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えーと、ついにみんなにバレました。
その大量の郵便物たちは各地から毎週樹木の日に定期馬車に載せられて学院に届く。
定期馬車が毎週毎週片道一週間から十日かけて霧の海を渡り、学生たちの実家のある各地から集めてきた手紙やら仕送りやらを、放課後に各学生に配達する。
そのときどこで何をしていようとも必ず配達人が宛先本人を見つけ出し、確実に手渡される。
学院七不思議の一つである。
とは言え、周囲数十キロを霧に囲まれた文字通り陸の孤島であるローレンシア学院において、学生たちが日常的に持ちうるほぼ唯一の外界との連絡手段であるそれは、当然、学院生活の中で大きな楽しみの一つだ。
……特に、故郷に大切な人を残してきている学生にとっては。
「ねぇ、クレセントってさ、」
いつものように放課後俺の部屋に集合してお茶を飲んでいた時、ヴィルがいきなり身を乗り出してクレセントに詰め寄った。
そのきらきら輝くロードクロサイトに、ちらりと視線を交わす俺とヒュー。
今度は何を言い出すんだ。
「レイシーに彼女いるの?」
爆撃をもろに受けた瞬間口に入っていたチーズケーキに盛大にむせて、横に居た俺に背中を叩かれヒューには水を差し出される。
水を飲み込んで漸く落ち着くと、三月ウサギは俺にギロッと批難の視線を寄越す。
―お前、しゃべっただろ?
―いいや、何も?
―じゃあなんでこいつがこんなこと言い出すんだよ!?
―俺だって知るかっつーの。
そんな俺たちの無言の会話には全然頓着せず、引き金を引いたヴィルは腹を抱えて笑い、ほらね?と俺たちに得意気な顔をして見せた。
何がほらね?だ。こんな爆弾落としといて。
「絶対そうだと思ったんだ!昨日受け取ってたあの薄紫色の封筒、その前もその前も届いてたでしょ?絶対女の子だって!差出人だぁれ?彼女?」
なんで教えてくれないのー!?と三月ウサギに向かって手足をバタバタさせて、しかしものすごく楽しそうに批難轟々だ。
…その鋭さと洞察力を欠片でも自分に向けられる目に割けないものか。
「何でそんなこと覚えてるんだよ!?」
どうでもいいだろう!?
そう言って三月ウサギはその整った顔を顰める。
バレバレだって。顔赤いぞ。
「気付いてないの?毎回毎回、他の郵便に紛れて何気に超目立ってたから!」
ねぇ?
同意を求められ、まぁ確かに、とヒューが相槌を打つ。
「クレセント様はそもそも郵便の量が人より少ないですからね」
「その割に毎回何かしら来てるよな」
「あんな可愛い女の子仕様な封筒を男子が受け取っていると、本人が思う以上に目立っているものですよ?特に昨日はその一通だけでしたし、さすがに私もおや、と思いました」
ヒューもここぞとばかりに追い風を吹かせた。
そんなことしなくてもこの様子じゃ大丈夫だと思うんだけど。
こいつの心配性はいつものことだから、しょうがないか。
そうでなくても惚れた女が他の男に興味津々(例えそれが恋愛対象でなくとも)だなんて、面白く無いことこの上ないだろうがさ。
俺なんかはまだ名前も知らないその彼女の、存在だけは知っていたから、封筒を見てもあぁ例の、と思うのと同時に、あれじゃそのうちバレるな、と思ってはいた。
それも、誰にも何も言わなかったけれど。
彼女に関しては誰にも何も言わないって、約束だったしな。
「なんで彼女だって決め付けるんだよ」
「えー、じゃあ何?定期的にあんな可愛らしい封筒でお手紙をくれる男友達が居るの?確かクレセントって兄弟はお兄ちゃんしかいなかったよね?」
「まぁあれは女からでしかないよな」
「だからなんで決め付けて」
「毎回受け取る度にあんなに目ぇキラキラさせちゃって、バレバレ」
「お前の性格だったら嫌な相手からなら受け取っても即ゴミ箱行きだろ」
「もしやのお母様という可能性もありますよ」
「ほーぅ、こんな近くにマザコンがいたとはな」
「違ーう!」
普段はどちらかというとクールで大げさに取り乱したりしないこいつが赤面して焦っている様がだんだん面白くなってきて、俺もヴィル側に回ることにした。
