第 一 章 第五話
女の子同士の恋の物語です。
軽音部の先輩達に迷惑を掛けた事で、居た堪れなく無くなった碧は軽音部を辞めたが、やはり未練が残っていた。
そして、軽音部へ戻りたい碧は……
碧と悠貴子のお話、第五話です。
Ride On!
第一章
第五話
悠貴子と駅で別れて、まだ明るい家までの道を、今日の出来事で押し潰されそうになりながら、碧は歩いていた。
カミングアウトした事は後悔したくない。
それは、追い詰められた中、自分自身と悠貴子に対して嘘を吐きたくなかったから。
だけど、それが自分達だけの問題に止まらなかった事に、碧は後悔した。
自分自身、覚悟を決めたとしても、それは自分勝手な事でしかなかった。
周囲への影響まで考えなかった自分達の軽率な言動が、大好きだった仲間達に迷惑を掛けた事に、碧は罪悪感を感じていた。
「言えないよ、お雪には、言えないよ……」
そんな思いが、碧の足を益々重くした。
家に着くと、碧は舞の車を見て、
「舞さん……」と、事務所の入り口の方へと向かって行った。
碧は事務所に入り、舞を見付けると、
「舞さん」と、声を掛けた。
パソコンの前に座っている舞が、
「なぁにぃ?」と、仕事を続けながら返事をした。
それから暫く黙ったままの碧に、
「何か有ったの?」と、舞が振り向いて尋ねた。
「ごめん、仕事忙しいのに」
「うん、いいよ、もう皆帰ったし、私も帰るところ」
微笑んでいる舞に、
「女の子の悩み相談室、お願いします」と、碧が頭を下げた。
舞は碧の雰囲気を察して、
「じゃ、一緒に食事でも行く?」と、パソコンを終了しだした。
「今日は社長、朝から居なかったから、夕食作ってないでしょ」
「うん、メール来てた」
「じゃ、行きましょ」
舞が事務所の鍵を閉めて、二人は舞の車に乗った。
事務所を出て、町へと向う道で、
「久しぶりね、相談室」と、くすっと笑った。
「うん」
叔父に引き取られてから、女である碧は、男の叔父には相談出来ない事を舞に相談していた。
「お雪ちゃんと何か有ったの?上手く行ってると思っていたけど」
「うん……」
中学の時に、お雪への思いを悩んで、碧は舞に相談していた。
「今日ね……」
車の中で、昼間の騒ぎから軽音部での出来事を、碧は舞に話した。
それを舞は黙って聞いていた。
暫く走って、車は国道沿いのファミレスへと入り、碧達は店の中へと入って行った。
テーブルに座って、舞はピラフのスープセットを注文し、食欲の無い碧はツナサンドとミルクを注文した。
「お雪ちゃんとは上手く行ってるのね?」
「うん」
「部活での事、お雪ちゃんに話した?」
舞の質問に碧は首を振って、
「言えないよ……」と、俯いてしまった。
「どうして?」
「だって、私達の関係を知ったら、今までの友達が離れて行くって、そんな事、言えないよ……」
悲しそうに俯いている碧に、
「そうね……」と、深刻そうに考え込んだ。
そして、注文した品がテーブルに並ぶと、
「まずは、食べましょうか」と、舞が微笑みながら言った。
碧は味気無い思いでツナサンドを一口一口と、ミルクで喉に押し込むように食べた。
「ねぇ、舞さんの時はどうだったの?」
碧の質問に、
「そうねぇ、私の時は、碧ちゃんのケースには当てはまらないけど」と、過去を思い出して舞の顔が曇った。
「私はカミングアウトしなかったけど、大学生の時、女の子と付き合っている事が、それとなく周りに知られちゃって、それで、何人かの友達は離れて行ったわ」
「やっぱり……」
「うん、そうね……それが普通かもね」
落ち込んで肩を落としている碧に、
「お雪ちゃんを、愛して行きたいんなら覚悟しなさいって言ったでしょ、今回の事も覚悟の一つよ」と、少しきつい口調で言った。
「私達は覚悟してたつもりよ、でも、友達が……」
「多くの人はね、同性愛者を嫌悪しているの、だから、同じだとは思われたくない、当然でしょ」
「うん……」
「箱の中で腐ったりんごが見付かると、当然捨てるわ、それと同じよ」
「……」
「でも、智子ちゃんや、クラスの女の子は、味方になってくれているんでしょ」
舞の言葉を聞いて、碧は暫く考えてから、
「智子や千鶴も、武田さんも、私と同じだなんて噂が流れたら、どうなるか分からないわよ」と、悔しそうに言った。
「武田さんは言ってたもん『自分に実害が及ばない限り』って、やっぱり被害が出たら離れて行っちゃうよ」
