第8話 春の噛み跡
春の朝は、ガラスの内側から始まる。夜のうちに窓に貼り付いた薄い冷えが、光の厚みに押されて少しずつ退く。灯生は台所の蛇口をひねり、やわらかな水をマグカップに落とした。湯を沸かす間に食卓を拭き、ランチョンマットを二枚、平行に置く。窓辺には、冬から貼りっぱなしの小さなメモがある。招待、とだけ書かれた紙。角は丸まり、テープの端は白く粉を吹き始めていたが、剥がすつもりはまだない。そこに在ることで、空席の輪郭が「自由」という言葉に変わるからだ。
湯がわずかに唸り、湯気が白く立ち上がる。灯生は湯飲みに熱い湯を注ぎ、何も入れずにそのまま食卓の向かいに置いた。湯気は、春の光の中では冬よりも細く、すぐ透明に変わる。スマホを取り出し、カメラを起動し、湯気を撮る。写真は保存された。けれど、今日はアップロードはしない。記録は記録で、観客になることとは別の行為だと、ようやく分かったからだ。
制服の襟元が、冬のあいだのわずらわしさを忘れたみたいに軽い。カーディガンは薄手に替え、上着のポケットに昨夜書いたメモを入れる。優しさは行為。祈りは設計。家族は席と時間——走り書きの三行。家を出ると、空の色は冬よりも青の面積が広い。歩道のタイルの継ぎ目に小さな草が伸び始めている。信号の待ち時間は短くなったわけではないのに、身体が先に春を信じて軽くなる。
学校へ向かう途中、スマホが震えた。メッセージは四通。最初は麻子。今日は噛まない日だよ。句点はないが、言い切りの軽さがこの家の新しい標準になったのだと分かる。次は詠。早弁した。写真は添付されていない。添付しないことで残る余白が、彼女の性格に似合っていた。三通目は律。曲ができた。短い。短いけれど、そこに彼の一日ぶんの誠実さが詰まっている。最後は迅。帰る。二文字の言葉が、今は十分だった。薄い言葉ほど、積み重ねた回数が音を作る。
校門をくぐると朝のざわめきがまとまって押し寄せ、下駄箱の前で解けた。教室に入ると、窓側の席の友だちが外を見て「あ、ツバメ」と言った。振り向けば、もう姿は見えない。見えないけれど、春の速度が窓辺を通ったことは確かだった。ホームルームの後、いつも通りの授業が並び、いつも通りの合間に小さな笑いとため息が落ちた。灯生はノートの端に小さく書く。観客席の外に立っている。立っていることを忘れない。書いてすぐ、消しゴムで軽くこすって薄くした。強く残さないことも、今の自分には必要だ。
放課後。家庭教師の時間まで少し間があり、灯生は帰り道のパン屋でバゲットの端を買った。店員が「今日はハーブ強めです」と言う。春になると、店の味も少し変わる。紙袋の温かさが手に移り、信号待ちの間に袋の口を少し開けると、香りが頬に触れた。マンションに着くと、エレベーターの鏡が昼の残り光を跳ね返す。四階で降り、ドアの前で一度深呼吸する。礼儀のためというより、春の空気を家の匂いに切り替えるためだ。
インターホンを鳴らす前に、扉が内側から開いた。詠が顔を出す。髪は肩で跳ね、目は眠そうで、口元は機嫌のいい形に落ち着いている。
「先生、パンの匂いする」
「買ってきた」
「ナイス。うちのトースター、今日やる気あるから」
中に入ると、台所に四人が揃っていた。麻子はエプロン姿で、手には新しい砂時計。律はカウンターにメトロノームとノートを並べている。迅は流しでコップを洗い、布巾を軽く絞った。見慣れた器具——透明なカップと細いダイヤルの付いたあのセット——は、引き出しの奥に仕舞われていて、代わりに砂時計が台の真ん中に置かれた。砂時計のガラスは清潔で、中の砂は春の乾きの色をしている。
「新入りを紹介します」
詠が胸を張って言う。
「噛み跡のかわりに、時間を落とすやつ。名前はまだない」
「名前は要らない」
律が笑う。
「役目が分かっていれば十分だし、名前をつけるのはいつでもいい」
麻子が砂時計を指で挟み、やさしく逆さにした。砂は細く落ち始める。台所の照明を受けて、落ちる線が一本の光みたいに見える。落ちる砂の音は聞こえない。けれど、時間が動いていることを、全員が同じ角度で見ている。灯生は、その瞬間に微笑んだ。儀礼が刃から灯へ変わるあいだに、灯は合図へと変わる。合図は、誰かを傷つけない代わりに、誰かの行動をやわらかく揃える。
「誰かのために自分の時間を差し出すときに、これをひっくり返すの」
麻子は言う。
「終わりが来ることを、最初から知っている形で」
