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2話 失いたくない場所

 掲示板の前に集まる新入生たちの声は、意外なほど落ち着いていた。

 拍手はあっても、叫びはない。落胆があっても、誰かにぶつけない。


 王立対魔学園。

 ここは英雄を育てる機関だ。感情の扱い方すら、すでに教育の範囲にある。


 だからクラス分けは、勝敗よりも「姿勢」で測られる。

 勝ったか、負けたか。

 それ以上に――自分を制御できるか。


 視線が上から下へ流れていく。


「神代レイ、Aクラス」


 名前が見えた瞬間、拍手が起きた。

 羨望や嫉妬ではなく、納得。世界がその名前を欲しがっているのが分かる。


 神代レイ。

 輝く刻印。無駄のない体捌き。入学初日から四階位の魔法を使った――あの神童。


 当人は大げさに喜ぶでもなく、静かに頭を下げて掲示板から離れた。

 まるで「当然の席」に戻るように。


 そして、そのすぐ下。


 指先が止まる。


「……灰谷、ゆう?」


 誰かが読み間違いを疑うように、もう一度目で追った。


 灰谷ゆう Aクラス


 ざわめきは起きない。

 代わりに、空気がほんの少しだけ固くなる。


「A……なんだ」 「校長判断って噂……本当か」


 疑う声ではない。

 理解が追いつかないだけだ。


 刻印がない。

 それがこの世界の“ゼロ”である以上、誰も脳内の計算式を書き換えられない。


 灰谷ゆうは掲示板を見上げたまま、短く息を吐いた。


(……そうか)


