表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深淵の印  作者: らっすん
4/19

第四章 補給路の爆撃

 報告書が届いた。


 ハルメアスは将校室で報告書を読んでいた。

 東側の補給路に関する作戦報告。


 第一王子の命令で、アルハ国の村を爆撃した。

 補給路を通る村。


 事前の住民避難は時間不足のため省略。

 報告書には一行でそう書かれている。


 結果。敵軍の補給路が遮断された。

 死者数。民間人約二千人。


 省略。

 その一行の裏側にある事実。

 二千人の人間が避難する時間を与えられなかった。


 時間がなかったのは、印の予知で最も効率的な選択をした結果だ。

 爆撃の時刻を選んだ。

 避難する時間を与えなかった。

 それが選択の内容だった。


 フリードリヒは報告書のコピーを別の将校室で見た。


 二千人という数字。

 フリードリヒがこの戦場で見た死者の総数の数倍だ。


 把握できない。

 二千という数字が顔になった時、顔の数が想像の能力を超える。


「報告書の内容は司令に届いているか」


 フリードリヒは別の下士官に訊いた。


「届いている」

「……そうか」

「問題なし、だそうだ」

「問題なし」

「補給路が遮断されたのだから」


 問題なし。

 戦争の中では、補給路の遮断は勝利だ。

 そのコストが二千人の民間人でも、問題なしになる。


 問題は戦争の進行に支障があるかどうかで判断される。

 人間の命の重みは、その判断の中に入っていない。


「……二千人、か」


 フリードリヒは呟いた。


「死者は死者だ」


 下士官は低く言った。


「数が多いか少ないかの違いだけだ」


 ハルメアスは報告書を読んでいて、何も感じていないように見えた。


 それが見えるのは、報告書を読む速度の中にある。

 二千人の死者という行を、他の数字と同じ速度で読んだ。


 同じ重みで扱っている。

 二千人が補給路の遮断と同じ重みの情報になっている。


 しかしハルメアスの手が、微かに震えていた。


 フリードリヒは将校室の出口の前に立っていた。

 王子の手の震えが見える距離。


 その震えの中に何かがある。

 恐れなのか。怒りなのか。悲しみなのか。


 あるいは何も感じていないにもかかわらず、身体が反応しているのか。

 身体の中にある印が何かに反応している。


 王子の目の色が変わった。


 青灰色の中に、遠いものが、ある瞬間だけ近くなった。

 封じていたものが一瞬だけ開いた。


 そこに見えるのが二千人の死者という事実だった。


「……兄の正義」


 ハルメアスは小さく呟いた。


 フリードリヒには聞こえなかった。

 だが王子の唇が動いたのは見えた。


 その夜、第一王子が将校室に来た。


「読んだか」


 ジュリアノスは報告書を指した。


「はい」


 ハルメアスは答えた。


「問題ない」


 ジュリアノスは断言した。視線は報告書の方向にある。


「補給路は遮断した。戦争の進行は予定通りだ」

「……避難の省略は」

「時間がなかった」

「時間が」

「印の予知による最適な選択だ」

「……最適」

「そうだ」


 その言葉には後悔がない。正当化もない。

 問題ないという事実の陳述だけがある。


 フリードリヒは隣接する位置から聞いていた。

 ジュリアノスの声に感情がない。


 問題ないという判断の中に感情が入っていない。

 それが冷徹だった。


「民間人は二千人です」


 ハルメアスは静かに言った。


「承知している」

「二千人が」

「帝国の正義のためだ」

「……正義」

「そうだ。正義のために必要な犠牲だった」

「犠牲、ですか」

「問題ないと言っている」


 ジュリアノスの声に、わずかに鋭さが混じった。


「お前は疑問を持っているのか」

「……いえ」

「ならばそれでいい」


 ハルメアスは何も言わなかった。


 言えなかったのか。

 それとも言う必要がないと判断したのか。


 その区別は、この夜のフリードリヒにはまだ見えなかった。


 ジュリアノスは報告書を置いた。


「明日は東側の防衛を強化する」

「……はい」

「補給路を守るためだ」

「分かりました」

「では、休め」


 ジュリアノスは将校室を出た。


 残されたハルメアスは、報告書を見つめていた。

 二千人という数字を。


 その目の色の中に、遠いものがまた近くなった。

 封じたものが、また少しだけ開いた。


 フリードリヒは静かに部屋を出た。


 何も言わなかった。

 言えることは何もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