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今年初投稿です。
今年もよろしくお願いします。
ホールで運悪くデジレに捕まってしまった後のこと。
人気の無いテラスは遠巻きに三人ほどの人影が見えるものの、普通の大きさの声が届く範囲には誰も居なかった。
もう最近は日が落ちるのも早くて、端の方に朱を残した空は青インキを流し込んだような濃紺に染まり、レイシーで今の時期にはもう見えないだろう夏の象徴である紅い恒星が、朱色の反対端で煌めいていた。
「で、お話とは?」
不機嫌を隠しもせずに切り出した。
ただでさえあからさまに嫌がっているクレセントに傲慢に詰め寄る様は傍から見ているだけで鬱陶しかったが、あの事件の後から輪をかけてこの女が大嫌いになっていた。
こいつが寄りに寄って俺の部屋の前で騒ぎを起こしてくれてから、元は遠巻きに眺めるだけだったこいつとクレセントの一連の騒動に否応無く巻き込まれる形となり俺たちまで教官たちに目を付けられるようになってしまったからだ。
いろいろとやりづらいったらない。
本当にこれ以上関わり合いになりたくなかったし、さっさと切り上げて屋上に行きたかった。
風を遮るものも何も無い屋根の上は、ここ最近は日が落ちるとさすがに肌寒いんだ。
単刀直入に本題に入ろうとする俺とは裏腹に、指しで対峙したデジレは視線を落とし、手に持った扇子を落ち着かなげに弄っている。
その様子からは、どうしたことかいつも見せていた女豹のような肉食系のオーラは全然感じられない。
…そのしおらしい雰囲気に警戒心がぐんぐん引き上げられるんだけど。
気持ち悪いし。
自分でも眉間に皺が寄っているのがわかる。
一体何だって言うんだ。
「……あなたにも謝りたいと思って」
どうした俺の耳。
今なんだか有り得ない台詞を聞いた気がしたぞ。
「休暇の前に、あなたの部屋の前で、騒ぎを」
「何なんです、今更」
つい苛立ちのままに言葉を遮った。
後から振り返ると過剰防衛気味だったかなとも思わなくもないが。
その時は滑り出した口は繕う間もなく。
「あいつに一体何の恨みがあるってんだあいつが何したって言うんだよ、あんだけ嫌がられてるんだからいい加減気付けよ頭悪りーな取り巻きにしたいんだかなんだか知らねーけど」
「イリアスいたー!」
見る見るうちに相手の表情が変わっていくのを見ながら、それでも敬語も忘れて捲くし立てた罵詈雑言を遮った声の主は、スカートの裾を翻してこちらに駆けてきた
「ねぇイリアス、あっちでプディング食べようよー」
この状況を全然意に介さずにぐいぐいと俺の手を引っ張る灰色と珊瑚朱色の小動物。
面白いものを見つけてはしゃぐ子猫の様だ。
…まったく。飼い主はどうした。
「ヴィル、ヒューは?」
「あっちで隣のクラスの子と喋ってるから置いてきたよ」
はぁ?
有り得ない返事に思わず頭一つ下にある妖精の顔を覗き込むと。
ロードクロサイトの左目を器用にパチリと瞑り、ホールの方に視線をやった。
っ、こいつら…!
