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さらに数日をなんとなく過ごし、漸くクラス全員の顔がわかるようになってきて、まだ一度も口を利いたことのないあいつも、変わったヤツだ、くらいの認識で特に仲良くなるでもなく、反発するでもなく慣れない日々をそれなりに過ごしていたある日のこと。
午後一番の、剣術の授業。
この時間割は、男子と女子は授業が違う。
男子は剣術、女子は礼儀作法だ。
そして、学年全部の男子が集められてむさ苦しいことこの上ない校庭で、担当教官二人が生徒を二つのグループに分けていく。
経験者とど素人に。
学院に入る前に実家で剣術を習っていた生徒と、全くの未経験の生徒では授業の進め方が違うのだ。ちなみに俺は実家にいた頃に家庭教師に手ほどきを受けていたから経験者側に入るし、自慢じゃないが同学年の前じゃかなり腕が立つと思う。
人数を確認すると最初それぞれのレベルを測るため、教官が適当にペアを組ませての打ち合いをすると言い出した。
そして運悪く俺の相手になったのが、灰色の同級生、クレセント・ブラックフォードだった。
◆
「お手柔らかに頼むよ」
幼い頃からこれで懐柔出来なかった侍女はいない、取って置きの笑みを向ける。
……目は笑っていないけど。
「……君、名前、何だっけ」
効くなんて露ほども思っていないが、俺の笑顔をまるっきり無視して、地味な色彩の同級生はけれど鋭い切れ長の目をやや眇めつつ、刃を潰してある模造剣を構えて間合いを取る。
興味の無い同級生の名前なぞ、覚えていないらしい。
まぁ俺だって、まだ全員の顔と名前が一致するわけじゃないけどさ。
「イリアス・ノースロップ」
「…ノースロップ商会か」
「そ、一応跡取り」
実家はレイシーで茶葉問屋を営んでいる。姉が一人いるが、長男なので俺が後を継ぐことになるだろう。
「母親が、お前のところの紅茶のファンだよ」
「へぇ、ありがたいね」
顔には笑みを貼り付けたまま、じりじりと間合いを詰める。
「さすが、貴族様は親子揃って趣味がいい」
「?」
一歩、踏み込んだ。
◆
俺の言った意味が測りかねたのか、ふと生じた一瞬の隙を突いて一気に切り込んだ。
「っ…」
ギィンッ…とガタガタの刃が火花を散らす。
受け止められた刃を押し返されるのも計算のうちで、間髪置かず立て続けに剣を繰り出す。
型通りに打ち込む俺の剣をこれまた器用に受けて流していく。
今のところ流すだけで自分からは踏み込んでくることはない。
模造剣に対する装備は、皮の胸当てと、膝当てと肘当て。
刃を潰してある模造剣とはいえ、当てればそこが気持ち悪い色に変わるのは間違いない。
力加減と場所によっては骨まで逝くことだって十分あり得るのだ。
刃を交えたのは最初の数度で、そこから先は剣の打ち合いだというのに剣を構えもせず、どれだけ切り込んでも太刀筋を読まれているのか全て避けられる。
身長は俺の方が高いから、当然リーチも俺の方が長い。
しかも構えもしていないヤツは隙だらけなのに、どうして当たらない?
