8
遅くなりました。
ダンスパーティを三日後に控えた、放課後。
俺の私室ではお茶の後にテーブルが端に寄せられ、ヴィルがダンス特訓の追い込みをしていた。
始まってから判明したことだが、ヴィルは極端にダンスが苦手だった。
意外と言うか、何と言うか。
天才にも苦手なものがあったんだ。
まぁそりゃあ、人間なんだから苦手の一つや二つや三つや四つ。
「…あっ」
「ホラ、止まらない!」
懲りもせず、今日もまた怖いもの知らずな妖精は氷の帝王の足の上にステップを踏んだらしい。
それでブリザードが発生することは有り得ないのだが。
もしそうならこの部屋はとうの昔に永久凍土と化しているだろう。
正直、自分の従者ながらその辛抱強さには脱帽だ。
しばらく経った頃、ヴィルが自分の部屋に戻ってから後片付けをしているヒューに聞いたことがある。
「足、大丈夫なのか?」
「ええ、ヴィル様軽いですし」
「軽いったってあんだけ踏まれりゃ」
「役得だと思えば安いものですよ」
「…お前、ホントにアレのどこがいいんだ?」
「アレとはどれのことでしょう?」
「……やっぱ幼児体型がツボか」
はぐらかそうとするヒューを茶化すと先日のクレセントとのやり取りを思い出したのか、一瞬真冬の視線で睨まれた。
「まだ十三歳ですよ?これから背だって伸びます。私にとっては好都合ですよ、余計な虫が寄ってきませんから」
自覚してくれるまでは、当分あのままで。
「『優しいお兄ちゃん』から昇格するのは結構大変だと思うぞ?」
「今のところなかなか便利ですよ。警戒心も持たれませんし」
当面の目標は、あの方の生活の一部になることですね。
「どんだけ長期計画なんだよ」
「そう長くは無いですよ。卒業までには何とかします」
「…十分長ぇよ」
「イリアスも人のこと言えませんよ」
薄く、けれど幸せそうに笑む相棒を見て、なんだか今度は逆にヴィルに同情したくなった。
立て続けに三度もステップのタイミングを間違えた妖精は、その後なんとか持ち直したようだが、個人レッスンを始めて一月以上経った今でも、未だに一曲の間に少なくとも五回は踏んでいる。
本人曰く、頭ではちゃんと動きの流れを把握し体もその通りの順番で動かしているつもりなのだが、リズムに乗ってその通りに動かす、というのがどうしても…わからない、と。
特訓を始めた当初、もしやと思ったヒューがダンスを一旦止め、ヴィルに曲に合わせて手拍子だけをさせてみたら、案の定。
………褐色の妖精は、極度のリズム音痴だった。
それでも最初に比べれば見違えるほどよくなった。
始めの頃は、本当にワンフレーズすら続かなかったから。
だがここまでくれば踏まれる方も慣れたもの。
その長身を生かして条件反射的に止まりかけた小さな体をさりげなく、その実強引に次のステップに持っていく術を会得していた。
そのヒューの如才ないリードと、曲中ずっと口をへの字に曲げた本人の必死の努力でどうにか一曲踊りきることが出来たのはつい二、三日前のことだ。
授業では散々相手役の男子学生の足を踏み、ヴィルがダンス下手なことは周知の事実となっていた。
中にはヴィルとの順番が回ってくるとあからさまに嫌な顔をする奴もいたし、まともに相手をしようとしない奴も居た。
教官に目をつけられて減点されてたけどな。
この時ばかりはさすがの能天気ヴィルも落ち込んで、パーティに出席するのを止めようかと弱音を吐いていたが、どうにかヒューが立ち直らせたらしい。
腹の底では本人も悔しかったのだろう、その後も地道に練習を重ねて現在に至る。
今日は三月ウサギはここには来ていない。
大方屋上の上で先週届いたスミレ姫からの手紙でも眺めているんだろう。
先日の取調べにも折れず、俺たちには名前すら明かされなかった彼の想い人をして、ヴィルはその瞳の色にちなんで「スミレ姫」と呼んだ。
どんな顔なのかも、姫と呼ぶにふさわしい年齢なのかどうかも知らないが、その日のうちに仲間内ではその呼び名が定着した。
部屋の中央でくるくるよたよた回る二人から目を離し、読んでもいない本に目を戻す。