「そうかもね……カミングアウトした事、後悔している?」
「お雪の事は愛している、もう誤魔化したくない、だから、後悔なんかしたくないわ……」
「だったら……」
「でも、でも、智子や千鶴とも別れたくない、軽音部だって、軽音部だって、辞めたくなんかないよ……」
「ふぅ……贅沢ね……」
舞が呆れたように溜息を付くと、テーブルの上で碧は両手を強く握って、悔しそうに歯を食いしばっていた。
「ねぇ、どうしたら良いの、舞さん!私、分かんないよ!」
「甘えんじゃないわよ」
「えっ……」
「全てが思い通りに行くとでも思っているの?全てが手に入るとでも思っているの?」
睨み付ける舞を見て、碧は戸惑った。
「一つの物を手に入れる為に、多くの物を失う事もあるの」
「だけど……」
「あのね碧ちゃん、自分自身の事は覚悟出来ても、他人の心なんて、そう簡単には変えられないものよ」
舞は碧の手の上に自分の手をそっと置いて、
「変えられないものに対して、もがいても無駄よ、空しいだけ、だから、それは素直に受け入れなきゃいけない時もあるの」と、碧の手を優しく握った。
「受け入れるって……」
「忘れる事が一番楽ね」
「そんな……」
「離れて行くような友達の事は、忘れた方が楽だわ」
「それが嫌だから、どうしたら良いのか相談してるんじゃない!」
舞のネガティブな言葉に苛立って、碧は思わず大声を上げてしまった。
そんな碧を暫く見詰めてから、
「碧ちゃんにとって都合の良い答えなんて出せないわ」と、静かに言った。
「都合が良いって、そなん積りじゃ……」
「だったら、逃げないで」
「えっ?」
「逃げる事が嫌でカミングアウトしたんでしょ?」
「うん」
「だったら何故、軽音部から逃げて来たの?」
「別に、逃げて来たわけじゃ……」
舞は、顔を背けて口篭る碧に、
「そうかしら?私には、逃げて来たとしか思えないけど」と、少しきつい口調で言った。
舞の言葉を聞いて、葉山達に嫌な思いをさせた事で、居た堪れなくなった自分が居た事を碧は思い出した。
黙って居る碧に、
「どうするの?このまま逃げるの?」と、舞が尋ねた。
「逃げたくない……」
「そう、なら、どうすれば良いのかは分かるでしょ?」
「……」
「逃げたくないなら、甘えた事言ってないで、歯を食いしばってでも泣きながらでも、形振り構わず前に進みなさい」
碧は暫く考えてから、
「明日、もう一度先輩達に謝って、お願いしてみる……」と、小さな声で言った。
それで、葉山達が許してくれるとは思えない。
このままだと、話さえ聞いてくれ無いかも知れない。
また、罵られるかも知れない。
そんな思いが碧を臆病にさせていたが、再び嫌な思いをする事を恐れて、逃げていては何も得られないと、碧は決心した。
「そうね、それが良いかもね」
「うん……」
一つの結論を出したものの、やはり碧の中には躊躇いが残っていた。
再び葉山達の前に立つ不安。
それは、拭い去れる物では無かった。
「さぁ、帰りましょうか、送るわ」
「うん、ありがとう……」
心の中のモヤモヤとしたものは消えなかったが、舞に話を聞いてもらって、碧は少し心が軽くなった。
碧が家に帰ると、叔父は既に帰っていた。
「あ、碧ちゃん、今帰ったの?」
「うん、舞さんと食事してた」
「そう」
「叔父さんは?」
「食べて来た、あ、俺、もうお風呂入ったから、明日も現場で早いしもう寝るね」
「はぁい」
「あ、朝ごはんは用意しとくけど、晩御飯は適当に食べてね」
「了解」
自分の部屋に入った碧は、携帯電話を取り出して、
『今日はごめん、明日話すから』と、悠貴子にメールを送った。
そして、碧が着替えようと制服を脱いでいる時、メールの着信音が鳴った。
碧が携帯電話を開くと、悠貴子からの返信が入っていた。
『もう、心配したんだからねプンプン、碧ったら、あんなに泣いて……』
そのメールは、とてもあの短時間で打ったとは信じられないほど長く、色々なデコレートがされていた。
「どうやったら、これだけ打てるのよ……」
碧は悠貴子の気持ちが伝わって来るメールを読んで、くすっと笑った。
そして、碧は、
『ごめんね、心配掛けて、おやすみ』と、文字を打って、少し躊躇ってから『愛してるよ』と、付け足したメールを悠貴子に再び送った。
メールを送信してから少し間を置いて、
