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件名:森を焼かれた日、私はボルゾイになりました


 ――主人に褒められた鼻先が熱いです。

 じりじりと焼けつくような熱が皮膚を刺激していました。

 

 ぼんやりとした意識の中で自慢の鼻を動かすと、焦げた草と肉の匂いが入り混じり、むせ返るような空気が鼻腔を満たしました。


「これは少々焼きすぎでは? このままですと、焼き加減がウェルダンにまで……」


 そんな的外れな思考が一瞬だけ頭をよぎりました。

 どうやら、私はまだ無事なようですね。


 重い目蓋を開けてウツロな視線を周囲に巡らせてみます。しかし、そこに広がっていたのは、かつての森ではありませんでした。


 目の前では赤黒い煙が立ち込めており、木々は焼け落ち、焦げた大地が広がっています。森の生き物たちが住んでいた場所は、跡形もなく燃え尽きようとしていました。


 深傷を負いながらも、私はゆっくりと立ち上がる。

 体の表面で小さな炎が弾け、火の粉が宙に舞いました。

 どうやら、私は炎の中に取り残されていたようですね。


「本当に馬鹿ですね。まったく……最後の最後まで、あなたは“食べすぎ”で苦しむのではなく、“アリと共に”果てるのですね……」


 静かに目を細めました。


 彼は最後まで「共に生きる」と言った通り、森と共に逝きました。それなら、彼を害した者たちも、同じ目に遭ってもらわねばなりませんね。


 視界の隅に、主人の姿が映ります。

 周囲では火柱が立ち上がっていたが、その場で私は凍りつきました。


 主人の鼻先は、根元から裂かれています。

 体の一部も剥ぎ取られ、毛皮は泥と血にまみれていました。


 けれど、それだけではなかった。


 彼の周囲には、無惨に倒れた動物や魔物たちの姿があります。リスやフクロウ、羽根の生えた蛇やウサギ。そして、何の害もない小さな魔物たちまで――。


 皆、彼らに殺されていたのです。

 しかし、その中に拭いきれない「違和感」がありました。鼻や耳を剥ぎ取られた者もいれば、何の部位も欠けていないまま死んでいる者の亡骸が目に入るのです。


 この感情は言葉では表せません。

 私は静かに目を細めます。


「……討伐証明のためではない、ということですか」


 私は静かに目を細めた。

 つまり、彼らはただの「遊び」で殺したのでしょう。


「なるほど、なるほど。これは随分と、愉快な“遊び”でしたのでしょうね。けれど、遊びにはルールがあるものです。ええ、転生者の皆さま?」


 私はゆっくりと爪を地面に突き立てた。


「この世界のルールを、今から教えて差し上げますわ」


 再び深く息を吸い込む。

 焦げた空気が肺に染みる。

 しかし、私の体はもう震えていなかった。


「……森の生き物たちを……これほどまでに……」


 私の声は静かだった。

 静かすぎて、まるで何の感情もこもっていないかのように聞こえたかもしれない。


 しかし――。


「……許しません」


 爪を地面に突き立てる。


「絶対に許しません」


 このままでは終わらせない。

 転生者たちを見つけ出し、彼らの血を一滴残らず吸い尽くしてやる。


 必ず……絶対に。

 しかし、どうやって?


 私は静かに考えます。

 考えて、考えて、考えて……そして、ようやく悟りました。


「……私、復讐の方法を何も知りませんわね?」


 知性が高いとはいえ、あくまで私は無害な老オオアリクイ。


 武器を持たない。

 人間のように言葉を話せるわけでもない。

 転生者がどこにいるのかさえ、見つける術を持たない。


「おやまあ、これは随分と面倒な状況ですこと」

 

 私はつぶらな瞳で空を見上げました。


「困りましたね……どうすれば良いのでしょうか?」


 自分自身に問いかける。

 これ以上ないほど怒りは燃え盛っていたはずです。しかし、それをどうぶつければいいのか――。


 ポツ……ポツ……。


 考え込んでいたその時、乾ききった大地に水滴が落ちました。


 顔を上げると、いつの間にか頭上には巨大な雨雲が広がっています。森に広がる炎の熱が、少しずつ鎮められていきました。


「この雨は一体……?」


 私は視線を巡らせた。

 そして、目を向けた先で鎮火を試みる者を見つけるのです。


 森の中で杖を肩に担ぎながら駆け回る小さな人影。裾の長い魔導衣が動くたびに揺れ、袖口から覗く細い手が器用に杖を振る。彼女が立ち止まるたび、その先で雨が降り注ぎ、燃え盛っていた炎が少しずつ消えていきました。


「あぁ、こっちも燃えているのか……」


 彼女は忙しそうに炎の残る場所を探し、誰かに命じられたわけでもなく、次々と鎮火の魔法を発動していました。まるで、私たちの森を救おうとしているかのように。


「……転生者」

 

 脳裏にその言葉が浮かぶ。


 彼女は間違いなく転生者だった。 

 そう、転生者といえば――。


『タイパ最強ww』

『効率的にいこうぜww』

『こいつレアドロップありそうww』


 あの忌々しい煩音のような笑い声が、頭の中に木霊します。


 この者も、あの連中と同じなのでしょうか?

 ――それとも。


「あれってもしかして、ボルゾイの生き残り⁉︎」


 彼女が真剣な表情で叫んだ。

 ――何を言っているのかしら?


 その瞬間、私は全てを忘れて、つぶらな瞳で瞬きをしました。こちらの存在に気づいた彼女が駆け寄ってくるのです。


 無意識のうちに、私は前足を広げていました。

 それは、かつて主人が最後に見せた姿。

 ――無呼吸運動の型・神威(カムイ)の構え。


 彼女は私の前で立ち止まると、何かを察したように周囲を見つめていました。


 炎に焼かれた森。

 横たわる亡骸の数々。

 私の体についた傷。

 そして、主人の亡骸。


「もしかして、あなたはボルゾイですか!?」


 静かな声が響く。


 こちらが警戒を込めて両手を広げているというのに、彼女は杖を下げて穏やかな眼差しを向けていました。もしかしたら、自身に敵意を向けていることを理解しているのかもしれません。


 しかし――私はまだ判断を迷っていた。


 この少女も、あの転生者たちと同じなのか?

 それとも――違う?


 どれほどの時間が経ったのだろう。

 森に降り続けた雨は勢いを失い、土へ静かに吸い込まれていきました。


 そして、彼女は再び現れた。


「ボルゾ……これで、大丈夫でしょうか?」


 彼女の名は、リアンさん――機龍の見習い魔女リアン=インヴィオレイト。

 

 なぜ彼女の名前を、こうもはっきりと覚えているのか?


 転生者への憎しみを焼き付けた夜。

 私の復讐の始まりとなる夜。

 そして、この世で初めて、「ボルゾイ」と呼ばれた夜。


 それは勿論、主人が倒された夜のことを思い出すたび、私は必ず彼女の名を思い浮かべるからなんです。

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