俺も屋上の上に一服しに行きたいところだが、いかんせん、涼しい顔して何気に手が早いことが発覚したヒューと、これっぽっちも警戒心を持っていないヴィルを二人きりにするのはヤバイと思うのは…心配のし過ぎだろうか。
ただでさえああして必要以上に…いや、ダンスの練習なんだから必要か…引っ付いてるんだし。
本当なら気を利かせて外に出て行けばいいんだろうが、まぁ何も用事が無い時の俺が自分の部屋に居て何が悪い。
九割がヒューに対する嫌がらせなんだけどな。
とは言えそして今また。
三月ウサギが屋上の上に避難し、俺も信頼に足る従者への嫌がらせをしないで済むならばパーティ当日まで雲隠れしたいと思う原因事象が発生した。
今日で五日連続だ。
被害者はヒューだったり、クレセントだったり、たまに俺だったり、その都度まちまちだが。
踊りながらも控え目なノックに敏く反応したヒューを制して嫌な予感満載でそっとドアを開けると、淡い金色の髪をした女子学生が立っていた。
「…誰に用?」
まさか俺が出るとは思わなかったんだろう、彼女は驚いたように緑の瞳を瞬かせて俺を見上げると、次の瞬間顔を真っ赤にして俯いた。
「あ、あの……ドルジアさんに…」
お、ツワモノ登場。
今回は俺じゃなかった。
「ヒュー、お客さん」
足を止めてこちらを窺っている二人を振り返り、金髪美少女ご所望の本日のモテ男を呼び出した。
◆
毎年秋に催される学院を挙げてのダンスパーティ。
このダンスパーティは成人後の社交界を模したもので。
たとえ貴族でなくともあらゆる分野で活躍が期待される学生たちが将来こういった場に出ることも十二分に考えられるので、その際のマナーなどを身に着けることが学院側の趣向なのだが。
実際当の本人たちにはそんなのは二の次で。
学生たちにとってはまさに「恋の季節」である。
この本番は給仕やその他一切の仕事は学院側の使用人たちで賄われ、従者も学生と同じようにパーティに参加することになる。
なぜならダンスパーティは基本的に男女ペアで参加するもので、男女の主人と従者がそのままペアで参加することが多いからだ。
貴族出身者だと故郷に許婚や婚約者がいる、特に女子学生が他の異性と組むのを控える傾向にある上、全体的に学生は男子比率が高く従者は女子の比率が高い為、どうしても人数合わせ的に両方参加させるのが一番簡単、というのが実際のところだ。
もちろんパートナー無しでも表向きは何を言われることも無いが、まぁ居た方が箔がつくと考える見栄っ張りな連中が多いのも否定できないし、事実このパーティ前後には即席のカップルがあちこちで雨後の筍のように大量発生する、らしい。
もちろん今年が初めてなのだから、実際にはその光景を見たことはないけどな。
外見やら身分やら、アクセサリーか何かと勘違いしてないか。
そして更に面倒なことに、世間一般には無い学院の伝統としてパーティの前に女子学生が気になる男子学生にエスコートを申し込む、という形で恋心を伝えるという隠れ一大イベントがある。
期間は決まっていないものの大体ダンスの特別授業が始まる頃からがシーズンとなり、この期間は男子学生からエスコートを申し出ることはタブーとなっている。
特に明文化されているわけでもないのに、暗黙の了解でダンスパーティに託けて女子が大っぴらに男子に告白が出来る期間、ということになっているのだ。
まぁ、それ以外の時期に告白しようが問題なんて全然ないんだが、どうしてかこの時期になると男子も女子も皆揃ってそわそわし出すんだから不思議なものだ。
そもそもの始まりは、昔とある女子学生がダンスパーティの前に好きな男子学生に告白してパーティでエスコートされたっていう話が大元らしいが、もううんざりして思い出したくもないので割愛。
とにかく、そうして今年も勇気ある彼女の後輩たちは普段はこっそり見つめるだけの彼に向かって、一世一代の勇気を振り絞るのである。
今日この部屋を訪ねてきたこの子のように。
◆
「よぉ」
陰の梯子を登り、案の定屋根の上で転がっていたクラスメイトに声をかける。
「あいつらはいいの?」
普段ダンスの特訓の時は大抵その横に張り付いているのを知っているから、三月ウサギは怪訝そうに頭だけを上げた。
「外から邪魔が入った上に、うっかり俺まで馬に蹴られそうになったから、退散してきた」