『うん、私も愛してるよ、おやすみ』と、デコキャラがいっぱい付いたメールが悠貴子から帰って来た。
携帯電話を閉じた碧は、ベッドの上で大きく溜息を付いた。
「お雪に、何て説明しよう……」
今日あった事を思い起こしながら、碧は机に飾ってある悠貴子と二人で写した写真をじっと見詰めていた。
ーーー◇ーーー
次の日の朝、悠貴子と碧は何時もの待ち合わせの時間に駅で会って電車に乗った。
智子と千鶴も同じ中学だったのだが、碧達とは少し地域が違うので、バスで通っていた。
何時もと変わらない電車に乗る二人。
普通なら、あんな騒ぎがあった翌日は、登校する事が躊躇われるが、負けたくないと思う二人は、休む事など思いもしなかった。
「じゃ、碧、軽音部辞めちゃったの?そう言えば、今日はギター持って来てないね」
そんなに混んでいない郊外行きの電車の中で、碧と悠貴子は並んで立っていた。
「その事なんだけどね、やっぱり辞めたくない」
「でしょうね」
「先輩に迷惑を掛けたのも事実だけど、何とかお願いして戻りたいの」
窓の外を見ていた碧が、悠貴子の方を向いて、
「あ、そうだ、文芸部の方はどうだったの?」と、悠貴子に尋ねた。
「うん、色々と聞かれちゃったけど、皆は受け入れてくれたみたい」
「そうなんだ、良かったじゃない」
「うん、まぁ、皆少し変わった人達だから、この程度じゃ動じないのかも」
「くすっ、頼もしいわね」
「でも、碧の話を聞くと、楽観的にはなれないわね」
「うん……」
顔を曇らせる碧を見て、
「周りの環境で、どうなるか分からないものね」と、考え込むように俯いた。
「そうなのよね、智子と千鶴は中学の時からだから、あまり変わらないと思うけど」
「でも嫌な話ね、攻撃したいなら私達に直接したら良いのに、なんで先輩達に矛先が向くのよ」
「そう言うものよ、世間って」
自分達の知らない所で起こる事、手の届かない所で起こる事、そのどうしようもない物事に、碧と悠貴子は自分達が無力である事を知った。
電車は駅へと着いて、碧達は電車から降りて学校へと向かった。
二人が並んで歩いていると、やはり周りの生徒達が注目しながらこそこそと話をしている。
「一気に有名人だね」
「ふふふ、そうね」
「まっ、この程度なら、耐えてやろうじゃないの」
「どうせ、飽きて来たら収まるわね」
悠貴子の考えは、少し楽観的かも知れないが、群集とはそんなものだ。
ただし、どれだけの間、耐えなければいけないのか、二人には想像出来なかった。
校舎に入って悠貴子の教室の前まで来ると、
「お雪、本当に大丈夫?」と、碧が心配そうに尋ねた。
「うん、心配しないで、杉山君も居るから」
微笑んでいる悠貴子を見て、
「うん、それじゃ」と言って、碧は自分の教室へと向かった。
碧が教室に入ると、多少の違和感は感じたが、武田のせいもあって、そんなにも今までの日常とは変わらなかった。
「おはよう」
「おはよう」
親しい生徒に挨拶すると、何時もの様に普通に挨拶が返って来た。
ただ何となく、男子達は少し違った目で碧を見ている気がした。
鞄を置いた碧は、そのまま武田の所へと向かった。
「おはよう」
「あ、おはよう、何か用?」
「うん、昨日ね……」
碧は部活での出来事を武田に話した。
「それで、このままだと友達に迷惑掛けるから……」
「確かにね、気にする子は気にするでしょうね」
「だから、どうしたら良いのか分からなくて……」
「どうしようも無いわね、レズだって宣言した事が、どれだけ回りに影響するか今更気付いた所で遅いわよ、後悔先に立たずって良く言ったものね」
「そうね……」
自分達は何も悪い事はしていない、後悔なんてしたくないと思っていた碧だったが、武田の言葉を聞いて、告白した事に対して罪悪感を覚えた。
「武田さんは?何か言われた?」
「さぁね、影で何て言われてるか知れないけど、面と向っては言われて無いわ」
「そっかぁ……」
「言われ所で、下らない中傷なら、私のプライドに掛けて跳ね除けるけどね」
「強いのね」
微笑んでいる碧を見て、
「強くなんか無いわよ、弱い分、虚勢を張ってるのよ」と、武田も微笑んだ。
「でも、確かに嫌ね、そんな事で友達無くすなんて」
「うん」
「だけど、何時までも友達でいるなんて事も難しい事よ」
「えっ?」
「だってそうでしょ、小学校、中学校で友達いたけど、全部が続いているわけじゃ無いでしょ」
