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深淵の印  作者: らっすん
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第八章 監視者


 エリーゼの監視は行動の報告書という名目で行われる。


 だが報告書の作成には、対象の行動を間隔なく見る必要がある。

 間隔なくとは、行動の全てを見ること。

 夜の行動も含まれる。


 夜の行動。

 兄の呼び出し。


 エリーゼがそれを報告書に書いたかどうか。

 書かなかったことが意図的かどうか。

 それは帝国軍側の判断だった。


 だが情報部には別の目的があった。

 夜明けの剣の工作を見つけること。

 それが後に明確になった。


 暗殺の試みは八日後にあった。


 塹壕の奥側の通路。

 不明の人物が夜の暗闇の中で王子の個室へ向かっている。


 フリードリヒの巡回で発見された。


 塹壕の縁を見る夜の巡回。

 習慣になった動作の中で、今夜は別の影が入った。


 人物は刀を持っていた。

 刀を持っていることは戦闘の開始を意味する。


 塹壕の内側で刀を持つ者。

 敵の潜入者か、暗殺者のいずれかだ。


 暗殺者の目的は人物の消滅。

 印持ちの印の進行を止めること。

 そのためには印持ちの身体を消す必要がある。


「不審者!」


 フリードリヒが警告を出した。


 警告の音が塹壕の中に伝わる。

 暗殺者の動作が変わった。


 潜入から逃走へ。

 動作の方向が反転する。


 急いだ動き。

 訓練された身体の反応。


「逃がすな!」


 バウマンの声が響いた。


 エリーゼが暗殺者を追った。


 別の方向から逃げ路を塞ぐ。

 塞ぐ動作には訓練がある。

 暗殺者と同じ種類の訓練。


 正確に、暗殺者の逃げ路の唯一の方向を塞いだ。


 同じ訓練。

 同じ動作の規則性。


 暗殺は失敗した。

 暗殺者は倒され、意識を失った。


 エリーゼの手の動作が正確に当たっていた。

 訓練された動作。

 同じ訓練を持つ者同士の戦闘だった。


「……殿下」


 エリーゼはハルメアスに報告した。


「暗殺者を確保しました」

「……ご苦労」


 ハルメアスは倒れた暗殺者を見た。


 制服の下に、何かの痕跡がある。

 帝国軍の制服との接触の跡。


 暗殺者は帝国軍側だった。


「報告書には何と書く」


 ハルメアスは訊いた。


「敵の潜入者、と」


 エリーゼは答えた。


「……矛盾しているな」

「何がですか」

「制服の痕跡がある」

「……見間違いでは」

「見間違いではない」


 沈黙。


 ハルメアスは印の読みでエリーゼを見た。


 印の開口の中にある何か。

 空虚の中に、別の組織への忠誠がある。


 印ではない何か。

 組織へのコミットメント。


 それは印の読みで波として感じられた。


「あなたは夜明けの剣の一員か」


 ハルメアスは静かに訊いた。


 エリーゼは動かなかった。

 答えなかった。


「答えなくてもいい」


 ハルメアスは言った。


「既に分かっている」


 エリーゼ・ヴァルナー。

 情報部中尉。

 夜明けの剣の工作員。


 印を持たない者が印持ちを監視する。

 印の世界の外側から内側を見る者の存在。


 見ると見られるの反転。


 印持ちが見る。

 印を持たない者も見る。


 見る者は複数いる。


 その夜、ハルメアスはエリーゼの過去を印の読みで見た。


 見えたのは行為の記録。

 犯罪の記録。


 潜入先で、敵協力者と疑った民間人を、尋問なしで射殺、毒殺した。

 確認する動作を省略した。


 省略。

 見る動作を省略した。


 疑惑者として見た人物の顔。

 名前がある。年齢がある。声がある。

 人間の具体的な存在。


 その人間を、記号のまま殺した。


 確認しなかった。

 省略した。

 記号の中にある人間を見る動作を省略した。


 合計数十人。


「……組織のためにやった」


 エリーゼは低く言った。


「夜明けの剣の目的のために」


 国際世論をゲルマニアに向けるための偽旗作戦。

 味方側の民間人を巻き込んだ爆破テロ。


 犠牲は組織の同僚だった。


 同僚の顔を見て、国際世論のためにやった。


「同僚を」


 ハルメアスは言った。


「犠牲にしたのか」

「……はい」

「何人」

「数十人」

「……そうか」


 同僚。

 名前がある。声がある。

 人間の具体的な存在。


 その人間を犠牲として使った。

 組織の目的のために。


 人間の具体的な存在を記号にして使った。


「あなたの正義と、第一王子の正義は」


 ハルメアスは静かに言った。


「同じだ」

「……同じ」

「人間を記号にする」

「……」

「それが正義の実態だ」


 エリーゼは何も言わなかった。


 二つの正義。

 別の組織で、別の目的で。

 だが同じ空虚を持っていた。


 人間の具体的な存在を記号にして使う。

 それが正義の実態だった。


 この戦争の構造。


「……私も同じだ」


 エリーゼは呟いた。


「救えない」

「何を」

「誰も」

「……そうだな」


 ハルメアスは答えた。


「誰も救えない」


 その夜、印の中の声が近かった。


「あなたこそ選ばれし者」


 その意味が強くなっていた。


 印の進行が続いている。

 印が深くなる。

 声が近くなる。

 人間性が薄れる。


 三つは同じ方向に向かっていた。


 それが印の進行の真の意味だった。

 今夜のハルメアスには見えていた。


 自分の印の中を印の読みで見る。

 印の中にある他の存在の声が強くなっている。


 印の中の存在の意志が、印持ちの行動に影響を与える方向に向かっている。


 三つの事実が同じ方向に向かっている。


 それが、今夜、見えていた事実だった。

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