俺とデジレが指しで居るのを見つけて一計を案じたんだろう。
ホールからテラスに続くガラス戸のカーテンの脇に立つ、青を纏った二つ年上の従者をジロと睨んだ。
その直後、ギシリ、と小さいけれど木が軋むような音が辺りに響き、二人して音のした方を見やる。
いきなりのヴィルの登場に一歩身を引いたデジレが、先程とは打って変わっていつもの調子で扇子を握り締めていた。
「あなた、クレセントに振られたからって、今度はイリアスに意地悪してるの?」
今その存在に気がついたと言わんばかりに、ヴィルが能天気な、けれど呆れたような声を出した。
その台詞にまた一段階女豹の顔つきが険しくなる。
「イリアスここ寒くないの?早く中入ろう?」
悪戯が楽しくてしょうがない子供の笑顔で向き直ったヴィルに俺は内心盛大に溜め息を吐く。
そしてこの小動物に知恵を授けてここに放り込んだ飼い主への仕返しを高速で脳内に巡らせた。
あの野郎、どうしてくれよう。
「ヴィル様、」
そうして俺の脳内がもっとも効果的な仕返しを見つけ出すより先に躾下手で策士な飼い主がやれやれといった態でやってきて、果敢にも敵の目前に飛び出した愛しい小動物を俺から引き剥がすと腕の中に隠し込んだ。
…なんかどんどんスキンシップ過多になっていってる気がするのは気のせいか。
もがもがと暴れる小動物と飼い主の図を見やる生温い視線を綺麗にスルーして、紺青の瞳が紅の美女に微笑みかけた。
「もう私たちに構うのはこの辺にして置かれた方がよろしいのでは?」
皆さんパーティどころではなくなっているようですし。
そう言ってにやりと意地悪く笑んだ顔を今しがたヒューがいた方に向けると。
野次馬と化した学生たちが窓際に鈴なりになっていた。
「あなたたち…っ」
それらを見たデジレの顔は見る間に赤くなり、結い上げた髪にたくさん飾った髪飾りが飛ぶのではという勢いでこちらを振り向くと、憎々し気に睨みつけてきた。
あー、今の顔のほうがしっくりくる。
嫌いだけど。
「イリアス」
妖精から目を離した従者は打って変わって呆れたような、冷えた目をこちらに寄越す。
「全くあなたという人は、女性に庇われるなんて紳士の風上にも置けませんね」
「知るかよ、止める暇なんてなかっただろうが。つーかお前が仕込んだんだろ」
「言い訳をする男は見苦しいだけですよ」
「まぁイリアスはもうちょっとレディへの態度を勉強したほうがいいよ」
「そのくらい知ってるさ。ただ身近にレディがいないからな」
「なによぉ、それどういう意味!?」
「聞き捨てなりませんね」
「つーかお前もこいつの躾がなってねーんだよ」
「躾?なんのことです」
ああ言えばこう言う。
心配されるのは腹立たしいが、現に冷静さを欠いて悪態を吐いていたのだからとっさに言い返す言葉も口から出て来ず、結果口角を下げてあさっての方を向いた。
主に向かってなんて言い草…なのは日常茶飯事なので気にも留めないが、聞いていたデジレは茶色い目を丸くしていた。
まぁ主人と従者がこんな風にぎゃあぎゃあとタメ口で口喧嘩なんて、普通なら有り得ない。
周りに人が居ない場合はどうあれ他人の目があるところでは、「主人」と「従者」なのだ。
だがそんなことはお構いなしの氷の帝王が、無視されたことで怒り心頭の女豹に向き直る。
本領が発揮するのはこれからだ。
止める気も無いから、釘だけ刺しとこう。
「いいからヴィルの耳塞いどけよ、お前」
「えっ、ヒューっ!なんで?あたし悪くな」
「ヴィル様、ちょっと静かにしててくださいね」
ごね出した腕の中の妖精にそう囁くと、問答無用で両耳を塞いだ。
誰か温度計持ってないかな。
にっ……と笑んだ顔と、あの視線の冷たさの温度差を測りたい。
「いつまでも私たちになど感けていないで、卒業まで大人しく花嫁修業でもしている振りくらいしたらどうです?いくら名士と名高いご両親と言えど、あんな騒ぎを起こした娘をこのまま許婚の下に出すのは相当骨が折れるでしょう」
氷の眼差しが、食物連鎖の頂点に位置するはずの豹を射すくめた。
これの怖さは実際に睨まれたことのある奴にしかわからないだろう。
「私などからすればあなたが未だ学院にいるこの事実を見るだけでご両親のご苦労が偲ばれるというものですが、将来どこにやるとしても卒業も出来ずに中途退学となれば再度もらい手を探すのは輪をかけて大変になりますしね。ですがこれ以上親の顔に泥を塗るような親不孝な娘には、やはり金はあるけれど品性の無い成り上がりのジジイの後妻あたりがちょうどよいのでしょうね?」
この薄闇の中でもわかるくらいに顔色が変わり、ぐっと言葉に詰まった様子を見ると、今ヒューが言ったことは大方合っているんだろう。
…相変わらずどこで拾ってくるんだ、そんな話ばっかり。
「それさえももし破談となれば、傾きかけたご実家はどうなるのでしょう?どうせ将来望まない結婚を強いられるからここに居るうちにちょっと羽目を外したかったというのであれば、他所でやっていただければよかったものを。これだけ我が主はじめご友人方に迷惑をかけられては従者たる私もこれ以上は黙ってはいられません。ただで済むとは、思っていませんよね?」
北の海の底を思わせる青が鋭利に細められる。
…ただで済まないって、何するつもりなんだ、ホントに。
これが口から出任せでないのはガキの頃から付き合いだ、よーく知っている。
我が従者ながら、真剣に敵に廻したくないと思うのはこんな瞬間だ。
…長くなりすぎたので途中で切りました。