「そうね」
「もっと前向きに考える事ね」
「えっ?」
「覚悟は出来ているんでしょ、東郷さんが友人達の事を気遣っている事は分かるけど、そんな事うじうじ引っ張ってないで、もっと前向きに考えなさいよ」
武田が立ち上がって碧の前に立つと、碧を上からしたまで見て、
「こんな大きな体してるのに、意外と小心者ね」と、馬鹿にするように言った。
「あ、ついでに胸も小さい……うん?今、気付いたけど、全然無い……」
「気付かんで良い!」
笑っている武田を見て、
「武田さんだって、そんなに大きくないでしょ……」と、碧が唇を尖らせた。
「あっ、今思ったんだけど」
「何を?」
武田は自分の席に座りなおして、
「女子の胸の大きさって、男子達は結構拘ってるみたいね」と、碧を見上げて言った。
「そうなの?」
「巨乳だとか、貧乳だとか分類しちゃってさ」
「ああ、聞いた事ある」
「こっちとしては、あんまり気にしてないんだけどね」
「うう、私は、もう少し、欲しいなぁって……」
寂しそうに、自分の胸に目線を向ける碧に、
「でも、ほんと羨ましいわね、東郷さん……」と、武田が碧の腰の辺りを眺めた。
武田は、ウエストからお尻へと流れる、碧のスリムで美しいラインを改めて上から下へと眺めて、
「それだけ細いと、どんな服でも着れるんでしょうねぇ……」と、少し嫉妬を込めて溜息を付いた。
「あ、まぁ、そうだけど、ちょっとサイズ的にね、短いのが多くって……あ、それと背が高いから細く見えるけど、そうでもないよ」
「えっ、どれぐらい?」
「六十三……だったかな?」
「……」
不機嫌そうな顔で見ている武田に、
「どうかしたの?」と、わけが分からずに碧が尋ねた。
「……べつに……」
何があったのかは分からないが、武田は空虚な溜息を付いた。
「やっぱり、女の子の問題って、胸よりお尻なのよねぇ……」
気を取り直した武田が、
「お尻から足に掛けて細いと綺麗に見えるんだけど」と、今度は碧の下半身へと目を向けた。
「ああ、お雪もそんな事言ってたっけ、でも、武田さんも細い方でしょ?」
「その“方”って曖昧な言い方が、まだまだ努力の余地有りと言っている様なものよ」
不機嫌そうな顔で碧を見ている武田に、
「ははは、それはそれは、失礼しました……」と、碧は失言を誤魔化すように笑った。
「やっぱり菜食主義者なの?東郷さん」
「全然、お肉好きだし、何でも食べるよ」
「小食なの?」
「そうでもないよ、お腹減ってると牛丼の並なら二杯は食べるよ、それに、好きなケーキだとホールで食べちゃうし」
「……喧嘩売ってるの?」
「えっ!何で!」
睨み付ける武田の意味が分からずに、碧は戸惑った。
武田は体を碧に向けて座りなおし、
「ねぇ、こうやって、下らないお喋りをするだけで、友達を増やしていけると思わない?」と、微笑みながら碧に言った。
「えっ?」
「私達、入学してから昨日まで、そんなに話した事って無かったでしょ」
「そうね」
「離れて行く友達もいれば、新しく出来る友達もいる、そりゃ、理不尽な事で友達が離れて行くって悔しい事だけど、そんな事、これから先、何度でもある事よ」
「……」
「悔しい思いに押し潰されてどうするのよ、前向きに行かなきゃ」
「うん、そうだね」
「まぁ、興味本位で東郷さんを観察している私だけど、友達と言う立場で観察しても面白そうね」
「武田さん……」
碧は武田の顔を見て、
「ありがとう」と言って、手を差し出した。
「どういたしまして」
差し出された碧の手を握り、武田は微笑んだ。
ーーー◇ーーー
二時間目が終わって、加藤先生が職員室に帰って来ると、
「加藤先生」と、前の方で教頭先生が呼んだ。
「はい」
加藤先生が教頭先生の所へ行くと、林先生と二人の先生がいた。
「あ、今話していたんですけど、昨日から生徒達の間で流れている噂、お聞きになりましたか?加藤先生も軽音部の副顧問として東郷碧の事はご存知でしょ」
教頭先生の話を聞いて、
「ええ、あの子、結構話題になっていますね」と、答えた。
「あの噂、事実だと思われますか?」
「直接本人達に確認した訳ではありませんが、昨日の昼休みに二人は、多くの生徒達の前でそれを認めたと言う事には証言者も多くいます、普段からも仲が良い二人ですし、私は事実だと思いますが」
「全く、けしからん話だ、何を考えているのか……」
憮然とした顔で腕を組んでいる林先生に、
