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続きです。
「あなた、一体、何の根拠があってそんなことを…!失礼にも程があってよ!?」
今まで言われ放題だったデジレの口からいつも通りの気の強い発言が出るが、まだ顔色も悪いし、つっかえつっかえだし、覇気も無い。
けれどこいつに睨まれて詰まった割には、この建て直しの早さは拍手ものだ。
「失礼?その言葉、そっくりそのままお返し致しますよ。あなたから被った風評被害その他諸々を鑑みてもあなたに礼をとる必要性は微塵も感じません。それに従者たる者、主人が困っていたら駆けつけ対処するのが当然。敵と見なしたからには容赦など無用です。ですが今回は…我が主人とその友人方に免じておきましょう。…二度はありませんよ?」
至極穏やかな、けれど底冷えする冷気を孕んだ口調に、さっきからお世辞にもいいとは言えなかった目の前の美女の顔色が更に悪くなった。
さ、傷は小さくとも抉らない方がいいですよ?
にっこりと笑って「お帰りはあちら」とばかりに道を開ける仕草は、教官が見れば完璧と
お墨付きをくれるだろう。
わなわなと唇を震わせた女豹は、せっかく立ち直ったのにここはさすがに分が悪いと踏んだのだろう、火を噴きそうな一瞥をくれると慇懃無礼な手の先に鈴なりになっている野次馬たちにきっと視線を投げ踵を返すと、しかしホールに戻る出入り口はそこしかないのでヒールの音高くそちらに向かって歩き出す。
しっかり顔が上がっているのは、さすがと言うべきか。
「先輩」
足早に去ろうとするデジレを呼び止める。
こんな薄暗闇の中でも豪奢な山吹色のドレスが明るい。
「話す相手が違うでしょう」
足は止めたものの、こちらは振り向かない。
「あいつに謝罪したいなら、俺なんかじゃなく直接本人に言ってください。あいつがあなたの謝罪を受けるかは知りませんが、俺たちはもうあなたとは関わり合いになりたくないし、こちらから話しかけることもありません。俺たちから離れたところで大人しくしていてください。あなたが寄ってくると騒がしくてしょうがない」
数秒、こちらを向いてじっとしていたが。
一言も発することはなくくるりと踵を返すと、もう振り返ることはなかった。
長い睫毛に彩られた大きな瞳がぐらりと揺れた気がしたが、逆光で良く見えなかった。
溜め息しか出てこない。
「さっきのあれ、マジなのか?」
「えぇ、」
漸く塞いでいたヴィルの両耳を開放し、同一人物とは思えないほど穏やかな顔で乱れた銀髪を手櫛で整えていた従者がこちらを向いた。
あれだけの冷えた視線と言葉でデジレを攻撃している最中にも、最後にデジレにガラス戸を指し示すまでヒューの両手はヴィルの両耳をずっと塞いでいた。
ついでに自分の胸に顔を押し付けて黙らせてもいた。
それでも捕まった本人はむーむー呻きながらじたばた暴れていたから、息は出来ているだろうと見なして放置しておいたんだが。
その光景は俺にとっては見慣れたものだったが、ホールから覗き見ていた連中にはとても奇妙に移っただろう。
「彼女の将来には同情を禁じえませんが、あなた方の平穏な学院生活を脅かすのであれば容赦はしません」
そうきっぱり言い切ったヒューに髪を撫でられながらぜーはーと呼吸を整え、漸く落ち着いたらしいヴィルが珍しくキッとヒューを睨みつけた。
「何するの!?もうっ」
苦しかったじゃんっ
そう言って頬を膨らませた少女に苦く笑いながらすみません、と謝って。
「あの女とのやり取りなど、ヴィル様の耳が穢れます」
どうか聞かないでください。
少し寂しそうな顔でそう言ったヒューにロードクロサイトが揺れる。
何も言い返すことも無くそっぽを向いた顔は、唇を尖らせたまま拗ねたような、恥じらったような、勘弁してとでも言いたげな、やや複雑な色を浮かべていた。
そんなヴィルを見下ろしてはまた幸せそうに目を細めるヒューを見て、また溜め息が出るのは俺のせいじゃない。
…こっちはまぁ大丈夫そうか。
今しがたヒューがざくざくとデジレに刺した棘の数々は俺が知らないことばかりだったが、本人の反応を見れば真実と呼んで差し支えないものだろう。
貴族をはじめ富裕層の娘が家の為に将来望まない先に嫁がなければならないのはよくある話だが、あいつはこの学院にいる間はモラトリアムよろしく、遊びまくってたってわけだ。
その顛末がこれで。
学院の中で噂になる程度のレベルで収めておけばよかったものを、調子に乗った挙句巡り巡ったツケが自分に廻ってきているのだ。
愚かとしか言いようが無い。
学院という閉鎖的な社会で、一度悪評が付いてしまえば払拭するのは相当難しい。
おまけに貴族やら富豪やら、気位だけは高い奴ばかりが集まっている。
あいつもこれから先、卒業してからも色眼鏡で見られることは間違いない。
まぁ自業自得だし、いい気味だ。
学年末まであと四ヶ月あまり。
デジレがこれ以上俺たちに接触してくることは無いだろうが、四年間の出だしがこいつのおかげで散々だ。
特に三月ウサギ。
完全に被害者だってのに、微妙に、いや相当周りの学生から引かれている。
あいつももうちょっとうまくあしらえば良かったんだろうが、それを言うのはさすがに酷か。
あの身体能力だって、あんなバレ方をしなければまだ違っただろうに。
こんなで再来年スミレ姫が来るっていうんだから、
………ちったぁ改善されてりゃいいけど。
「…疲れた。帰るぞ」
「はい、ヴィル様ももう戻りましょう」
「うん」
さっきに比べては人が減ったガラス戸に向かって踵を返す。
あと三年間を自分たちが出来るだけ穏便に過ごせるよう、心の中でそっと祈った。
やっと一学年終わりました。
もっとサクサク行く予定だったのに。次は帽子屋です。