「なんだそれ」
呆れた声を出した三月ウサギの背後から回って風向きを確認して、こいつから見て風下側に腰を下ろす。
「ヒュー狙いの女子が来て、ヴィルがごねて、ヒューが切れた」
「ふうん、なんとかなりそうなの」
「ヒューの頑張り次第ってとこかな」
「相手がヴィルじゃあね」
超が付くほどばっくりとした説明だったがなんとなく理解したらしく、いつもやりあっている(と言うかヒューが一方的に突っかかっている)ヒューに同情する素振りを見せた。
「いいんじゃねぇの?長期計画みたいだし、逃げられたら元も子もねぇだろ」
急いては事を仕損じる、だよ。
一本目に火を点けて、顔を背けてふっと吐き出す。
紅く点った先端から流れる煙が、風の形を教えてくれる。
秋の空気を幾重にも重ねた空色を背景に、絶え間なく揺れる紫煙を眺めながら気になっていたことを聞いた。
「お前は結局どうすんの」
「何が」
「パートナー」
「無しでいいじゃん、もう」
「あくまでもスミレ姫一本か」
適当に飲み食いして退散するよ。
三月ウサギは本当にどうでもよさそうにそう言い捨てて盛大に欠伸を漏らした。
もう隠してもしょうがない、とでも言うように。
「なんかもう、いろいろ面倒でさ」
「でもお前、最近はそうでもないだろ?」
「あぁ、まぁ大分静かにはなったかな」
休み前に俺の部屋の前であれだけの騒ぎを引き起こし、この三月ウサギにコテンパンにやられたデジレは、新学期が始まってからはぱったりと姿を見せることはなくなった。
男子寮寮監室に呼び出しを食らった女子学生(しかも最上級生)だなんていくらあのデジレでも場所が場所だけに結構な醜聞で、ついには実家にも知られて連れ戻されそうになったらしいが、あと半期で卒業ということもありなんとか学院に戻ってきたらしい。
とは言え騒ぎの被害者である三月ウサギも、目撃者たちの証言から『役者』であることが公になり、本格的に学内有名人の仲間入りを果たしてしまった。
元々友人が多い方ではなかったが、後期に入ってから良くも悪くも俄かに寄ってくる奴が増えて鬱陶しい、と適当にあしらっては俺の部屋かここに逃げ込んでいた。
俺たちは適当に集まって、好き勝手やってるから時折ヴィルが騒ぐ以外は結構大人しいんだと思う。
どうしても大勢の集まるところは好きじゃないらしい。
「人間関係は浅く広く、よりも深く狭くがいいよ。煩いし面倒だし」
「貴族としては致命的ですねぇ」
自己分析するクレセントにヒューがもっともな突込みをしていたのはつい昨日のことだ。
デジレの一件があって、一時期三月ウサギは「女に優しくない」とか、「女嫌い」だとか根も葉もない噂が立った。
それを耳にする度に、どこが、と盛大に突っ込みを入れたくなる。
聞いていたのは残念ながら俺一人だったが、いつだか本人は女の子大好きだとここで宣言していたぞ。
周りがそんな状況なのでこいつに言い寄ってくる女子学生は今のところ俺の知る限りでは現れていないが、表立っては来なくてもそれとなく秋波を送っている女子はやはり結構な数いるわけで。
それがまた男子学生たちのやっかみを買っていたり、いなかったり。
相変わらず、味方よりも圧倒的に敵の方が多い奴だった。
「イリアスは?誰かいるの」
「好きでもない女エスコートして何が楽しいんだよ」
「激しく同感」
「なら聞くな」
「それでも誘われてたじゃない。好みの子とか、いなかったの?」
「…いないなぁ」
驚いたことに俺に声をかけてきた女子学生二人の顔を思い浮かべ、頭を傾げながら短くなった煙草を缶に落とす。
どちらの顔も、もはやくっきりとは思い出せない。
ピンとこなかったということは、そういうことだ。
「何、今の間。…まぁ本番で適当に誘ってみれば?」
「…………ったく、あのババアのせいで」
めんどくせぇ。
新しく火を点けた煙草を大きく吸い込み、その勢いのまま吐き出した。
「誰、ババアって」
ぼそりと零した呟きをウサギの耳は見事に拾って、不思議そうに聞き返してきた。
いつも読んでくださりありがとうございます。
一大イベントついに迫る、ですw
でも主人公たちは一部を除いてやる気なしwww
次話はパーティ当日、、、かな。