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三月ウサギの友人曰く、  作者: ゆきしろ
三月ウサギの友人曰く、
4/12

漸く、夜も寒くなくなったある日の晩。




いよっっと。


小さく掛け声を出して、俺はここ何週間で勝手に馴染みの場所に認定した寮の屋上の、更に屋根の上に上がり、隠してあったシートを取り出して敷くとその上で行儀悪く胡坐をかいた。


しばらくじっと、夜空を見上げる。

今日は下弦の半月。


ポケットに突っ込んであった小箱から中に整列している細長い筒を一本取り出し、片端を口に咥えて同じように取り出したマッチで口から遠い端に火を点ける。


一つ、吸い込んで吐き出した煙は雲ひとつ無い夜空に滲んで溶けていった。


従者のヒューにすら教えていない、秘密の場所と時間。

未だに抜けていない悪習慣は、ヒューにバレたら何と言われるか。

依存症とまではいかないだろうが、気を抜きたい時には無性に欲しくなる。


もう一度盛大に口から煙を吐き出すと、人差し指と中指の間に挟んだ地上の星を天にかざす。

目の前で夜空に光る数多の星の中に一つ、紅い光が追加された。

満点の星空からは、地上の暗闇の中で小さく、けれどはっきりと光るそれを見つけられるのだろうか。


詮無いことをぼんやり考えつつ、しばらくそうして夜空を独り占めする贅沢を堪能していると。



下の方で、ギィッと扉の開く音がした。

誰か屋上に来たらしい。

月見をするには絶好の夜だが、もう消灯時間はとっくに過ぎている。


今いる場所は下からは死角に入るので、このまま音を立てなければ今来たヤツも自分に気付くことは無いだろう。

静かな空間を邪魔されるのは癪だが、逆に降りていくわけにもいかない。


さっさと戻ってくれないかな。


イリアスは一つ息を吐くと意識を屋上から天上へと戻した。


その直後。


タンッと屋根の向こうで音がした。


何かが着地したような音。


反射的にそちらを振り返る。


距離にして大股で十歩強。

半月の光はその先を照らすには物足りない。

だが闇に慣れた目は、音の主が人間の、おそらく男であろうと思われるシルエットを捕らえている。


あちらも先客がいるとは思わなかったんだろう。

そこから動かずじっとこちらを伺っているようだった。

お互いに、おそらくは驚きと猜疑に、息を詰める。

時間にすれば、十秒もないくらいなんだろうが、その時の俺にはひどく長く感じた。


「こんばんは」


あぁ、と内心納得して口から煙を吐き出す。

そいつのいる方とは逆方向に流れていく紫煙。

未だ顔は見えないけれど、多分に警戒を含んだその声は、今日の昼間にも教室で聞いた声だった。


「…ほんとだったんだな」

「…何が?」

「噂」


常人ならあんな梯子も何も無いところからこの屋根の上に上がるなんて芸当、出来るわけがない。

相手もこっちが誰だか大体は察しがついたんだろう。

斜めになった足場もものともせず、スタスタとこちらに近づいてくる。


「『三月ウサギ』」

「………別に、隠してるわけじゃないんだけどさぁ」


音は低いけれど本人のイメージよりも大分軽い調子の声が、あっさりと認めた。

柔い月明かりに照らされて見下ろしてきたのは、世界に数人しかいないという『役者』らしい、とまことしやかに囁かれていたクラスメイト、クレセント・ブラックフォードだった。