「っ…ちょこまか逃げるな…っ」
「君の剣、重いからさ」
横に薙いだ剣をひょいと避けられる。
同時進行で何組も打ち合いをしているのだが、力量に差がある組はあっという間に決着が着く。そうでない何組かも適当に折り合いをつけて次の組と交代していた。
そんな中、周囲もなかなか決着の付かない俺たちに気が付いたらしく、いつの間にかギャラリーが増えていた。
それもそうだろう、避けられてばかりじゃ決着の着けようもない。
「いちいち受けてると疲れちゃうよ」
「…ふざけんな…っ」
一見クレセントの防戦一方に見えるが、その実、疲労困憊なのは俺の方だ。
息一つ乱れていない飄々としたその様子が、バカにされているようでイライラする。
「やたら滅多らに振り回しても、疲れるだけだって」
そう言った次の瞬間。
本当に一瞬で、懐に飛び込んできたと思ったら、
「がっ…」
避ける間なんてあるわけない。
気付いたら腹に剣の柄をもろに食らって吹っ飛んでいた。
ガラン…と手放した剣が転がる音がする。
口々に「すげー」とか「逃げてんじゃねー」とか好き勝手なことを言っていたギャラリーが唖然と静まり返ってた。
「……そこまで!」
教官の声を切っ掛けに、我に返ったように周囲がわっと沸く。
俺をぶっ飛ばした張本人はしまった、という顔でこちらに駆け寄ってきて、まだ地面に這い蹲ってた俺の手を取って引っ張り上げた。
「ごめん、勢いつけ過ぎた」
「おい、お前、今のどうやって…」
打たれた腹を押さえて咳き込みながら最後の瞬間移動?について問い質す。
「君の剣、すごいな。重たくて途中から受ける気無くした」
俺の質問には答えず、片眉と薄い唇の端を上げてニッと笑った。
「なら大人しく受けてさっさとやられろ」
「ハッ、冗談」
苦いものを噛み締めながら俺が吐き捨てた言葉に、クスクス笑いながら剣を鞘に戻す。
なんだかこいつに対して持っていたイメージがぶれてくる。
もっとぶっきらぼうで愛想の無い、スカしたヤツだと思ってたんだけど。
「ブラックフォード、これは剣術の授業だぞ」
近寄ってきた教官が渋い顔をする。
確かにこいつは多少俺の剣を避けたくらいで後は避けてばっかりだったから、今の一戦はあいつの剣術の腕を知るには不足だっただろう。
「だって教官、こいつの剣マジで重いですよ」
オレなんかじゃ太刀打ち出来ません。
その軽い口調とひょいと肩を竦める様は、それまでの無口で大人しい印象を完全に覆すもので。
「長剣は苦手なんです。一通り型は習いましたけど、初心者レベルですよ」
「初心者はノースロップの剣をあれだけ避けたりは出来んだろう」
「体術は相当扱かれましたから。でも剣を振り回すのは下手です」
「…ノースロップ、腹は大丈夫か」
教官はそれ以上はあいつを責めることも無く、あいつの突きが入った腹を見て今度は俺に声をかけてくる。
皮の胸当てには突かれた後がくっきりと凹んで見えた。
「大丈夫です。痣にはなるでしょうけど」
「救急箱に軟膏が入ってるから、塗っておけ。…次っ」
俺たちの次の組に支持を出しながら、教官は他の生徒のところに行ってしまった。
「悪かったね、大丈夫そう?」
肘当てをはずしながら申し訳無さそうに話しかけてくる。
「あぁ、どうって事ないよ」
まだじくじくと痛む腹に顔を顰めて、結構強がって言った。
胸当ての下の肌は有り得ない色に変色しているだろう。
「おい、イリアス、大丈夫だったか?」
「ブラックフォード、お前すごいんだな」
「なぁ、あれ何なんだよ?」
「何が?」
「あの最後突っ込んでったスピード。おかしいだろ」
あの瞬間を見ていた数人がこちらに寄ってきて話しかけてくる。
教官も見ていただろうに何も言わなかったけれど、皆あの速さが尋常でないと思ってるんだ。
皆に一斉に話かけられて、面食らったように灰色の目が少し大きくなった。
「…別に、何をしたわけでもないよ?」
「嘘付けー」
「何やったんだよ」
「別に…でも、小さい頃から足は速かったし、実家の家庭教師がスパルタだったから体術なら結構自信あるよ?剣は重たいから苦手だけど」
それだけじゃない?
そう言って小さく笑うと、一人でスタスタと水場に向かって行った。
「…あいつ、思ってたのと大分感じが違うんだな」
その背中を見送りながら、誰かがポツリとそんなことを言った。
本筋では出していなかった、クレスの苗字が判明…