5.決
淡々と階段を上り、教室を目指す。
頭の逝かれた集団の中にひとり、賢い私の存在。
制服を破られた翌日からも、当たり前のように、何食わぬ顔で教室へ向かった。
いじめても、いじめても、どれだけいじめても折れない。
そのような私の様子を見て、担任と重本は何を思う。
「……松村、しつこいな」
「いじめ続けたら不登校になるとでも思った? 松村先生も〝私を退学に追い込む〟と言っていたけれど、そう簡単に不登校にはならないよ」
「……」
「私、弱い人間ではないから」
重本は私のことを強く睨みつけながら、机をひどく叩いた。
そして、その様子を教壇から眺める担任――松村結貴。
「松村、意外としぶといね。すぐに退学でもしてくれるかと思ったのに」
「そういう先生こそしぶといですよ。飽きもせず、毎日毎日ショートホームルームで、根も葉もない噂を上げて」
「お前を退学に追い込みたいんだ」
「無理ですね。私は賢い上にメンタルは最強なので」
「……」
もはや、開き直っていた。
一周回って、楽しくなっていた。
悔しそうな担任の表情が面白い。
――その表情を、苦痛で歪ませたい。
その思いで、つい気持ちが昂る。
私も大概、異常だ。
◇
放課後、私は職員室に赴いて担任を呼び出した。
私の姿を見てあからさまに嫌そうな表情した担任は、「何?」と一言放つ。
「先生に、用事があります」
「僕には用がない」
「……来ないと、言いふらしますよ。先生の〝すべて〟を」
「……最低」
最低なのはそちらだろう。
つい出てきそうになったその言葉は飲み込み、相談室に向かって歩き始めた担任の背後を付いて行く。
――ポケットから、スタンガンと折り畳みナイフを取り出しながら……。
相談室に着くと、担任は前と同じように何故か鍵をかけた。
だが、これは私にとって好都合である。
「……で、松村。なんの用?」
「もう、やめようよ。いじめに加担して、私を傷つけて、そこまでして守りたいものって、〝本当に〟職場での評価?」
「……何が言いたいんだ」
「私を退学にしたい理由――それは、〝あんたが今まで隠して生きてきたこと〟を、何かの拍子にバラされると困るからじゃない?」
「……」
「私がいじめられていたのは、あんたに取って不幸中の幸いだったのでしょう? ね、〝親殺し〟」
私に関する根も葉もない噂の中に、ひとつだけ事実が混ざっていた。
――リョウシンガ、イナイ、トカ。
私が小学校高学年の頃に、両親は他界した。
当時は交通事故に遭ったと聞いていた私は、歳の離れた兄とふたり暮らしをすることになった。親族は、誰も引き取ってはくれなかったからだ。
お金は祖父母が援助してくれた。私の生活は、兄が支えてくれた。
だけど私が中学生になったある日、就職して社会人となった兄は、唐突に「ひとり暮らしをする」と言って家を出て行ったのだ。
その後、私は両親が他界した事実を知った。
両親は、兄が殺していたのだ。
「――ね、松村結貴。まさか、この学校で教師をしていたとは思わなかったけれど、私と再会して、しかも私の担任になっちゃって、焦ったでしょ?」
「……なんのことか、分からん」
「しらばっくれないでよ。私はもう、何も知らなかったあの頃とは違うのだから」
私は入学式の日に担任の姿を見て、真っ先に気が付いていた。
間違いなく、私を見捨てた兄であると――。
だが、その件には一切触れずに、私は今日まで〝気づかないフリ〟をしていたのだ。
担任の言う、評価も間違いなく事実であろう。
いじめが起こると評価が下がるというのも、嘘は言っていないと思う。
けれど、この人のいちばんの目的は〝私が知る事実〟をここで公言してほしくない。だから、退学させて追い出してやる――、そのような魂胆であったに違いない。
少なくとも、私はそう思っている。
「……両親を殺したころを知られたくないから、見捨てた妹をいじめる生徒に加担して、退学に追い込もうとした。ただ誤算だったのは、〝私はあんたの妹である〟ってことだね」
「……」
「残念ながら、私もあんたと同じで、メンタルだけは強靭なんだ」
――マツムラ ユウキ、ゼッタイニ、ユルサナイ。
その言葉を吐き出し、手に持っていたスタンガンとナイフを担任に向ける。
すると、担任もポケットからナイフを取り出し、私の方に向けた。
「やるつもり? 殺し合いなら、僕の方が有利だ。なぜなら、経験者だから」
「……気持ち悪い。親を殺したことを、経験なんて言うな――っ!!」
担任を……兄を殺したい。
殺す。殺す。殺してやる。
親の仇。
いじめの加担。
私が松村結貴を殺す理由なら、充分すぎるほど揃っている――。
優しくて子供思いだった両親。その両親を、『思春期の過ち』という理由だけで殺した、こいつ……。
親族は確か、無理心中で処理したはず。
事を大きくしたくなかった。理由はただ、それだけだった……。
「……分かった、松村。この後、実家に行こうか」
「……は?」
――オレガ、リョウシンヲ コロシタ バショ。
「そこが、どちらかの墓場になる。なかなかいい、フィナーレじゃない?」
「……」
頭の逝かれた担任は、どこまで行っても意味不明だった。
怒りのあまり、思わず口角が上がる。
悔しくて、悔しくて……
許せなくて、許せなくて、怒りが治まらなくて
殺したくて、殺したくて、殺したくて――、
「……私には、青春は不要だ」
「え?」
「だから。怒りに狂い、実の兄を殺すくらいが、私にはちょうどいいのかもね」
そう言い終わる前に、私の体は勝手に動いていた。
自分の意志とは関係なく、勝手に動き続ける体が止まらない。
そしてふと気が付くと
私の視界は、取り返しがつかないほど、真っ赤に染まっていた。
怒りに任せて行動をした私自身は、決して賢いものではなかった。
そのようなことを考えながら、私は目の前で横たわる人に目線を向ける。
結局私も、本質は兄と同じなのだ。
――だけど、起こしてしまったものは仕方がないよね。
冷めた呟きは、虚空に消えていく。
そして私は、目線をそのままに嘲笑いながら、最高で綺麗なダブルピースを、あいつに手向けた。
ここまでが、天才で賢いと評判が良い私――松村結依の、短い高校生活の記録である。
終