「そこ、座っていい?」


断りを入れると、返事をする前に俺の横にぺたりと座った。


しばし、二人で満天の夜空を眺める。


「…君の連れさ、」


沈黙を先に破ったのは、三月ウサギだった。


「連れ?」

「銀髪の」

「あぁ、ヴィルか」


あいつは俺の連れでも何でもないんだが。


「オレをお茶に呼んで、どうしたいんだろ」

「さぁ?…友達になりたいんじゃねぇの?知らねぇけど」


方法がややおかしいのはご愛嬌だ。

ふぅん、と納得しきらない返事が返ってくる。

そんなことを思いながら新しい煙草に火を点けた。

すぅっと吸い込んで、盛大に吐き出す。


「美味しい?それ」


自分でヴィルの話を振っておきながら、全然違う方向に話が飛ぶ。

暗くてはっきりとは見えないが、こちらを向いた顔がしかめ面をしているのは間違いなかった。


「嫌いか?悪いな」

「風上にいるから平気だけど」


―だから気付かなかったんだ。


そう一人ごちて顔を戻したクラスメイトに、わざと勧めてみる。


「お前も吸ってみる?」


こんな時、きっと悪い顔をしてるんだろうな、という自覚はあるんだ。


「いい、ウサギは過敏だから」


予想通り断られたが、理由は意味不明だった。


「ウサギだから?」

「『三月ウサギ』だから。………人より足が速いしジャンプもできるけど、耳も鼻も、多分人より敏感」

「多分てなんだよ」

「…ガキの頃からコレだから、人間の普通がどんなだかわかんないんだよね」

「へぇ」

「そんで、目が悪い」


銀縁のメガネをはずすと、着ていたシャツの胸元に引っ掛けた。


「それも、タトゥーのせいなのか?」

「多分ね。…まぁ木の上で本読んでたからっていう有力説もある」


クスクス笑いながらそんなことを言う。

さっきから視線はずっと天上を仰いだままだ。


「教官たちは知ってるんだろ?」

「あぁ」

「だからか」

「何が」

「ほら、俺がお前に吹っ飛ばされた時さ、教官何にも言わなかっただろ」

「あぁ、そうだね」


あれ、大丈夫だった?


今更だけど、と軽く聞いてきやがった。


「青くなったくらいで、どうってことない」


本当は向こう一週間は寝返りを打つたびに目が覚めるくらいの重傷打ち身だったけれど、意味も無く強がりが口をついて出た。

いくら相手が規格外だからって、負けたのは面白くない。

しょうがないと頭ではわかっていても、だ。


「そう、ならよかった」


その強がりを見透かしたかのように唇の端を吊り上げて笑った…気がした。

なんだか、その口調が。


「よく来るの?ここ」

「うん、たまに」


逆方向を向いて、ふと生じた苛立ちの芽を煙と一緒に吐き出す。


「煙草吸いにな」

「会ったことなかったよね。オレ結構よく来るけど」


ここにくれば、見つからないからさ。


そう言ってげんなりしたようにため息を吐いた。

ああも毎日追い回されてちゃ、そりゃ疲れるだろうよ。


「大変だな、お前も」

「いい迷惑だよ、ホント」

「ほとぼり冷めるまでの辛抱だろ」

「いつだよ、それ」

「粗方伸したんだろ?親衛隊の方は」


毎日毎日校舎裏に呼び出されておきながら、負けたことがない。やられて帰ってきたという話は聞いたことが無いし、改めて思い返せば傷一つ作ってるところを見たことがない。

目の当たりにしたことは無いが、強いのだ。おそらく桁違いで。

ここに来るまでは勝手な想像で、貴族お坊ちゃんってのはなよなよしたヘタレなヤツばっかりなんだろうと思っていたが、案外拳で語る派も多いらしく派手なケンカもしばしば耳に入ってきた。


「一回本気でシメてやったら大人しくなるかと思ったんだけど、逆効果だったみたいで」


一度に相手にする人数が増えたり、得物が物騒になったり、さ。


…気位が高いだけ、性質が悪いのかも知れない。

苦労性の三月ウサギは、はぁ~、と大きく息をすると、ついに仰向けにバタンと倒れこんだ。


「女子の方は?デジレは結局どうなったんだよ?」


男子にやっかまれている原因は主にこっちだ。

俺だって見ていて面白くない部分は……ある。多少は。

ギリギリまで減っていた煙草を吸殻入れにしている缶に落として、新しい煙草を咥える。

闇夜に慣れた目には、マッチを擦って点けた火がひときわ明るく見えた。


「あー、あれもいろいろ無理。超面倒くさい」


うあー、と心底面倒臭そうな口調で世の男どもをあっさりと敵に回した。


「羨ましいこと言ってんじゃねぇよ」


こいつの置かれている状況を羨ましいとはこれっぽっちも思わないが、さすがに今の発言はいただけない。

とりあえず、学院の全男子学生を代表して目の前の色男を晴れて「男の敵」と認定しよう。

だが認定したその矢先。


「興味無いもん」

「…」


…今なんか、聞いちゃいけなかったことを聞いた気がするぞ。


もしや今俺が置かれているこの状況は危険なのか?

