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【4分】なぜ中学受験で白紙答案を出したのか?【ほんのり】



 実家に行く機会があった早苗は、兄の慎平に愚痴っていた。


 息子の海斗が中学受験に失敗、それも全科目『白紙』という意味不明な事態に陥っていたのである。


「ホント意味わかんない! なに考えてんのよ海斗は!」


 怒気を露わにする早苗。


「海斗本人はなんて言ってんの? 白紙答案の理由を?」


 慎平が聞き、早苗が答える。


「何も言わないのよ、あの子ったら。3年も受験勉強の為に頑張ってきて、試験当日に白紙答案なんてありえる!?」

「まあまあ。試験までにどんな事があったのか教えてくれよ。試験前日の様子も詳しく」


 慎平は早苗をなだめた。

 彼はボクシングジムの経営者で、元プロボクサーでもある。

 ジムはボクササイズもやっていて女性にも人気があり、体育会系らしからぬ細やかな気配りが評判の所だった。


 早苗は試験までのことを慎平に話して聞かせ、話をひと通り聞いた慎平は何かに気付いた素振りを見せた。


「……なるほどねえ。海斗は最後に強烈なカウンターパンチを決めやがったな」


 笑いながら言う慎平。


「は? なによそれ? なに笑ってんの? 笑いごとじゃないのよ」

「すまんすまん。でも白紙答案の原因はわかったよ」

「なに!?」


 食い入るように早苗が身を乗り出す。


「お前の試験前日の言葉が良くなかったんだろうね。『今日はゲームしていいよ』ってやつ」

「その言葉の何が問題なの?」

「何が問題って……大好きなゲームを3年も禁止しといて、試験前日だけ『やっていいよ』はないだろ」

「だから、それの何が問題なのよ!」


 話が見えない早苗はイライラした。


「海斗をリラックスさせるために言ったのよ? それの何が問題なの? 意味わかんない」

「………」


 イライラをぶつけると、慎平は申し訳なさそうな表情をした。


「笑ったのは悪かった。ただ、試験当日に白紙答案を出した海斗と、俺の現役時代のライバルの話が同じだなーと思ってな」

「……どういうこと?」


 そう聞かれた慎平は静かに語りだした。


「俺が現役の頃、ライバルのボクサーがいてな。そいつは才能があったが、親父さんが過剰な期待を寄せるコーチだったんだ。んで、あるタイトルマッチの前日、計量を目前に控えたタイミングで親父さんは『リラックスしろ』と言って、減量中のアイツに大好物のハンバーガーを差し出したんだ」


 早苗は黙って話を聞いていた。


「アイツは、その場で親父さんを殴り倒したんだよ。タイトルマッチを控えた大事な時期だってのにな。この暴力事件が大騒ぎになって試合は中止だ。後で俺が『なんで親父さんを殴ったんだ?』と聞いたら、アイツは泣きながら言ったよ。『俺の努力を踏みにじったことが許せなかった』ってな」


 早苗が眉をひそめる。


「努力を踏みにじるって、なんで?」

「わからないか? 計量を控えたタイミングでハンバーガーを差し出されて、もし食べて計量失格になったらタイトルマッチが台無しになるだろ」

「食べなきゃいいじゃん」

「うん、その通り。だが、なぜ”大好物のハンバーガーを差し出す必要”があるんだ? おそらくアイツの親父さんはこう思ったんだろうね。大好物を前にしても誘惑に打ち勝てる息子と、それを支える器の大きな自分に酔いたいってね」


 話を聞き終わった早苗が言う。


「それはその父親がおかしいと思う」

「俺もそう思う。だがお前のやったことは、その親父さんと同じだぞ?」

「?」

「前日に『ゲームをしていい』なんて言ったのは、あいつのためじゃない。『誘惑に勝つ健気な息子と、それを許す度量のある私』という、安っぽい美談の脚本をあいつに押し付けたんだ」

「!?」


 指摘を受けて、早苗はハッとした。


「そんなつもりは全くないよ。私はただよかれと思って……」

「自覚がない悪意はたくさんある。今回もその1つやね」

「………」

「試験前日にさんざん禁止してきた『ゲームしていいよ』なんて、計量前のボクサーに大好物のハンバーガーを勧めるのと一緒だよ。ハンバーガーを受け取ると計量失敗という悪夢、ハンバーガーを断ると『親の思惑通りに、掌の上で踊るピエロ』を演じさせられる屈辱が待ってる。どっちに転んでも地獄の残酷な仕打ちだよ」

「………」


 早苗は押し黙った。

 自分では善意のつもりだったけど実は悪意だったかもしれない。


 たしかに試験前日『ゲームしていいよ』とは言ったが、それは”海斗が断ることを見越した上での意地の悪い甘言”だったのかもしれないのだ。


 ゲームをすると受験失敗という悪夢。

 ゲームを断ると『親の思惑通りに、掌の上で踊るピエロ』という屈辱。


 これはたしかにどっちに転んでも地獄であり、残酷な仕打ちだ。


「海斗はな、お前の突き付けた陳腐な脚本を破り捨てるために白紙を出したんだよ。3年間の努力を捨ててでも、自分の意思を取り戻したかったのさ」

「………」




 その夜。早苗は重い足取りで海斗の部屋のドアを叩いた。


「……入るわよ、海斗」


 海斗はイヤホンをしてベッドに寝転がっていた。


「ちょっと話をしていい?」


 早苗の言葉に海斗がイヤホンを外し、顔を向ける。

 視線が合い緊張が高まる。


 早苗は”3年分の勇気”を振り絞って頭を下げた。


「ゴメンなさい。試験の前日『ゲームしていいよ』なんてバカなこと言って。お母さん、あなたを苦しめたわね」

「………」


 長い沈黙の後、海斗がぽつりと言う。


「……ずるいと思った。ずっとダメって言ってたのに急に『いいよ』って。……正直ムカついたよ、ものすごく。白紙答案を出したくなるくらいに」

「うん、ゴメン……」


 早苗は何度も謝った。

 海斗の言葉を一つも否定せず、ただ受け入れた。


「……まあ、もういいよ。謝ってくれたんなら」


 その声は少しだけ疲れていて、けれど少しだけ優しかった。


 話を終えてドアを閉める。

 早苗の胸の奥で、張り詰めていた何かがゆっくりと解けていく気がした。

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