第十三章 理性の裏側
エリーゼ・ヴァルナーの暗殺企画は、十月の初旬に実行された。
印持ちの身体に近づき、印を消す。
それが実行の内容だった。
だが印を消す行為には、印に対する別の種類の力が必要だった。
印を持たない者がその力を持っていない。
それが暗殺の困難さだった。
夜明けの剣の組織の目的は、印持ちの根絶。
「組織の目的は、印持ちの根絶だ」
エリーゼは言った。
印を持つ者をすべて殺す。
印持ちの暴走が世界に与える害の規模。
組織がそれを計算し、許容できないと判断した。
「今夜の標的は誰だ」
エリーゼは確認した。
「アントワーヌ・デュポン。フランシア大佐」
組織の指令が答えた。
アントワーヌの身体は、半明るい廊下の中にあった。
印持ちとして、印の読みで別の印持ちの印を感じる能力を持つ。
別の印持ちの近くにいる事実を自覚していた。
エリーゼが近づく。
印の波の変化が生じる。
その変化がアントワーヌの印の読みで感じ取られた。
「……印の波の変化」
アントワーヌは呟いた。
近づいている者がいる。
彼は知った。
「印を持たない者だ」
アントワーヌは静かに言った。
印を持たない者の身体。
印の読みでは直接見えない。
それが印の読みの限界だった。
「廊下に誰かいる」
アントワーヌは視線を向けた。
エリーゼの身体が、廊下の中で停止した。
組織の目的の再確認。
組織が用意した武器を使用するかどうかの判断。
「……組織の目的に向かった動作だ」
エリーゼは呟いた。
印の存在を感じた。
印を持たない者の身体が、印持ちの印に近い場所にある。
印の存在の質が身体に伝わってくる。
印の中にある他の存在の声の質。
それは冷たかった。
「……とても冷たい」
エリーゼは呟いた。
印の中にある他の存在が、印持ちの身体を入れ物とする意志の質。
その冷たさが身体感覚として伝わってくる。
エリーゼは武器を取り出した。
組織が開発した、印に対抗する武器。
だがそれが有効かどうかは、未知数だった。
「止まれ」
アントワーヌは言った。
「動くな」
だがエリーゼは動いた。
組織の目的に向かって。
アントワーヌは印の力を使った。
印の力がエリーゼの身体を別の方向に動かす。
印持ちが、印を持たない者の身体を、印の力で操る。
エリーゼは倒された。
身体に痛みがある。
その中に別の痛みが含まれていた。
「……組織の目的が、印の力に勝てなかった」
エリーゼは呟いた。
その別の痛みとは、組織の目的が失敗したという事実の痛み。
目的に向かって行った動作が意味を持たなかった。
「印の進行は、組織の計算の外側にある」
アントワーヌは言った。
印の進行の速度と、組織の研究や開発の速度。
その差が明確になっていた。
「……では、印を消す別の方法がある」
エリーゼは言った。
「別の方法?」
アントワーヌは訊いた。
「組織の研究の別の方向」
エリーゼは答えた。
「印の中にある他の存在の声そのものを、別の種類の力で動かす」
「……それには」
「印の中に入る動作を必要とする」
「印の中に入る」
アントワーヌは繰り返した。
「そうだ」
「危険だ」
「……知っている」
「印の中に入った者の身体は、別の方向に変わる」
アントワーヌは警告した。
「身体の組織の質が、印の力によって、印の中にある他の存在の質に変化する」
「……それでも」
「身体がその存在の入れ物になる」
「……」
エリーゼは何も言わなかった。
印の中にある他の存在の冷たさ。
それは印持ちの身体の冷たさとは異なる種類の冷たさだった。
「あなたには、理性がある」
エリーゼは言った。
「……理性の冷たさがある」
アントワーヌは答えた。
「印の中の存在の声と対話している」
「……対話」
「印の中の存在の意志と、人間としての意志が同じ空間に存在している」
エリーゼは倒れた身体の中で、印持ちの身体の冷たさを感じていた。
印の中にある他の存在の意志の冷たさ。
印を持たない者の身体で感じる、別の種類の感覚。
「……印の中にある他の存在の冷たさを感じた」
エリーゼは呟いた。
その冷たさの中で、組織の目的が印の進行には勝てないという事実が、痛みとして残っていた。
「組織の別の研究の方向には、印の中に入る動作が必要だ」
エリーゼは言った。
「そのためには、印持ちの協力が不可欠」
「……協力」
「そうだ」
アントワーヌは沈黙した。
印持ちの協力。
印持ちが印の中にある事実を、別の印持ちに見せる。
その動作には、印の読みで見る能力が必要だった。
「あなたは、別の印持ちの近くにいる」
エリーゼは言った。
「……ハルメアスのことか」
「そうだ」
「彼の印は特殊だ」
「……知っている」
「印の最初の種子を持つ」
「だからこそ、必要だ」
アントワーヌは視線を落とした。
「理性がある上で、続けている」
アントワーヌは呟いた。
「人間性が印の中にある他の存在の質へと変化していく過程でもある」
「……それが印の進行」
「そうだ」
今夜の印の中にある事実は、ハルメアスの印の読みで見る事実になっていた。
冷静のような質と、理性の崩壊の質。
それが同時に印の中に存在している。
それが今夜の印の中の現実だった。




