5話 存在しない正解
校外任務の朝、
灰谷たちの列は異様に静かだった。
私語は禁止されていない。
それでも、誰も喋らない。
理由は単純だ。
教官が、いつもより多い。
前方に二名。
後方に一名。
索敵専門の教官が、離れた屋根の上。
初年度の巡回任務にしては、過剰だった。
灰谷ユウは、それを見ていた。
(……最初から、信用されていない)
生徒ではない。
任務そのものが。
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「確認する」
主任教官が低い声で言う。
「これは巡回任務だ。
敵と交戦する想定はない」
視線が、生徒一人ひとりをなぞる。
「だが想定外は起こる。
その時、勝手に動く者が出る」
一瞬、間が空く。
「――必ず従うように!」
空気が、張り詰める。
鷹宮は背筋を伸ばす。
伊吹は顎を引く。
白崎は表情を崩さない。
Aクラスは、命令に従える者だけが集められた。
灰谷だけが、その枠の外にいる。
刻印がない。
評価基準が違う。
だから――
命令に従うかどうか、測れない。
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クラスの班がバラバラになり村に入る。
教官の足取りが、わずかに遅くなる。
「……静かすぎるな」
副官が呟く。
灰谷の視界が、歪んだ。
――最初の未来。
教官が一歩踏み出す。
判断が、半拍遅れる。
結果:住民が死ぬ。
灰谷の喉が鳴る。
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「止まれ」
主任教官が手を上げる。
全員が即座に止まる。
訓練の賜物だ。
灰谷だけが、止まらなかった。
正確には、止まれなかった。
視界が、また裂ける。
――白崎が倒れる未来。
魔法が間に合わない。
距離が、僅かに足りない。
誰も悪くない。
だから壊れる。
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「……止まるな」
灰谷の声は、掠れていた。
白崎が振り返る。
「灰谷くん?」
主任教官の視線が、突き刺さる。
「今、誰に言った?」
問いではない。
警告だ。
灰谷は答えない。
答えれば、命令違反になる。
黙れば、未来が確定する。
背後から異形が現れた。
「敵襲!」
副官の声。
崩れた配置が展開される。
「やっぱりそうだ」
だからこそ――
未来通りに壊れる。
主任教官が叫ぶ。
「動くな! 命令を待て!」
灰谷は前に出る。
空気が凍る。
「灰谷ユウ!!何をしている!?」
名を呼ばれたのは、これが初めてだった。
叱責の名だ。
「戻れ!!」
教官の声が、怒りに変わる。
責任だ。
事故を出せば、処分される。
だが灰谷は、白崎を見る。
未来の中で、
彼女は何度も倒れていた。
「白崎さん、下がって!」
命令口調だった。
教官が息を呑む。
「――勝手な指示を出すな!!」
白崎は迷った。
その一瞬。
灰谷の視界で、
未来が枝分かれする。
白崎が下がる未来。
鷹宮が前に出る未来。
どちらも、壊れる。
だが――
壊れ方が違う。
「下がって!」
灰谷は、叫んだ。
白崎は下がった。
教官の顔が歪む。
命令系統が、崩れた。
代わりに鷹宮が踏み出す。
正しい判断。
英雄的行動。
結果――
鷹宮は倒れる。
命は助かる。
だが、前線には戻れない。
白崎は、下がった。
ほんの一歩。
たった一歩。
だが、その一歩で、前線の形が変わる。
空いた距離を、魔人は見逃さない。
黒い影が、地面を蹴る。
人の動きを模した、歪な踏み込み。
狙いは白崎――だった場所。
だが、そこにはもう誰もいない。
「……っ!」
伊吹が反応する。
刃が閃く。
しかし、間に合わない。
魔人は、力で押し切る存在だ。
理屈も、間合いも、関係ない。
その前に――
鷹宮が、踏み出した。
考えたわけじゃない。
身体が、勝手に動いた。
英雄的判断。
誰もがそう呼ぶだろう。
鷹宮の刻印が、強く光る。
「――うおおおっ!」
衝突。
金属と肉がぶつかる、鈍い音。
魔人の腕が止まる。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で、全てが決まる。
伊吹の刃が、魔人の側面を裂く。
白崎の魔法が、遅れて着弾する。
爆音。
衝撃波が、路地を揺らす。
魔人は、よろめいた。
膝をつく。
怒りでも、絶叫でもない。
ただ、理解できない、という動き。
――なぜ、止められた?
その疑問が、刻印の歪みとして露出する。
教官の声が飛ぶ。
「今だ!」
追撃。
魔人は、完全に体勢を崩している。
伊吹が距離を詰め、
教官の魔法が、容赦なく叩き込まれる。
魔人の身体が、内側から裂ける。
黒い霧が噴き出し、
形を保てなくなる。
最後に見えたのは、
――恐怖でも、憎悪でもない。
理解できないまま消える表情。
魔人は、崩れ消えた。
沈黙。
風が、瓦礫を転がす音だけが残る。
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勝利だった。
被害は最小限。
住民は無事。
任務は達成。
教官の判断は、正しかった。
――結果だけを見れば。
だが。
「……鷹宮?」
誰かの声。
鷹宮は、立っていなかった。
地面に膝をつき、
片腕が、不自然な角度で垂れている。
痛みの声は、出ない。
出せない。
刻印の光が、弱々しく揺れていた。
英雄的行動。
正しい判断。
その代償として――
鷹宮は、前線を失った。
魔人は討たれた。
任務は、成功した。
だがその場にいた誰も、
「よかった」とは言えなかった。
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沈黙。
教官は、しばらく何も言えなかった。
怒るべきか。
褒めるべきか。
どちらも、違う。
「……撤退する」
それだけを告げる。
その声には、迷いがあった。
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帰路。
主任教官は、報告書を思い浮かべている。
命令違反。
結果的成功。
生徒一名、戦闘不能。
評価が割れる案件だ。
白崎が灰谷を見る。
もう、ただの対等ではない。
鷹宮は、担架の上で空を見る。
笑えなかった。
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夜。
教官は、書類にペンを落とす。
「……正しい判断だった」
それは、
自分に言い聞かせる言葉だった。
「それにしても灰谷ユウ…、彼はいったい…」
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「灰谷…起きてるか…?」
「……うん」
隣のベッドから伊吹が声をかける。
二段ベッドの上には本来なら鷹宮が寝ている。そこには居ない。
「あんまり……気にするなよ……。よくある事だ」
「……うん」
そう言うと伊吹は目を閉じた。
未来は救われた。
だが、
誰も救われた気がしていない。
これが、正しさの正体だ。
灰谷ユウは、理解した。
この学園は英雄を育てる。
だが――
英雄を守る場所ではない。