どっちみち、もうこの面子には吐くしかないだろ。
「手紙を寄越すってことは別に学院には居ない子なんだし、いいじゃんねぇ?」
「そうだよ、俺たちに知られたところで何が変わるわけでもねぇし」
「誰に言いふらすこともありませんよ。他にも地元の恋人や許婚と文通している学生も大勢いますし」
「そうだよ、別に珍しくもないんだから教えてよー」
「さっき超目立ってたって言ってたじゃないか」
「それはあたしたちがいつも隣で受け取るの見てたからだよー」
ぶんむくれた顔でそっぽを向く三月ウサギ。
反則的にウサギを袋小路に追い詰めた天才はふふー、としてやったりの顔で笑う。
「たぶん嬉しそうにしてるのも、他の人はそこまで気付いてないと思うけどね」
「…どうしてヴィルは他人のことになるとそう鋭いんだろうな」
「クレセント様、相対的にお互い様だと思いますので、その眼差しはやめて下さい」
「何が?」
「何でもありませんよ」
「俺の周りにはいろんな意味で残念なヤツばっかだな」
「お前何か引き寄せてないか?」
「俺のせいかよ」
男三人で当事者を前にして、残念ながら本人にはわからないであろう会話を繰り広げていると、いきなりのけ者にされた本人がリスの様に頬を膨らましてまた暴れ出した。
「もう、いいからクレセントの彼女の話!どんな子なの?やっぱり貴族のお嬢様?」
「……絶対、他の連中には言わないでよ?」
あの件以降大人しくなったとは言え、デジレのこともある。
たとえ離れていても彼女に害が及ばないとは言い切れない。
この学院にもレイシー出身の学生は数多くいる。
大げさだと言われても、彼女を守ってやれない今の状況で彼女の存在が自分をよく思わない連中に知られるのは極力避けたい、と真剣な顔で訴えた。
俺たち三人が神妙に、けれど好奇心いっぱいの顔で頷くのを見ると三月ウサギは観念したようにため息を吐いて、妖精の取調べに応じる姿勢を見せたのだった。
◆
大騒ぎしている間にすっかり冷めてしまったお茶をヒューが淹れ直してから、薄紫の封筒の送り主についてヴィル捜査官の取り調べが始まった。
追求を受ける容疑者?は質問の多くを「秘密」とお茶を濁しながらも、ぽつぽつと言葉少なに答えていく。
手紙の差出人は貴族のお嬢様などではなく、伯爵家に出入りしている商家の使用人であること。
とても物静かで、読書が好きで、働き者だということ。
引き出した情報に興奮して、わーとか、キャーとか言いながらヴィルはソファの上にあったクッションをぎゅうぎゅうに抱きしめた。
かつて実家で姉やその友人たちが、人の恋愛話で同じように騒いでいたのを思い出してちょっとげんなりする。
「ヴィル、お前いい加減うっせぇぞ」
「いいじゃん、楽しいんだから!ねぇ、その人名前なんていうの?」
「何度聞いても秘密」
「えー、なんで?そんな珍しい名前?名前で特定されちゃうような?」
「珍しくはないけど、念のため」
「商家って、どこのお店に居るの?年は?もう働いてるんだから、年上!?」
「ゴ想像ニオ任セシマス」
「なんでカタカナなのぉ?」
「クレセント様は熟女好みなんですねぇ」
「…幼女趣味に言われたくないね」
「おや、私にはそんな趣味欠片もありませんが」
「よく言うぜ」
「イリアスまでなんです」
「ヒューってそんな趣味あったの?」
「ヴィル様、私はこの方のように人様に顔向け出来ないような趣味は一つも持ちあわせておりませんよ」
面白そうに瞳を瞬かすヴィルに向かっていつもの笑顔を浮かべるが…やや口元が引き攣ってるぞ。
「どの面下げて抜かしやがる」
先程の意趣返しだろうか、やや立ち直った三月ウサギは頬杖を付いたままにやと笑った。
あーぁ、八つ当たりしちゃって。
それを氷の帝王は口元は笑顔のまま視線だけ氷点下の色でじろりと見返す。
まぁ、事実でなくても焦るわな。
「ふーん。で?なんて名前なの?」
「…三回聞いてもダメなもんはだめ」
ヴィルはそんな二人を交互に見やり、興味があるんだか無いんだか、最終的にはどうでもよさ気に力技で話題を元に戻した。
途中から話が変な方向に行ったが、やはり警戒してかその後もいくらヴィルが問い詰めても彼女の働いている店も、彼女の名前、年齢すら、頑なに教えてくれなかった。
