2.起
「松村結依、放課後すぐに職員室まで来ること」
帰りのショートホームルームで私の名前を呼んだ担任は、私の返事を聞くこともなく「はい、日直。号令」と言葉を継いだ。
なぜ呼ばれたのか――、それにまったく心当たりがなかった。
クラスの陽キャたちは、私の方を見ながらクスクスと笑う。そして「天才も呼び出されるんだぁ」と声高らかに言い放ち、クラス中にみんなの笑い声が響き渡る。
担任はそれを気にしている様子はなかった。
いつも通り出席簿を閉じ、筆記用具と共に手に持って教壇を降りる。
あの担任は、自身が受け持つクラスに対して関心がないのだ。
担任が出て行く様子を見ながら、私も鞄を持って教室を後にする。背後から聞こえてくる馬鹿たちの声を耳に入れることもせず、言われた通り職員室に向かった。
「1年A組の松村です。担任の松村先生に用があって来ました」
担任もまた、松村という。
同じ名前なことに不満を覚えるが、こればかりはどうしようもできない。
私の呼び掛けを聞いた担任は、軽く片手を挙げて私の方に歩いてきた。
背が高く、スーツを綺麗に着こなしている担任の姿は、正直どこにいても目につく。
「松村、こっち」
ただその一言を漏らし、どこかに向かって歩き始めた。私は背中を追い、同じように歩みを進める。
辿り着いた先は、校舎の端にある相談室だった。
私は薄暗くて小さな部屋に通され、後から入ってきた担任は、静かに鍵を閉める――。
「え?」
「なぁ、松村。お前がクラスで孤立する理由はなんだ?」
「……そんなの、私が賢いからではないですか?」
唐突にそのような質問をしてきた担任は、すこしだけ目を細めながら私の顔を凝視した。その行動の意味が理解できずに、思わず目線を逸らす。
だいたい、私のことを気に掛けてくる人が現れること自体、初めてだった。小中学校では、担任すら気に掛けることもせず、相談に乗ってくれることもなかった。
不登校にならず、どれだけ悪口を言われても教室に通い続けた私は、先生たちからしたら、とにかく優秀な生徒だったのだ。
手のかからない、いい子――。
どれだけ悪質ないじめも、その言葉ひとつで『なかったこと』にされていた。
だけど別に、それで問題はなかった。
いじめは無視できる。私には耐えられる。だから、大人に心配なんてされる必要など一切なかった。
「しかし、珍しいです。先生は私のことを気にかけてくれるとでも言うのですか?」
「気にかける、なんて大層なことではない。ただ、面倒だなぁって思って」
「……面倒?」
「あぁ、僕のクラスでいじめがあるのが、面倒だなぁって」
咄嗟に担任の方へ顔を向ける。
担任は無表情のまま、今もまだ私の目を凝視していた。
――気にかけるとか、気にかけないとか。そういう次元の話はしていない。
――メンドウダカラ、キエテホシインダ。
そう呟き、溜息を零した。
どうやら受け持ちクラスでのいじめ問題は、担任自身の評価に繋がるらしい。昇格、昇給、そのすべてに影響が出るから困るんだ――、そう言った担任は、初めて私に向かって微笑んだ。
小中学校で担任はそのようなことは言わなかったし、気にかけてもこなかった。だからその旨を担任に話してみると、「小中と高校は違う」と一刀両断された。
しかし、そのような担任の事情なんて、私には関係ない。
意味不明で、消えるのがなぜ私なのか分からなくて、話の途中で相談室を出ようとした。
けれど掛けられた鍵は特殊な物のようで、この場では担任しか開けられないようだった。
「……で、私にどうしろと言うのですか?」
「どうもしなくていい」
「は?」
「これから起こる出来事に、松村が耐えられるなら、学校生活を頑張れ。無理なら退学をしてくれたらいいから」
それだけを言い残し、担任は扉の鍵を開けて部屋の外に出て行く。その背中を追って私も廊下に出るも、そこにはもう担任の姿はなかった――。
「鍵を掛けた理由って……なに?」
率直な疑問は、虚空に消えていく。
意味不明な担任は、どこまで行っても意味不明だった。