかったの」

「えっ、そうだったの?」

「うん……それで、なんか私、変に苛々しちゃって、お雪を取られたみたいで……」

「碧……」

「それで、部長さん達にも失礼な事しちゃった、本当にごめん……」

「ううん、私の方こそ謝らないと……」

「えっ?」

「碧と遥ちゃんが一緒にいる所を見て、私、ちょっと焼餅焼いちゃって……でも、それって、碧を信用してない事に成るじゃない、だから、私、ちょっと落ち込んじゃってて」

「お雪……」

「それに今日、碧が不機嫌そうにしてたから、私、余計に落ち込んじゃって……」

「で、優しいお姉様の誘いに乗っちゃった訳だ」

「もう、変な言い方しないでよ、本当に怖かったんだから」

 碧の肩を揺すって講義する悠貴子の肩を抱いて、

「やっぱり、私達ってまだまだだね」と、碧が静かに言った。

 悠貴子が碧の肩に凭れ掛り、

「だね、もう一年も付き合ってるのに」と、言った。

「もうじゃ無くて、まだ一年、だね」

「うん、こんな事で喧嘩するんじゃ、まだ一年だね」

 夜空の星を暫く眺めていた碧が、

「何十年って仲良く夫婦で暮らしている人達でも喧嘩するのかな?」と、悠貴子に聞いた。

「うん、長く一緒に居ると色々あるでしょから、喧嘩ぐらいするんじゃない」

「だよね……」

 碧に凭れていた悠貴子が体を起こして、

「ねぇ、碧」と、碧の顔を見て言った。

「なに?」

「これからは、言い難い事でも、ちゃんと言って話し合う事」

「えっ」

「そりゃ、節度って物もあるでしょうけど、言いたい事を言わないって、隠し事をしているみたいじゃない?」

「あ、そうね……」

「これからは、お互いに、変に意地を張らない、隠し事はしない、分かった?」

「うん」

 夜空を見上げた碧が、

「とりあえず、一年経ったのね」と、懐かしそうに言った。

「うん、去年の花火大会の後、碧の家で……あれ?」

 急に言葉を止めた悠貴子の顔を見て、

「どうかしたの?」と、碧が聞いた。

「あの日も、私達、喧嘩してなかったかしら?」

「えっ?」

 碧は暫く考えて、

「あ、なんか喧嘩してたような……」と、曖昧な記憶を探った。

「何で喧嘩してたのかな?」

「何でだろ?」

「あれ?」

「あれ?」

 小首を傾げて考えていた二人が、顔を合わせてくすっと笑った。

「ふふふ、何でも良いじゃない、私は、その後お雪に告白された事はちゃんと覚えているから」

「ええ、そうね」

 微笑んでいる悠貴子の顔を見ながら、碧が悠貴子を引き寄せる。

 悠貴子は静かに目を閉じると、碧が悠貴子の唇へと近付いた。

 月の無い星が瞬く夜空の下で、懐かしい思い出と共に仲直りのキスをした。

 暫くして碧が立ち上がり、

「さて、帰りますか」と、悠貴子の方へと手を伸ばした。

 悠貴子が碧の手を握って、

「ええ」と、言って立ち上がった。

「あれ、そう言えば九条先輩は?」

 辺りを見回す碧を見て、

「そう言えば……」と、悠貴子も辺りを見回した。

「今度会ったらぁ……」

 拳を握り締める碧を見て、

「もう、駄目よ、二度としないように言うだけで良いわよ」と、碧の拳を両手で持って下げた。

「でもっ……」

「私も気を付けるし、九条先輩も碧に睨まれたら何も出来ないわよ」

 微笑んでいる悠貴子を見て、碧は肩の力を抜いた。

「送るわ、一緒に帰りましょ」

「えっ、碧、自転車でしょ」

「えっと、鍵、無くしちゃったみたいなの」

「えっ、どうするの?」

「明日、叔父さんに頼んで車で取りに来るわ」

「もう、碧って意外にドジッ子?」

 笑っている悠貴子に、

「もう、言わないでよ、それで私、余計に苛々してたんだからぁ」と、唇を尖らせた。

「でも、その御蔭で九条先輩の魔の手から、お雪を救えたんなら安いものよ」

「まぁ、結果オーライね」

 二人はしっかりと手を繋ぎながら、楽しそうに階段を下りて行った。




最後まで読んで下さってありがとうございました。m(__)m

感想等いたたけましたら幸いです。

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