「けしからん、ですか?」と、加藤先生が不思議そうな顔で尋ねた。
「けしからんでしょ、学校で同性愛だ何て、ふしだらな!」
「いえ、ふしだらって、彼女達が何かしたんですか?」
「何をしたもどうも、同性愛そのものがふしだらでしょうが!」
顔を赤くして怒鳴る林先生に、
「だったら、三年生の不良も、けしからんじゃないんですか!」と、加藤先生も負けじと怒鳴った。
「な、何を言っているんですか、本校に不良なんていませんよ」
一気にトーンダウンした林先生に、
「制服を着崩して、高圧的な態度で粗暴な行為を行っている連中が不良じゃないのですか」と、加藤先生が詰め寄った。
「あ、ああ、あの連中の事ですか、あれは彼らの個性で……」
「だったら、同性愛も、彼女達の個性でしょ!」
「……」
「不良達の行動を個性だと仰るなら、四月に起こした事件も個性だと仰るのですか?」
「いや、あれは……」
「まあまあ、先生方、落ち着いて」
教頭先生が二人を宥めて、
「しかしですね、他の生徒達への影響と言うのも考えますと、同性愛と言うものは、如何な物かと……」と、加藤先生に穏やかに言った。
「不良達も最初は三人だったと聞いています、四月の事件依頼、今は十人位の徒党になっているじゃありませんか、彼らの方が、他の生徒達を巻き込んで影響しているんじゃないんですか」
「いや、しかし……」
「彼女達は二人で恋愛が成立しているんでしょ、まさか、彼女達が他の女子生徒に何かしたんですか?」
「いや、その様な、報告は、あの、受けてはいませんが……」
加藤先生の迫力に押され、教頭先生はしどろもどろに成った。
「ほう、加藤先生、随分と彼女達の肩を持つんですな、さては先生も同じ穴の狢ですかな?がっはっはっは……」
笑っている林先生に、加藤先生は軽蔑の眼差しを送り、
「下品な、仮にも教育者としての立場に在る人が、その様な短絡的な考えしか出来ないんですか」と、馬鹿にしたように言った。
「な、なんだと!」
「ま、ま、ま、先生落ち着いて」
逆上した林先生を教頭先生が制して、
「加藤先生、言い過ぎですよ」と、加藤先生を窘めた。
「どっちが言い過ぎですか!」
「あ、いや、ま、ま、加藤先生も落ち着いて……つまり、加藤先生は、東郷碧に付いては問題無いと」
「はい、全く問題ありません」
「ええ、では一組担任の橿原先生、天道悠貴子に付いては……」
「そうですね、普段の生活態度も真面目で、期末の総合点で学年四位ですから、学業に置いても問題無いと思います」
「それでは、二組担任の川西先生は……」
「東郷碧も、加藤先生が仰った通り、問題ありませんよ」
一通り先生達の意見を聞いた教頭先生が、
「では、今回の件に付いては、問題無しと、言う事で、よろしいでしょうか?」と、先生達の顔色を伺いながら言った。
「はい」
憮然として腕を組んでいる林先生を除いた先生達が返事をしたのを聞いて、
「では、そう言う事で、噂に付いて、校長先生には斯様に報告しておきます、しかし、校長先生のご判断で、職員会議と言う事に成る場合もありますので、その時は又よろしくお願いします」と、教頭先生は一礼した。
先生達が自分達の席へと戻る途中、碧の担任の川西先生が、
「あの親父、自分に危害が加わらない様な件には強気ですね」と、加藤先生に言った。
「普段は、三年のあいつ等なんかに関わって、あいつ等未成年ですし、殴られでもしたら損だって思ってるのに、相手が何も出来ない弱い存在だと分かると、言いたい事を言うんですよ」
「最低ですね」
「まっ、どっちも関わるなんて面倒臭いだけなんだから、問題ないって言っておけば良いのに、何を態々『けしからん!』だなんて騒ぐかね、はははは」
笑いながら歩いて行く川西先生を見送りながら、
「あんたも最低……」と、加藤先生が呟いた。
ーーー◇ーーー
その日の授業が終わり、碧は教科書を鞄に入れながら、
「はあぁ……」と、大きく溜息を付いた。
「どうしよう、このまま帰ろうか……」
碧は、重苦しい気分で窓から見える旧校舎を見た。
「逃げてちゃ駄目だって分かってるんだけどなぁ、もう一度、先輩に謝って……でも、先輩、話聞いてくれるかなぁ……」
軽音部へ向かう事を躊躇っている碧には、旧校舎が途方もなく遠くに見えた。
「碧、私、部活に行くわよ」
扉の所に立って悠貴子が言うと、