バゲットは厚めに切られ、オーブンで軽く焼かれ、オリーブオイルと塩で味を整えられた。春の台所は、冬よりも音の背丈が低い。包丁の刃がまな板を叩く音も、フライパンに油の波紋が走る音も、耳の手前で素直に消える。灯生は皿を運び、グラスを並べ、フォークの先を揃える。観客でいないことは、こうした小さな動作を、自分の手で増やすことに近い。
勉強の時間になり、テーブルに教科書とノートが並ぶ。英語の仮定法、数学の二次関数、国語の小説の一節。詠は相変わらずの速さで問題を解き、律は丁寧に順番を追う。灯生は、それぞれの「分からない」の形に合わせて説明を変える。板書ではなく、家の言葉で。分かったときの顔は、人によって違う。詠は眉尻がほんの少し持ち上がり、律は目の奥に小さな光が宿る。麻子は台所からその様子を見て、湯を注ぎ足すタイミングを正確に見極める。迅は一歩引いた位置に立って、必要なときだけ手を伸ばし、手を引っ込める。手を引っ込めるのも、家の仕事だ。
砂時計が落ち切ると、律が静かに逆さにする。二回目の砂は一回目よりも早く感じる。理由は簡単で、全員がその時間の中に身体を置くことに慣れ始めたからだ。時間の肌触りは、共有すると滑らかになる。
勉強が終わると、詠が立ち上がった。
「休憩。からの、ミニライブ」
律がギターを持ち出し、椅子に腰掛ける。指先に残る鉛筆の黒が、弦に触れてすぐ消えた。最初の和音はぎこちない。二つ目も三つ目も、少しずつ合っていく。合っていく過程の音が、家には似合っている。麻子は手拍子をとり、迅は時々、音を外しながらハミングを挟む。詠は歌わないが、サビの終わりで小さく「よし」と言った。灯生は録音しなかった。スマホの画面を見ない。画面を見ないことで、目の前の音が現実に割り込む余地が広がるからだ。
曲は短い。終わったあと、空の中に音の形がうっすらと残る。律は照れくさそうに笑い、詠は「次はテンポ上げよう」と言い、麻子は「いい音だった」と頷く。迅は「昔、少しだけギターを」と言い、律の肩越しに手を伸ばしてコードを押さえた。昔という言葉は、家の中ではときどき未来のことを指す。今、押さえられたコードのほうが、これからに近いからだ。
片づけの時間、灯生は台所に立って皿を拭いた。流しのステンレスに水滴が残り、布巾を滑らせると、そこに薄い虹が出た。虹はすぐに消える。消えるけれど、「見た」という事実が指先に残る。ゴミ袋を取り替え、引き出しの中の器具の箱の位置を確認する。箱は奥。取りにくくはないが、目につきにくい。これでいい。使える距離と、使わない距離の中間に置く。
玄関でスニーカーの紐を結び、ドアに手をかける。律がそっと近づき、声の背中で囁いた。
「先生、首、きれいになったね」
灯生は笑って、指先で首筋に触れてみる。冬の間、小さな円としてそこに在った熱は、もうない。皮膚は他の場所と同じ温度で、同じ明るさだ。触れた指にだけ、微かな温かさが残る気がする。錯覚かもしれない。錯覚でもいい。
「ありがとう」
「何が?」
「言ってくれて。たぶん、僕より先に気づいてくれたから」
律は首を振った。
「僕が見たのは先生の顔。首じゃない。顔が、軽くなってた」
詠が靴の踵をトントンと鳴らしながら、横から顔を出す。
「先生、帰ったら早弁の続きする。写真送らないから安心して」
「安心する。けど、いつか一枚は見せて」
「考える」
麻子はドア枠にもたれ、迅は靴べらを差し出した。靴べらを受け取りながら、灯生は迅を見た。言葉が要るときと、要らないときがある。今は、うなずくだけで足りた。
「じゃあ、また」
「また」
外に出ると、夕方の光は白から金に変わり始めていた。マンションの外壁に陽が当たり、ポトスの葉がひらひらと揺れる。風は冬ほど鋭くはない。頬に当たる角度がやさしい。交差点で信号を待つ。車が通り過ぎ、ベビーカーを押す人が渡り、工事のトラックが遠くでバックする音が短く鳴る。スマホのメモを開き、最後の行に書き足した。優しさは行為。祈りは設計。家族は席と時間。噛み跡はもう見えないけれど、灯は残る。送信先はない。けれど、こうして書くことで言葉は届く。届く先は、明日の自分と、今となった過去の自分だ。
