化け猫キャンパス
その猫は、今日も大学の敷地内をウロウロしていた。
真っ黒な体は大きく、目を細めて歩く独特の姿は見るからにふてぶてしい。
季節は晩秋。並木のイチョウの葉もほとんど落ちてしまい、空を見上げるとどうしても寒々しい。
猫は一段と目を細めて身震いした。
この時期はどんなに晴れていても、昼を過ぎるとすぐに冷えてくる。
「あ、クロ〜」
ミニスカートの女子大生が、連れていた彼氏の腕を放り出して駆けて来る。
コラコラ、しゃがむ時はきちんと裾を直しなさい。
「可愛い〜」
喉を撫でようと差し出された女子大生の指先は、傾いてきた太陽の光を受けてキラキラしていて、猫はそれを見ないように目を閉じて顔も背けた。
猫のお気に入りスポットは、昼間学生が集まる中庭と、学内で一番遅くまで明りのついている部室棟だ。
理由は簡単。
食べ物にありつける可能性が高いから。
食堂?
いくら黒いからって、そういう連中と一緒にされちゃ困ります。
日が暮れる頃、猫は部室棟の外階段を上っていた。
もうすっかり日課になっている。しばしの間だが、どこかの部室に入れてもらって寒さを凌ぐのだ。
今日は一層風が強い。
最上階に着いて猫が顔を上げて見ると、立ち並ぶガラス戸のほとんどから灯が漏れていた。
「あ! ネコ!」
階段に程近いガラス戸から、一人の女子学生が飛び出して来た。
猫は思わず前足を引いてしまう。
しかし、すぐにここへ来た目的を思い出し、近付いてくる学生をその金色の瞳でじっと見つめる。
猫の体が宙に浮いた。
「しょーこ先輩! 猫拾いました〜」
女子学生が猫を抱えて振り返り、さっき出てきたガラス戸に向かって叫ぶ。
「おー、学校に住み着いてるヤツじゃないか。相変わらずムカツク顔してるね」
しょーこ先輩と呼ばれた人物も女子学生で、文庫本に指を挟んで持って立ち、逆の手でガラス戸を開け、後輩であろうその学生と抱えられた猫を部室に入れた。
中は暖房が目一杯焚かれており、猫には少し暑いくらいだった。
それでも、下ろされたコンクリートの床はヒンヤリしていて、ホッとして数回足踏みをする。
「黒いの、なんか食べる? お昼の残りならあるよ」
後輩が自分の鞄を探る。
「キムラちゃん、私にも何かちょーだい。お腹空いちゃった」
「別にいいですけど……先輩は間食してばっかりなのに、どうして太らないんですかぁ?」
「さぁ。代謝がいいからじゃない?」
後輩・キムラちゃんが差し出したサンドイッチを片目で見ながら受け取り、しょーこ先輩はイスに座って文庫本を広げた。
「ホレ、お前も食え食え」
キムラちゃんがコンクリートの床にサンドイッチを放って寄越す。
少しレタスの萎れたそれに猫がそっと鼻を近付ける。
「小さくしてやった方がいいよ」
しょーこ先輩が文庫本に視線を落としたままそう言った。
そうそう、丸ごとじゃ食べにくいんです。
「千切ればいいの? わがままなヤツだね」
言いながらキムラちゃんがサンドイッチを一口大にして再び床に積み上げると、猫はようやく食べ始めた。
「食べ終わったらコチラへどーぞ」
猫好きなのか、広く動物好きなのか。キムラちゃんは猫の食事をニコニコと見つめ続け、部屋の隅に放り出されていた真っ赤なクッションを猫の横に置いた。
食事を終えた猫は、お言葉に甘えてクッションの上で丸くなる。
欲を言うと、食後に飲み物があると嬉しいですね。
「そのクッションどうしたの?」
それまで本を読む事に集中していたしょーこ先輩が、真っ赤なクッションを顎で示して聞いてきた。
「昨日、結城先輩が持って来たんですよ」
「ゲッ!」
しょーこ先輩は物凄い形相で声を上げる。
「ちょ、汚いから降りな、猫! 絶対あの人ゴミ捨て場とかから拾ってきたんだから!」
叫びながら猫をクッションから下ろそうとする。
しかし猫は居心地が良いのか降りようとしない。
引っ張るしょーこ先輩。
踏ん張る猫。
「先輩っ、いーじゃないですか。どーせ野良猫なんだし」
失礼な。
「あーもう、あの変態は、引退しても変な事ばっかりして……」
キムラちゃんに言われて諦めたしょーこ先輩は、思わず閉じてしまった文庫本の読み掛けのページを探して――どんな技を使ったのか、ものの五秒で見つかった――栞を挟むと、
「キムラちゃん、私らも晩御飯食べに行こう」
と言って立ち上がった。
「いいですよー。学食ですか?」
「ん。今夜はカツ丼の気分」
「私はダイエットチキンプレートがいいですねぇ」
二人はそれぞれ財布と携帯だけを上着のポケットに入れて猫に手を振る。
「そんじゃ、留守番よろしく」
「すぐ帰ってくるからね〜」
ばたん。
猫は重いガラス戸の内側に閉じ込められた。
暑い。
猫はとりあえずニャーニャーと鳴いてみた。
どうやらあの二人は暖房を付けっ放しで出て行ったようで、室内温度はグングン上昇して行く。
誰でもいいからここから出してくれ。
その時、猫の願いを聞き付けたかのように扉が開いた。
「アレ、猫がいる」
入って来たのは男性で、度の強そうな眼鏡にニット帽を被り、何が入っているのか、だいぶ膨らんだリュックサックを背負っている。
「そのクッション、使ってくれたのかー。座り心地はどう?」
「座り心地はいいんだが…………暑い。外に出たい」
猫は疲れた様子で頭をクッションに付けた。
「あぁ、暖房凄いね、この部屋。なんか部員の癖ってゆーかさ、ガンガン焚いちゃうんだよね」
男性はニット帽を取り、グッタリとしている猫を抱き上げた。
「君の後輩は、元気で優しいが、少々心配りが足りない」
「あはは、ごめんねー。女の子達でしょ? でも、暑いなら暑いって、言えば良かったのに」
ガラス戸の外にしゃがんで猫を降ろし、首を傾げて男性が問う。
ニット帽の下に巧妙に隠されていたのは艶のある黒髪だった。 それを見上げ、猫は不機嫌そうに目を細めた。
「……女は苦手なんだ。幾つになってもな」
自身もなかなか気に入ってはいますが、足りないものがあると感じています。
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