「うん、わかった」と、碧が答えた。
碧が鞄を持って教室を出た所で、
「どうするの?帰るの?」と、悠貴子が碧に尋ねた。
「……お雪、待ってるわ」
「うん、分かった、じゃ、終わったら図書室で待ってるからメールする」
「了解」
二人が図書室へと向おうとした時、
「あっ……」と、碧は、廊下で待っていた千佳と順子の姿を見付けた。
「碧ちゃん、一緒に部活行こ」
「……千佳ちゃん、順ちゃん」
「碧ちゃん、部活止めないで」
「うん、止めちゃ駄目だよ、だからねっ、一緒に行こうよ」
千佳が碧の手を掴んで引っ張ると、
「だ、駄目だよ……私なんかと居ると、二人も同じだと思われるわよ……」と、二人から顔を逸らした。
「碧ちゃん、被害妄想強過ぎ!そんなの、言いたい人には言わせとけば良いのよ!」
「千佳ちゃん……」
「この前、私が辞めたいって言った時、碧ちゃん、一生懸命説得してくれた、私凄く嬉しかったんだよ、だから、今度は私が一生懸命、碧ちゃん説得するもん」
千佳は、逃がさない様に碧の右手を両手で掴んで、真剣な目で見詰めていた。
「先輩達に、私達からもお願いするから」
順子も両手で碧の腕を掴んで、
「だからお願い、辞めないで」と、碧を見詰めた。
そんな二人を悠貴子は嬉しそうに見ていた。
「碧ちゃん、行こうよ」
「先輩に、お願いしても駄目だったら、私も辞める」
「千佳ちゃん、そんなの駄目よ!」
「碧ちゃんが辞めるんなら、私も辞める」
「えっ!順ちゃんまで!」
二人に、脅迫する様な目で見詰められて、碧は困ってしまったが、本当の友達は、どんな事が有っても最後まで友達で居てくれる、その事を実感した碧は、二人の気持ちが嬉しくて目頭が熱くなった。
「ありがとう、二人とも、私のために……」
碧の後ろから
「碧、何を躊躇ってるの」と、悠貴子が微笑みながら声を掛けた。
「軽音部、止めたくないって言ってたでしょ」
「お雪……」
「こんなに碧の事を思ってくれるお友達が居るのに、碧は諦めちゃうの?」
悠貴子は碧の背中に手を着いて、
「文化祭、楽しみにしてたんでしょ」と言って、碧の背中を軽く押した。
悠貴子に押されて半歩前に出た碧が、顔だけ悠貴子へと振り向くと、
「行ってらっしゃい」と、悠貴子は微笑んでいた。
「碧ちゃん、一緒に文化祭に出ようよ」
「うん……」
「皆で楽しみにしてるんだもの、一緒に文化祭出ようね」
「うん……」
順子と千佳の言葉を聞いて、碧は嬉しそうに頷いて、二人を見た。
「碧、私は大丈夫だから、行ってらっしゃい」
「でも……」
「大丈夫よ」
「……うん、行ってくる」
皆の気持ちが嬉しくて、俯いている碧の目に涙が滲んだ。
顔を上げた碧が、順子と千佳を見て
「じゃ、行こうか」と言って、笑顔を浮かべた。
「うん」
そして、その場で悠貴子と別れて、碧は二人に引っ張られる様に音楽室へと向った。
音楽室の前まで来て、やはり碧は入るのを躊躇ってしまった。
「碧ちゃん」
促す千佳の顔を見て、碧は静かに頷くと、音楽室の扉を開けた。
「おはようございます」
遠慮気味な声で碧が挨拶して音楽室に入ると、先輩達が一斉に碧を見た。
「何勝手な事してんのよ」
険悪な雰囲気で葉山が碧を睨んだ。
「あの、先輩、その、碧ちゃん、辞めさせないで下さい!」
「お願いします!」
碧の前に二人が立って頭を下げると、
「なんで、貴方達に言われなきゃいけないのよ」と、葉山が碧に近付いて来た。
「あの、葉山先輩、ご迷惑をお掛けした事は謝ります」
碧は頭を深く下げて、
「でも、私、軽音部辞めたくありません」と、はっきりと言った。
「随分と勝手ね、昨日も行き成り帰って」
「すみません……」
「第一、何時辞めろ何て言ったの?」
「えっ?」
「辞めろ何て一言も言っていないんだけど」
「先輩……」
碧の前で葉山が少し顔を赤くして恥ずかしそうに立っていた。
離れた所でニヤニヤしながら見ている先輩達に、
「これで良いんでしょ!」と、葉山が振り向いて言った。
「ははは、罰ゲーム終了」
笑いながら鈴木が近付いて来て、
「東郷、お帰り」と、微笑んだ。
「先輩……」
「えっ、じゃぁ、碧ちゃん辞めなくても良いんですか?」
拍子抜けしたみたいな顔で千佳が尋ねると、
「だから、辞めろだ何て言ってないでしょ」と、葉山が恥ずかしそうに答えた。
「もう、一人勝手に盛り上がって泣きながら出て行くんだもの、あれじゃ、まるで私が悪者じゃない」