信号が青に変わる。歩き出す足取りは、冬より確かで、少しぎこちない。ぎこちなさは、慣れないことを続ける人の姿勢だ。観客席を離れた人間は、歩幅の調整が下手になる。下手さを笑う必要はない。下手さは、現代に残された魔法の所作に似ている。練習すれば、形になる。練習しなければ、忘れる。灯生は今日の一歩を練習として数え、明日の一歩を練習の続きとして用意する。
バス停のベンチに座る老人が、新聞を半分に折りたたみ、顔を上げて空を見る。空は薄い雲の帯が一本、校庭のトラックみたいにかすかに円を描いている。灯生は自分の呼吸を意図的に深くした。呼吸は儀式ではない。ただの動作だ。けれど、繰り返した数だけやさしい。深く吸って、ゆっくり吐く。首筋の内側で、かつて灯っていた小さな円が、今は胸の奥に移動している気がする。温度は低い。でも、消えてはいない。
交差点を渡りながら、ふと冬の夜の夢の声を思い出す。兄になって。誰の声だったのかは、もう考えない。考えなくても、答えは決まっている。灯生は空へ向かって小さくうなずいた。うん、と口の中で言う。声は出さない。出さなくても、届く。
家に着く。玄関を開けると、朝よりも外の匂いを残した空気が出迎える。台所に直行し、朝に置いた湯飲みをそっと持ち上げる。中の湯は、もう冷めている。けれど、冷めた湯にも役目がある。役目を果たした水を流しに捨て、湯飲みを洗い、伏せる。窓辺のメモは、朝よりも紙の反りが大きい。貼り直す。新しいテープを使い、角を丁寧に押さえる。招待、という文字が少し濃くなった気がする。濃さは、宣言ではない。ただの視認性。見えることで、忘れないようにする。
机に座り、鞄からノートを出す。今日のページに、朝の湯気の写真は貼らない。かわりに、短い行をいくつか。たとえば、砂時計の砂の落ちる速度は、四人で見ていると速くなる。たとえば、ギターの最初の和音は失敗しているほうが、手の記憶に残る。たとえば、帰るという言葉は、未来形より現在形が強い。たとえば、席は家具ではなく座標。座標に座るとき、人は少しだけ静かになる——そういうメモを、乱暴にならない程度の速さで書き連ねる。
首筋に手をやる癖は、まだ残っている。触れると、そこはただの皮膚だ。けれど、触れた指には、不思議と灯りの名残が宿る。自分にしか分からない、気のせいのような光。光は、人に見せるために強くする必要はない。弱い光で、十分に役目を果たす。
窓の外で、春の風が小さく何かを運び去る。運び去られたものの名前までは分からない。分からないけれど、部屋の空気がすこしだけ軽くなる。世界は軽くなった分だけ、別の重さを受け止める余白を作る。灯生は机の引き出しから封筒を取り出し、紙を一枚入れた。宛名は書かない。宛名を書かない手紙は、自分に届く。つまり、明日へ届く。
夜、ベッドに横になる。天井の白は冬よりも柔らかい。外の車の往来は途切れ途切れで、遠いところから列車の音が水平に滑っていく。目を閉じる前に、スマホのメモをもう一度開く。最後の行を、指でなぞる。優しさは行為。祈りは設計。家族は席と時間。噛み跡はもう見えないけれど、灯は残る。読み返し、そっと画面を消す。
眠りに落ちるとき、観客席の気配はもう背中にはない。背もたれのない場所は不安定だと思っていたが、意外と筋肉は素直に働く。立っているだけで、翌日の足取りが変わる。変わった足取りは、明日の朝の湯気の上がり方を少しだけ変える。変わった湯気は、窓のメモに触れて薄く散り、散った後にも、見えない灯を残す。
春は、首筋ではなく胸の奥を温める。そこに灯るのは、誰かを呼び戻すための光ではない。誰かと並んで座るための目印だ。座る回数で作る家、座る回数で作る日々。灯生はその回数を、これからも数えるだろう。数え方は難しくない。朝、湯を注ぎ、招待を貼り直し、必要なときに砂時計を逆さにする。ただそれだけだ。
窓の外で、見えない何かがまた通り過ぎる。ポトスの葉が一枚、静かに傾き、また元に戻る。灯生は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。呼吸は儀式ではない。ただの生きる動作だ。けれど、繰り返した数だけ、やさしくなる。やさしいものは、続く。続くものは、いつの間にか「家」と呼ばれる。
おやすみ、と誰にも言わずに口の中でだけ呟き、灯生は眠った。胸の奥の灯は、小さなまま、消えないまま、春の夜に置かれ続けた。翌朝、湯気はまた真っ直ぐに上がるだろう。招待状は貼られたまま、自由は席に座り、観客でいないという選択は、そのまま生活の形になっていく。
——完。




