第四章 父の湯気
父のまわりに、湯気のある景色を湊はほとんど置いてこなかったのかもしれない。
ホームの霧。
港の灯り。
坂の息。
待合の長い時間。
岬の風。
客間の少し低い声。
廊下の戻りきらない歩幅。
そのどれもが父を近づけてきた。
だが、そこにはまだ“生活の湯気”が少なかったように思える。
茶の間の卓に置かれた茶。
飲みきられない湯呑み。
言葉より先に置かれる器の音。
そうしたものの近くに父を置いてみることを、湊はこれまであまりしてこなかった。
第十六作で茶の間へ入って初めて、父にもまた、そういうぬくもりの近くでようやく人の顔に戻る時間があったのではないかと考え始めていた。
翌朝、春口には昨夜の名残のような湿りがあった。
雨は降っていない。
だが障子を通る光はやわらかく、茶の間の卓の上には湯気が低くたまる。
こういう朝の茶の間は、話す場所というより、まず座る場所に見える。
声も、まだ低くなくてよいし、はっきりしていなくてもよい。
ただ湯気の近くで、少し身体がほどければそれで十分な気がする。
父を思うには、こういう朝が似合うのかもしれなかった。
朝食のあと、篠原が持ってきたのは、宿の古い買い物控えの裏に書かれた短い断片だった。
茶葉や味噌の量の覚えに混じって、いかにも澄江らしい一文が残されている。
――あの人は茶の間では、客間よりさらに声が少なくなる。
――それでいて、いちばん人の顔に近い。
――湯気の近くでは、言わないことも悪くないように見える。
「これ」
湊が言う。
「ええ」
篠原が頷く。
「かなり大きいですね」
「“あの人”」
汐里が低く繰り返す。
「父親かもしれない」
「十分あります」
篠原は静かに答えた。
「断定はできませんが」
「でも、ここまでの記録とよく響き合う」
「そうですね」
その三行は短い。
けれど、客間や廊下で見えてきた父の像と、ひどく自然につながった。
客間では少し低い声。
廊下では自分の幅に戻るのが少し遅い。
そして茶の間では、さらに声が少なくなる。
だが、そのときこそいちばん人の顔に近い。
それは、とても大きな見え方の変化だった。
「母」
汐里が言った。
「ええ」
「こういうふうに見てたんですね」
「そうでしょうね」
湊も頷く。
「話せるかどうか、じゃなくて」
「はい」
「どこでいちばん人の顔に近づくか」
「そうですね」
「茶の間だった」
「かなり」
その理解で、父はまた少し生活の中へ戻ってくる気がした。
失敗の場面の人でも、待ちの長い人でも、用件のある人でもなく、湯気の近くで言葉を減らしながら、ようやく人の顔へ近づく人として。
昼前、湊は一人で茶の間に座った。
卓の上にはまだ片づけきられていない湯呑みが二つある。
わざと残してあるのか、あとで下げるつもりなのか、その境目くらいの残り方だ。
茶の間には、そういう“まだ生活の途中にあるもの”がよく似合う。
客間なら整え直されるはずのものが、ここではまだそのままでよい。
だから人もまた、きれいに整った顔でいなくてよいのかもしれなかった。
湯呑みに手を触れる。
もう熱くはない。
それでも、さっきまでそこに湯気があったことを感じる程度のぬくもりは残っている。
なるほどと思う。
茶の間の湯気とは、ただ温かい茶のためにあるのではない。
人が“何かを言わなくても悪くない”と思える温度のためにあるのかもしれない。
それは、庭の火とも少し似ていた。
灯りではなく、ぬくもり。
位置ではなく、そこにいてよい時間。
茶の間は、そのぬくもりを生活のもっと近くで引き受けているのだろう。
そこで父のことを思う。
もし父がこの茶の間にいたなら、きっと多くは話さなかったのではないか。
客間よりさらに少ない声で、ただ茶の湯気の近くにいる。
それは不器用さでも、逃げでもなく、その人がようやく“人の顔”に近づくために必要な黙りだったのかもしれない。
そう考えると、父はまた少し責めるべき対象から離れ、ただ生活の中で不器用に座っていた一人の人に見えてくる。
春口の宿が支えていたのは、たぶんそういう不器用さだったのだろう。
午後、近所の男が短い用事で立ち寄った。
帳場で済みそうにも見えたが、汐里は茶の間へ通した。
男は座ると、最初の一言だけ話し、それからしばらく何も言わなかった。
だが沈黙は重くない。
汐里はすぐに問い返さず、茶碗を少し寄せるだけに留める。
やがて男は小さく息をつき、「まあ、そういう日もあるか」と言った。
それは結論でも何でもない。
だが、茶の間にしか落ちない一言のように聞こえた。
「今の」
湊が言う。
「ええ」
汐里が頷く。
「茶の間の言葉でしたね」
「そうですね」
「客間なら、もう少し整った言い方になった気がします」
「はい」
「でも茶の間だと」
「生活の近くの一言になる」
「かなり」
湊は静かに言った。
茶の間とは、きれいに整理された言葉を生む場所ではないのだろう。
むしろ、その人の生活に近い、不格好でも本当の一言が落ちる場所なのかもしれない。
澄江が“いちばん人の顔に近い”と見たのも、きっとそういう瞬間だったのだろう。
「相沢さん」
汐里が言った。
「はい」
「父親も」
「ええ」
「こういう言葉の人だったのかもしれませんね」
「どういう意味で」
「ちゃんと説明できる言葉より」
「はい」
「茶の間でぽつっと落ちるような言葉」
「……」
「それでいて、いちばんその人に近い」
「そうですね」
湊は答えた。
父の像は、ここへ来てまたひとつ静かな輪郭を持った。
立派な言葉ではなくてもよい。
茶の間の卓で、湯気の近くで、ようやくぽつりと落ちる一言。
そこにこそ、その人の本当が少し出ることもあるのだろう。
夕方近く、汐里は茶の間の湯呑みを下げる前に、一度だけ卓を見ていた。
父や澄江を知っているわけではない。
けれど、残った湯気や器の位置の中に、その日の人の“人の顔”がどのくらい出ていたかを見ているように思えた。
「何を見てるんですか」
湊が訊く。
「今日は」
彼女は少し考えてから言う。
「言葉より、黙り方が茶の間に合っていたかを」
「……」
「どうでした」
「かなり」
そう答えると、彼女は小さく笑った。
「そういう日って、湯呑みの残り方も自然なんですよね」
「それ、すごく第十六作ですね」
湊が言うと、汐里は頷いた。
「本当に」
彼女はもう、茶の間の音や湯気だけでなく、そこで人がどのくらい“人の顔”へ戻れたかまで見始めているのだろう。
それは宿の主として、かなり深い成熟なのかもしれなかった。
夜、ノートにはこう書いた。
――父のまわりに、湯気のある景色をあまり置いてこなかった。
――だが茶の間では、客間よりさらに声が少なくなり、それでいていちばん人の顔に近づく人もいるのかもしれない。
――澄江は、その少ない声や、ぽつりと落ちる生活の近い一言を見ていたのだろう。
――茶の間の湯気は、人が話さなくてもここにいてよい時間を支える。
――第十六作は、父を“失敗や遅れの人”としてだけでなく、“湯気の近くでようやく人の顔になる人”としても受け取り直す巻なのかもしれない。