「悪者だったよな」
「うん、だから罰ゲーム」
「だまらっしゃい!」
こそこそと話していた鈴木と川崎に、葉山が怒鳴った。
「あの、でも、良いんでしょうか、その、私達の事で迷惑掛けているのに……」
「あのね、東郷さん」
本田が碧に近付いて、
「理穂ったらね、今日も変な事言われたらしいの、そうしたらね『面白がって言うんじゃないわよ!彼女達、苦しんでいるのよ!』って凄い剣幕で……」と、碧に耳打ちした。
「りょ、良子!余計な事言わないでよ!」
顔を真っ赤にして葉山が怒鳴ると、
「それからねぇ『女の子苛めて面白いの!女の子苛めて喜んでる方が変態でしょ!』って、誰かさんが言ったのよねぇ」と、本田が意地悪そうに笑いながら葉山に言った。
「良子……」
顔を真っ赤にして本田を睨んでいる葉山に、碧は近付いて、
「ありがとうございます」と、頭を下げた。
葉山が碧から顔を逸らして、
「何も、礼を言われる筋合いなんて無いわよ」と、不機嫌そうに言った。
「私は、ただ、あの、その、か、可愛い……可愛い後輩が馬鹿にされているのが我慢出来なかっただけだからね!」
吐き捨てる様に言って、葉山は顔を赤くして碧に背を向けた。
「そりゃ、昨日は、変態扱いされて気分が悪かったけど……」
「理穂ったらぁ……」
葉山のストレートな言葉に、本田が苦笑いを浮かべる。
「昨日はごめん、言い過ぎたわ」
背を向けたまま謝る葉山に、
「いえ、そんな……ありがとうございます」と、碧は嬉しくて深く頭を下げた。
「昨日あんな事が有ったのに、今日も学校に来て、部活にも来た、並大抵の根性じゃ無いわね、いい加減な気持ちじゃ出来ない事よ」
「先輩……」
「ごめん、ふざけているとか言って、貴方達が真剣だって事、何となく分かった気がする」
「ありがとうございます」
再び頭を下げる碧へと、葉山が振り向いて、
「でも、レズなんて認めませんからね!」と、碧を指差して怒った様に断言した。
「は、はあ……」
戸惑っている碧を見て、葉山が、
「くすっ」と、笑うと、その場に居た全員が笑った。
皆が笑っている中で、何時もと変わらない軽音部に戻った事を感じた碧は、嬉しくて嬉しくて、頬を一筋の涙で濡らした。
「勝手な事ばかりしてすみませんでした!あの、これからも、ご迷惑をお掛けする事が、その、あるかも知れませんけど、あの、宜しくお願いします!」
碧が皆に深く頭を下げると、皆は拍手で碧を迎えた。
ーーー◇ーーー
部活を終えて、碧は悠貴子を迎えに図書室へと向かった。
部活帰りの生徒達とすれ違いながら、碧碧は階段を昇って行く。
時折、すれ違う生徒が立ち止まり、碧を好奇の目で見ている。
「はいはい、有名人ですよう……」
実際、一々気にしてたら身が持たない。
それに、珍獣の様に物珍しく見ている分には、実害が無い事は碧には分かっていたし、そんな事に腹を立てる事も無い。
「いやぁ、私も成長したねぇ……」
成長したかどうかは分からないが、カミングアウトしてしまった以上、精神の安定を保つ為には、開き直りと言う物も必要だと碧は理解した。
碧が図書室に着いて、扉を開けると、まだ何人かの部員が残っていた。
「あ、ごめんなさい、まだ部活中ですか?」
碧が扉の前に立って尋ねると、
「確保おぉーー!」と、叫んで、三人の女子生徒が碧に向って走って来た。
「いっ!」
行き成り二人の生徒に左右から両手を掴まれて、
「なっ、な、なんですか?」と、碧は戸惑いながら驚いた。
「東郷君だね?」
「は、はい……」
「ふふふ、色々と聞きたい事があるんでね、大人しく……」
「部長!」
碧を拘束している部長達に、九条が一喝して近付いて来た。
「何やってるんですか、ふざけるにも程がありますよ!」
「だってぇ……」
九条は部長を叱り付けると碧の方を向いて、
「東郷さんね」と、微笑んだ。
「はい……」
何が起こっているのか未だ理解出来ない碧は、綺麗な九条の顔に見とれていた。
「私は二年生の九条紗江よ、宜しくね」
「あ、はい……」
「ほら、貴方達も、東郷さんを解放してあげて」
「ええぇ……九条さんたら、乗りが悪いんだからぁ……」
九条に言われて二人の部員は、渋々碧の手を放した。
「ふふふ、とんだ災難ね」
「お雪……」
微笑みながらやって来た悠貴子に、
「何なの、これ……」と、耳打ちして尋ねた。
