14: 弟子イケメン。つまり断罪。
私が父の研究棟の廊下を通っていたのは、ほんの気まぐれだった。
この屋敷には魔術実験に使われる塔のような別棟があって、そこは普段、父と召使い以外ほとんど立ち入らない場所だ。
でも今日は、届け物を頼まれたメイド(最近よく部屋を掃除してくれるエミリア)がどうしても手が離せないというので、代わりに私が持っていくことになった。
(……断罪回避の一環として、召使いの小さな頼みごとにもきちんと応える!って決めてるし……)
書類の詰まった封筒を胸に抱えて廊下を歩きながら、そんな自分の地味な努力にちょっとだけ満足していた。
そんなとき――
「……っ、危ないですよ、お嬢様」
静かな声がして、細い指先が私の手首をそっと引いた。
気づけば私は廊下の端、厚い扉のすぐ横に押しやられていた。
(……え、なに!?)
「……っ、危ないですよ、お嬢様」
静かな声がした次の瞬間、細い指先が私の手首をそっと引いた。
気づけば廊下の端、厚い扉のすぐ横に押しやられていた。
「え、えっ……?」
戸惑っている間に、リュカと呼ばれた青年はすぐ近くの扉に魔術式を展開していた。
細い青白い光が、彼の手から走る。淡々と、何かを検証しているようだった。
灰金色の髪を後ろで一つに束ね、細身の体に黒いローブ。
父の弟子だってことは聞いていたけれど、こんな間近で顔を合わせるのは初めてだ。
(うわっ……なんか……普通にかっこいい系の人だこれ……)
小説脳が勝手に危険信号を鳴らし始める。
いやいや待て待て、冷静になれセシリア。
別にここで恋愛イベントが始まるわけじゃ――
「こちらの薬品は刺激に弱く、場合によっては爆ぜます。お嬢様はお下がりください」
「……は、はいっ……!」
そう言って、彼は私に一礼すると、また魔術陣の光に視線を戻した。
めちゃくちゃ礼儀正しいし、声は落ち着いてるし、それどころか無駄に距離を詰めてもこない。
(なにこれ、めっちゃまとも……!!)
なのに。
私の頭の中では、
「弟子がそのうちヒロインと出会って、二人が恋に落ちて、私が道を塞ぐ悪役令嬢になって断罪される未来」
がものすごい勢いで再生されていた。
(いや待って、何も起きてないし、私そもそも弟子に気があるわけでもないし、向こうだって私に全然興味ないし!
なのになんで私が断罪されるの!?意味わかんない!!)
なのに脳内シミュレーターは止まらない。
「伯爵令嬢が弟子に執着して、彼を愛する可憐なヒロインを妬んで虐めた」というストーリーが自動生成される。
自分でも何を言ってるのかわからない。
でも読んだ小説ではこれで断罪されてた。
(……本当に……私、なんで断罪されるの?
私何もしてないし、この弟子さんとも今日がほぼ初対面なのに……)
変に脇汗をかいている私を見て、リュカは少しだけ目を瞬かせた。
けれど何も言わず、ただ静かに視線を逸らして再び魔術の光へ戻る。
(うん、たぶんこの人、普通に仕事に集中したいだけだよね……)
それが逆に怖かった。
悪意がないからこそ怖い。
きっと彼はこれからも善良でいて、だからこそ私は理不尽に悪役にされる――
そんな妄想がまた膨れ上がる。
(…………私、頭おかしくなってない?)
そう思った瞬間、なんだか涙が出そうになった。
でもここで泣いたら、弟子から「魔術伯の娘は神経が弱い」とか余計な報告が父にいってしまうかもしれない。
そしたらそこから断罪フラグが――
「お嬢様。こちらはもう安全です。……どうぞ」
リュカはそう言って、扉の向こうを軽く示した。
その顔は最初から最後まで無表情で、ただ礼儀だけが完璧で。
(……いやもうほんとに何これ……。なんで私がこんなに怯えてるんだろ……)
理屈はない。ただ小説を読みすぎた結果の脳内地獄。
私が勝手に怯え、勝手に断罪ルートを生み出し、勝手に心臓を痛めつけているだけ。
(でも……怖いんだよ……)
少し遅れて、おそるおそる扉をくぐる私の心臓は、ずっとドクドクと速かった。