まぁ、俺でも言いたくないな。
惚れてる女のことなんて、あまり人には話したくない。
…恥ずかしすぎるだろが。
けれど好奇心旺盛な妖精は猶も食い下がった。
「えー、全然収穫がないよぉ!せめて目の色くらい教えてくれてもいいじゃん!珍しい色なの?」
「髪は銀ですよね」
「だからどうして決め付けるんだよ」
「あの女に、銀髪に染めて来いと仰ったんですよね?」
ヒューは誰に対しても基本敬語だが、クレセントに向かうと慇懃無礼な感が否めない。
だからお互いに八つ当たりはやめろって。
言っている本人たちは無意識なのかも知れないが。
「本当に銀髪なの?あたしと同じ色?」
嬉しそうに身を乗り出すヴィル。
なぜそこで喜ぶ。
周囲の気温が下がるからやめてくれ。
「…いや、ヴィルのより大分白っぽいな」
「へー、綺麗だねぇ」
「見たことないだろ」
見ても居ない彼女の髪を褒めてクッションを抱きしめる。
…中の綿を替えないといけないな。
「じゃぁ銀髪に目の色は?緑?赤?琥珀も素敵だよねー…あ、ヒューみたいな青?」
何でも合いそうだねぇ。
そう言ってニコニコしながら隣のヒューを振り仰ぐ。
こいつらの身長差は座っていてもそう縮まるものではない。
「はずれ」
「えー、じゃぁ何?」
「オレンジ、紫、茶色、ピンク、黄緑、水色、黒、グレー、白…」
「イリアス、数打ちゃ当たる作戦は無能過ぎるのでどうかと思います」
知っている奴の瞳の色を手当たり次第に挙げていった俺に、ヒューはバカですかとでも言いたげな視線を寄越す。
主人に向かってその目はなんだ。
「人海戦術は基本だろ」
「しかも白って何ですか」
「おい、当たりはあったか?」
口の悪い従者は放っておいて、俺たちのやり取りを途中から笑って見ていた秘密主義者に正解を仰ぐ。
押し当てていた拳を下ろして、くつくつと漏れる笑いをどうにか引っ込めた口から出てきた答えは。
「すごい、全部はずれ」
「えーっ!もう、クレセント、本当にいい加減教えてよぉっ」
「…どうして、そんなに知りたいの?」
真っ直ぐ、ロードクロサイトを覗き込んで、訊いた。
「当たり前じゃん!」
一瞬きょとんとした妖精は次の瞬間、イタズラが成功した時の悪ガキの笑顔でこう言い放った。
「あの手紙を受け取った時に、クレセントが二週間の内で一番幸せそうな顔するから!」
友達の幸せの素、超気になる!!
びしっとクレセントに向かって人差し指を向けたまま、ねっ!?と首だけはこちらに振り返る。
俺はそうか?、と流したが、一緒に同意を求められたヒューは最悪に複雑な顔になった。
「幸せって、伝染するんだよ?」
振っておきながら俺たち二人の返事など必要としていないヴィルは満面の笑顔で宣言した。
「幸せの素、か」
ヴィルの勢いに面食らった顔をしていた三月ウサギは、一瞬苦しそうに目を伏せて、ははっと小さく笑った。
そして、その笑顔のまま、漸く、正解を口にした。
「青紫」
「紫ってさっき言った!!」
「違う、青紫」
猛然と抗議を始めた妖精に、きっぱりと言い張った。
「青でもないし、紫でもないよ」
少し考えて、口で説明するの難しいな、と呟いた。
「あとは直接、本人の口からいろいろ聞いてよ」
「?」
「会わせてくれるの?」
色めきたつヴィルにそっぽを向き、更に残っていたチーズケーキの欠片を口に放り込み、やや乱暴に紅茶で流し込んで言葉を継ぐ。
「再来年には、彼女もこの学院に来るから」
「えぇっ!?」「は?」「!!」
「それまでは秘密。ただし」
今みたいな話は彼女に向かっては絶対しないで欲しいんだ、と更にテンションの上がったヴィルの追求を遮り、赤くなった顔で俺たちの誰しもが予想だにしていなかった言葉を口にした。
こんな風に頻繁に手紙をやり取りする彼と彼女の関係が、未だ彼の側の一方的な片想いだと。
「彼女だなんて、一言も言ってないよ?」
にや、と人の悪い笑みを浮かべて、容疑者はその供述を最小限にまんまと逃げ遂せた。
「ヴィル様の、幸せの素は―」
帰り際、戸口でヴィルを送り出すヒューの声が聞こえたが、眠かったのでさっさと部屋に引っ込んだ。
なんだかイリアス、ひたすら突っ込み役だな…