「紹介するわね、この方が部長さんよ」
「宜しく、東郷君」
「はぁ、どうもです……」
ペコリッと頭を下げてた碧に、
「ごめんなさいね、驚いたでしょ、でも、悪気は無いのよ、許してね」と、九条が優しく言った。
「ほら、部長も」
「いや、我々はだな、貴重な情報源を……」
「部長」
九条が部長を睨むと、
「はい、ごめんなさい……」と、部長は碧に頭を下げて素直に謝った。
「あのね、碧、皆私達の事を、聞きたいみたいなの」
「私達の事?」
「昨日も色々と聞かれちゃって……」
「それってぇ……」
碧は悠貴子の話を聞いて、
「今朝も言ってたけど、何を話したのよ」と、悠貴子の耳に囁いた。
「大丈夫、キスの事は、言ってないわ……」
悠貴子が碧の耳元に、手を添えながら口を寄せて、恥ずかしそうに囁いた瞬間、
「なに!キスとな!」と、部長のデビルイヤーが感知した。
「今言ったよね!キスって言ったよね!いや、言った言った!絶対に言った!」
「えっ、えっ……」
部長に迫られて、悠貴子はたじろいで後ろに下がった。
「さぁ、聞かせてもらいましょうか、さあ、さあ、さあ、さあぁ!」
「部長、いい加減にして下さい!」
部長と悠貴子の間に入って、
「悠紀子ちゃん、困ってるじゃ有りませんか!」と、再び部長を叱り付けた。
「だって、キスって言ったもん、聞きたいもん!」
駄々を捏ねている部長に、
「あっ、部長さん、違います!勘違いです!」と、碧が慌てて言った。
「勘違い?」
「はい、キスはキスでも魚のキスです、私、釣りが好きで、今度お雪と一緒に行こうかなぁ、なんてね……」
苦しい言い訳をする碧を、部長は不信感溢れる目で見ていた。
「本当にぃ?……」
「はい、本当です」
「本当に、本当ぉ?……」
「はい、本当に本当です」
「そんな子供騙しで誤魔化されるかぁ!」
鬼の様な形相で迫ってくる部長に、
「い、いえ!、本当に私達、手を繋ぐぐらいしか有りません!」と、碧は必死で誤魔化した。
「えっ?天道君、ハグしたって言ってたよ」
「えっ!」
部長に言われて慌てて悠貴子の方を見ると、悠貴子は申し訳無さそうに手を合わせていた。
碧が悠貴子の所に行くと、悠貴子の腕を掴んで部長から離れて、
「何時の事を言ったのよ!」と、小さな声で怒鳴った。
「ごめぇん、この間の春休み、碧の部屋で……」
「ええぇ!」
驚いている碧の背後から近付いて、
「ふっふっふっ、ベッドの上で、抱き合ったんだってねぇ……」と、鼻息を荒くして尋ねた。
「あ、いや、あれは、何時の間にか、二人とも、そのまま寝ちゃってて、起きたら……」
顔を真っ赤にし、慌てふためいて碧が説明していると、
「部長、高校に合格して、二人ともほっとしてベッドでそのまま寝ちゃっただけで、何もなかったって、悠貴子ちゃん言ってたでしょ」と、九条が助け舟を出した。
「そ、そうです、何もなかったです!」
碧は、九条のありがたい助け舟に便乗して、部長に言い切った。
「でも、何もなかった事が、天道君には不満だったらしいよ」
「お雪!」
「だってぇ……」
不服そうに唇を尖らせている悠貴子の腕を掴み、図書室の一番奥まで連れて行って、
「なに喋ってるのよ!」と、再び小声で怒鳴った。
「ごめぇん……」
「それに何よ、この間のキスの時は怖いとか言ってたくせに!」
「それはそうだけど、春休みの時は、もうちょっと何かあっても良かったのになって……」
「もう……」
図書室の片隅で、なにやら揉めている二人を見て、
「部長、あの二人、絶対に怪しいですぜ、まだまだ叩けば埃が出ますぜ……」と、部員の一人が部長に上申した。
「確かに……まっ、しかしだ、痴話喧嘩になっは聞きたいもの聞けなくなる、今日は此れまでとした方が得策だな」
お楽しみは、じっくりと構えて待つ積りの部長が、
「あ、これ、其処の者達、間もなく下校時刻じゃ、帰るとするぞ」と、碧達を手招きして元居た場所へと向かった。
どうやら開放された事を知った二人が出口の傍まで来ると、何時の間にか二人の背後に忍び寄った部長が、
「では、日を改めて、じっくり、聞かせて貰うからな……」と、不気味な声で二人の背中越しに言った。
二人は驚いて振り向き、好奇心に眼を輝かせている部長を見て、引き攣った笑いを浮かべた。
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