6話 沈黙という評価
会議室には、窓がなかった。
朝だというのに、時間の感覚が曖昧になる。
長い机。
積み上げられた資料。
記録用の魔法陣が、低く脈打っている。
王立対魔学園――
英雄を育てる機関の中枢。
教官会議は、常に静かだ。
感情を挟まないことが、規律だからだ。
主任教官が口を開く。
「第七区画・巡回任務について報告する」
淡々とした声。
だが、全員が背筋を伸ばした。
副官が、淡々と読み上げる。
「魔物六体を確認。討伐済み。
住民被害なし。
生徒に致命的損傷なし」
一拍。
誰も口を挟まない。
「……六体?」
副官が資料を見直す。
「第七区画は、安全指定区域だったはずだな」
「はい。過去数年、出現報告はありません」
静かなざわめきが、机の上を滑る。
主任教官が視線を上げた。
「対応者は?」
副官が紙を一枚、前に出す。
「神代レイが六体を討伐」
その名が出た瞬間、会議室の温度がわずかに上がる。
「戦闘時間、三分未満。
住民誘導、混乱なし。
生徒の統率も維持」
「流石だな」
「順当だ」
「想定外にも動じない」
評価は速い。
迷いがない。
英雄とは、
“理解できる結果”を残す存在だ。
主任教官が次の紙をめくる。
「――続ける」
空気が変わる。
「別班の報告。
魔人一体を確認」
一瞬、誰かの呼吸が止まった。
「……魔人?」
「巡回任務だぞ」
副官は、声の温度を変えずに続けた。
「住民被害なし。
魔人は討伐済み」
それでも、まだ声は上がらない。
「生徒一名、重傷。
命に別状なし。
ただし――前線復帰は困難」
沈黙が落ちた。
魔人。
初年度。
安全指定区域。
本来なら、教官を含め全滅していてもおかしくない。
だが、この場所の人間は驚けない。
驚きは、責任になる。
恐怖は、統率を崩す。
だから彼らは、黙って資料を見る。
誰も頷かない。
誰も否定しない。
その沈黙こそが、評価だった。
「問題は――命令違反だ」
主任教官が言った。
机の中央に、一枚の紙が置かれる。
灰谷ユウ。
刻印:なし。
備考欄は、白い。
「彼が独断で指示を出したことで、
命令系統が一時崩れた」
事実。
「結果として住民は守られた。
しかし同時に、鷹宮ハジメが前線を失った」
事実。
事実だけが並ぶ。
評価語は、どこにもない。
「彼の行動は英雄的だったか?」
誰かが言った。
すぐに否定が入る。
「英雄的行動は、命令の範囲内で行われるものだ」
「では無謀か?」
「結果が出ている以上、無謀とも言えない」
言葉が宙に浮いた。
正しい評価が、存在しない。
主任教官が問う。
「判断の根拠は?」
索敵教官が答える。
「……直感です」
「刻印反応は?」
「ありません」
「魔力変動は?」
「検知していません」
沈黙。
「だが結果は?」
「彼の指示通りに動いたことで、
被害は最小限に抑えられました」
誰も頷かない。
誰も否定しない。
また沈黙。
「危険だな」
「制御不能だ」
「再現性がない」
「だが排除もできない」
矛盾した言葉が、同時に成立する。
それが、この学園の会議だ。
主任教官が結論を下す。
「灰谷ユウは――
英雄としては評価できない」
誰も反論しない。
「だが、危険因子として切り捨てることもできない」
全員が理解する。
これは“例外”ではない。
保留だ。
「今後は?」
「監視を続ける。
前線には出さない。
だが排除もしない」
「……飼い殺し、ですか」
主任教官は否定しなかった。
「言い換えれば、様子を見る」
会議は、それで終わった。
誰も正解に辿り着けなかった。
だが、それでいい。
正解が、存在しないのだから。
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同じ日の午後。
医務棟。
白い天井。
消毒の匂い。
鷹宮ハジメは、目を開けていた。
点滴の管が腕から伸びている。
その腕は――もう、前のようには動かない。
「……なあ」
声が掠れる。
伊吹ソーマが顔を向ける。
「俺さ……変なことしたか?」
伊吹は、すぐに答えられなかった。
「……変じゃない」
「だよな」
鷹宮は小さく笑う。
「白崎は下がった。
伊吹も間に合った。
先生たちも追撃できた」
指を折るみたいに、結果を並べる。
「住民、無事。
任務、成功」
言い終えてから、少し間を置く。
「……完璧じゃね?」
伊吹の拳が、軋む。
「完璧って言うな」
