4話 英雄の距離
休日の朝は、学園の空気が薄い。
訓練の号令も、規律の視線もない。
それでも四人は、自然に集まっていた。
理由はない。
約束もしていない。
ただ、時間と足が同じ方向を向いただけだ。
「喫茶店、寄ってかね?」
鷹宮が言う。
思いつきのような声だった。
伊吹が頷く。
白崎も「うん」と短く返す。
灰谷は一拍遅れて、同じように頷いた。
---
通りに出ると、人だかりができていた。
歓声ではない。
ざわめきに近い。
立ち止まるほどでもないが、
無視できるほど小さくもない。
中心にいるのは、神代レイだった。
「写真いいですか」
「演習、見ました。凄かったです」
「やっぱり本物だ……」
声が重なり、距離が詰まる。
神代は慣れた様子で応じている。
笑顔は作りすぎない。
立ち位置も崩さない。
スターの振る舞いだった。
白崎が足を止める。
「……すごいね」
感嘆でも、嫉妬でもない。
ただ事実を見た声。
鷹宮が苦笑する。
「世界が違うな」
伊吹は何も言わない。
視線だけを逸らした。
灰谷は、人だかりの向こうを見る。
神代と自分たちの間にあるのは、数メートルの距離。
だが、それ以上に――
触れてはいけない線が引かれている。
同じ学園。
同じAクラス。
それでも、扱いはまるで違う。
神代は“見られる側”。
自分たちは、“背景”。
神代がこちらに気づくことはない。
気づく必要もない。
それが、正しい世界だからだ。
「行こ」
白崎が言う。
誰も反対しない。
四人は、人だかりを避けるように歩き出した。
---
喫茶店は、昼どきには少し遅かった。
人は多くない。騒がしくもない。
奥の席に腰を下ろす。
メニューを開く音が重なる。
日常が戻る。
「俺、コーヒー」
「甘いやつにしよ」
鷹宮と白崎の声。
伊吹は黙って指で項目をなぞる。
灰谷は、窓の外を見ていた。
暫くして
新しい客が入ってくる。
視線を戻した瞬間、
灰谷は気づいた。
――隣の席。
神代レイだった。
さっきまで人に囲まれていたはずなのに、
今は一人。
制服のまま、鞄を足元に置き、
何事もなかったように座っている。
距離は、肘一つ分。
白崎が、わずかに目を見開く。
鷹宮は固まり、
伊吹は反射的に視線を反らした。
誰も声をかけない。
かける理由がない。
神代はメニューを見て、顔を上げる。
そこで、初めて気づいた。
灰谷の存在に。
ほんの一拍。
表情が止まる。
だが、それだけだ。
「ああ……」
声は低く、落ち着いている。
「同じ学園の」
名前を探すように、間が空く。
灰谷は何も言わない。
神代は続ける。
「Aクラスの」
それで終わりだった。
名前は呼ばれない。
呼ぶ必要がないからだ。
「……どうも」
灰谷はそれだけ返す。
沈黙。
気まずさではない。
接点がないだけの沈黙。
白崎がグラスを置く音が、やけに大きく聞こえた。
神代は注文を済ませると、
視線をもう一度だけ灰谷に向ける。
値踏みでもない。
興味でもない。
ただ――
記憶に留める必要がない、という目。
神代はコーヒーを一口飲み、
窓の外を見る。
次の戦場のことを考えている顔だ。
鷹宮が、小さく息を吐いた。
「……凄い人だな」
誰に向けた言葉でもない。
伊吹が低く言う。
「世界が違う、ってやつだ」
白崎は何も言わない。
ただ、灰谷のカップを見る。
灰谷は、砂糖を一つ入れた。
スプーンで混ぜる。
底に当たる音が、一定のリズムを刻む。
隣の席で、神代が立ち上がる。
会計を済ませ、鞄を手に取る。
立ち去る前、
もう一度だけ灰谷を見る。
ほんのわずかに首を傾げる。
理解できないものを見る仕草。
問いは生まれない。
神代は店を出ていった。
日常が、戻る。
しばらく、誰も話さなかった。
鷹宮が苦笑する。
「……同じクラスでも、ああなるんだな」
伊吹が窓の外を見たまま、低く言う。
「世界が違う」
白崎が言葉を探す前に、
伊吹は続けた。
「でも――」
灰谷が視線を向ける。
「距離だけは一緒だった」
白崎が、伊吹を見る。
鷹宮は意味を理解するまで、少し時間がかかった。
同じ通り。
同じ喫茶店。
同じテーブルの隣。
世界は違う。
でも、距離だけは――
異様なほど、近い。
「距離だけはね」
灰谷はカップを置く。
冷めたコーヒーは、四人には苦かった。




