件名:主人は倒されました。けれど復讐の火はまだ燻っています
訂正いたします。彼女は、この世界の者でした。
転生者の手によって焼け落ちた森。
その鎮火を終えた彼女は静かに杖を肩に担ぎ、こちらを見つめていました。裾の長い魔導衣は泥に汚れ、雨に濡れた髪が額に張り付いています。
私は当初、この者を転生者だと疑いました。
ですが――話を聞くうちに、どうやら違うことを理解したのです。
彼女は機龍の見習い魔女、リアン=インヴィオレイト。この地で生まれ、魔法を学びながら生きてきた存在だったのです。
「あなた、転生者ではないのですか?」
ゆっくりと問いかけました。
リアンさんは一瞬だけ驚いたように瞬きをしましたが、やがては乾いた笑みを浮かべます。
「……転生者? いいえ、違いますよ。私はずっと、近くの禁足地で生きてきました」
「まあ、それはそれで問題がありそうですわね」
私はつぶらな瞳でリアンさんを見つめました。
転生者ではないという事実は、私の中の「敵」という枠を揺るがせましたが――。
「転生者ではなくとも、“禁足地で生きてきた”のは、あまりにも怪しすぎますわよ? それこそ、転生者並みに厄介な過去をお持ちなのではなくて?」
私の問いに、リアンさんの指が僅かに杖を握りしめました。そして少しの沈黙の後、彼女は短く笑みを溢します。
あら、これは……。
私の言葉に動揺した?いえ、違いますわね。
それよりも、あの指の動きは「自覚がある者の仕草」です。
つまり……彼女は転生者という存在を既に知っている。
「ですが……転生者と関わったことがあるのでは?」
「……ええ。随分と昔、酷い目に遭いました」
彼女の声音は淡々としていましたが、その言葉の奥には明瞭な何かが滲んでいました。それは――。
「……“笑えるようなもの”でしたの?」
私はつぶらな瞳で彼女を見つめます。
彼女は少し驚いたような顔をしました。
「……どうしてそう思うんですか?」
「あなたの笑顔が、“乾きすぎている”からですわ」
それ以上は、問いかけなかった。
彼女が何をされたのかは知らない。
――だが、彼女は転生者のことを知っている。
それが事実ならば、それだけで今は十分なのです。
リアンさんが話さぬ過去を、無理に抉るべきではないでしょう。
それから陽が昇り、焼け落ちた森には朝靄が漂い始めました。あの夜の炎は未だ静かに燻る灰となり、雨の残した水溜りが地面を黒く染めています。
しかし、それでも私はまだここにいた。
主人の亡骸のそばから、動くことができずにいたのです。その周囲には、折り重なるように亡くなった動物たちが横たわっています。
「……お爺さん。私はどうすればいいのでしょうか?」
この森はもうない。
主人もいない。
甘く濃厚で、かぐわしい加糖アリの香りも消え……。
主人ののんびりとした鼻息も消え……。
「この森で、あの方が私を見つめる瞳も、もうどこにもありませんのね」
私は乾いた風の中で、そっと目を閉じた。
「まったく……静かすぎますこと」
そう呟いた声は、誰にも届かないのでしょう。加糖アリの蟻塚や主人を慕っていた仲間も、家さえも全て消えてしまいました。
「……まだ、ここにいるのですね」
静かな声が背後から届きました。
リアンさんです。彼女は相変わらず、裾と袖の長い魔導衣をまとい、杖を肩に担いでいた。その足元は懸命な鎮火作業の末に泥で汚れ、長い深緑の髪には朝露が滲んでいます。
「あなたは、このままでいいのですか?」
その問いに私は答えなかった。
けれど、リアンさんは幾度も私に問うのです。
「このまま森に残ってどうするのですか?」
「何かをしたいのではありませんか?」
「……復讐をやめるのですか?」
その度重なる問いに、私は沈黙を貫きました。
復讐……それは決して諦めてはいません。けれど、何をどうすればいいのかが分からないのです。
「何をどうすればいいのか、分からないのです」
その言葉が口から零れ落ちた。
けれど――本当にそうでしょうか?
復讐をしたい。
転生者たちに報いを与えたい。
その思いは、未だに揺るがない。
だが、私は知っているのです。
「……私は、どうしても動けませんのね」
燃え尽きた森を見つめます。
ここにあるのは灰と亡骸だけ。
それでも、私は主人のそばを離れることができないのです。
リアンさんは少し驚いたようでした。
ですが次の瞬間、彼女は小さく微笑み、杖を地面に突き立てます。
「なら、行きましょう」
私は顔を上げる。
「……どこへ?」
リアンさんはゆっくりとこちらを見た。
「征服者に虐げられた過去を持つ私の住む村――禁足地ダウンヴィレッジ。あなたの知るべきことが、そこにあるかもしれません」
彼女の言葉が、静かな森の中に溶けていった。
「……まあ、それはそれで怪しすぎますわね」
私はつぶらな瞳でリアンさんを見つめます。
転生者ではないとはいえ、禁足地に住んでいる?
転生者に関わった過去がある?
そして、私をそこへ誘う……?
「あなた、実は転生者より厄介な方なのでは?」
彼女は一瞬驚いたが、すぐに小さく微笑んだ。禁足地という名を刻むからには、この地に生きる者ならば決して関わることのない場所なのかもしれません。
「私の知るべきこと……」
私は目を伏せました。
この森は燃え尽きて何も残されていません。ですが、私の中には、未だ燻り続ける憎悪の灰塵が残っています。
「では――少し、お邪魔いたしますわ」
その言葉と共に、私は決意を固めるために主人の亡骸を見つめた。
「ええ……この炎は、決して消えませんもの」
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