身の危険を感じるべきなのか?

別の意味で男の敵認定か?


「……あ、お前今なんか勘違いしただろ」


暗い月明かりの下でも、ある種の恐怖に満ちた俺の視線を感じ取ったのか、こちらもまた怪訝そうな視線を投げてよこした。


「ソッチの趣味じゃないよ、オレ」

「そう聞こえたけど?」

「いや、超健全だから。女の子大好きだから」

「じゃあ興味ないってなんだよ」

「…」


言ってることがめちゃくちゃじゃないか。

だが視線を天上に戻した容疑者からは反論が返ってこない。

どうやらなんと言ったらいいのか、考えあぐねているらしい。


「……今ここでは恋愛とかする気ないんだ」


しばらくしてから出た言葉は、急にトーンが落ちた。

色が落ちたといった方がいいか。

…いわゆる、心ここに在らず、ってやつだ。


「ここでは?お前、地元に彼女とかいるの?」

「…まぁ、そんなとこ」

「ふぅん、…それそのまんまあいつらに言ってやればいいんじゃねぇの?」

「…」

「ま、賢明だな」


こんな入学早々好きな子がいるなんて言ったら、学外と見るのが妥当だろう。

さらに相手は世間知らずの貴族のお嬢様だ。

万が一性質が悪いのに素性を着きとめられたりしたら、何をしでかされるか。

特に、あの嵐は。


「で、デジレは?あれっきりなのか?」


缶に灰を落としながら、気になった女の話を振る。

あれにこそ、その彼女の存在を知られたらまずいだろう。


「…お前、もしかしなくても結構ミーハーなのな」

「まぁあれだけ目立っておけばミーハーでなくても気にはなるだろ」

「余計なお世話だって」


せっかく心配してやってるのに。


「……とりあえず、残念ながら全くもって好みじゃないから」

「同感だ」

「何度来られても、優しくしてやる理由が無い」

「鬼だな」


急速冷却された声が、ひたすら冷たく追い返している、と白状した。

心底嫌がっているその様子にくつくつと笑いがこぼれる。


郷里に女が居るとはいえ、学院の中でなら多少の火遊びくらいどうと言うことないだろうに。

三月ウサギ殿は結構堅いらしい。


「男の敵」の称号は挽回してやってもいいかもしれない。


「ご愁傷様」

「…性格悪いぞ」

「お前の彼女のことを吹いて回るほどは悪くねぇよ」


暗がりから驚いたような眼差しを感じて、わざと明るい声で確約した。


「お前さ、今度何かまずいことになったら俺たちのところに来いよ、匿ってやる」


借りとか思うなよ、ヴィルもちったぁ静かになるだろうし。

こっちとしてもあれいい加減煩いしさ。


俺の冗談半分な勧誘にふふっと笑いながら、そのうちね、と今まで聞いた中では一番前向きな返事を返してきた。


「秘密はお互い様だし。むしろ今までの期間を考えたら、貸しになってると思うけど?」


もう話は終わったとばかりに立ち上がった背が言ってる意味がわからず、眉を顰めると楽しそうな声が降ってくる。


「今までだって、黙っててやってたじゃん」

「は?」


何のことだ。


「『ウサギ』は鼻が利くんだよ?」


―制服着たままで煙草吸うのはやめときな。


目を見開いた俺を見て闇夜でもわかるくらいニッと笑うと、来た時と同じように梯子も何も無いところからひょい、と姿を消した。





煙草は20歳になってから。


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