 理由は分からない。

 だが――ここに置かれた意味だけは、なんとなく分かる気がした。


 学園にとって自分は、未知だ。

 未知は、外へ放り出すより、内側で管理した方が安全。


 それを「監視」と呼ぶか、「保護」と呼ぶか。

 言葉が違うだけで、結局は同じだ。


 灰谷は視線を落とし、掲示板の前から離れた。



---


 Aクラスの教室は、陽がよく入った。

 机も床も新しく、壁には訓練計画が整然と貼られている。


 英雄を育てる場所に相応しい、整った空間。

 整い過ぎていると言ってもいい。


 生徒たちは緊張した顔で席を探し、静かに会釈を交わしながら座っていく。

 誰もが“正しさ”を纏っている。


 灰谷が扉を開けて入った瞬間、視線が集まった。


 無礼なものではない。

 ただ、自然に集まってしまう。


 刻印のない存在が、Aクラスにいる。

 その事実が、彼らの脳内に「処理できない余白」を作る。


 灰谷は気にしないふりをして、空いている席を探した。


「おい」


 声がかかる。

 短髪で、目つきが少し鋭い男子が片手を上げていた。


「そこ、空いてる。座れよ」


 命令口調ではない。

 ただ“面倒だから最短で片付ける”みたいな声だ。


「……ありがとう」


「礼いらねえよ。席は席だ」


 伊吹 ソーマ。

 ――後に灰谷の親友になる男だ。


 刻印はある。だが神代ほど派手ではない。

 戦闘の才能が突出しているわけでもない。

 なのに、どこか落ち着いていて、逃げる気配がない。


「お前、昨日の模擬戦の」


「……うん」


「よく立ち上がるな。普通、折れる」


 評価でも称賛でもなく、事実確認のような言い方。

 灰谷は返す言葉を選ばずに済んだ。


「折れたら、終わるから」


「……だよな」


 それで会話が終わる。

 言葉が少なくても、妙に居心地が悪くない。


 そのとき、教室の扉が勢いよく開いた。


「間に合った……!」


 体格のいい男子が息を切らしながら入ってくる。

 制服がまだ馴染んでいない。


 彼は教室を見回して、灰谷に気づくと、少し安心したように笑った。


「あ、昨日の……灰谷だっけ?君もA?」


「うん」


「マジかよ。俺もだ。正直、出来すぎだと思ってる」


 苦笑しながら、空いている席に座る。


「鷹宮ハジメ 。よろしく。……いや、よろしくって言っていいのかな、こういうの」


 困ったように笑う。

 明るいが、無理を含んだ明るさだ。


 鷹宮は“頑張れば届く”と信じているタイプの人間だった。


 その少し後ろの席に、少女が静かに座っていた。


 白崎 ユイ。


 入学初日、学生証を拾った相手。

 彼女は誰からも好かれるタイプだ。だがその好意を器用に受け流す術も知っている。


 白崎ユイは灰谷を見る。

 しかし値踏みもしないし、避けもしない。

 特別な態度を取らない。


「私は白崎 ユイ。よろしくね、灰谷くん」


 まるで最初から「同じクラスの一人」だと言っているように。


 灰谷はその距離感に、ほんの少しだけ息がしやすくなる。


 特別扱いされるのも苦手だ。


 ユイの“普通さ”は、静かに効いた。



---


 チャイムが鳴り、担任が入ってきた。

 背の高い男。言葉が少なく、目が冷静だ。


「着席。Aクラスへようこそ」


 空気がぴしりと整う。


「ここは英雄を育てる場所だ。

 強さだけではない。判断、責任、そして仲間を守る姿勢を学ぶ」


 生徒たちの背筋が伸びる。

 “守る”という言葉は、この学園で最も美しい正しさだ。


 一拍。


「クラスに例外がいることは承知しているだろう」


 視線だけが自然と灰谷へ向く。

 担任は淡々と続ける。


「灰谷ゆうのA配属は、校長の判断だ。

 実力評価ではない。罰でもない」


 教室が静かになる。


「刻印のない存在を、未知のままにしてはいけない。

 それは本人のためでもあり、社会のためでもある」


 ここまでは正論だ。

 誰も反論しない。反論する必要がない。


「――Aクラスに置く理由は、ひとつ。近くで見て、学ぶためだ」


 担任は最後に付け足した。


「そして君たちは、灰谷を“守る”必要がある」


 白崎 ユイの眉がわずかに動いた。

 

