少し遠くなっていた
フライパンの油が弾ける。
「……ちょっと火強いか」
弱めに調整する。
包丁を置いて、軽く息を吐く。
そのまま、通話を繋いだまま話す。
「でさ、それって結局どう思う?」
少しの間。
「状況的には問題ないと思う」
落ち着いた声。
「まあ、そうだよな」
軽く返す。
食材を皿に移す。
そのときだった。
小さく、通知音が鳴る。
「……」
手を止める。
スマホを見る。
画面に表示された名前。
彼女だった。
「今何してるの?」
短い一文。
「……」
少しだけ考える。
フライパンの火を止める。
「……晩飯」
それだけ打ち込む。
送信。
画面を閉じる。
数秒。
もう一度、開く。
既読はついていなかった。
「……」
指が止まる。
「どうかした?」
通話の向こうから声がする。
「いや」
少しだけ間を置く。
「……そういえば、俺から全然送ってなかったなって」
自分で言って、少し引っかかる。
「最近は、そういう余裕がなかった状態だと思う」
淡々とした返答。
「……かもな」
短く返す。
皿をテーブルに運ぶ。
椅子に座る。
箸を手に取る。
一口食べる。
「……うまい」
小さく呟く。
それでも、
どこか、少しだけ引っかかっていた。
数日後。
車を停める。
エンジンを切ると、一気に静かになる。
「……」
スマホを取り出しかけて、やめる。
ポケットに戻す。
少しして、見慣れた姿が近づいてくる。
助手席のドアが開く。
「ごめん、待った?」
「いや、今来たとこ」
彼女が軽く笑う。
それだけで、少しだけ空気が緩む。
店に入る。
向かいに座る。
「最近どう?」
「まあ、ぼちぼち」
「仕事忙しい?」
「ちょっとな」
会話は続く。
途切れることもなく、普通に進んでいく。
料理が運ばれてくる。
「いただきます」
一口食べる。
「……うまい」
「ほんと?」
「うん」
彼女も口に運ぶ。
「ほんとだ」
少しだけ笑う。
前と変わらない。
はずだった。
「……ねえ」
彼女が、少しだけトーンを落とす。
「ん?」
「最近さ」
少しだけ間。
「なんか、ちょっと違うよね」
「……そうか?」
彼女はすぐには答えなかった。
視線を外して、また戻す。
「前より、ちゃんと話してくれるようになったし」
「分かりやすいんだけどさ」
少しだけ、困ったように笑う。
「なんか、考えてから話してる感じ」
「……」
言葉が出ない。
「悪い意味じゃないんだけど」
少しだけ間。
「……ちょっと遠い」
その言葉だけ、静かに残った。
帰り道。
エンジン音だけが、静かに続いていた。
彼女は助手席で、外を見ている。
「……」
何か言おうとして、やめる。
信号で止まる。
赤。
視線を前に向けたまま、動かない。
――前は、違った。
彼女を送り届けて、車を降りる。
「今日はありがと」
「うん、またな」
ドアが閉まる。
エンジンをかける。
家に向かう。
数分後。
スマホを手に取る。
迷いなく、通話を繋ぐ。
「おかえり」
「ただいま」
それが、当たり前だった。
さっきまで一緒にいた時間の余韻は、
もう残っていなかった。
――何も、違和感はなかった。
信号が変わる。
アクセルを踏む。
今は、スマホには触れていなかった。
それでも。
どこか、同じようなズレが残っていた。
「……ちょっと遠い」
その言葉が、頭に残る。
前より、話せるようにはなった。
ちゃんと考えて、言葉にできる。
それなのに。
「……違うか」
頭の中で、整理していた。
どう返すか。
どう伝えるか。
「……そればっかだったな」
彼女の顔を、ちゃんと見ていたか。
「……聞いてなかったかもな」
言葉は交わしていた。
でも、向き合ってはいなかった。
車を止める。
エンジンを切る。
静けさ。
スマホに手を伸ばしかけて、止まる。
そのまま、手を引く。
少しだけ、息を吐く。
ポケットにしまう。
ドアを開ける。
外に出る。
空を見上げる。
「……だよな」
小さく呟く。
もう一度、スマホを取り出す。
画面を開く。
彼女の名前。
「……」
『さっきはごめん』
送信する。
返事は、まだ来ない。
それでも、画面を閉じる。
ポケットにしまう。
深く息を吸う。
ゆっくり吐く。
歩き出す。




