1話 灰色の少年
この世界では、心臓に刻印があるかどうかで、人生が決まる。
生まれた瞬間、胸に浮かぶ光。
それを見たとき、人々は安堵する。
――ああ、この子は「普通」だ、と。
刻印は力だ。
戦う力であり、守る力であり、
生き残る資格そのものだった。
刻印を持つ者は前に立つ。
刻印を持つ者は選ばれる。
刻印を持つ者は期待される。
だからこの世界では、刻印の話題が尽きない。
「何系だった?」
「反応値は?」
「将来は前線かな?」
それが、挨拶代わりだった。
そして――
刻印を持たない者の話題は、存在しない。
理由は単純だ。
存在しないからだ。
少なくとも、人々はそう信じていた。
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王立対魔学園。
刻印を持つ者だけが集められる、世界防衛のための学び舎。
入学式の日。
校門の前で、一人の少年がほんの一瞬だけ立ち止まった。
灰谷ゆう。
胸元に光はない。
刻印反応も、観測値も、何もない。
それでも、彼はここにいる。
理由を知る者は、誰もいなかった。
少年は一度だけ胸に手を当てる。
心臓は、普通に動いている。
「……まあ、いいか」
小さく呟き、校門をくぐった。
その瞬間、世界はまだ気づいていなかった。
最も危険な異物が、
最前線に足を踏み入れたことに。
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キャンパスは新入生で溢れていた。
「同じクラス?」
「刻印、何系?」
人の輪の中心に、ひときわ目立つ少女がいる。
整った顔立ち、柔らかな笑顔。
誰からも好かれる。
だからこそ、誰からも色目を向けられる。
「えっと……また後でね」
少女は慣れた様子で笑い、やんわりと距離を取った。
本当は、こういうのは苦手だった。
期待される視線。
勝手に向けられる好意。
悪意がない分、断りづらい。
人混みを抜けようとした、その時だった。
足元に、何かが落ちる。
気づかずに通り過ぎる少女の背後で、
一人の少年がそれを拾い上げた。
灰谷ゆうは、それを見ない。
名前も、写真も、刻印の情報も確認しない。
ただ、差し出す。
「これ」
一瞬、少女は身構えた。
「……え?」
視線を落とし、気づく。
「あ、私の……学生証」
顔を上げると、少年はもう半歩下がっていた。
距離を詰める気配がない。
「ありがとう!助かったよ」
「別に」
それだけ言って、灰谷は歩き去る。
名前を聞くこともなく。
笑顔に意味を見出すこともなく。
少女は、その背中を少しだけ見つめた。
(……話しやすそうな人)
不思議と、胸が軽くなった。
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その日の実技演習には、特別な意味があった。
ただの模擬戦ではない。
この結果次第で、クラスが決まる。
Aクラス。
選ばれた者たち。
最前線を想定した訓練、優秀な教官、豊富な支援。
B、Cと落ちていき――
最下位は、Dクラス。
落ちこぼれの烙印。
危険な雑務、実戦に近い訓練。
半年間、逃げ場のない地獄。
だから、生徒たちは祈る。
勝つためではない。
生き残るために。
「頼むから……Aクラス確定みたいな相手と当たりませんように」 「Bでいい……せめてBで……」
相手次第で、運命が決まる。
実力よりも、
才能よりも、
組み合わせがすべてだった。
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広大な演習場に、生徒と教官が集められていた。
上空には、観測用の魔法装置が展開されている。実技演習が始まる前、生徒たちは口数が少なくなっていた。
談笑していた者も、
刻印を誇っていた者も、
名前を呼ばれるその瞬間だけは、
皆、同じ表情になる。
――祈りだ。
神にではない。
運命にでもない。
ただ、**「当たる相手」**に対して。
この演習は実力を測る場であり、
同時に、半年間の未来を決める儀式でもあった。
誰と戦うか。
それだけで、天国にも地獄にも落ちる。
だからこそ、生徒たちは願う。
勝てる相手を、ではない。
“負けても納得できる相手”を。
「今年の新入生は優秀だな」
「特に――神代レイだ」
その名前が出た瞬間、場の空気が変わる。
神代レイ。
誰の目にも分かる逸材。
輝く刻印。
無駄のない立ち姿。
「あいつとは絶対に当たりたくない」
「恥をかくだけだ」
周囲がざわつく。
模擬戦の組み合わせが読み上げられる。
「神代レイ。対戦相手――灰谷ゆう」
一瞬、ざわめきが止まった。
「……誰?」
「刻印反応、ないぞ?」
灰谷が前に出る。
刻印の光は、どこにもない。
教官の表情が、わずかに曇った。
「……開始」
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神代の攻撃は速かった。
正確で、迷いがない。
一撃。
二撃。
灰谷の身体が地面を転がる。
それでも――
「……っ」
灰谷は立ち上がる。
もう一度。
そして、また。
観ている者たちは、それを「無謀」と呼んだ。
(……なんだ……?)
神代の胸に、初めて違和感が走る。
本気ではない。
それでも、今までの相手は一撃で終わっていた。
「無理するな。これ以上は怪我するぞ」
思わず、声が出る。
(このステージは……魔法が制御されている?)
「出来れば、僕もやめたいよ。でも……」
だが、会場はやめられる雰囲気ではなかった。
神代の高度な技のオンパレードに、熱気が渦巻いている。
「……そうだな」
先ほどよりも強い一撃。
灰谷の身体が、演習場に叩きつけられた。
「それまで!!!」
灰谷ゆうは、キャンパスに大の字で倒れた。
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歓声が上がる。
「圧勝だな」
「さすが神代レイ!」
教官たちも満足そうに頷く。
神代は、倒れたままの灰谷に歩み寄る。
「君は助けられる側なんだ。
弱さを受け入れろ」
この世界では、それが正論だった。
神代は手を差し伸べる。
灰谷は仰向けのまま、少しだけ顔を向ける。
「……僕に出来ることをしただけだよ」
その手を取り、起き上がる。
会場は、拍手に包まれた。
神代はなぜか、その一言が胸に残った。
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ステージを降りた神代に、教官が駆け寄る。
「凄いな神代。
入学初日で四階位の魔法とは。
卒業までに、誰も成し得なかった五階位も夢じゃないな」
「当然ですよ」
一拍置いて、神代は尋ねた。
「ところで先生。
このステージには制御魔法がかかっているんですか?」
「いや、かかってないが?」
「…………」
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少し離れた場所で、あの少女が演習場を見ていた。
倒れた灰谷を見て、胸がざわつく。
(……なんでだろ)
さっきの「これ」と言った声が、頭に残っている。
誰も知らない。
誰も評価しない。
それでも、立ち上がろうとした少年。
その時は、まだ誰も知らなかった。
この学園が。
この世界が――
すでに、彼に救われ始めていることを。




