件名:いきなりのメール失礼します。私はボルゾイではありません
朝日が昇り、焦げた森にひんやりとした空気が流れ込んでいました。地面の片隅には、ひっそりと聳え立つ蟻塚があります。
やったぞ。我々は遂に怪物から解放されたんだ!
それは長きに渡る恐怖の支配が終焉を迎えた瞬間だった……のかもしれません。
「数千年もの間、我らは怯えて生きてきた!」
「あの老夫婦により、幾億もの同胞が舌に絡め取られた!」
「だが、我らは生き延びたのだ!」
「今日からは新たな時代! 加糖アリ黄金時代の幕開けだ!」
「我らの勝利だあぁあああ!」
「ついに女王陛下が安心して産卵できる!」
「子孫繁栄! 子孫繁栄! 子孫繁栄!」
加糖アリたちは興奮していました。
無理もないのでしょう。苦節数千年。
オオアリクイという可愛くも恐ろしい怪物に怯えて生きてきた彼らにとって、今こそが本当の「自由」の始まりだったのです。
「もう食われることはない!」
「今日からは新しい時代だ!」
「この森は燃え尽きたが、我々は生き延びたんだ!」
「これからは繁栄の時代だ!」
彼らは未来への希望を語り合い、誇り高く触角を振るわせていたでしょう。勿論、そのすぐ傍らで静かに私が見つめているとも知らずに。
「……加糖アリを食べるのも、これで最後でしょうか」
蟻塚に歩み寄りながら、ゆっくりと考えました。
「そうですわね……これはまさに最後の晩餐。長旅の前に、口にするのに相応しい逸品。ええ、とても貴重なタンパク源ですもの……ふふ、心して頂きますよ」
蟻塚に歩み寄りながら呟きます。
「これほど都合のいい御馳走はありません……最後の食事としては、ちょうど良いですね」
私が歩を進めると、蟻塚の中から微かな声が聞こえました。
「ついに自由だ!」
「もう、あの老夫婦に怯えなくて済むんだ!」
「これからは俺たちの時代だ!」
何か言っていますが、美味しいのがいけないんですよ?
ガバァアアッッッ!!!
鉤爪を一振りした直後、彼らの蟻塚が崩壊しました。
その瞬間、加糖アリたちの狂乱の叫びが響く――。
「ぎゃあぁああああ!!!!!」
「裏切りだあああああ!!!」
「これが……これが“文明”というものなのか……」
「お、おのれぇぇええ謀ったなあぁあ!!!」
「駆逐してやる! この世から……1匹残らず!」
崩壊する蟻塚。四方に逃げ惑う加糖アリたちが見えますね。しかし、彼らの絶叫は私の舌の上で甘く絡め取られるのでした。
「……ふふ、相変わらず癖になる甘さです」
甘みが広がり、ほんのりとした酸味が後を引きます。暫く食事を続けていると最後に残った女王蟻が、震えながら私を睨んでいました。
「せめて、せめて……私だけは……!」
その触角が必死に揺れ動いています。
けれど、何を言っているのか私には分かりません。
それは彼女にとって、不幸なことだったのかもしれません。何かを言っているようですが、言葉が通じない以上は争うしかないのです。
「女王蟻さん、感謝してますよ。これが覚悟の現れなのです」
私は迷いなく、彼女を舌で絡め取る。
「ま、待っ――」
――ヌルリ。
女王蟻の叫びが、私の喉奥へと消えていきます。
そして加糖アリたちの長い歴史は終焉を迎えました。
おそらく、彼らの種族はここで絶滅したのでしょう。
長旅の準備は、これで終わりです。
最後に私は静かに森を見渡した。
かつて生い茂っていた森の姿は、もうありません。
そして、主人もくたばりました。
「……行きましょう」
リアンさんが先を歩き、私はその後に続く。長旅の覚悟を決めたばかりの私は、一歩ごとに決意を新たにしていました。
しかし――その横で、リアンさんが幾度も私をチラリと見ているのです。
「……」
彼女の顔には、明らかに引いている色が浮かんでいました。
あれほど冷静だった彼女が、先ほどから妙に落ち着いていません。チラチラと、そしてソワソワと私を見ながら、何かを言いたげに口を開いては、すぐに閉じるのです。
「……?」
彼女の動揺の理由が分かりませんでした。ただ、私が加糖アリを食べ尽くした直後から、彼女の態度がぎこちなくなったのは確かなのです。まるで――聞いてはいけないものを聞いたかのように。
しかし、それは些細なことです。
加糖アリは美味しかった。
それで十分なのです。
「どうかしましたか?」
私は何気なく尋ねました。
けれど、リアンさんは僅かに肩を跳ねさせた後、ぎこちなく笑みを浮かべるのです。
「……いえ、何でもありませんよ?」
何でもない……?
その瞬間、彼女の脳裏に焼きついていたのは――。
「いやああああああ!!!」
「女王陛下あああああ!!!!」
「裏切りだ!!」
「これこそ真の支配者による最期の暴虐!!!」
「加糖アリの未来は、ここで断たれるのかぁぁぁぁ!!!?」
後から聞いた話によると、加糖アリの怨嗟の声を聞いてしまったリアンさんは、聞くに堪えきれずに目を伏せていたとか。
「(……聞こえなければよかった)」
そして、再び前を向き、彼女は歩調を速める。
その歩調が、ほんの少しだけ速くなったのを私は見逃していません。
――数分後に村が見えました。
「あれ……?」
思わず立ち止まると、リアンさんが振り返る。
「どうしました?」
「……もう少し遠いかと思いました」
私はつぶらな瞳で村を見つめました。
こんなにも近かったのですね?
旅立ちの決意とは、一体何だったのでしょう?
「まあ、良いでしょう」
深い溜め息をつきながら、私は静かに頷きました。
長旅を決意したというのに、実際は村まで数百メートルしか離れていなかったのです。
仕方ありませんよね。
勘違いした私に非があるのですから。
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