「なんで」
「腹立つからだ」
鷹宮が眉を上げる。
「腹立つって、お前……結果出てるだろ」
伊吹の声が硬くなる。
「結果が出たからって、全部が正しいわけじゃねえ」
「じゃあ、何が間違ってた?」
責めている声じゃない。
ただ確認している。
伊吹は言葉を探して、見つけられない。
白崎ユイが代わりに口を開いた。
「間違ってたって言いたいんじゃないよ」
鷹宮が白崎を見る。
「じゃあ、何?」
白崎は一拍置く。
「……私は怖い」
「怖い?」
「うん…」
白崎は続ける。
「鷹宮くんが前に出たのも正しい。
私が下がったのも正しい。
伊吹くんが斬ったのも正しい。
先生が追撃したのも正しい」
一つずつ、丁寧に。
「全部正しいのに……」
白崎は、鷹宮の動かない腕を見る。
鷹宮は視線を逸らした。
「……俺が弱かっただけじゃねえの?」
その言葉で、伊吹の拳がまた鳴る。
「違う」
伊吹が珍しく強い声を出した。
「お前が弱いとか、そういう話じゃねえ」
「じゃあ何なんだよ」
伊吹は唇を噛む。
「……“役割”だ」
「役割?」
「お前は前に出る役。
白崎は支える役。
俺は穴を埋める役。
先生は最後に決める役」
言ってしまってから伊吹は息を吐く。
「俺ら、正しく動いた。
正しく動けるように、ここで教わってる」
鷹宮は苦笑した。
「それ、いいことだろ」
伊吹は返す。
「……だから怖いんだ」
白崎が静かに頷く。
「正しく動けるってことは、
“正しい犠牲”も作れるってことだ」
鷹宮の喉が鳴る。
「犠牲って……俺のことか?」
白崎は否定しない。
肯定もしない。
ただ言う。
「あなたが犠牲だって言いたいんじゃない。
……でも、犠牲が“正しい”って言われるのが嫌…」
鷹宮は、しばらく黙っていた。
天井を見つめたまま、ゆっくり息を吐く。
「……正しかったんだよな、俺」
誰に向けた言葉でもない。
白崎ユイが、静かに口を開いた。
「……それを“正解”って呼ぶなら、
私は、その正解が嫌い」
鷹宮の表情が、わずかに歪む。
「嫌い……か」
「うん」
白崎は目を逸らさなかった。
「だって、
正しかった結果が、
あなたをここに寝かせてる」
言い切りだった。
伊吹は歯を食いしばる。
鷹宮はもう一度天井を見る。
動かない腕が視界に入る。
「じゃあさ……なんで俺、ここに寝てんだよ……なんで…、正しかったんだろ……」
鷹宮の目から涙が溢れ落ちる。
空気が止まる。
答えはない。
だから、誰も答えない
伊吹の拳が、音を立てて握られる
「なあ……灰谷……」
その名で、空気がさらに重くなる。
灰谷ユウは少し離れたベッドにいた。
天井を見たまま、動かない。
「……いる」
低い声。
鷹宮はそちらを向こうとしない。
「灰谷……
あの時、分かってたんだろ」
灰谷は答えない。
「俺が、こうなるって」
沈黙。
それ自体が、肯定だった。
鷹宮は、ゆっくり息を吐く。
「……そっか」
怒りはない。
恨みもない。
ただ、理解してしまった顔だった。
「じゃあさ……」
一拍。
「それでも、
俺が前に出たのは――
間違いだったのか?」
灰谷の喉が、わずかに鳴る。
「……間違いじゃない」
一瞬、間を置いて続ける。
「鷹宮が動かなかったら、
誰かが死んでた可能性が高い」
断定しない。
それでも、重い。
鷹宮は小さく笑った。
「そっか……」
安堵でも、納得でもない。
ただ、受け入れただけだ。
「じゃあ……
俺の正義は、無駄じゃなかったんだな。仲間を死なせずにすんだ…」
鷹宮は目を閉じた。
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同じ日の午後。
教室。
担任が教卓の前に立つ。
「通達する」
一拍。
「本日より、灰谷ユウは
特別観察対象とする」
ざわめきは起きない。
理由は説明されない。
説明する言葉が、存在しないからだ。
白崎は灰谷を見る。
伊吹は視線を落とす。
空いた席――
本来なら鷹宮が座っていた場所が、やけに目立つ。
灰谷は、何も言わなかった。
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英雄を育てる場所。
正しさで人を測る場所。
そして――
答えを持たない者を、沈黙で縛る場所。
灰谷ユウは、その中心に立っていた。
まだ、何も選んでいない。
だが世界は、
彼に選ばせる気などなかった。




