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後期の始まりです。
なんかもう、最後までイリアス視点で行くことにしました。
新学期。
未だ衰えを知らない太陽がじりじりと皮膚を侵食しようと躍起になっている中庭で、俺はいつもの面子といくつかある大木の下のテーブルを一つ占領して昼食をとっていた。
直射日光の下は暑くとも、日陰に入ってしまえば乾いた風が心地いい。
俺の目の前ではもう良くも悪くもお馴染みとなってしまった光景が繰り返されている。
辛めの味付けの焼き麺を啜りながら、もはや日常と化した食事風景を眺めた。
休暇前のお茶会乱入事件以降、この面子で行動することが増え、毎日の放課後のお茶はもちろん、こうして昼休みも気がつくと四人でのんびりと時間を潰していた。
まずは正面で大きな口を開けてサンドイッチを頬張っている、他称・褐色の妖精、ヴィルヘルミーナ・レインウォーター。
実はこれは本来の彼女の名前を日常用にかなり省略したもので、本名は一度聞いたくらいでは到底覚えられないほど長い。
先日、何かの折にこいつが自分のフルネームを暗唱(もはやあれは呪文の域だと思う)した時には、その場に居た男三人揃って珍妙な顔をしたものだ。
だがこいつ曰く、地元では誰も彼もがこんな風に長ったらしい名前らしい。
横に居たクレセントに聞かれて内訳も説明していたが、何やら歴代の先祖の名前を羅列しているんだとか。
らしいとかばかりだが俺的にはこいつの名前にそこまで興味が無いし、らしい止まりで十分だった。
おそらく特注サイズだろう小さな制服に身を包み、濃いピンク色の大きな瞳をキラキラさせてもぐもぐと口いっぱいにパンを頬張る姿は、高等学院の学生と言うよりか学校に上がりたての児童にしか見えないが、こう見えて休暇前の前期試験もテスト勉強の一つもなしに軽々と学年一位の座を防衛した天才なのだ。
―人は見かけによらない。その一。
そして今もそのパンの間から具がこぼれそうになるのを右隣から口と手を出して甲斐甲斐しく世話を焼いているのが、氷の帝王の異名を持つ俺の従者の、ヒュー・ドルジア。
妹と兄の様な、お嬢様と従者の様なその光景に、この場だけ見るとこいつが一体誰の従者だかなんてわかりやしない。
それこそヴィルとつるみ始めた当初は、まるで妹のように世話を焼いているのと変わらない様子に、世話好きなヒューが小動物の面倒を見ているようなもんだと何と無しに眺めていたのだが。
どうやら俺としたことが、読みは事実と大きく違っていたらしい。
先の彼女が呪文…もとい、呪文のような名前を明かした時も、横でその実かなり真剣に聞いていたこの二つ年上の従者は、たった一度聞いた呪文を俺からすればスラスラと暗誦してみせた。
「惜しいっ、ちょっと違う」
俺にはどこが違ったのかなんてわからなかったが、ヴィルはそれに驚いたような目を向けて、しかし嬉しそうに声を立てて笑った。
「どこが違いました?」
笑顔の中にちらとだけ悔しそうな色を浮かべ、正解を請うその眼差しからは「氷の帝王」の片鱗も窺えない。
名前の主は一文字抜けていたらしいおそらくは家名の部分を訂正し、でも、と言葉を続けて、無邪気に彼の努力を粉砕した。
「全部覚える必要は全然無いよ。あたしたちだって、友達の名前全部なんてちっとも覚えてないし」
普段は全く使わないしさ、とカップに口をつけてどうでも良いことのように肩を竦める。
「そんなことより八十八星座覚えるくらいしたほうがいいよ」
「そんなことだなんて。名前は大切なものですよ?」
「呼んでそれがその人だってわかればいいんじゃない?」
だからヴィルで十分、そう言って専門書から目を上げて自分の方に向けられた大きな瞳を見返したこいつの、その時の紺青の濃さときたら。
今も今とて傍らの少女を見やる眼差しの藍さと、それを全く理解せず無邪気に受け流してまた一口サンドイッチを齧った天才の笑顔に、これからのヒューの苦労が透けて見えた。
…頭の回転はすこぶる良いんだろうが、どうしてこうも鈍いんだか。
小さくため息を吐いて左隣に目をやると定食のトレイやお茶のグラスを差し置いて嫌でも目に付くのが、特大ボールに山盛りの…キャベツの千切り。
傍を通りかかる学生たちが何だこれ、と視線をやってくるのもお構いなしにマイペースにとんでもない量の千切りキャベツを口に運んでいるのが、地味な色をした一番の新顔。
クレセント・ブラックフォード。
…どうしてこうも俺の周りには良くも悪くも若干様子がおかしい連中しかいないんだろうか。
「それって、キャベツ何個分?」