 守る。

 正しい。正しすぎる。


 だが、その言葉は同時に、役割を固定する。


 守る側。

 守られる側。


 灰谷の位置が、この教室の中で決まってしまう。


 善意で。

 誰も悪くないまま。


 灰谷は何も言わなかった。

 言えば空気を壊す。それは英雄の振る舞いではない。


 だから、ただ頷いた。



---


 休憩時間になると、数人が灰谷に声をかけてきた。


「昨日の試合、見たよ。耐久すごかった」 「刻印がないのに、あれだけ動けるんだな」


 言葉は丁寧だ。

 好意もある。


 でも、最後には必ず同じ一文が付く。


「だから、無理しなくていい」


 守るための言葉。


 そしてそれは、無意識に線を引く言葉でもある。


 灰谷は笑いもせず、怒りもせず、素直に返す。


「分かった。ありがとう」


 伊吹ソーマが小さく息を吐いた。


「……優しいな、お前」


「え?」


「そうやって受け取れるの。普通できねえ」


 灰谷は少し考えた。


「悪意じゃないから」


「……そうだな」


 鷹宮ハジメが割って入る。


「俺さ、Aクラスってもっとギスギスしてると思ってた。

 みんな優しいよな」


「英雄育成機関だからな」


 伊吹ソーマが肩をすくめる。


「優しいっていうか、正しいんだよ。Aは。

 正しくないと、ここにいられない」


 その言葉に、鷹宮ハジメは笑った。


「正しいの、いいじゃん」


 だが笑い方が少し固い。

 無理をしているのが、灰谷には分かった。


 それを指摘するほどの距離は、まだない。

 灰谷は黙って水筒の蓋を回した。



---


 午後の演習が始まる。

 小隊行動の基礎。二人一組で進むルート確認。


 担任が指示する。


「灰谷は後方支援。危険があれば即座に下がれ」


 誰も異を唱えない。

 守るための配置。合理的だ。


 灰谷も頷いた。

 ただ、胸のどこかがほんの少しだけ痒い。


 白崎ユイが、隣に立つ。


「伊吹くん、鷹宮くん。私、灰谷くんと組むね」


 さらりと言った。


 誰も反対しない。反対する理由がない。

 ただ、空気が一瞬だけ揺れる。


「白崎さん、いいの?」


 鷹宮ハジメが訊いた。悪意はない。心配だからだ。


「うん」


 白崎ユイはそれ以上説明しない。


 “守るべき対象”だからではなく、

 “組む相手”として灰谷を選んだ。


 白崎ユイは当たり前のように頷いた。


 守らない。

 持ち上げない。

 線も引かない。


 ただ対等に扱う。


 演習は淡々と進む。

 魔法障害、偽装の罠、索敵の訓練。


 その最中――

 灰谷の足が、ぴたりと止まった。


「待って」


 白崎ユイが立ち止まる。


「どうしたの?」


「……右」


 灰谷は短く言う。

 理由は説明しない。説明できない。


 刻印の反応でもない。

 耳で聞いたわけでもない。


 ただ、嫌な予感がした。


 白崎ユイは即座に頷く。


「分かった」


 彼女は迷わない。

 “守られる側”だと思っていないから、指示を疑わない。


 二人が右にずれた瞬間、前方の地面が割れ、模擬魔法の衝撃が走った。

 予定されていた罠――だがタイミングが早い。


「今の、危なかったな」 「反応、早くない?」


 周囲がざわつく。

 教官も一瞬だけ眉を動かす。


 灰谷は息を吐いた。


「危なかったから」


 それだけ。


 白崎ユイが言う。


「助かった」


 特別な言い方じゃない。

 当たり前に、仲間として。



 演習が終わり、教室へ戻る道すがら。

 鷹宮ハジメが笑いながら言った。


「なあ灰谷。お前、さっきの……見えてたのか?」


「分からない」


 灰谷は正直に答える。


「でも、嫌な感じがした」


「それって才能じゃね?」


 鷹宮は嬉しそうに言う。

 “仲間が強い”ことが、単純に誇らしいのだ。


 伊吹ソーマが肩をすくめる。


「才能って言葉で片付けると、怖いぞ」


「え?」


「……いや、なんでもない」


 伊吹ソーマは言い直さない。

 でも、その一瞬の沈黙に、灰谷は気づいた。


 灰谷は“善意の怖さ”を知っている。


白崎ユイは三人の間を歩きながら、いつも通りの声で言った。


「帰り、みんなで食堂行く?」


 伊吹が肩をすくめる。


「賛成。今日は頭使った」


「俺も行く!」と鷹宮が即答する。


 灰谷は一拍置いてから、頷いた。


「……うん」


 それだけの会話。

 特別な意味はない。


 ただ、並んで歩く。



---


 放課後の廊下は明るかった。

 窓から差し込む光が、床に細い影を落としている。


 Aクラスの生徒たちが行き交う。

 笑い声。

 名前を呼ぶ声。


 灰谷は、少しだけ歩幅を落とした。


 ――自分が立ち止まれば、

 この光景は簡単に崩れる。


 そう思った瞬間、胸の奥がざわつく。


 理由は分からない。

 ただ、嫌だった。


 この距離。

 この速度。

 この、どうでもいい会話。


 それが壊れる想像だけは、したくなかった。



---


「どうした?」

 伊吹が横を見る。


「いや」


 灰谷は首を振る。

 言葉にすれば、逃げてしまう気がした。



---


 ユイは何も聞かない。

 ただ、少しだけ歩幅を合わせる。


 それで十分だった。


 守られているとも、

 守っているとも違う。


 ただ、同じ場所にいる。



---


 廊下を歩く。

 食堂のざわめきが近づいてくる。


 灰谷は、無意識に手を握った。


 ――この手で、

 何かを掴める気がした。


 まだ、形はない。

 名前もない。


 でも、確かにそこにあった。



---


 誰も知らない。


 この何気ない帰り道が、

 灰谷ゆうにとって

 最初に「失いたくない」と思った場所だということを。

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