「さぁ…わかんないけど」
そう答えながらもフォークは止まらず、特大ボールに山盛りの野菜は着実に俺よりも少し背が高いだけのひょろっとした体に収められていく。
世間はこいつのことをどう評価するんだろうか。
表向きは王都レイシーの有力貴族、ブラックフォード伯爵家の…確か三男坊。
そしてその実、世界に数人しかいないと言われ、希少価値は高いにしろ活用方法が全く持って不明、という摩訶不思議な刺青を持つ『役者』。
過去には稀に現れる特殊能力から権力に利用された者も居たらしいが、今のところこいつにそんな最悪な自体は訪れていないらしい。
本人曰く、今現在『役者』たちは当代の王家によってその手の危険からは保護されているらしい。
どういった経緯でそうなっているのかは知らないが。
そんなそれがどうした的な付加価値を外してみれば、銀縁のメガネをかけた顔はかなり整っていて、うっかり気を惹かれる女子も少なくない。
ただし、その彼女たちが周囲から変わった趣味だと囁かれていることも事実で。
なぜなら人間の大方の外見的評価なんて自身の持つ色の美しさで決まるもので、パーツの美しさは二の次というのに、こいつときたらお世辞にも綺麗とは言いがたい灰色に茶の混じった髪に、炭のような濃い灰色の瞳。
まぁこればっかりは親からもらったものなので本人を責めるわけにもいかないが、政略結婚の際には相手の色味も重視される貴族社会において、彼の色は「はずれ」だと言わざるを得ないだろう。
両親は何色なんだろうか。
まぁ、友達やるのには色味とかどうでもいいし。
「毎日毎日、良く飽きないで食べるよねー。胃袋半端なくおっきいよね」
あらかたサンドイッチを食べ終わったヴィルがお茶を飲みながら感心したような、呆れたような声を出す。
「…別腹」
「えぇっ?三月ウサギって胃袋二つなの!?」
「そんなわけないだろ」
「解剖してみましょうか」
「ヴィルの頭をか?」
「ヴィル様の天才的頭脳は解剖しても理解不能でしょうが、この方の胃袋がいくつあるかは開いてみれば一目瞭然だと思いますよ」
「お前、何気に失礼だろ」
「開くの前提で話を進めないでくれるかな」
呆れた俺の声と冷ややかなヒューの声が容赦なくヴィルに突っ込みを入れた。
ただ真実、本当に胃袋が二つあるのではと勘繰りたくなるほど、毎日毎日目の前のクラスメイトは良く食べた。
ちなみに前出の山盛りキャベツも、日替わり定食をきっちり平らげた上でのことだ。
―人は見かけによらない。その二。
俺たち三人に自分の胃袋がネタにされているこの状況を呆れたような目で見つつ、それでも『三月ウサギ』の手と口はキャベツを順調に減らしていた。
◆
薔薇色の嵐が襲来した日。
いろいろな意味で絶妙だったタイミングで登場したあの騒動の元凶は、
「本当にいい加減諦めてくれないと、オレだって黙ってないよ?」
と言って、あろうことか廊下で俺の部屋の前で大立ち回りを始めやがった。
だがそこは、そうは言っても三月ウサギのすばやさだ。
一人目がうめき声を上げて崩れたと思ったら、連鎖反応のようにバタバタと五人全員がカーペット敷きの廊下に沈んだ。
二分後、俺はテーブルに頬杖をついたまま部屋の内外の有様を半眼で眺めてため息を吐いた。
ため息も出ようってもんだ。
教官には当事者同士で説明してくれよ。
「あれ?終わっちゃった?」
「ヴィル様、危ないです。避難しましょうね」
「もう終わってるって」
妖精は腰に回されたヒューの腕から身を乗り出して、廊下に伸びている取り巻きたちとこの状況を拵えた張本人を交互に見やり至極楽しそうな声を上げた。
て言うか、おい、涼しい顔しやがってドサクサに紛れて何やってんだ。
俺に言わせりゃこいつの手の早さも相当だと思う。
ガキの頃から知ってるが、こんなヤツだとは知らなかったぞ。
―人は見かけによらない。その三。
「すっごいねー!はやーい!」
そしてお前もちょっとは気にしろよ。
一応女だろ。
「ねっ?面白いって言ったでしょ?」
身を捩ってこちらを振り向き、妖精の渾名にふさわしくぴょんぴょん飛び跳ね…ようとしてヒューの腕が邪魔で失敗した。
「お前いつまで抱きついてるんだよ」
「安全が確認出来るまでです」
思わず呆れ声になった突っ込みに、ヴィルを腕に抱きこんだまま平然とした返事が返ってきたので、声をかける相手を変える。
「おい、ヴィル、いい加減脱出しろ」
「うん」
何気にお前、貞操の危機だぞ。
恥らうでもなく、かと言って嫌がるでもなく、うんしょ、と色気も何もあったもんじゃない掛け声をかけながらヴィルは腰に巻きついている自分よりも大分長い腕をなんとか引き剥がそうとする。
もう大丈夫だと判断したのか、あんまり度が過ぎて嫌われることを警戒したのか、氷の帝王はあっさりと妖精を解放した。
アホらしくなって入り口付近を見やると、死屍累々の取り巻きを背景に氷の帝王とはまた違うブリザードが吹き荒れていた。
「オレにちょっかい出すだけならまだしも、クラスメイトの勉強の邪魔までするって、本当にどこまで人に迷惑をかければ気が済むんですか?」
「…っ私はっ…」
「あなたのその傲慢で自己中心的なところ、いくら綺麗な容姿でもいただけないんですよね。その自信どこから出てくるんですか?何をやっても許されるとでも?」
ウチの氷の帝王も目じゃないくらいの吹雪を背負った背中からぞっとするほど冷たい声がして、頭半分ほどヤツより背の低いデジレの形のいい顎を掴み上を向かせる。
彼女の屈辱に歪んだ顔が、集まってきた野次馬たちにわざと良く見えるように。
ここからは髪に隠れて見えないけど、絶対目は笑ってないぞ、あれ。
その向こうの野次馬たちの引き攣った顔から断言出来る。
あの女王様然としたデジレが取り巻きを伸され、下級生、しかも噂の『三月ウサギ』に言いようにあしらわれている様は間違いなく学内の明日のトップニュースだろう。
その舞台がオレの部屋の入り口だというのが、とてつもなく迷惑だが。
◆
「でもクレセント、早く食べないと次の授業外でしょ?」
まだ半分以上残っている野菜を見てヴィルが急かした。
「いや、ホールだろ」
「え?」
「今日から男女一緒にダンスの練習ですよ」
「うそ、今日からだっけ?」
「まぁ急いだ方がいいのには変わりませんが」
「皆は踊れるの?」
ヴィルが三人に聞いてきた。
「イリアスと私は基本の動きは一通り出来ますよ。クレセント様も出来ますよね?」
「あぁ、だからサボる」
「えぇっ」
「合同だろ?あんな大人数、バレやしないって」
「男女の人数の調整をしているでしょうから、出ないとバレますよ」
心底かったるそうに、でも少しスピードを上げてキャベツを口に運ぶ。
本人曰くこれもタトゥーの影響で、野菜が体に合うんだそうだ。食べないと調子が悪くなるんだと、初めて俺たちと昼休みを一緒に過ごした時に言っていた。
そりゃあもう目の前の大盛り野菜にヴィルが目をキラキラさせて食いついて、氷の帝王の背後にブリザードを発生させた。
ちなみに朝は朝でこれまた飽きずに必ずバナナを三本も四本も食べている。
…バナナって、ウサギの好物だったか?
「あたしもサボろうかなぁ」
本読みかけだしぃ、とヴィルが唇を尖らせて呟く。
「ヴィルはちゃんと練習した方がいいよ。出来て損はないから」
たった今サボる宣言をした張本人が何言ってんだ。
「そうだよ、やったこと無いんだろ?基本覚えて、放課後ヒューにでも相手してもらえばいいんじゃないか?」
優しい主人だなぁ、俺。
「じゃあヒューが一から教えてよ」
「お教えしたいのは山々なんですが私も生憎女性パートはほとんどわかりませんし、今日の授業は出て頂いた方がいいですね。私も女性パートの動きを見ておきますのでヴィル様もきちんと習ってきてください。飲み込みはいいんですから、毎日練習すればすぐ出来るようになりますよ」
ヒューは甘く笑んで銀灰色の髪を撫でた。
放課後の個別レッスンは確定らしい。
しかも毎日。
「クレセントもちゃんと出ようよ」
「オレはもう出来るからいいの」
「でもお前、前期あんなにサボってたんだからちゃんと出とかないと単位ヤバイんじゃねぇの?」
「…人がたくさん居るところって、嫌いなんだよね。騒がし過ぎて頭痛くなる」
眉根を寄せて心底嫌そうな顔をした。
じゃあね、とトレイと見事に空になった特大ボールを手にスタスタと席を立って行った。
結局この日、三月ウサギはダンスの全体授業を自主休業し、俺の予想だと屋上の屋根の上で午後の一番いい時間を昼寝に捧げたものと思われる。
その読みが一部正しく、しかし肝心なところが違っていたと判明するのはそれからそう遠くない日のことだ。
色云々に関しては、この世界の「美の基準」のようなものだと思ってくださいまし。
顔の造作やスタイルがいいことはもちろんよいことですが、それ以上に髪や瞳、更には肌の色など、個人の「色味」に重きを置かれる傾向があります。
例えば、多少のブサ子ちゃんでもさらさらの金髪に紺碧の瞳の持ち主であれば周りから「美少女」認定してもらえる、みたいな。
三月ウサギのグレーも悪くはないんですが、イリアスが言うように「地味」なんでしょうねぇ。お貴族様にはやっぱり明るくて綺麗な色味の方が多いらしいです。